彷徨える森
初めての異世界によほど疲れが溜まっていたのか、部屋に帰るなりぐっすり眠りにつき、迎えた翌朝。
最初馬で移動しようという話になったのだが、俺とアストレアは馬になどまともに乗ったことなどあるわけもなく、事態は急を要すということで致し方なしということで馬車での移動となった。
特に難なく移動し、俺たちは彷徨える森の目の前まで来ていた。
「見た目は普通の森……なんですね」
「ええ、特に変な植物が生えているわけでもない。けれど、ここから先の森は入った者の方向感覚を奪い、捕える魔の森と言い伝えにはある。実際入り口付近はそうでもないけど、深部は方向感覚を失い、帰れなくなるということがあるみたい。遊び半分で入った冒険者がそれで行方不明になってるわ」
なるほど。
それこそ、昨日の話に合った試練の間みたいなもんか。要するに、森とは言っているものの、迷宮みたいなところってことだろ。
「それと、何を思って敬語になっているのか分からないけど、そういうのはやめてよね。なんか距離感があるのを感じるから」
やっぱり、位が上の人には敬語を使うべきでしょう。
そう思って、敬語にしていたのだが、確かにそれでは距離感がどうしても生まれてしまう。まぁ、本人が嫌というなら、普通に話すか。
なんだか気が引けるけど。
「分かった。でも、いいのか?」
「? ああ、いいのよ。私は侯爵と言って、そんな他人行儀にされるのが嫌なんだから。それとサラさんなんて言うのもやめて、そのままサラって呼んでね」
「ああ、わかったよ、サラ」
「よろしい。さて、ここからは徒歩で移動になるわ。私が基本前に出るから大丈夫だと思うけど、ここから先は魔物も出るから気を付けて」
さて、ここからは気を引き締めよう。
そうして、歩き始めること二時間。
似たような景色。人の背丈の10倍近くある巨大な木々がその枝を好き勝手伸ばし、葉はまるで我こそはと競っているかのように太陽の光を受けるように広がっている。結果、ほとんどの光が地上まで下りてこず、陰鬱としていて似たような景色がずっと続いている。
「だいぶ深い森なんですね」
異世界の、それもファンタジー世界の森だ。
それなりに規模が大きいのだろうと納得した俺は単純な感想を口にする。先行するのは前衛を買って出たサラ。
「そう……だな。ただ、地図上ではここまで広くはなかったはずだ。そう、それこそあと一時間ほどまっすぐ歩いて行けば森の端に到達するはずだ」
何かいや予感がする。
あまりにも変化がない景色は俺たちを不安にさせた。進んでいるつもりだが、実は進めていないのでは?という単純な疑問。
そして、まっすぐ進んで行くと、何やら木々が密集していて進めない場所に着いた。
さっきから何度かこういう場所に着き、着いては迂回路を捜し、迂回路からなるべく同じ方向へと向かうようにしてきた。
「この樹怪しいな」
俺はふと感じた直感を口にする。
何か根拠があるわけではない。強いて言うなら、わざわざ俺たちの進路を塞ぐように広がったそれを鬱陶しく思ったということも無きにしも非ずなぐらいだ。
「あの樹、壊すの?」
俺の呟きを拾ったらしいアストレアはちょこんとその小さな顔を覗かせると、俺に聞いてくる。
「ああ、そうだな。一回壊してみたいけど、どうしたものかな……」
ただ、怖そうにもあの太い幹だ。
それこそ直径一メートルかそこらある木々が密集しているそれを壊すのは骨が折れる作業のはずだ。この世界にチェーンソーとかがあるようには思えないし……。
「任せて」
アストレアは自信満々といった顔立ちでぴょこぴょこと軽やかにステップしていくと、
「駆けろ、疾風。刃のごとき鋭さ持ちて、目の前の障害切り裂かん。ウインドカッター」
アストレアの周りがほんのりと新緑のような薄い黄緑色の光を放ったかと思えば、その輝きは詠唱の進捗に合わせて鼓動のような明滅をし、そして、完了と同時に眩く光った。
そして、黄緑色をした実体のない刃が目の前の木々を紙切れか何かのように軽々と切り裂いていく。
「す、すごいな。これが魔法か……」
人が普通にやっても不可能なことを可能にしてしまう。
そんなファンタジー世界では当たり前の、けれど、日本でも架空の中だけの存在に俺は心を惹かれてしまう。
「すごい、ねぇすごいでしょー」
「ああ、すごいよ。ありがとう、助かった」
それからの俺たちは遠慮がなかった。
木々の伐採、自然破壊? そんなものを気にしている余裕はない、人命救助の方が最優先だし、それにこのまま行くと俺たちも遭難しかねない。
ミイラ取りがミイラになってはいけないのだ。
道行く道で、邪魔だと思った樹については伐採してもらい、進めるようになったところでまた進んで行く。
ただのストレス発散では決してない。
断じてないよ。
樹ばっかりで景色が変わらない上に暗くなっているこの光景にいらいらしていたわけでは絶対ない。
そう、こうして樹の幹ごと切り落とすことでそれを目印とし、かつ、樹を切らずに迂回することにより道に迷うというリスクを減らすと言う目的で行っているのである。
ところが、だ。
「さて、どういうことだ」
目の前には既に切り落とされた木々の姿がある。
切り口の断面、そして、腐食の有無等々を鑑みるに、最初アストレアに切り落としてもらったそれだ。
「おかしいですね、私たちはまっすぐ進んでいたはず。ならば、この木々がここにあるはずがない」
そう、おかしい。
彷徨える森……か。名前通りに捉えていいとすれば……、こりゃあ、もう森の術中にはまってしまったようだな。
「方向感覚が無くなるなら、こりゃあマッピングしないと仕方がないな。アストレア、切り落とした樹の幹を熱で焦がして数字を焼きいれることは出来るか?」
「うん、できるよ」
えへへと頼られたことがよほど嬉しいのか、はにかみながら返事をするアストレア。
なんだか、この光景には慣れてきたが、ほんと可愛いな、この子。
「サラ。これまでは下調べだ。これからは本格的に足を使って調べることになる。今の今までは魔物に遭遇してはいないけど、遭遇したら頼む。それまでは力を温存しといてくれ」
「分かった。任せてくれ」
さて、ここからは地道に調べていくだけだ。
まっすぐ歩いたという俺たちの感覚が実際の地図上での移動にてどのようにずれてしまっているのか。
完全に適当にその場その場で向きも進んだ量も滅茶苦茶になってしまっているのか、それとも、一定量・一定角度ずつズレが生じており、補正さえすればきちんと進めるのか。
そうして、彷徨うこと、さらに二時間。
どうも、この森では一定量・一定角度のずれが生じているらしいことが分かった。だから、まっすぐ進んでいるつもりでも、実際には少しずつ左にずれて行っており、結果的に円を描くように進んでいた為、来たことがある場所にたどり着いたようである。
「法則さえ分かれば、進み方なんて簡単だ」
そう太鼓判をつけて歩み始めてから一時間後、
「なんだ、これ」
目の前にはウインドカッターにより切り裂いた切り株。刻み込まれた数字は1と5。それは違う場所にあったはずの木々。
それが同じ場所にあるとなると、それは感覚のずれとかそういう問題ではなく、もしかして。
「この木々自身が動いているのか」
俺が呟いた言葉に何か思う節があったらしいアストレアはその樹に触れ、ぼそぼそと小声で囁くように魔法を唱える。
「なるほど。確かによくよく見たら、この樹生きてる……ね」
「この樹が?」
「うん、生きてる魔物……だね。かすかにだけど、魔力が通っている」
魔物と言えば、獰猛な何かを想像していただけになんだか拍子抜けだ。彷徨える森……か。
(木々が)彷徨える森
もしかして、この森の名付親は分かっていたんじゃないのか?
「その魔力の元を追えるか?」
「うん、ちょっと時間かかるけど、出来るよ」
「頼む」
そして、アストレアが魔力を追う作業を始めてからすぐのことだ。グルルルルルッという肉食獣と表現されそうな獰猛な低い唸り声が聞こえたのは。
数は二、四、六……また増えた八、十一匹か。
このタイミングで初めて魔物が出てくるってことは、ビンゴか。
「おそらく当たりだ。ここが踏ん張りどころだ、サラ頼む。サラを抜けてこちらに来た者については俺が対処する」
そう言って、俺は腰に差した一振りの剣を手にして構える。
いくら運に極振りしたからと言っても、あくまで転生者。ある程度くらいの力はステータス上はあったはずだ。それに自分の身ぐらい自分で守れるようにならなければ。
前世では普通の高校生だったから、戦いになんて慣れていないけど、これは生きる為だ。
割り切らなければなるまい。
怖い……けどさ。
けど、女の人に前衛任せてるだけで情けないのに、後衛すらまともにこなせないなら、俺がここにいる意味もないだろ。
割り切れ、俺。
「任せておきなさい。この程度の魔物に遅れをとることなんてないよ」
そうあっさりと言い捨てて、サラは一気に前へと出る。
現れた狼のような魔物を剣の一振りで確実に死に追いやる。首から落としたり、頭部を砕いたり。
それを流れるように、まるで作業か何かのようにあっさりとやってのける。
十一匹いたはずの魔物は三十秒も待たずして、地に伏せることとなった。
俺、出番なし……だったな。
覚悟もむなしく、サラが掃き掃除でもしているかのように、ささっと片付けてしまった。
「終わったよ。案内する……ね」
そうして、俺たちは彷徨える森を着々と進んで行く。