赤龍は低く舞う
次の日の朝はやけに騒がしかった。
けたたましく鳴り響く鐘の音が部屋の中であるのにも関わらず煩く感じさせ、それにより起きてしまった。
寝覚めが悪い。
あともう少し寝ていたかったところだ。
二度寝を決め込もうかとも思ったけど、その鐘の音は止むことなくなり続けており、アストレアも起きてしまったので、仕方なしで二度寝は諦めた。
「何かあったのか?」
慌ただしく屋敷内を走っていたこの屋敷の使用人にサラの居場所を聞き、俺たちは彼女の執務室へと足を運んでいた。
「ちょっとまずいことになった」
寝覚めで冴えなかった頭がようやく回り始める。
あの鐘の音は、もしかして警鐘か?
だとするなら、それこそ何か魔物の襲来とかか?
「赤龍ドレイクが通常高度より低くを飛んで、この周辺地域を飛び回っている」
赤龍?
赤龍ってもしかして試練の間から出てすぐに見たアレか。俺が異世界に来てしまったのだと実感せざるを得なくなったあのドラゴン。
「通常高度とか何かあるのか?」
「あの龍はここより北の霊峰リーンフォースを住処としているのよね。故にこの付近を飛んでいることがあるわ、これはまぁ、ずいぶん昔からのことだからそこまで問題となっていないの」
「なるほどな、触らぬ神にたたりなしって言うし、下手に騒いでたら逆に危ないからってところか」
「ええ、そう。けどね、過去に一度だけ普段の高度よりかなり低い位置を飛んでいたことがあった。その時、ここから少し東に行ったところにあるエルフの里フィーレルが赤龍により襲撃を受けたの。今まで一度もそのようなことがなかっただけに、被害は甚大だった。フィーレルは壊滅、生き残ったのは数人だけという被害が出た」
「おいおい、それってまさか……」
「ええ、そうよ。捕食されたの。赤龍にね。それから国により総勢千名に上る討伐隊が編成されたのだけれど、討伐は失敗。以降Sクラス魔獣として認定され、明確な打開策もないのが現状よ」
「おいおい、まじかよ……」
「過去の話を参考にするなら、赤龍が空を飛び始めてから七日は品定めでもするように飛行し続けたそうよ。だから、すぐに襲ってくるって言うわけじゃないと思う」
つまりはなんだ。
あの警鐘はその時の例と同じように赤龍が低くを飛んでいて、捕食を狙っているから気をつけろって言う警告か。
対策・対処法が見えていない赤龍というSランク魔獣が今目前に迫っており、どこかがその犠牲になる可能性があるってことか。
―――主よ、ここはすぐに離れるべきだ。昔から龍という種族は強大な力を持っておる。龍は霊峰に住まうことでその地に宿る魔の力を吸い、成長すると言う特性を持つ。リーンフォースは我の時代でも霊峰として名高い場所であった、すなわちそこを根城としているということは相当な力の持ち主だ。人が対抗して勝てる相手ではない。討伐された履歴がないとしたら、もし我が知っているあの赤龍であるとするなら、それは数百年以上前からあそこに住んでいる相当力を蓄えた龍だ。
知っているのか?
―――左目が欠損、右頬に一筋の大きな裂傷が残っておれば、我が知っているやつじゃろうな。過去に剣聖の小童が挑み、仕留めるに至らなかった龍じゃ。彼奴も相当な手練れのはずじゃが、仕留められずに撤退をしたことを鑑みるにその実力は剣聖のお墨付きとも言えるだろうな。
剣聖。
詳しく調べようとは思っていてまだ調べられてはいないから、よくは分からない。
「確か赤龍と言えば、街でちらっと剣聖が戦ったことがあるって聞いたんだが、剣聖ってどんな奴なんだ」
知らないことは聞けばいい。
このアプサラスと言うのはどうも剣聖とかユリウスとかいう相手のことについてあまり多くを話したがらないし。
いつ来るか分からない赤龍という魔物の強さというものを知っておかないと、逃げるにしろ戦うにしろどうしようもない。
街で聞いたというのは嘘だが、このアプサラスとかいう変なやつのこと話していいかなんてよく分からないし、仕方ない。
―――変なやつと言うな。これでも我は昔七星の賢者と呼ばれた正真正銘の冒険者じゃぞ。これだから若い奴は……。
ぶつぶつと俺の中で言っている。
今では何だか慣れてきたが、こうして俺の中で細かいことをぶつぶつ言われると何とも言えない気持ちになる。
まぁ、いいや、ほっとこう。
「そんな話あったかしら。けど、剣聖って言ったらあの人よね。ちょうど、ユウキが持ってきた剣の由来レイズフォン。彼はSSランク冒険者として名を馳せた英雄よ」
SSランク。
魔物のランクでもSがつくランクは上の方だったから、それに倣って上の方の話だろう。
「彼が名を挙げたのは、商都エイザスに数千もの魔物の群れが進軍した時のこと。あの時、彼は迫りくる軍勢が姿を見せ始めた平原へと一人向かい、そして、数千もの魔物をただ一人で狩りつくした。その中にはAクラスの魔物も結構いたらしいんだけどね」
いや、えっ?
数千もの魔物に一人突っ込んで、それを殲滅しちゃう?
化け物かよ。
いやいや、それ人間じゃないでしょ。剣聖って聞いて、それはそれはすごい人なんだろうなーとは思ってたけど、想像以上じゃん。
「驚くのも無理はないわ。けど、事実。彼のような冒険者が世界を救っているのよ」
そんな奴に倒せない魔物などいるのか?
―――そこは確かに我も思ったことがある。赤龍がいくら強いと言っても剣聖の小童に倒せないわけがない。何か理由があったか、情でも移ったか?
真実はよく分からないが、どちらにせよ、相当強い魔物らしい。
「私はここの侯爵家を任されるサラ・アリステラ。アリステラ家の名に恥じぬよう、この危機を何とかしないといけない」
凛とした声音で俺に真剣な眼差しを向ける彼女。
いつものように頼りがいのある姉御肌の彼女。
そんな彼女の手は震えていた。
言葉ではそう言っているが、彼女だって怖いのだ。
この世界、侯爵だとか爵位がどうのとかいうことなんてよく分からない。けれど、彼女一人にそれを背負わせるのは酷ではなかろうか。
「まぁ、安心して。俺も一緒に行く」
俺は震える彼女の手を包み込むようにゆっくりと触る。
「なーに、何とかなるさ。マンドラゴラもなんだかんだ、何とかなったしな」
俺だってただの馬鹿ではない。
これがいかに無謀で、自分がどれだけ阿呆なことを言っているのかぐらい分かっている。
死ぬ……よな、普通にやったら。
今思えば、マンドラゴラが倒せたのは運よくアプサラスの加護があったからだ。それがなければ死んでいた。
けど、おそらく件の赤龍は違う。
話を聞く限り、運だけではどうにもならないレベルの差がある。というか、人に倒せるものなのか、それすら定かではないような気もする。
はぁ……、何とかして生き残る方法考えないとな。
とりあえず、旅は後回し……になりそうだな。
運がいいのやら、悪いのやら。
でも、俺のことを好きだと言ってくれた女の人、それを見殺しになんて出来ないよな。
何とかするために努力をしよう。




