静まり返る森
マンドラゴラを仕留めてからとりあえず、二人が目を覚めるまでは手持無沙汰となった俺は本来の目的であるサラの弟と部下たちの様子を見ることにした。
マンドラゴラの後ろ、ぼちぼち距離があるところに積み重ねるようにして置かれたその姿は食料を備蓄しているかのようであった。あの大きな口にばっくりと食われてしまっては人など一溜りもない。
とりあえず、生存確認。
息はしている。脈も概ね問題なしといったところだろうか。
良かった……、無事で。
だが、かなり顔色が悪い。
―――マンドラゴラの生態は昔から決まっておる。ある区域を縄張りとして定め、そこに木々として自分の体を群生させる。そして、そこに入った者たちを魔物であろうと、人間であろうと見境なしに迷わせ、弱ったところで対象に麻痺毒を注入する。道中出会った魔物たちがいともたやすくあのサラという女にやられたのは彼女が強いのもあるじゃろうが、この森で迷って弱っていたこともあるじゃろうな。まぁ、ここまで巨大な範囲を縄張りとしたマンドラゴラは見たことがないがの。
なるほど。なら、その麻痺毒を癒してやれば元に戻るってわけか。
――まぁ、そうなるな。ただ、一部衰弱が激しい者もいるようじゃ。特に弱っていそうな者には先ほどのヒーリングも施してやるといい。ただまぁ、養生が一番。二人が目覚めたらここの者たちを運んで街でゆっくり休ませてやったほうがいい。
なんだか、さっきは自然な流れで会話しちゃったけど、あんたは何なの?
「痺れたる体に癒しを。パラライズロスト」
―――我か。我はアプサラス、そうだな言うなれば大昔にいた一人の冒険者じゃよ。七星の賢者などと呼ばれていたこともあったか。まぁ、世の中に飽きて、自分を楽しませてくれる存在が現れるまで自分自身を封印しとったのじゃよ。あそこにいるアストレアは我とは聊か異なる境遇じゃが……、いや我が言うことではないな。アストレア自身が思い出したら直接聞くといい。
なんだよ、お前知ってるのか、アストレアのこと。
俺は心の中に問うように声をかけてみるが、それに返ってくるのは沈黙だけだった。
今は答える義理はないってか、全く薄情なことで。
俺はその場にいた十人の様態が落ち着いたのを見て、ほっと一息つき、サラとアストレアの元へと戻っていった。
考えるべきことはたくさんある。
けれど、それはひとまず置いといて、とりあえずは彼女たちときちんと帰ろう。
「うっ……。私は……」
「大丈夫か、サラ」
ちょうど目を覚ましたらしいサラに駆け寄ると、俺はしゃがんで顔を覗き込んだ。
「うう……、私は気絶してしまっていたのか。ということは、マンドラゴラは!」
「大丈夫、倒したから。それに、弟さんと部下の計十人みんな無事だよ」
今にも戦わんとする勢いで起き上がった彼女をまだ無理をしちゃダメだと窘め、寝かしつける。
「不甲斐ない、魔物に後れを取るとは」
悔しそうに唇を噛む彼女に俺は、
「いやサラがいなかったら、俺もアストレアも死んでいた。ありがとう」
感謝を言葉にした。
仮に俺が突然あのマンドラゴラに遭遇し、襲いかかられたとしたらアプサラスによる力も発現しないままに死んでいただろう。実際の敵はよくアニメやゲームで見かけるように覚醒を否応なく待ってくれるわけではない。
「礼に及ぶことは……、いや、こんな言い方をしては君たちに失礼だな。自分の行いを悔いるのは無事に帰ってからにしよう」
律儀な人だ、そんなに気にする必要なんてないだろうに。
むしろ、反省すべきは俺だと言うのに。
「十人ということは皆無事だったのだな」
「ああ、何とか。ただ、一部衰弱している者もいるから、俺たちだけでも体力を回復してから馬車へと運び込んで、帰ろう」
全員を馬車に運び込むにしても、人手がいる。
かといって、ここに放置して馬車を持ってくるというのも忍びない。
いや、それもありか?
俺がここに残って、もしもの時に備えて護衛をしつつ、サラとアストレアに馬車を取りに行ってもらう。
「その必要はないですぜ、姉御」
顎から白い髭を生やした老戦士は居場所がなさそうに頭を搔きながら、後ろに他数名を引き連れて現れた。
どうやら、目を覚ましたらしい。
「すいやせんでした。姉御に任せてくれと申しておきながら、この始末。命をもって償います」
すっと腰に差した剣を引き抜き、その刃を己が体へと向ける老戦士。
おいおい、この世界ではそういう落とし前をつけるっていうのか?
ふざけんな。
「やめろよ。それしちまったら、何のために俺たちが助けに来たんだってことになるだろ。この世界の志か何か知らないけど、もうちょっと命を大切にしようぜ」
思わず漏れた言葉。
思いのほか、最後の言葉がカチンときた。ゲームとかで良く見かけるお約束の展開なわけだが、実際に見るとこれほどまでに不愉快だとは。
「あ、すみません。なんていうか、初対面の人にこんなこと言うのは失礼ですよね」
ただ、それはそれ。
あまりに失礼な発言には謝っとかないと。
「気にするな、ユウキ。それよりもお前たち、ユウキの言うとおりだ、アホなことをぬかしてるんじゃない。悪く思うのなら、今まで以上にきりきりと働け」
「申し訳ありません、姉御。これからも誠心誠意尽くさせていただきます」
びしっと軍隊か何かのように一斉に寸分違わぬタイミングで礼をするサラの部下たち。
結構きちんと鍛えられているんだなと他人事に思っていると、俺の前に深い影が差した。
俺の背より十センチから二十センチほど高いのだろう、圧倒的存在感を俺にひしひしと感じさせながら、サラの部下が目の前に立った。
「すまない、自分たちが未熟であったばかりに。貴君には感謝している、ありがとう」
これもまた深々と頭を下げられる。
「いや、いいですって。自分はそんな大したことは……」
大の大人にここまで深々と頭を下げられると、さすがに何とも言えなくなる。あわあわとして、俺が対応に困っているのを見かねたのか、
「それぐらいにしろ。ユウキも困っているだろうが」
そう言って、サラがガツンと頭に拳骨を叩き落とし、自身の弟の元へと向かっていった。
「いってぇ……。姉御に気に入られるなんて余程貴君に魅力があるのでしょうな。今後とも末永くよろしくお願い致しますね」
老戦士は積み重ねた歳のしわをより深くして、にっこりと朗らかに笑うと、俺に手を差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そうして、握った手はごつごつとしており、硬かった。
何度も戦場で戦ったのであろうと直感的に理解できたそれを見て、年の功というのはすごいなぁと密かに思う。
「では、私どもは姉御と坊ちゃんの所に戻らないと」
そう言って、駆け足でサラたちの元へと向かうのを尻目に、俺はアストレアの元へと駆け寄った。
彼女はこの世界に来て初めて出会った人だ。
お互いにこの世界のことをよく分かってない迷子同士。なんだか親近感と言うかなんというのかを良く感じる。
それに、向こうがこちらに対し、ひたむきに寄り添ってきてくれるのは何だか落ち着く。
付き合い自体は短くても、似たような境遇に俺自身も親近感を感じている。
アストレアやみんなが無事で良かった。
そう改めて思い直して、俺は考える。
今意識を失ったままなのは、アストレアだけ。サラと彼女の弟と部下たちは、顔色が悪い者もいるが、何とか立てている。
とりあえず、この場から離れられそうだ。
アストレアは俺が連れて行こう。
彼女は足が竦んで動けなかった俺に対して、待っててと一人で前へと踏み込んだ。そのおかげでサラはマンドラゴラの攻撃から一命を取り留めた。
蔑むわけでも罵るわけでもなく、ただただ安心させようと前に出てくれた。
彼女が今気を失っているのは俺のせいだ。。
俺がきちんと責任を持って連れ帰ってあげたい。
それに、この場で一番消耗が少ないのは俺だ。
俺はアストレアをよいしょと背中に背負った。
そうして、背負ってみて気づいた。この格好ではどうしても背中に柔らかい何かが当たってしまう。だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
アホなことを考えているんじゃない。
俺は自分を自分で叱咤すると、
「さぁ、行こう皆。とりあえず、ここから引き揚げよう」
そう言って彷徨える森をあとにすべく、歩き出したのだった。