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お別れ

5人は昨日決めた予定通りに絶景ポイント「雀島」へとやってきた。


正式な名称かどうかはわからないが、地元ではそう呼ばれている。


「どうだ?すげぇだろ」


言葉にならない感動の声をあげる満里に、梅男が我が物顔で自慢する。


飛行機に乗って国外へ出なくても、美しい景色というのはいくらでもある。ここ雀島もその一つだ。


満里は黙って自分の故郷の山を思い出す。


自分の住む桃竜山だって、この雀島に負けないくらいの美しい景色は有ったはずだ。


小さな頃から眺めていて慣れてしまったのか。それとも、心が、目が曇ってしまったのか。


山から見下ろす両手で掬い取れそうな小さな町並。ランドマークといったら大げさだが、あの町で存在感を示す歴史あるホテルはミニチュアのように見えて大好きだった。


そうだ。小さい頃その風景を飽きもせず、日が暮れるまで眺めていたではないか。


辺りが薄暗くなってもお気に入りの岩場に腰掛け、毎日毎日同じ場所から同じ景色を眺めていた。


「違うもん。毎日違うお顔になるんだもん」


完全に日が暮れる前に決まって迎えに来てくれる明にそう言った記憶が蘇る。同じところから同じ場所を見ても、町は一日として同じ表情を見せることは無かった。


そして満里は、ここ何年かのその風景を思い出すことができない自分に気付く。


小さい頃に見た景色は、心の中に鮮明に刻み込まれこんなにもはっきり思い出せるのに。


母が家からいなくなったのもそう。気付くのはいつも遅い。手遅れになってからだ。


満里は誰に向けるでもなく言葉を吐き出し始める。


「海はいいよね」


「うん?」


梅男が短く聞き返すが、満里は海を真っ直ぐ見たままだ。


「山とは違う」


5人は満里の言葉の真意がわからない為、雀島の景色を眺めながら次の言葉を待つ。


青い陣地を二つに分けるように、飛行機雲が空に線を引いていく。その音が耳に届いてこないことをなんとなく不思議に思う。


耳の中を埋めるのは、優しく頬を通り過ぎていく風の音と、一定のリズムで波が奏でる心地良い波音だけ。


「人間がどんなにがんばったって、海を自分の物にすることはできないだもん」


浜辺で遊ぶ小さな子供と両親を見て、奈津は小さい頃に信と母と家族3人でこの場所に遊びに来た時の事を思い出す。


鮮明に覚えているのは、陽が当たらないよう日陰に寄せておいた昼食用の弁当がカラスに持っていかれたことだ。


波打ち際で奈津と一緒に波と戯れていた母がカラスに気付き、慌ててお弁当に駆け寄ろうとした。が、いかんせん距離があり過ぎた。


カラスはから揚げやウィンナーなどおかずの入った弁当箱を選び出し、悠々と上空へ舞い上がっていった。現代のカラスは美味しいものを知っている。


食べ物を奪われたと言うのに、信と母は楽しそうに笑っていた。それがその時とても不思議だったが、楽しそうに笑う両親につられて自分も笑った。


そして、大人になったら二人が何で笑ってるのかわかるようになるのかな、などと子供心に考えたのを覚えている。


言葉を発しない他の5人も、奈津と同じようにそれぞれ思いを巡らせている。長い沈黙の時を、誰一人として気にしなかった。


遙かな空間を越えて飛行音が耳に届いてくると、奈津は我に帰った。なんだかずいぶん長い時間昔の思い出に浸っていたような気がした。


満里の話を途中まで聞いていたことを思い出し、慌てて隣を見る。満里がまさに口を開こうとしていた。


「。。。うちのスキー場、今年を最後に閉山するんだ」


美しい景色がそうさせたのか、満里は自分でもわからない。わからないが、それまで喉元の直前で蓋をされ、押さえつけられていた言葉が驚くほど自然に出てきた。


雀島の景色を眺め、想い想いに頭を巡らせていた5人は一転ものすごい勢いで現実に引き戻される。そして、一斉に声をあげた。


「な"あ"!?」



駅まで送る道中満里は喋り続け、梅男が相槌を打っていた。だが、その相槌も気の無いものになっている。


「知ってる?あの有名なスキー場も、うちと同じように閉鎖って話があったのよ」


満里は国内で冬季オリンピックが開催された某スキー場の話を始めた。


「でも、大好きなスキー場を守ろうって。そこを本拠地にしてるライダー達ががんばったの」


良く晴れた昼下がり。歩いていると、草の匂いが夏の熱気とともに漂ってくる。


「頑張ってうまくなって、色んな大会に出ていい成績残して、有名になって、署名を沢山集めて」


そしてその想いは沢山の人々の心を動かし、一度決定された閉山を覆し、遂にはオリンピックも開催されるほどのスキー場へと変貌を遂げた。


「うん」


「ねぇ梅男、聞いてないでしょ?」


「うん」


「もぅ」


奈津は週末でも混むことの無い人の疎らな桃竜山スキー場を思い出そうとするが、すぐにやめた。


どうしていいかわからずに、並んで歩く晴の横顔をちらりと伺う。


困った時、いつも頼りになる存在だった晴が、何か言ってくれるのではないかという望みを持って。


だが、晴に口を開く様子は無く、むしろ口は真一文字結ばれたままだ。


日差しは強く、遥か先を見据えると陽炎がゆらゆらと揺らめいている。考える事を放棄したくなる暑さと急な知らせだった。



一行は満里に気の利いたことは何も言えないまま駅へと到着してしまう。


外房線の電車がホームへゆっくりと入ってくると、満里が5人より一歩前に出て電車が止まるのを待つ。


空気が勢い良く漏れる音とともにドアが開く。電車に乗り込み、満里は入り口付近でこちらを向いた。


「また、、、冬にな」


毎年当たり前のように決まっていたこと。だが、今は状況が変わり、この言葉が喉元に刃物を突き付けてくる凶器のように感じた。


「うん。楽しみにしてる」


あの山で過ごす、最後の冬。誰も口にできない。


奈津は桃竜山出発の日、いつもと少しだけ様子の違う喫茶室の満里と明を思い出す。満里はもっとずっと前からこの事を聞かされていたのだろう。


だが、今の今までこの事を口にしなかった満里の気持ちは痛いほどよくわかった。


駅員が笛を鳴らす。


「ばいばい」


満里が手を振る姿を見て、5人は一瞬息をのむ。


開いたときと同じように勢い良く空気の漏れる音ともにドアが閉まる。


無力


ただその言葉だけが重く全身にのしかかってくる。


ゆっくりと動き出した車両を、奈津は何もできずに見送るだけだった。

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