「魔王、女戦士とエンカウントする」
――元勇者の仲間。
魔王は内心で咄嗟に逃げ道と出口を探した。
でも最初から外だった。それに気付き少しだけ冷静になった。
しかし女戦士は驚きをあらわに、
「――ま、魔」
百人一首の先読み並みの速さで魔王は危機を察した。
「ハイストップ!」
「むぐぅ!?」
口を塞ぎ、そして空いたドアの間に滑り込みそして鍵をかけ閉じた。いきなり正体がバレそうになったのでつい。
もはや後には引けず、
「なぜ私の正体が魔王か分ったのかはさておいて今君には不法侵入と不法占拠の嫌疑が掛けられつつあるのでだからとりあえずお互い口裏を合わせてこの難局を乗り切らないか!?」
ドタバタ嫌がる彼女を手早く後ろ手に拘束し、そして冷たい声で要求する。
一息で。魔王はやはりかなり混乱していた。
女戦士もいきなりのくっ殺ピンチにどうやら相当動揺しているようだが、すぐに魔王を見ながらコクコクとゆっくり頷いた。
「……すまない、手荒にしてしまった」
「……い、いや、こちらも動揺したのでな。そちらにも表沙汰に出来ない立場というものがあるだろう、配慮を欠いた」
理解があることをうれしく思う――
が、声が先ほどの半音上がった人妻ボイスではなく作り声っぽいハスキーさだ――ひょっとして職場と家とでキャラが違う人なのだろうかと魔王は思う。
だとしたら萌え。是非との素の声を聴きたい、ギャップを楽しみたい。
魔王は目の前にいる人妻にそんな思いに駆られるが、
(――こちらも。そしてそちらも。ということは彼女も正体を隠して生活しているのか)
有名税を嫌っての隠居生活かと中りを付ける。
「――ところで、いつまでこうしているつもりだ?」
口は外したが、後ろからハグしている――ただし手首関節を決めているので、やはりクッ殺シチュエーションだが、状況が違えばちょっとロマンスな体勢である。
冷静になり、離れた。
「……なんか勢いで、ごめんなさい」
「……」
じっとりとした視線を向けられる。下手に出たせいで貫禄が無さすぎて魔王という役職を疑われているのだろうかと疑問する。だがこんなことをしている場合ではないと思い、
「あの、外に不動産屋がまだ」
「後で事情を詳しく説明して貰うぞ」
「――はい」
有無を言わさず。
そのとき魔王は悟った。「魔王からは逃げられない!」とかよく言うけどむしろ魔王の方こそ勇者とその仲間から絶対逃げられないのではないのかと。
とりあえずドアを開け家の外に出る。
そこで魔王は女戦士と不動産屋との間に立った。怪訝に立ち尽くしていた不動産屋は、
「――ひょっとしてお二人は知り合いか何かですか?」
その瞬間、魔王の脳裏にはありとあらゆるケースの状況悪化が想定された。
共犯か、和解の仲介か、正体バレか。
「――いいえ全然、まったくもってそんなことはありませんが」
「――そうですか? 今何か中で口裏を合わせていませんでしたか?」
ドア一枚じゃ聞こえるか。
「いやいや。ただちょっと――ドアを開けた手に剣ダコのようなものが見えたので、それで本当に盗賊か野盗か何かなんじゃないかと思い――これでも武術を嗜んでいるので、火急的速やかに制圧しようとしていまいまして」
「剣ダコ?」
うさんくさい、と不動産屋の眼が言っている。女戦士は手の平を開いて見せて、
「……生憎私はただの農家だ。鍬や草刈り鎌、フォークにスコップ、農具を毎日扱っていればこうもなる」
所々固く、厚くなったそれを証明した。
「というわけで誤解は解けました。すいません、なんだか早とちりしてしまって」
「まったく、迷惑な物だ」
女戦士がそういうのに合わせ、不動産屋も、
「はぁ、落ち着いてくださいよ。さっき自分でそれはないって言ったでしょう」
「面目ない」
ぺこりとお辞儀しつつ彼女の姿を再確認する。
よく見ればその姿はみすぼらしい――一般人としては標準的だが、元・勇者の仲間、なんて称号が付いている割には贅沢はしていない様子だ。
流れるような金髪はお団子にまとめて三角巾で隠して、襟口や袖口、裾をきっちりカバーで覆った重装備の野良着、腰から下にかかる前掛けタイプのエプロンも含めて非常に土と草、それから肥料の芳しい匂いがしてきそうだ。
三年前に魔王城へ訪れたときはハイレグのボディースーツに軽装鎧、オーバーニーソのセクシーな格好だったのに。
金髪巨乳で巨尻のグラマラスな女戦士が――見事一般主婦に擬態している。
これはこれでいい。くたびれた感が、一部の隙も無く女っ気を捨てた姿が、しかしその服の下からまだ押し出されてしまう豊満なボディラインが溜まらない。
なによりもそれ以上に隠し切れない凛とした佇まいが、女としての捨てきれない気品を醸し出している。
最高のクッ殺の素養を見せている――!
まああくまで妄想とかシチュエーションとして愉しむ場合の話だ。現実にはする気にはならない。
この間わずか2秒――やや長いチラ見で愉しみ、
「……ええー、わたくし不動産屋を営んでいるゼブと申します。失礼ですがそちらは?」
――元勇者の仲間です。
と、魔王は内心で紹介するが、
「……昨年こちらに越してきた、グレナディーンと言う。で……なんの用だ?」
「グレナディーンさん。いやあ、実はですね」
ステータスには主婦とあった。
確かに主婦と、ある。
主婦だ。
そういえば子供の服も干してあったが。
(こいつ結婚してたのか……)
旦那さんはどんな男だろうか。一応はパーティーの中で物理攻撃担当の肉体派だったが。
(――そういえば「夫の敵」とか前来たときに言っていたような)
魔王はなんとなくその辺聞かない方が良さそうと判断する。
夫殺しに関しては間違いなく誤解――とは言い切れない。妃や養子、メイドたちが後宮に囲われる原因となった男や悪人は、容赦なく抹殺しているからだ。
それでもその線はないだろうとも思う。さすがにそんな悪い男にだまされるようには見えない。
魔王は心の中で静かに二度頷いた。
そしてじっくり観察する。ぴっちりしたセーターとか伸縮素材の素肌に張り付くタイトな服装も見てみたい、きっと女性としたの攻撃力が鰻登りだ。
いや、今のようにあえて重ね着をさせた方が彼女の魅力は増すだろう。彼女の佇まいは肌や曲線の露出よりそれを緩やかに隠した方がグッと味を増す。
三年前のあのときより――確実に熟している。凛々しく突撃槍を振り回していた女がこんなにも香しい半熟人妻のオーラを出しているだなんて、人生何が起こるか分からない! 再び官能の世界にどっぷり浸かったが。
――じゃない。
魔王は正気に戻る。
どうしてか、何故だかやたらと男の本能がそそられる。
人妻だからか。いや違う――実戦ではそんな嗜好は持っていない。あくまでフィクションとして好んでいるだけだ――
再度正気に戻る。
(いや、なんでこんなところにいるんだ? 私は教師として生徒《女勇者》と一つ屋根で暮らす物件を見に来たはずだが)
なんでそこに寄りにもよってその最大の障壁が。
まさかどこかから魔王軍の作戦内容が洩れて自分の|タマ(精巣&命)を取りに来たんじゃないだろうかと。
ないか、多分ただの偶然だ。
「……それは……本当ですか? 確かに権利書はちゃんとしたもので?」
そんなことを考えている内にどうやら話は佳境に入っていたようだ。
女戦士は眉を顰める。不動産屋からこの屋敷と土地の権利書が正規の物かと疑われ、
「――どういうことですか?」
「ああ、……何通りか可能性はありますが、私と直接取引した不動産屋が、私だけでなく彼女にも権利書を売ったのでしょう」
「……二重売買ですか?」
「ええ。偽造か、何らかの形で本物を二枚用意できたのかは分かりませんが。……私名義にしてもう手続きも済ませてあるからと、付き合いのある同業者に頼まれ即金で買い取ったのですが……」
要するに、とりあえず話の上でだが、土地と建物の権利書が二枚あってそのどちらが有効か、という問題なのである。
それに弱り切った様子で不動産屋は告げる。
「とりあえず今の段階で無動様がここをお買い上げになることは無理かと」
「それならそれで私は構いません。別の物件を探しますよ。ですがこの場合彼女は」
「私と彼女のもつ権利書のどちらが無効に寄りますが……書士を交えて役場の登記までされているとなると、ほぼ私の方が無効でしょう。念の為今から役場の方でその確認をしてきますが――あ、申し訳ありませんが貴女が持っている権利書も念の為今ここで確認出来ますか?」
「ふむ、少々取り出しづらい場所に保管してある、少し時間を貰えるか?」
「構いません」
「では、中に入って待つといい」
言いながら女戦士は道を開け魔王達を中へと案内する。
玄関から短い廊下を行き、応接間に通して貰う、そこで不動産屋は、
「――失礼ですが旦那様はどちらに? 話が話ですので出来ればご同席していただきた方が良いと思うのですが」
その時彼女は立ち止まり、不動産屋と、何故か魔王を強く見て、
「――今は遠くだ」
寂しげに告げてくる。
「……それは、失礼いたしました。お詫びとお悔やみを申し上げさせて頂きます」
壁掛けのゼンマイ時計がカチ、コチ、カチ、コチ、と静かに時を刻んでいる。
女戦士が仕舞い込んでいた権利書を持ち出しそこで確認されたのは、
「間違いありませんね。これは本物です……はあ、となると……」
「先ほど言った通りに?」
「ええ。ほぼそうなるでしょう」
おそらく先に正式な取引を彼女として、その後で友達付き合いを利用し、効力を失った変更前の権利書を不動産屋に売りつけた。ここでもし彼女が持つそれに何らかの不正や不備があれば、その権利書が無効になり不動産屋の方がこの物件を所有することになったかもしれないのだが。
残念ながら、彼女のそれに不備はなかった。であれば、あとは役場で登録されている情報次第であるが、おそらく――
となると、不動産屋の丸損だ。知り合いだからと言って安易に即金で取引などするからだ。
登録上では、女戦士がこの土地と建物の所有者であるとされている。
その権利書は不動産屋にもあるが、個人が所有する資産として今役場に登録されているのは彼女の方なのである。いくら彼が所有する権利書が正式なものでも、役場でのその手続きを先に済ませた以上は彼の権利書は無効になる。
役場まで含めた正式な取引をしているのは、そして、騙されたのは彼である。
この土地と家の代金を請求するとしたら彼を騙したその悪徳不動産屋で、いまこの家の正式な所有者である彼女には請求できない。罪である部分は、彼に無効になった権利書を売り詐欺を働いたことなのだ。
彼は彼の友人を捕まえない限り、彼の手に戻ってくるものは何もない。
「グレナディーンさんには、私の不備でとんだご不安を与えてしまい、誠に申し訳ありません」
「いや、気にするな。貴方こそ被害者だろう」
「いえいえ。これは私の怠慢から来たものですよ。同業者の友情など二枚舌もいいところなのに、いつのまにかそれを忘れていました……無動様には誠に申し訳ないのですが、日を改めて別の物件をご紹介いたしますので、申し訳ありませんが今日の所は――」
「そうですね、まず貴方は警察の方に事情を説明しないと」
「すみません。お探しの物件に関しては後日またお伺いください――では、馬車を回してきますので」
「いえ、私の事は良いのでお急ぎください」
そう言うと、不動産屋は一人この家を出て行った。
見送り、そしてアイコンタクトで自然にリビングへと二人で戻る。
静かに緊張が走る。
正体を隠した人妻女戦士と、裏ボスの大ボスの魔王が二人きり――
どっちもピンチだ。
その口火を切ったのは、
「……で、魔王様がなぜこんなところに物件の内見に?」
女戦士の先制攻撃――
魔王は心の中で振り返る、その理由は……。
「……実は、わたくしいま学園で教師をしておりまして、こんどちょっと特殊な生徒が来ることになったので、トラブルの発生を防ぐため新たに特別寮を儲けるにあたり適当な物件はないかと探しておりまして」
女勇者と一つ屋根の下でラブコメする為です――とは言えない。
それをまるで就職面接、否、夜に連絡も無しに酒を飲んできた夫を嗜めるような雰囲気で、女戦士は嗤いながら、
「――ほう、そういう事情でか……で、なぜ学園で教師を?」
「はい。わたくし、昨今の人と魔族の長い誤解と戦いと憎しみの歴史に区切りと終止符と付けようとしましてこの都市を立ち上げたわけですが、その一助として私も旧き時代からの生き字引として参加すべきだと思い、魔王と兼業で教師をやらせて頂いております……」
言えない――謁見の間や執務室で書類と官僚とにらめっこし指先一つ紙一枚で人員と予算を動かすのもそれはそれで面白いがそればかりだと飽きるので。
女の子たちの治療や療養の面倒を見るだけならともかく。
久々に現場に出たくなったとか――体制の転換を理由に色々と押し付けボイコットしているだなんて。裏ボスとして魔王業をするのにちょっと飽きて来たなんて。
「……で、そちらはなぜこのようなところに?」
「……いやなに……子供の将来の為に、これからの時代を勉強にな……両種族が交わるここが丁度いいと思っただけだ……他に理由はない」
どこか気まずげに、何かを恥じらうようなそれに、子供には見せないであろう母親の顔を感じる。
「……いいお母さんですねえ……」
「……あなたほどでは――」
形や立場は違えど、どうやら彼女と目指す所は同じにあるらしい。
お互いを讃えあうように小さく笑った。そこでふとあることに気付く、
「……あ、じゃあお子さんはもしかして――」
「……そちらの学舎に通わせて貰っている。……娘から聞いているぞ? 友達からも人気だとな……世話になっている……」
「……それが私の仕事ですから……もともと好きですしね、子供は」
「……女性もでは?」
「……そちらもご存知でしたか」
「……それなりにだが――誤解なのだろうな」
「そう間違いではありませんよ」
「ふむ、では、ここは女所帯だから早急に立ち去って貰おうか?」
「大切にしていることには違いないです」
「ククク、それを言い訳というのだ。……どうせなら堂々と愛しつくしていると言えばいい、女達もその方が喜ぶだろう」
「それを言えば面倒な輩が寄ってくるんですよ……ところで娘さんの名前は?」
「ああ、それは――」
「ただいまーっ!」
聞き覚えのある声が響く。そしてトタトタトタと、まだ軽い足音が小走りに家の中を走り回りリビングへと駆けこんで来る。
そしてソファーに腰掛けるこちらに気付くなり、
「――先生!」
「シロップ? ……え、てことは」
彼女が女戦士の娘か。と、
「なんでここにいるの?! 先生、先生本当にお母さんと再婚してくれるの!?」
「えっ!?」
「え、ちょ」
困惑し女戦士と目を合わせ、彼女は酷く赤面した様子で、魔王はあらんかぎりに目を剥き子供の論理飛躍が凄まじい発想に困惑したが、
「――あっ、着替えて来るね~」
つむじ風を残すような速さで三段飛ばしに階段をスキップで駆け上る調子が、彼女の部屋まで突き抜けドアが閉まる音がした。
「……」
「……」
「……ええっと」
「……まず、出来るだけ簡略的に、分かりやすく洗いざらい話して貰いたいのだが――すまない、落ち着きのない子で本当に済まない……」
「……いえ、彼女は学舎では非常に行儀よく過ごしていますよ? ご家庭ではのびのびされているんですね?」
女戦士は、母としての苦労と苦悩に額を押さえながら言った。
そして魔王は教師として、フォローに走ったのだった。