湖城の都 ユーデンブルク
「綺麗なところだな……」
沈み行こうとする夕焼けを背景に湖に浮かぶ城とその城下町。大理石のような光沢のある白いその街は今までに見たことがない美しさだった。
「そうだね~」
アストレアも同意してくれるってことは俺の観念がこの世界アースガルドの人々とずれているというわけでもなさそうだ。
そういうところまでずれていたら、これから流石にしんどいうものがある。
とまぁ、現実逃避はそこまでとして。
「身分証もしくは通行許可証を見せてもらおう」
やべぇ。
まじでやばい。
身分証? もちろん、この世界のものなんてない。生前は学生証を持ち歩いていたが、転生した今となってはそんなものがあるわけもなく。
通行許可証などもってのほかである。
もうすぐ日が暮れようという時に、最初は城に隠れて見えていなかった街を見つけてしまったのだ、そりゃあ舞い上がるだろう、仕方ない。
しかし、舞い上がりすぎて、普通いるだろうと考えれば分かりそうなものまで忘れてしまっていたのは頂けない。
城、城下町に至るためにかけられた橋の先には大きな閉められた門。そんなものがあって、何故何も審査なしで入れると思ったのだ。
あの時の俺にもう少し冷静な判断力があれば……。
そんなふうに今後悔したところで事実は変わらない。
冷や汗だらだらだ。
ここでないなんて言えば?
通行許可証はなくてもまだ言い訳が出来る、だが、身分証がないなんてそれはもうやばいでしょう。間違いなく、不審者だ。日本じゃ家に忘れたとか落としてしまったといった言い訳で何とかなることもあるが、この世界でもいけるのか?
ええい、男は度胸と言うし、行くしかない。
「えっと、そのですね、身分証を「その者達は私の客だ、通せ」えっ?」
颯爽と後ろから現れた白馬に乗った女騎士が門番へとそう告げる。
白馬に乗った王子様は分かるけど、白馬に乗った女騎士様とは何とも洒落ている。普通、そういうお助けキャラのは白馬の王子様と相場が決まっておろう。
「サ、サラ様。お戻りになられたのですね、ですがこの者達は……」
サラと呼ばれた女騎士。
肩より少し上で短く切り揃えられ、薔薇のように派手な朱色をした髪はそれでいてどこか透き通っているかのような印象を与える。傷一つないその顔は凜としており、どこか大和撫子を想起させる。
異世界というのはアストレアと言い、サラと言い、美女ばかりなのか?
俺の世界なら、アイドルだとか女優と言って、普通にやっていけるぞ。
「私の客だ、そう言っている」
すっと目を細め、次はないぞと案に言っているかのように念を押す。
見とれてしまっていたのも束の間、ぞわりと背筋が冷えるのを感じる。俺は直感した、この人怒らせたらいけない人だ。怒ったら確実に殺られる。
そこまで至ったところで、ふと思う。
なんでこの人俺たちのことを、わざわざ庇うんだ?
気前よく助けてくれたってだけなら、それはそれで助かるんだけど、そうとは限らないし、少し警戒しとこう。
「わ、わかりました。お通しいたします。サラ様のお帰りだ、門を開けろ」
門番が慌てた様子で叫ぶ。
かわいそうな門番である。
けれど、あの慌て様を見るに、このサラと呼ばれた女騎士はこの街でも偉い人、それなりに権力を有している人物なのだろう。
ベタなところで言えば、貴族とか……か?
そうなるとまた浮かんでくる疑問が、何故またそんな人が見ず知らずの俺のことを擁護してるのかってこと……、うーん。
「フフッ、安心していいから。そんな身構えなくても、取って食おうっていうわけじゃないんだから」
俺の心中を察してか、安心させようと案じて笑顔を見せる。
なんていうか、姉御とかそういうのって言ったら伝わるだろうか。頼りがいのある、けれど仲間には優しい強い女性。
そんな雰囲気を感じさせる。
「あ、ありがとうございます」
「いいって、いいって。それにね……、君も困るでしょう、このまま彼女も一緒に検問に向かったら」
彼女はちらりと俺の後ろに隠れるようにしているアストレアへと視線を向けて、そう言った。
やば、流石にこの格好で街中っていうのはまずいよな。アストレアは俺の上着だけしか着ていない、さらに俺は身分証なし、つまりは俺不審者じゃん。
上着だけといっても、膝まではいかないまでも太ももの途中まで隠れているから大事なところは見えないようになっていて、まだ良かったが……いやいやそういう問題でもなく、言い訳のしようがない。
女の子にこういう格好のままって問題だろ。
アストレアが何も言わないからって気にしなさすぎだ、俺……。
普通は気づきそうなものだけど、どうにも俺自身異世界転生っていう状況で初めて人が多い街に出られたという安堵感が想像以上に強かったらしい。
もうちょっと気を付けないとな。
「まぁ、それだけでも問題ないと言えば問題ないかもだけど、それだけだと目立っちゃうしね。上着だけじゃあれだから、ほらこれを羽織って。上着の上から羽織るからちょっと変な感じだろうけど、うちに着いたらきちんとした服渡すから勘弁してよ」
サラは馬にくくりつけた大きな鞄から一つローブを取り出して、こちらに手渡してくれた。
よくゲームで見かける魔法使いのローブだ。
フードがあり、余裕のある大きさで全身を覆ってくれる、上下の服が繋がったワンピースのようなそれは多少大きいだろうが、アストレアでも着れそうだ。
「アストレア、俺の上着の上からでいいからこれを着ておいてくれ」
「うん、わかった。んしょっと」
アストレアがローブを被るとちょっと大きかったらしく、ちょうど地面すれすれにローブの裾が下りるぐらいだった。
「わざわざ、ありがとうございます」
「気にしなくていいよ、偶然持っていたものだから。さぁ、行こ」
俺の陰から相手の様子を窺うようにして全く前に出ようとしないアストレア。彼女のその姿はさすがに無礼というものだろう。
「ほら、礼を言っとけって」
そう俺が促すと、まるで親についていく幼子のようにぺこりと俺の背中から少しだけ顔を出して、頭を下げた。
「ありがとう」
「すみません、こいつ人見知りが激しくて」
俺と二人っきりの時は普通だったのに、ここに来てから妙にそわそわとしている。もしかしたら、本当に人見知りなのかもしれない。
「いいの、いいの」
門を通った先、そこに広がっていたのは日本では見たことがない、そう言うなれば小説だとかアニメだとかそういうのでしか知らない景色。
レンガ造りの家々。
美しく整えられた色調のそれらは日本の木造建築とはまた違った独特の良さを感じる。そう、これだよ、これ。これぞ、ザ・ファンタジーって感じの建物。ファンタジーと言うと中世ヨーロッパとかをよく考えてしまうあれだ。
実際に見たことはなかったけど、これはいいものだなぁ……。
「フフッ、この湖都ユーデンブルクを随分気に入ってくれたみたいね。ここは湖のほとりに栄えた街ということもあって比較的豊かな暮らしが出来ている、だから、こうして発展することが出来たの」
「そうですね、街に張り巡らされた水路とレンガ造りの家々がマッチして、非常に美しいです」
至る所に張り巡らされた水路。この街はそれぞれブロックに分かれているようでそれを分けるようにして水路が這い、そしてそれを渡すアーチ状の橋がある。
明らかに身に着けている物が違う裕福そうな貴婦人や紳士がその水路を船に乗って移動しているのが見える。
「フフッ、きちんと案内したいところだけど、もうすぐ日も暮れるわ。私の屋敷でゆっくりしていって。ここが私の屋敷だから」
そう言われて、その屋敷を見る。
それはまさしく豪邸だった。
身近なもので大きさを例えるなら学校。学校と言う千人近くの人間が共に過ごすその広さに住まおうなど庶民には理解の及ばぬ存在だ……って、ここが我が家ってことはサラさんはつまり……。
「ご想像の通り、私は貴族。侯爵でこの家を任されているの」
侯爵。
この世界の爵位の順序なんて知らないけど、それこそヨーロッパとかの順序を参考にするなら相当偉いんじゃないか?
「フフッ、そんな強張らなくたっていいって。さぁ、気にせず入って入ってー。そしたら、話をしましょう。聞きたいこと、たくさんあるでしょうし」
俺の心の中をまるで見通しているかのような発言にひやりとさせられるが、ここまで来たんだ。もうあとは野となれ山となれだ。
「そうですね、しっかり話をさせていただきたいです」
「ユウキ、大丈夫……。私がいる」
相も変わらず人見知りが激しいらしいアストレアは俺に対しては完全に信頼を置いてくれているようで、励ましの言葉もくれる。
なんだか、こんなことで悩んでたら情けねぇよな。
「わたしよ、わたしー。開けてくれない?」
ただまぁ、心配はしているけど、最悪の事態にはならないとも思う。なんだかんだ今のところ、神運様は機能している。何が何やら分からない洞窟からは無事出られたし、出てからドラゴンとか見かけた割には魔物や危険動物に遭遇しないまま街まで来れたし。
それに、どういうわけか分からないが、街の入門審査も何とかなっているし。
なんだかんだ、俺に利のある方向に動いている。
生前の俺なら、ここまで来れなかったかもしれない、いや、来れなかっただろう。
何が待っているのか分からないけど、覚悟を決めるとしますかね。