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水も滴る

夕方の漁を終えた奈津は、川の土手に上がり外房マリンを見下ろす。


太陽は西に傾き、空にはオレンジと紺のグラデーションが鮮やかに広がっている。


いつもだったら誰かしらいるウッドデッキも、都会からバケーションに来た奈津達と同年代ほどであろう男女が楽しげに談笑しているだけだ。


あれから3日。奈津はこの時間にこうして外房マリンを覗きに来るが、4人の誰かと顔を合わせることはなかった。なんとなくみんなバラバラになっている。


奈津は川に沿って伸びる道を上流に向かって歩き出す。沈みかけた西日を正面に受けて目を細める。


小さい頃には整備もされず雑草も伸び放題だったこの道路も、数年前にアスファルト舗装された。


道の脇に目をやる。幼いころ家族3人でこの土手を散歩した時のことを思い出す。



「奈津、この世で食えない葉っぱは何種類あるか知ってるか?」


比較的雑草の少ない部分を選びながら奈津が母親と手を繋いで土手を歩く。その2人の少し前を雑草などお構い無しに信が歩く。


「んー、わかんない。1200」


それを聞いて母が吹き出す。


「どっから出てきたのよその数字」


信は道端の草を2本引き抜く。茎の部分の皮を軽く剥がすと、そのうちの一本を奈津に渡す。


「なんと、3種類しかないんだと」


真偽のほどは定かではなく、むしろ疑わしい内容の薀蓄を口にしながら信は茎の太い部分を齧る。奈津もそれを見様見真似で齧ってみる。


口の中に広がる酸味に堪えきれず、顔を顰めて渋い顔をする。


「あら、あらら、あははは」


オレンジ色に染まる川の出てに3人の笑い声が鳴り響いた。



昔齧ったものと同じ植物を徐に引き抜く。あの時の信と同じように皮を軽く剥いでいく。


齧る前から口の中に酸味が広がり、唾液が溢れ出してくる。


植物の名前は、たしかスカンポ。


スカンポの茎を齧る。酸味が口の中に広がる。顔を顰めるほどの酸味ではなかった。


「おう、奈津」


ふいに呼びかけられ、後ろを振り向くと紺がこちらに向かって歩いて来るところだった。


「紺」


「何してんだ?こんなとこで」


「いや、ちょっと散歩を」


「ふーん」


紺は奈津の手にしている植物と、道端で短くなった植物を見比べる。


「俺こないだこの辺で小便したから、やたらと触らない方がいいぞ」


口に含んだスカンポの汁が勢い良く飛び出した。


「ぶー!」



どこへ向かうでもなく土手を進んだ紺と奈津は、川辺に降りる階段に腰掛ける梅男、富田、晴の姿を見つけた。


「うわー。澱んでるなー」


階段に腰掛ける3人のどんよりした背中を見て紺が独り言のように呟くと、路面の舗装とあわせて整備された川べりに続く階段を降りて行く。


何の祭られごとか、階段の脇には巨大な岩が置かれ、藁を束ねた縄がぐるっと一周されている。


誰も手入れをしてないのだろう、風雨にさらされみすぼらしくなった紙垂がその縄にかろうじてぶら下がっていた。


「3人揃ってなにやってんだよ。こんなとこで」


3人は首だけ振り向けて土手の方を見上げる。そこで偶然一緒になってさ、と富田が返事を返す。


奈津と紺は階段を数段降りると、3人に倣って石段に腰掛ける。気まずさがそうさせるのか、それぞれ同じ段には座らず低いところから梅男、富田、晴、紺、奈津の順番に座った。


陽はすっかり暮れ、蝉の声も疎らになる。それっきり誰も口を開かないから水面に跳ね上がる魚の水音が驚くほど良く耳に届いた。ぱしゃん。


上空では無数に輝く星に交じり、一定間隔で点滅する飛行機の灯りがはっきりと見えるようになっていた。


梅男が傍らの小石を川に向かって投げる。間抜けな水音が鳴ると、そこを中心として滑らかな円が広がっていく。


梅男に続いて富田も石を投げる。梅男の時よりちょっと高い水音が鳴った。


紺、晴も続く。そして奈津も。波紋はいくつにも重なり、ぶつかり合い、先ほどまで穏やかだった水面が漣立ち、乱れる。


5人の心の中を表現するならば、丁度こんな感じになるのであろう。


手の届く範囲に手ごろな石がなくなると、梅男が立ち上がる。そして、土手の傍らに祭られてある巨大な岩に手をかけた。


高さは梅男の身長と同じくらい、横は大の大人が両手を広げて漸くその円周の半分に至ろうかというほどだ。


「ぬぁああああああ!」


梅男は雄叫びと共に力を込める。梅男の腕に筋が立ち、血管が浮き上がる。


重力の抵抗も虚しく、岩はついに頭上へと抱え上げられた。4人とも、岩の重量を数値で測ることをやめる。


富田は後ろを振り返り、晴と目線を交錯させる。言葉ではなく、アイ・コンタクトで会話をする。


(いつも思うんだけどさ)

(うん)

(人間、だよね)

(多分)


「どりゃぁああああ!」


怒号とともに放り投げる。岩は放物線を描き水面へと飛んでいく。


奈津は小さい頃に行ったディズニーランドの某アトラクションを思い出す。


そのアトラクションに乗り、どのような結果になったのかは明確に思い出せたが敢えてその場から動くことはしなかった。


大量の水に打ちひしがれるのも悪くない、と思った。


ずどーん。


軽く地面が揺れたような気がした。いや、実際に揺れたのかもしれない。視界が一瞬揺らいだあと、大量の水が舞い上がる。辺りはスコールに見舞われたような状態になる。


奈津はたじろぐことなく舞い降りてくる水をその身に浴びた。その冷たさが心地良かった。


さすがの梅男も今回ばかりは肩で息をしている。


4人は「なんで?何で投げた?」と無駄な問いかけはしない。


「投げる石がなくなったから」


と返ってくるのはなんとなくわかったからだ。


呼吸が整わないまま、梅男はくるりとこちらを向く。


「行くぞ」


短い言葉だったが、久しぶりに梅男の人間語を聞いた気がした。さっきからうおーとかどりゃーとか。


その短い人間語を口にした梅男は階段を上がっていく。


4人も大きく波打つ水面を背に重い足取りで土手を上がり始めた。



「あれ、梅男」


梅男の家は左の方向にある。奈津が梅男に声をかける。が、右に向かう梅男はそれには応えずに歩き続ける。


「何でお前ら何も言わねぇんだよ」


梅男の問いに誰も答えなかった。人のいなくなった土手には5人の足音だけがしっかりと鳴り渡る。


「お前ら、見たことあるか」


4人の応答はない。かまわずに梅男は喋り続ける。


「俺は初めて見たぞ」


それでも誰も答えない。それでも梅男は喋るのをやめない。そしてどんどんどんどん歩いていく。


「あんなん見せられたら、やるしかないだろ」


それでも誰も何も言わない。代わりに、富田と紺が顔を見合わせる。そして段々と気持ち悪いにやけ顔になっていく。


ここにいる全員が、梅男の言わんとすることをわかっているから。


5人は、誰からともなく早足になる。奈津も嬉しくて笑顔になっていく。


なんだ、やっぱりみんな同じこと考えてたんだ。


気がつけばいつの間にか走り出していた。そう、この道の先にある、外房マリンに向かって!



入り口のドアが勢い良く開き、水を滴らせた5人が外房マリンに雪崩れ込む。


「那美さん、ウェイク1丁!」富田が人差し指を立てて叫ぶ。


「ちょっと、何!?」デスクで事務処理をしていた那美は驚いて立ち上がる。


「ボート貸してくれよ!」梅男が勢い余って前のめりにカウンターに両手を着く。


「だから、なんなのよいきなり」


「那美さん、俺達ウェイクやることにしたから」晴が続ける。


駅で満里が5人に初めて見せた涙。山育ちだろうが、捌けた性格だろうが、やっぱり女なのだ。生まれ育った場所がその役目を終えると聞いて平気で笑っていられるわけがなかった。


涙をこらえ、必死に笑顔を作ろうとする満里のくしゃくしゃな顔は、5人に断固たる決意をさせるものとしては充分過ぎるほどのものだった。


那美は決意に満ちた5人の顔を順番に見回す。


「そんなの、無理に決まってるでしょう」


梅男が那美に詰め寄る。


「何で!」鼻先と鼻先がくっついた。それでもたじろぐことなく梅男の目線を真っ向から受け止める。


近距離でしばらく目線を激しく交錯させた後、那美は梅男から目線をはずして後ろに並ぶ4人の顔を順番に見る。皆同じ目をしている。


那美は肩の力を抜き、窓の方へと歩いていく。そして、ブラインドを開けた。ビャー!


「外はもう真っ暗。ウェイクボードは、太陽の下でやるものよ」



こうして、「俺達のスキー場を取り戻せ」大作戦は始まった。


スノーボードで日本一になって、自分達のスキー場を取り戻す。雪山の借りは雪の上で返すのだ。


そうと決まれば冬も夏も秋も春も無い。雪の上だろうが水の上だろうが人工芝の上だろうが、板の上に横乗りし、ひたすら滑り続けるのだ。


根拠なんてどこにもない。常識?確率?可能性?そんなものは考えるだけ無駄だ。


自分たちにできることに、全力でぶつかっていくだけだ。



「わーっしょい!わーっしょい!」


穏やかな川の水面が満月と無数の星を映し出す中、5人は外で胴上げを始めた。宙を舞っているのは奈津。


何か嬉しいことや楽しい事があったときの儀式のようなものだ。


「奈津!てめえ!胴上げされる奴は万歳しろ!」梅男に叱咤され、宙を舞いながら両手をあげる奈津。別に好きで宙を舞っているわけではないんだけど。


「わーっしょい!わーっしょい!」


進んで飛んでるわけではないが、本気で嫌だと思っているわけでもない。5人全員の心が一つになった時にこの胴上げをしてきたからだろう。


奈津は何回か宙を舞った後、満月をきれいに映し出す滑らかな水面へと放り投げられる。


ちゃっぽーん。


川の大きさを考えると、取るに足らないくらいの小さな水しぶきが立つ。


だがその小さな水しぶきも、さざ波を立て、向こう岸にたどり着き、自信はまた元の場所へと舞い戻ってくる。


いくつもの漣は重なり合い、やがて川全体を揺らしていく。


そうだ。


スキー場閉山という大きな川の流れも、今ここに立った5人の小さな漣から始めるのだ。


先ほどから水をかぶりっぱなしの奈津。それでも今の気分を言葉にするのならこの二文字。


最高 だ。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * キ リ ト リ * * * * * * * * * * * * * * * * * *


はいどーも

あいもーど


ほっしーです。


ここまで読んでくれてどうもありがとうです。


この続きはちゃんとあります。ちゃんとかどうかはわかりませぬが、あります。


もし「もっとよみてぇ」と不覚にも思ってしまった方々は、コメントでもメッセージでもいただければ読める場所をご案内します。


まってるよーん☺

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