勇者side「怪しげな会話」
世界に愛と平和と富を、限りある資源を奪い合うことなく生きるために平等と清貧と尊ぶその教義によって多くの修練者、修道者がその魂を磨いている場所――
教会。入信することにより神の加護を得て、魔物との戦闘での死に限り死体の状態によっては蘇ることが出来るようになる。
それは概ね各国、各村、各街に存在する。
その総本山【聖堂教国クライストラ―】、その大礼拝堂の片隅にある懺悔室の一つに、一人の若い女性が潜った。
黒の修道服――その眼は非常に冷やかに伏せられている。
修道女が何故こんな夜更けに懺悔室に――そんな疑問を浮かべるものは誰も居ない。
懺悔室の神父側の席に音が降りた。
闇が蠢く気配がする。
その纏わり付くような影を感じながら、修道女は口を開いた。
「どうやら、あの子を外に出すことは避けられぬようです」
「そうですか。では――」
「ええ、私はこれまで通り彼女の護衛を」
「神の思し召しの侭に」
「はい。――思し召しの侭に。変わることのなき純潔を……」
ややすると、皺枯れた声は愚痴を零した。
「……はあ、まったく俗物どもめ……どこの誰に――吹き込まれたのやら」
「どうせ魔王でしょう」
「そうだな、どうせ魔王だ――あのスケベ大魔王め、我が手足を悉く喰らいおって」
手前勝手な名目でその命を狙った結果である。
ただ、死んだのではない――くっ殺されたのだ。
ということになっているが負けると概ね大魔王に雇われるか城下町での再就職を斡旋されるらしい。
仕事も寝床も貰えて余程のポカや裏切りをしなければ将来安泰である、命を狙った相手に何とも寛大なものだ。エロい目に会うだけでその後は安全な場所に囲ってもらえるなどむしろワザと任務失敗してくっ殺されたいかもしれない。
――いや、本当に幸せだと思う。
こんな心をすり減らす日々から解放されただの町娘やケーキ屋、普通の農家になったりそれどころか眼鏡に叶えば女として――妃の一人として抱いてくれるというのだ。立場こそ正当な妃ではなく妾のようなものだが、本当にいいご主人様に愛でられるのだ。一国の王の妾――後宮か離宮で暮らし、そこで肌と教養を磨いて一国の王様に抱かれるとかもうちょっとしたサクセスストーリーである。
男の暗殺者はどうなるのかは知らない。クッ殺ではなく全殺だろうか?
「……半ば因果応報なんですけどね」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
ただ、あのとき魔王にわざと負けておけばよかったかなー、と、修道女――女僧侶は思っていた。再就職希望でだが。しかし生憎戦ったのはそのスケベ大魔王ではなく意味不明な電波セリフ連発の厨二魔王だったから無理だ。
なんか自動人形が自我に目覚めて作り物の自分に悲嘆して世界に反乱したみたいな話だったが。
問題はそこではなく。完全にしてやられたということだ。
女僧侶は内心感心する。
人形とはいえ魔王の殺害現場を映像に納められがっつり各国の国王の王を脅された。
その上ものの見事に大魔王の策略に絡めとられて魔族との融和に話が傾いた。
殲滅、過激、抗戦、魔族を敵視する各派閥に属するの貴族や王族、そして議員たちの不正を勇者である自分達に暴かせ失脚、もしくは抹殺させ、あとに残ったのは風見鶏の中立派と親魔族の融和派だっただけ。
すんなり世界は変わった。戦争を行わずして人族は敗北した。
これは世界征服ではない。しかし、完全に世界を制された。
今回それがようやく表出したというところだ。一体いつから親魔族派がこれだけの数を増やしそして潜伏していたのか。
これまで表立ってそれを主張することなくまるでこの時を待っていたかのようにさり気なく親魔族を謳うのだ。
まるで親か兄弟のようにただの人として魔族を扱っている。最初の一人、ではなく、最初から千人、万単位での大合唱だ。
調べてみれば、かつて某大魔王に助けられそこで人並みの生活と教養を与えられ育った者達の子孫らしい――恐ろしいことに、大魔王は政治でも経済でも軍事力でもなく教育で攻めて来たのだ。
人の価値観を変えるという手段を超地味に根気強く――
超絶長い寿命を駆使して。そこはなんとなく、こう、反則臭いのだが。
人として負けた気分にさせられる。
裏工作でも奸計でも不正でもなく、魂として負けた気分だ。
それはともかく、
「しかし、女勇者を教会から放出させたということは――」
「まあ、分りやす過ぎるだろう」
狙ってる。間違いなく女勇者を狙っている。やはりスケベ大魔王はスケベ大魔王だ。
女僧侶的には――それだけで敵対するには十分な理由だ。
だから、意志を表明する。
「――そんなことさせませんわ、絶対に。あの娘は私のものですから」
「……うむ?」
神父は二心を感じたが、
「……あ、いえ。長年一緒に暮らしているともうなんていうかお嫁さんに行って欲しくないというか……お婿さんにも来てほしくないというか、年が近い所為でしょうか、姉心というか親心みたいなものがこう湧き上がってくるんですよね……」
しみじみとした親心――家族談義の気配を感じ、
「ふむ、私にも娘がいるからその気持ちはわかるが、度が過ぎると嫌われるぞ?」
「あ……そうですか?」
「うむ。最近恋仲の男を連れて来たんだが、何の予告もなしで? え? お母さんだけ知ってたの? でついカっとしてしまってな。年収やら総資産やら根掘り葉掘り、体が目当てじゃないのかうちの子のどこがいいんだなんて聞いてしまって……」
うわあ……と、女僧侶は内心で引いた。
その娘にではない、目の前にいる神父にだ。子離れ出来てないのかこの上司は、と。
娘の気持ちに立って、
「早めに謝った方がいいですよそれは」
「む、そうか?」
「ええ。奥様もご息女も、隠し事をしていたことは悪いと分っている筈ですし、尾を引かない内に『大切なことで仲間外れにされたら嫌だろう?』と、暗に家族として寂しい想いをしたとなんて言ってみては如何ですか? 例え話で『何も言わずに再婚相手を連れてきたらいやだろう?』と言えば分かりやすいでしょう――」
「おいおい、その例え話は家内には逆効果だろうが」
「かもしれませんね。ですので前置きに『おまえは自分の父親がもし、と思って考えろ』と付け加えればいいんですよ。確か母方の大奥様はもう神の御許に旅立たれたはずでしょう?」
「おお、なるほど……」
「お役に立てましたでしょうか?」
「ああ、さっそく妻に話してみよう」
「……」
「……」
……いや、なんで本当の懺悔室みたいなことになってるのか。
教会暗部――神殿騎士や僧兵たちの中でも諜報活動を行う 特別な部門の定期報告なのだが。
気を取り直し、
「――それで……」
「うむ、話を戻すが、女勇者の護衛の件だ」
「それは私が引き続き、パーティーメンバーを兼ねて――」
「いや、君だけでは足りぬだろう?」
「ええ。ですので、戦士と魔法使いが今後の世界のためにと既に交遊都市に居を構えてるので、とりあえずは彼女らを頼ろうかと……」
「うむ、それなら」
「……」
だが気は引ける、せっかく親子水入らずで平和に暮らしているのであろう、それを邪魔するのは。まあ、幾らなんでも勇者パーティー揃い踏みで攻めて来るバカは居ないと思うが。
「しかし、今後の情勢上、表立って武力を持ち彼女を守ることは難しくなるだろう。民衆の大半はすでにこれまで理不尽に虐げていた魔族に対し謝罪的であり擁護的な気風が流れている。これまで彼らを明確に害悪とし敵視していた教会に対しても批判的な態度をあらわにする者もいる。そこで――」
ああ、そういう話なのかと。
「……私は用済みですか?」
しっぽ切りだ。パーティーの中でも最初から教会に所属していた自身は非難の槍玉に上げられかねない。それだけで危険が増す、彼女の求心力を失わせるわけにはいかない、そう考える者もいるのだろう。一応は今の気風を作り出した一因である為、世間的には英雄視されているが、教会は彼らを文化的に生物的に人族の敵としていたのだ。
その責は重い。
「いやいや。彼女の影の管理者として君は外すことは出来ない。そこでこんな案が打診されたのだが……」
「これは――」
向こう側が見えない、懺悔室の小さな窓ごしに一組の書類が通された。
それにはデカデカとポップな黒文字でタイトルが書かれているのだが……。
一枚めくり、その内容に眉間が曇る。
「……本気なのですか?」
「うむ、大魔王は勇者を一般職に再就職させて無力化しようとしているようだが、それを逆に利用する」
「……」
表紙を閉じ、そのタイトルを確認しつつ、もう一度内容も確認する。
確かに、これなら自然かつ強固な親衛隊が作れるかもしれない。
「どうだね? 彼女の事をいちばん近くで見てきた君の視点からの意見が聞きたいのだが」
「――行けます」
「根拠は?」
「可愛いは正義です――つまりこれは彼女そのものです」
「では、君は今日から表向き教会を抜け、彼女の専属マネージャーとなりたまえ」
「その任務、承らせて頂きます……!」
女僧侶は懺悔室で跪く。
その手元の書類にはこう書かれていた。
――永久不滅の乙女計画、プロジェクト・オリハルコン……!
CUTEでPOPな意匠が映えるステージ衣装、そのシルエットに勇者の威厳はどこにもなかったがしかし、確かに彼女は輝いていた。