初夏
例年より早く梅雨の明けた初夏。ここは千葉県房総半島にある海に面したとある町。
雪山から戻った奈津達は、去年までと同じように春を迎え、梅雨をやり過ごし、迎えた初夏の日差しの下で毎日をのんびりと過ごしていた。
「あぢ〜しぬ〜」
ピンクのブーメランパンツ一枚、背もたれを倒したビーチチェアに横たわり、梅男は空を見上げながら房総の太陽に焼かれていた。夏になってもやっぱりアフロヘアー。
「ナハハハハ」
こちらは富田。イギリスの国旗をデザインしたブーメランパンツ一枚で房総の太陽に焼かれている。体全体にほんのりと装備された脂肪は相変わらずだ。
二人は全身に塗りたくったサンオイルでテカテカしている。気持ち悪い。
今日は日焼けしにきた梅男と富田。それと、太陽光線を遮るパラソルの下で過ごす奈津、紺、晴の3人がいた。
パラソル下の3人は、木でてきた手作りのイスに座ってそれぞれ本を読んでいる。
「お前らさ〜」
ビーチチェアーに横たわり、空を見上げながら纏わりつくような口調の梅男。
「何しに来てんだよ」
「見ればわかるじゃん。ほれ」
紺が気の早いスノーボード雑誌の背表紙を梅男に見せる。
「んなーこたーわかってんだよ」
「なんだよ」
「あらやだー!この人。なんだよ?だって!聞いた?」
隣の富田がちょっと大げさに、そしてちょっとおかまちゃんになりながら驚きの声をあげる。
あらやだー と梅男も続く。
「俺が言いたいのは、夏らしいことをしない奴は家に帰れ!ってことだよ」
「そうだそうだ!帰れ帰れ!」
「そして家でカキ氷でも食ってろ」
「そうだ!そうだ!そしてシロップは練乳だぞ」
「頭キンキンになるまで食べ続けろ」
「俺ん家にある『カエルのキョロちゃんカキ氷セット』を貸してやる」
あーでもない。こーでもない。
この町には、ちょうど真ん中から町を南北に隔てるように川が流れており、海岸線から500mほど川を上流に向けて遡ったところにマリンショップがある。
建物は丸太で作られたログハウスで、手作りの看板や屋根に飾られた風を見ない風見鶏などの小物からはちょっとしたセンスを感じさせる小洒落た佇まいだ。
そのマリンショップの敷地には、目の前を流れる川が一望できるようにウッドデッキが施され、奈津達は日常の空いた時間のほとんどをそこで夏らしいことをしたり夏らしくないことをしたりして過ごしていた。
「いつから日本男児はこんなに軟弱ちゃんになっちゃんだろうねぇ、梅男君」
パラソル下の3人はとっくに相手にしていなかったが、2人の皮肉は続く。
「ほんとだよ、富田君を見習って、、、」梅男は顔だけ富田の方に振る。
「って、お前白いよ」
ローストチキンでもこんがり焼きあがるんじゃないかというほどに強い日差しの中、富田の肌は、焼き始めの当初とほとんど変わらず白かった。
「いつまで白ブタでいるつもりだよ。それじゃ日本男児のお手本にならねぇじゃねぇか」
ブタは否定せず、色の部分だけ富田はサングラスをはずして言い返す。
「梅男もだよ。こんだけ毎日焼いてんのに小麦色の小の字にもなってないじゃん!」
黒ブタなら問題なかったのかはわからないが、富田の言うとおり梅男の肌の色にも焼き始め当初からほとんど変化は無かった。
「なんだとぉ!白ブタのくせに!こうして那美さんにもらったオイルをせっせと塗ってだな。。。」オイルを見る梅男と富田。
「あの女〜!!」
「あの女〜!!」
途端にオイルを放り出して事務所に向かって走っていった。
全身テカテカでビキニパンツ男二人組みの突然の乱入に、外房マリンの事務所から短い悲鳴が聞こえてきた。
晴は足元に転がってきたオイルを拾いパッケージを読み上げた。
「今年の夏は焼かない。紫外線から鉄壁ガード」
■
「もう、アンタ達営業妨害よ」
一騒動起こした梅男と富田をつまみ出すように、外房マリンの事務所兼フロントのログハウスから女が出てきた。
手には緑色の液体の入ったグラス。表面に浮き上がった水滴が涼しげだった。
「だってひでーよ。日焼け止めよこすなんてさー」
「こんがり焼かれるはずだった俺達の時間を返せ!」
梅男と富田が文句を言う。
「ちょっと間違えちゃっただけでしょー。ホラ、それ塗れば問題なし」
梅男が手にしているものは、今度はちゃんとサンオイル。
女の名前は那美。ここ外房マリンの主だ。
ヘソまで届かないピッタピタの黄色いTシャツに、腿も露わなデニム生地のホットパンツ。
グレープフルーツを仕込んでるんじゃないかというほどの胸の膨らみと形のいいヒップを左右に揺らし、フェロモン全開。
未だに納得がいかずぶつくさ言ってる梅男と富田を強引になだめ、那美は奈津の元へと歩いていく。
「はい、奈津お待たせ」
「え、僕頼んだの、ジンジャエール・・・」
ダン!
那美はその言葉を遮るように、奈津の前にトロピカルカクテルの入ったグラスを強めに置いた。緑色の液体がジンジャーエールと異なるのは明らかだった。
「いいからいいから。飲んでみて」
那美は有無を言わさぬその眼差しでじっと見ている。
「大丈夫。サービスよ」
そういう問題じゃ。。。
那美はここ外房マリンでオシャレなBARを始めようと企んでいる。日々オリジナルカクテルの試作を重ね、いつの間にか奈津が実験台となっていた。
その腕前の方はと言うと。
奈津は恐る恐るストローを吸う。
「ぶーっ!」
その液体が口の中に入ってきた瞬間、マンガみたいにすぐ吐いた。
「あ!ひど〜い」
いつにも増して、今日のはひどい。トニックシャンプーにピーマンの種を混ぜた味がした。実際どっちも口にしたことはないけど。
「あたしは好きなんだけどな〜」奈津から取り上げたグラスのストローを吸いながら、那美は首を傾げながら水滴のついたグラスを眺める。
「ぶえぇぇぇ」奈津は緑色に染まった舌を出す。
奈津は個性豊かなカクテルを飲まされるたびに思う。
なぜいつもベースがスースー爽やかなメントールなんだろうか。
■
那美は程よい感覚をあけ、無造作に並べられた手作りのテーブルに手際よく日よけのパラソルをセットしていく。
「アンタ達、他にすることないわけ?」
川では、マリンジェットに引っ張られてウェイクボードをしている若者たちが奇声をあげて水面を元気に滑走している。
「なんかっつってもなぁ」そんな若者達を梅男は目で追いかけていく。
「この腹じゃ、、、ねぇ」富田も梅男と同じものを目で追いながら自分の腹をさする。
「気になるのか君は」
「やっぱウェットスーツって、体型強調されてやばいじゃんね」
「強調されなくても十分やばいじゃんね」梅男は富田の腹をつまむ。
「夏は夏らしく。冬は冬らしく。ね」富田はビーチベッドに深く沈みこみながら言う。
「夏は遊ぶ時間ですよーーー」伸びをしながら発した梅男の声は、犬の遠吠えのように外房マリンに鳴り響いた。
■
陽が傾き辺りがオレンジ色に染まり始めると、5人は誰からともなくそれぞれの家へと帰り始める。
奈津も川の土手を登り、家に向かう。途中、足を止め後ろを振り返る。
川に反射するオレンジ色の輝きが思ったよりも眩しく、思わず目を細めながらも向こう岸を見る。
桟橋の釣り人達もまた、帰り支度を始めていた。
釣り人の1人がこちらに気付き、手を振ってきた。中学時代の同級生、タカだった。
■
「ねぇ、君のうち漁師なんだって?」
中学校の入学式を終え、新生活の始まった記念すべき日。この町の4つの区域に点在する小学校の生徒たちがひとつの中学に通う。当然、初めて見る顔とクラスメートになり、前後左右の席を知らない顔に囲まれた。
その知らない顔がいきなり後ろの席の奈津に振り向き、しかも家業まで知っている様子なものだから必要以上に驚き、言葉がうまく出てこなかった。
「え、、、な、なんで知ってるの」
「うちさ、釣具屋やってんだ。君のうちのおやじさんもたまに釣り餌買いに来るんだ」
そうなんだ と答える代わりに首をゆらゆらと縦に振る。
見知らぬ顔が大勢いるのに加え、いきなりの不意打ちに必要以上に体が強張ってしまう。
「ねぇ、釣りやるの?」
信に連れられて釣りにはよく行っていた。首を縦に振る。
「んじゃ今度一緒に行こうよ。クラス別になっちゃったけど、よく一緒に行く仲間もいるからさ」
またも奈津は首を縦に振る。今度は大きく2回、3回と。
「俺はタカ。よろしく」
「タカ君」
「タカでいいよ」
「な、奈津」
「え?」
「。。。奈津」
「なつ?」
今度は小さく首を縦に振る。
「女みたいな名前だなー」
小さな町の中学校は3クラスにわけられ、どういうわけか奈津以外の4人は同じクラスにかたまった。
そんな不安の中、初日にできた友達。不安はまだまだあったが、これからの新生活に少しずつ胸は膨らんでいった。
■
奈津はタカへ大きく手を振り返すと、それが帰りの挨拶なのかバケツを持った手を少し上げ、こちらに背を向けて釣り仲間たちと土手を登って行った。
奈津はタカの後姿を見送ると、自分も家へと向かう。と言っても奈津の家は外房マリンから5分とかからないところにあるのだが。
家に帰るといつもと違って静かだった。
いつもは父親の信が大声を出して相撲か野球を見ているから、非常に騒々しい。
だが、今日は信の愛車の白いトラックも庭にない。
部屋から漏れる灯りもない。
相撲の場所中にTVの前にいないのは珍しい。どこかへ出かけてるらしい。
静かな家の2階にあがり自分の部屋のベッドに横になる。ほとんど間をおかずに眠気が襲ってきた。
口の中で仄かにメントールの風味を感じ、喉を鳴らして唾液を飲み込むと、体の要求に逆らうことなく深い眠りへと落ちていった。