「神は処女すきー、魔王は妻好きー」
それは残酷な世界の真実だった。
……勇者が、神の推し嫁だったなんて――
そんな事実が……。
居酒屋で、酒と焼き鳥片手に暴露されていた。
「嘘でしょう!?」
「いいや残念ながら事実だ。それも極めて純度の高いパーフェクト処女、片想いどころか恋心すら知らない生粋の純粋無垢、純潔、魂の処女だ」
「完全武装・一角獣!!」
妄想ではなく本当に本当の結婚した嫁であれば別に問題ないとは思うが、おそらくはメイン嫁が居るときは他に浮気しないタイプだがその品質保証《アイドルに恋人はいない》が切れた途端に手の平を返すタイプだ。
「……ああ、まったく……やってくれる……人妻の良さが分らないなんてどうかしている!」
仮面魔導士はがっくり肩を落とした。
魔王は冗談だよ冗談、と自分をフォローするが、
「――正直男としてレベル低いとしか言いようがない。まったく女は恋も愛もするほどに磨かれるというのに」
どちらかと言えば人妻、特に経産婦とついている方がなお燃えるのは事実だった。
創作物を楽しむ場合の話である。現実では未亡人か離婚済みの案件のみだ。もちろん合意ありで一晩の夢を見合うだけである。
それは置いておき、
「……しかもだ、神は嫁が居るのにいまだ童貞だ」
「なんでですか!? 嫁ですよ?!」
「それは『だって実際にやっちゃったら処女じゃなくなっちゃうだろ?』だって」
「究極ですね!?」
ある意味あっぱれだ。
二次元だからではない――そういう意味では確かに神は神としての高みに存在している。が、どう考えても変態だった。
その事実に、仮面魔導士は慟哭する。
「でも……そんな……! 勇者は正義でも勇気でも誇りでもなく――純然たる神の性癖と恋愛癖で選ばれていたなんて……!」
「ちなみに今の神だけじゃなく他の神もだ」
「嘘でしょう!?」
「男勇者だってやたらイケメンだっただろ? 少なくともブ男は居なかった……男の場合は旦那だが――女神も一枚噛んでいる」
「……あ〝あ〝……あ、すいません、黒ビール大追加で」
可愛いウェイトレスの小気味良い声が響く。
「……まあいいがな」
「いやよくないですよ」
「いや、いいんだ」
「なんでですか」
「だって正直うちに来る勇者の女の子達は全員確かに可愛かった。正直コスチュームもエロ可愛いのばっかりで、入れ食い状態で。ダメージ受けてるときの『うっ』『ああっ!』とかもう正直結構色っぽくてむしろ最高だったろう?」
「あんたも死んでくれませんか?」
「冗談だよ冗談。第一私はそんなことしてないからな? 勝つと前より強くなって帰ってくるから面倒だから、戦いは全部人形使って接待プレイで負けてたし」
仮面魔導士は焼き鳥をほおばる。
「んぐんぐ……そうですねえ。なんだかんだで先代の仕事を引き継いで、苦労をしてる女性の救済所として魔王城と後宮、それに離宮を運営してましたしね」
「勇者じゃなく生贄として姫や奴隷を送ってくるバカさえいたからなあ……。中には勇者自体をそれにするクズもいたし……それらを全部保護してメンタルケアするのは大変だった……」
くさくさする。
先代の伝承に救いと安寧を見出してくる女たちが今も度々来る、それも多くの場合が中途半端な状態では来ない。
最悪か最悪の一歩手前。実際、男に触れられないどころか正気を保って生きられなくなる女もいる。夫や恋人の暴力や搾取、奴隷でも性犯罪被害者でも――それ以外の様々な裏切りで心を病んだ者でも、名目上だけでも魔王の妾や側妃あつかいであれば――今後男に、世間に触れずに一生を過ごすことが出来るのだ。
うっかりとはいえ業務を引き継いでしまったから仕方ない……否、放っておけなかった。今も女の子しかいない離宮で余生を穏やかに暮らしている女たちが沢山いる。
その為に個人用の転移アイテムを使って様子を見に行くか、報告を受け取っていた。緊急時は必ず何よりも優先している。
「でも逆に変な尾ひれが付いて、世界中の女の子を集めてハーレムして一晩で全員孕ませたとかふざけた話が出てましたねえ……」
「ほんともう、なんなの?」
「でも実際、手も出してましたよね?」
「合意ありの子だけな」
「そうでしたね」
ほとんどが白い結婚――性的交渉も精神的交わりも無い戸籍だけの関係だが、そんな苦境に立たされた子達の面倒を献身的に見ていれば、そりゃあ絆される子だって出て来る。
何万年、何十億年と生きる魔王の事情を理解したうえでだ。
「――話がずれたが。
まあなんにせよ、勇者は常にただ一人、複数同時に存在しない、それはなぜか。理由は単純、神が勇者を私物化し自分の嫁もしくは旦那を選定しているからだ。だから勇者は常に美男美女、美少年美少女、決してブサイクは選ばれない。本当にごくまれにアラサー越えの中年やジジイにババアの時があるがそれは老け専だっただけで、神と勇者の組み合わせが同性同士のときは単純に同性愛者、複数勇者が存在するときはハーレム主義だったということが分っている」
中には特定のコスチュームでないとダメとか、逆にそれなら何でもいいとか。
変態、というより、性癖と恋愛観、そしてフェチズムの大博覧会である。
「……神って何なんですか?」
「高位次元に住むただの人間だな」
「ただの人間ですか……」
「この世界においては確かに神は神だが、神の世界ではただの人。そして世界なんか作れてもこの世界の事象因果全てに干渉できるわけではない。出来るのなら好き勝手に世界も嫁も作っているしな」
「なるほど」
だが業が深すぎるだろう――同性愛も老け専も別に構わないがパートナーを公私混同の職権乱用で確保なんてしちゃまずい。それに顔やスタイルが悪くても心が綺麗な男も女もいるというのに――まあ残酷なことを言えば美醜も十分伴侶選びの要素でもある。
「まあ身も蓋もない話だ――」
そろそろ河岸を変えるか、と。
会計を済ませ、店を出た。
月明かりに星明り、それにランプの温かなオレンジの光がふわふわと揺らめき、喧騒が辺りの飲食店から漏れ出ている。脇の歓楽街には肌に張り付くような薄着の女性がピンクの煽情的な光とそこかしこで客引きしていた。
行きつけの小料理屋の暖簾を潜る。カウンターのみの小さな店、干物や漬物、それに茶葉を取り揃えた、お茶漬け専門店だ。
酒の酔いを取りながら落ち着いた話をするには丁度いい。席に着くとおしぼりを渡されそれで手を拭く。
「――でだ。そんな糞みたいな神様に痛い目見せてもう二度と勇者なんて作らせないようにしようと思うわけだが……」
芳ばしい香りが立ち込めてくる。今、厨房で茶葉を炒っている、香りを立てているのだ。
ただ淹れたお茶を注ぐのではない。本当にいい茶葉はその必要も無いが、演出も兼ねたこの店独特の調理工程で、品の良い緑茶の香気がより鮮烈になる。
鼻でふんふんしながら、
「どうするんですか?」
「女勇者を口説こうと思う」
「なぜ?」
「好きな女が目の前で奪われるのだ。それはもう自信を喪失し不貞腐れ恋愛恐怖症になり生涯独身を貫くだろうさ」
「……憎い敵からの略奪愛で神をダブルに再起不能に、ですか?」
「いいや。これは正々堂々としたただの男女交際だ。別に神と勇者は両想いで清い交際してるんじゃなく、ただ一方通行のラブレターを送ってるようなものだ。それは略奪合いとも横取りとも言わない」
「そうですか?」
セットメニューの盆が来る。
小さな茶碗に、おひつからしゃもじで白く煌めく銀シャリを盛る。薬味はいらない、それさえ邪魔になるほど香り高い手間暇かけたお茶を注ぐ。
いい香りだ。
「……でも片想いをしている時点でNTRではないかと」
「何を言っているんだ? 片思いの時点ではただの恋愛競争だろう、先に好きになったからではなくて、先に相手と幸せになったそこを崩すから問題になるんだ。なにより――卑怯な事をして略奪するのではなく――堂々と清い交際をし恋愛したのなら、それに届かなかった自分自身がいかに魅力の無いダメ男かということを思い知るだろう?」
「なるほど……その通りかもしれません」
まずは柴漬け、酸味と紫蘇の風味が利いたキュウリ齧り、その塩気が口の中に残る内にお茶漬けを流し込む。茶碗の中には具を入れない。複数の具が皿の上で小分けに用意されているのもあるが、せっかくの茶の香りが濁るからだ。
急須の中で渋みが増す二杯目から焼き魚、明太子、甘露煮といったうま味のものを食す。一杯目からでももちろん美味い。
「……変なところで陰湿ですねえ――」
「的確なだけだ」
さらさらさらと梅干しの塩味と酸味を、香ばしい緑茶の風味と飲み干しつつ、最後に舌に広がる米のほのかな甘みを噛み締める。ずずずっ! と、お茶漬けを二人で啜りながら。
「……はぁ、この一杯の為に生きてるなあ……」
「同感です」
ご飯をよそい直し、違う具で愉しむ。
「……いや、でも正直、それで神の心が折れますか?」
その疑念は最もだが、魔王はさらりと言う。
「――お前には以前片想いの女が居たな?」
仮面魔導士は二杯目のお茶漬けに突っ込んだ箸を止め、椀をキレイな所作で置いた。
呼吸を整える。
「……なんのことですか?」
「とぼけるな。――確かお前と同じ、もう一人の幼なじみの男と、つい先日結婚したんだったな?」
魔王が更なる燃料を投下すると、部下は表情を急激に凍らせ、平淡な物にした。
「――それがどうかしましたか?」
それは一瞬で平静を装ったように見えたが、まるで動じないというそれは逆に演技で動揺を隠しているという証拠だ。
魔王はつづける。
「……彼女の結婚式の次の日――お前はどんな気分だった?」
「なんのことですか?」
「こう言おうか? ――彼女の初夜の次の日、おまえはどうした?」
「止めてください」
「そのとき彼女はどんな下着を着て旦那にどんな風に脱がされそして喘ぎ――」
「止めてくださいって言ってるでしょう」
「……でも、お前はもう二度と、彼女に男として触れられない」
「だから止めてって言ってるでしょう!?」
「お前の女は別の男のものになった」
「ぐはっ」
その瞬間、仮面魔導士は過去を思い出す。
彼女が笑っていた。
それは幸せそうに純白のウエディングドレスで微笑んでいる。
ただし別の男の手で。
彼女は幸せになった――
ただその相手は自分ではない。
彼女の隣に自分の居場所がないずっとずっとそこに居ると思っていたでもそう思っていたのは自分だけで気づいたら彼女はもっといろんなものを見ていて外の世界を知ってそして幸せの形を見つけた自分じゃなかったしかも彼女の相手の幼馴染は彼女をいつもいじめて泣かせている奴だ最悪だ何もかも負けた気がした男としても雄としても友達としても想い出としても何もかも負けた気がした自分なりに自分の事をちゃんとしてきたでも勝てなかった振り向いてもらえなかった気付いてももらえなかった。
泪。
それらが胸の中で一挙に爆発した。
「恋愛なんて興味ありませんというが、それは言い訳じゃないか?」
「止めてください」
「僕じゃ彼女を幸せに出来ない――それは本当に正論か?」
「止めてください」
「恋愛なんて面倒臭い、仕事が面白い、忙しい、ほんとうにそうか? こんな風に夜に居酒屋で飯を食って酒を飲んで帰って一人で寝ることが本当に幸せか?」
「……でもっ! どうしようもないんです! どうしても心がもう……もう……」
仮面魔導士は、決壊する。
「……もう僕には、恋愛なんてできましぇん」
「……仮面の下の涙を拭え」
おしぼりをそっと手渡すと、魔導士はちょっと顎から浮かせて頬を拭った。
「――と、いうわけだが?」
「いや、なに人のトラウマほじくり返してるんですか」
「分りやすいだろう?」
「確かに。天から絶望が降り注いでます、心の中にいつも滑り台が鎮座していますが……」
小芝居は終わった。
だが仮面魔導士は理解した。
否、していた。己が彼女と恋愛関係に発展しなかったのは、なにも難易度が高く負け属性でもありがちな幼なじみ属性だったからではない。
していなかったからだ。好きだっただけで、口説く努力をしていなかった。その間いじめっ子はせっせと――それも情熱的に、割とまともにアプローチしていたらしい。
長い時間を掛けたそれに彼女は折れたのだ。耐久値を削り切ったのだ。
真っ当な手段と行動力で。
「……だから、正々堂々と恋愛しようと?」
「どんなに清く美しく、正しく生きようと、本当に欲しい物を手に入れられるのは欲に忠実に、そして正直に生きられたものだけだ。清貧など笑止――己が自制心と倫理の未熟なものが二の足を踏むことを正当化しただけのものよ。真に正しきものはその理念を本能の赴くままにあやまたず体現して見せるもの。それでこそ魂を研ぎ澄ませたといえよう。
愛とは純粋な力だ、そして純粋な力とはすべからく愛へと至る――だからこそ人はそれに惹き寄せられる。
だから敗北感が凄まじいのだ」
「結局NTRなんじゃ」
「いいや。これのどこがNTRなんだ? ただ単に神が男として負けるだけだろう? だからこそ悔しい、悔しくて悔しくてたまらない――そうだろう?」
「肩を叩かないでください!」
これが卑怯な罠にかけて略奪したのなら悪意を断罪するとして色々として来るだろうが。
「ただ単純に女が惚れて恋に落ちるだけだ。そうなれば神はもう二度と恋愛に手を出そうとしなくなるかもしれない。少なくとも、勇者を恋愛対象として見るのは止めるだろう」
「ぐぬう……認めたくない、認めたくないのですが……もう幼なじみはこりごりです!」
「ていうか他に居るのか?」
「出世すると友達じゃなかったのに友達だって主張して来る奴ってどう思います?」
「OK、もう何も言うな。私が悪かった」
「で、あの女勇者って今一体どこにいるんですか? すっかり音沙汰なしで、世間に出てませんが――」
戦後は山に修行にとか孤島で世俗を捨て一人暮らしでバカンス、自由を満喫しているとか今も世界を旅して世直し続行中とか色々あるが。
口説こうにも恋愛しようにも、あれから彼女は消息不明なのである。少なくとも紙面をにぎわせたことは無い。
というのも、
「それはそうだろう、曲り形にも世間的には魔王を倒した勇者だ。どこぞの王宮でも市井でも、そこら辺に無防備にいたら普通に五月蝿いことになる」
軍事バランスというか国力というか政治的影響力というか。
それ全部にややこしいことが起こる。仮に無かったとしても静かな生活なんて出来ないだろう。
「では、それらに関わらない場所、となると……――教会ですかね」
「ああ。その通りだ」
国ではなく神に尽くす教会なら各国の干渉や勧誘をはね除けられる。
そしてその知名度を利用し教会がお布施を稼いでも特に問題は怒らない。
それが行き着くところは教会を設置した国々に経済循環として使用し、各福祉分野――孤児院の運営やその他の公共事業費用の足しとして寄付される運びとなるだろう、その代わりに国の宗教として立場が確約されるなどのメリットでまた坊主が儲かる。が、他より遥かに富が分配される。そこで宗教家や政治家共が癒着や着服で身を持ち崩し腐ろうとだ。
が、問題はそこではなく。
「――どうなさるおつもりですか?」
「居るとしたら男子禁制のそこなんだが、そこに居られると私も口説けん。だから来月からかん俗して私が勤めている学園に生徒として来ることになってる」
「なっているって……」
そんな偶然や都合の良いことなどないだろう。
つまり、
「……何をしたんですか?」
「魔族との戦いという危機がなくなり軍縮に迫られている。それなのに彼女の力がそのまま野放しにされたら、ふとした弾みに勇者が敵に回る可能性もある――だから一般職に勇者を再就職させ戦闘力を無力化しよう、と、忠告をな」
「……世界は征服しておくものですね」
「してないしてない。制してはいるが」
そんなことしたら一気に討伐対象として勇者がやってくる。殺し愛なんて恋愛関係はしたくない。
「……ていうかあれ? 先程はさらっと聞き流してしまいましたが」
「なんだ?」
「ようするに貴方……自分の生徒と恋愛する気ですか?」
魔王は箸を止める。
一旦目を細めてどこか遠い目をして、それから、
「エッ?」
「白々しいんですよ!? あんた自分で自分の学園に来るって言ったじゃないですか!」
「ばれたか」
「ギルティですよギルティ! 一体何歳下の子に手を出そうとしてるんですか!?」
「軽く1000000000000000000000000000000歳くらい?」
「桁が分らない!?」
「見た目はたぶん二十代後半から三十代前半だが肉体年齢という概念はない、精神的には長生きし過ぎて老人と中年と青年と少年が混在している。つまりどんな女でもオッケーだ。ちなみに下宿先を一緒にして一つ屋根の下でガッツリ暮らすつもりだからな? 教師と生徒が!」
「もはや否定せず開き直りますか!?」
「いいだろう? 一度殺し合った仲! ライバル! そこからの正体を隠しての師弟関係――禁断の愛!」
「もう好きにしてください……」
部下は上司の享楽に投げやりになった。
お茶漬けをずずず、サラサラと掻き込みながら、
「……でもそれまで一ヶ月、暇ですね」
「安心しろ、仕事はたんまりとある」
「嬉しくない悲鳴です」
「いや、そうでもない。勇者が来るまでおよそ一ヶ月――我々はレベル上げに励む」
「……レベル上げ? なんのですか?」
仮面魔導士はともかく、魔王はレベルもスキルも長生きに任せて大概網羅しカンストしている。いったいこれ以上何のレベル上げをして攻略しづらくするのかと。
それに魔王は、
「――ナンパの」
言ったその瞬間、仮面魔導士は静かにお茶漬けのお代わりを注文したという。
お茶は家にあるコンロと小鍋で簡単に炒れます。安い茶葉でもこれだけで風味は倍増です。
火にかける前に茶葉を入れて、弱火をかけてからは均一に火が通るよう常に鍋を振って茶葉の上下を回してください、それだけで香りが立ちます。煙が多少立ち昇ります気にせず行きましょう、好みの風味に仕上げてください。
更に茶色になるまで炒ればほうじ茶になります。
ちなみに、玄米茶は混ぜられた粉茶が焦げやすいのでやらないほうがいいです。