試練の加護
アストレアにたどってもらった魔力の元にあったのは一つの広間だった。
木々がまるでそこを避けるようにして直径百メートル近くの円を描くようにして何もない空間が広がっている。
そして、その空間の奥。
人が倒れていた。
ここからじゃよくは見えないが、嫌な予感がする。なんだ、この空間は。今までの空間とは明らかに違う割には魔力を供給しているであろう何かの姿がない。
「ブラック、それにアルフレッド!」
サラは叫んですぐさまそこへと向かおうと走り出す。それをまずいと感じた俺は彼女の右手をつかんで後ろに引き戻した。
「なにをする……」
突然の行為に文句をつけようとこちらへとサラが視線を向けてすぐ、地面が大きく揺れ立っているのがやっとになる。
その揺れは徐々に大きくなり、地面にひび割れを生じさせ、牙をむいた。
比喩でもなんでもなく、大きな口が地面から飛び出し虚空を噛み砕いた。
あと少し、そうあと二、三歩先へと進んでいたら、サラは危なかった。
地球にいた、ハエトリソウという食虫植物を想起させるような楕円形状に大きく開いた口に直径二メートル近くはありそうな巨大な幹ならぬ胴体。
木の根を柔らかい鞭のように自在に動かして足のようにしているその様はどこか不気味で嫌悪感を感じた。
「Aクラス魔獣マンドラゴラ!」
Aクラス。
階級がどういうものかは分からないが、そこそこ高そうな階級に俺は身構える。
「一気に前に出て、私が敵を引き付ける。その間にマンドラゴラに集中攻撃を頼む」
サラはそう一言だけ言うと、迷いなく魔物との距離を詰めた。
だが、俺は……、足が動かなかった。
初めて出会う魔物、その巨大な姿は裕に人間の身長の三倍近くはある。さっきの狼はまだ良かった。あれは人間よりも小さく、そして、地球でも見たことがあるような類の動物だったから。
けれど、こいつは違う。
明らかに肉食だと分かるその牙がはみ出た口からは今目の前にいる獲物を食そうと涎を垂らしてすらいる。
そんな姿を見て、俺は怖いと思ったのだ。
「ユウキ……。待ってて……ね、私何とかしてくるから」
俺の姿を見てどう思ったのか分からないが、何か決心したようにアストレアは俺を庇うように前に出て、魔法を唱え始めた。
なさけねぇな、俺。
この場で一人の男だと言うのに、女の人にばかり戦わせて。自分は恐怖に体が竦んで動けないでいる。
仕方がない。
俺には運しかないのだから。
仕方がない。
俺には運以外には何も特別な力もない、レベル1なのだから。
仕方がないだろ。
俺には魔法の使い方はおろか剣の振り方、戦闘の心得すらないのだから。
自分に何度も言い訳をしているうちに戦況に変化が生じていた。
マンドラゴラが力強くしなった自身の根を振り払う。
一回、二回と回数を重ねていくごとにその根の数は増え、それは圧倒的手数の差となって、サラを襲う。
俊敏に一撃一撃を上手くいなしながら、攻撃に転じてきたサラも徐々にその手数を捌き切れなくなり、そして、決定的な破たんを生んだ。
手に持っていた剣がはじかれる。
その瞬間を待っていたと言わんとするように、マンドラゴラは複数の根を螺旋状に重なり合わせて先端を鋭く尖らせた一つの槍のようにすると、一気にそれをサラへと向けて、放った。
それを見た、アストレアはサラよりも遥かに速い速度をもって、間に入ると、
「我は守り手。鉄壁の守護をもって、我らが行く末を守らん。エーテルシールド」
アストレアとマンドラゴラの間、サラとアストレアを包み込むようにして広がった六角形の魔法陣が浮かび上がる。
その直後、マンドラゴラの槍が魔法陣へ到達する。
青白い淡い光を放つ魔法陣を貫こうと何度も何度も繰り出された一撃。それは魔法陣が削られていくかのように、淡い光の欠片を散らす。
「ちょっと、やばい……かも」
その言葉と決壊は同時だった。
ガラスが砕けたような音と同時に魔法陣は跡形もなく崩れ去り、その衝撃でサラとアストレアは吹き飛ばされる。
そして、その勢いのまま樹に衝突。
ぐったりとして、苦しげに声を漏らしている。
俺はいいのか。
こんな、こんな終わり方で。
このままでは確実にあの二人は殺される。
それも二人とも俺のせいで、だ。臆病で、戦い方も何もわからない素人の俺しかこの場にいないせいで。
そんなの、そんなのは……、嫌だ。
俺は変わるって決めたんだ。前世でなかった運をもって、俺はこの世界では幸せになるって。
だが、俺には力もなければ、勇気もない。
けど、けど……。
―――力が欲しいか、試練を超えし者よ。
声?
これは確か……、確かそうだ。アストレアがいたところで聞こえた、あの声だ。お前は誰なんだよ、なんで俺に直接……。
―――類稀なる才を秘めし者よ。この世の理の外にある者よ。もう一度問う、力が欲しいか。
そんなもの関係ないと言わんとするようにして、問われた俺は迷わなかった。
「ああ、力が欲しい。あんな化け物とも渡り合えるような力を。そして、戦うための勇気を」
―――良いだろう。主は運と言う類稀な才能を持って、誰もが成し得なかったあの迷宮を踏破した。罠にもかからず、魔物とも遭遇せず。それでいて、道すら間違えなかった。故に我は主に試練の力を授けよう。我が名はアプサラス。主は我が名を呼ぶだけでいい。
「深淵に飲まれし者、アプサラスよ。古の盟約に従い、我が元へと現れよ」
すらすらと何も考えていないにもかかわらず、言葉が浮かんでくる。
アストレアが魔法を使う時に感じていた特殊な力の流れ魔力と呼ばれるそれが止めどなく溢れてくるのを感じる。
戦い方、魔法の使い方、それをまるで今まで普通にしてきたことのように自然と感じる。
まるで、自分の体とは思えないそれはアプサラスと呼ばれる何かを顕現させた影響か。
直接姿が見えないと言うことは俺の中にでも現れたってところか。
―――そんなところだ。理解が良いな、主よ。主は戦闘経験もなければ、魔法経験もない。その上能力は運以外平凡なレベル1と来た。なれば、どうしようとあのマンドラゴラには勝てようはずもない。故に、我が勝つための力と知識を貸す。行け!
俺はその言葉に呼応するようにして、一気にマンドラゴラとの距離を詰める。
自分の体とは思えないほど、体が軽い。
「不死を知る最古の炎よ、我が刃となりて阻む障害を貫け、不知火」
そう唱えると、俺の眼前に燃え滾る炎の槍が十本現れ、詠唱終了と同時にマンドラゴラの元へと集中した。
じゅわっと肉が焼けたような音を立てながら、その槍はマンドラゴラの根や胴、口元などを貫いていく。
だが、胴の部分はどうやら強度があるらしく表面を焦がす程度にとどまっている。
「グゥワワアワン」
今まで意識から完全に外れていたらしい俺からの予期せぬ攻撃に苦悶の声をあげるマンドラゴラ。
あまりの痛みにこれはやばいと思ったらしく、数多もの根を鋭く尖らせて俺の元へと集中させる。
「甘い」
複雑に絡み合うようにして、合間合間を埋めるその攻撃を体をいなして全て避けると、腰にぶら下げた護身用の剣を引き抜き、マンドラゴラへと肉薄した。
そして、躊躇なく胴を一閃。
「不死を知る最古の炎よ、我が刃となりて阻む障害を貫け、不知火」
その傷口めがけて魔法を発動する。
大きく切り開かれた傷口を抉るようにして十本全ての槍が集中する。間近で聞く、どこか爆発音にも似た衝撃音が鳴り響く。
そして、十本全てが到達し、一本また二本とマンドラゴラの背中を越えて地面に突き刺さった。
「ギィィィヤアァァ」
胴の部分が貫かれたことが自身の体を支えられなくなったらしいマンドラゴラはぶちぶちと肉が裂ける音を響かせながら、甲高い断末魔をもって命を終えた。
ぴくりとも動かなくなり、完全に死んだことを確認してから、俺は二人の元へと駆け寄った。
「大丈夫か」
返事がない。
やばいかもしれない。どうしよう、死んじゃっているんじゃ……。
―――落ち着け、我が主よ。彼奴等は気を失っているだけじゃよ。心配なら回復魔法を唱えてゆっくり安静にさせてやるといい。
「生命の息吹よ、かの者に力を与えて、安らぎを与えん。ヒーリング」
心なしか少し表情が和らいだ気がする。
これからしばらくは安静にさせておいてあげよう。
本当に不思議だ。
俺がしたいと思ったこと、それに対して、自然と呪文が紡がれ、それは魔法として発動する。
先ほどまで抱いていた恐怖が嘘のように消えて、自然と体が動いた。
ついさっきまで全く魔法のまの字すら知らない状態だったって言うのに。
俺の体にいったい何が宿ってしまったんだ……?
得体のしれない何かの力を得た、その事実は不安だけれど、二人を守ることが出来て良かった。
こうして、異世界に来て初めての魔物との戦闘は何とか無事生き残ることに成功したのだった。