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魔王さんちの再婚事情。  作者: タナカつかさ
薔薇の勇者と百合の聖者。
38/41

勇者さん、勇者くんになる。

 美少年――

 リリーは一瞬迷ったがそう判断した。林檎のよう甘酸っぱそうな赤い髪の――はて、どこかで見た様な。

 首を傾げる。

 ショートヘア、ばっさり切っている。眼、鼻、まつげ、唇、それぞれが小さく柔らか気に甘い丸みを帯びている。

 まるで双子の様にあの子にそっくり――

 女の子ではない。それだけで否定ネガティブさせて貰う。

 しかし彼は親し気に、何かを期待する様な視線で口を開く。

「――もう、リリーも止めてよ。魔王様とグレナさん、帰って来てから喧嘩しっぱなしの謝りっ放しなんだよ? そんな必要ないのに……」

「……はい?」

 とりあえず、疑問形で応答した。

 聖母は未だ土下座し続けそして魔王は鎖に繋がりぶら下がっている。そろそろやめたらと思うのだが。

 誰だろうかと、この子は――やたら親し気に話し掛けられているけれど、己の知り合いにこんな美少年はいなかった筈だ。

 耳をくすぐる様な低音の発音、それは落ち着き払った紳士を体現する様な、しかし少年が背伸びして大人ぶった声ともとれる――どちらかというと可愛い系の声だ。もういっそ、女の子が男の子の真似をしていると言われた方がはっきりああうんと頷ける、耳朶をその奥からくすぐる美声である。

 オフェリアに男装令嬢役を振ったらこんな感じ――

 うん。

 彼女に似ている。

 んん?

 何かが引っ掛かる。

 もう一度、全身を上から下に、下から上に眺める。

 近似値が見つかった。リリーの頭の中にある愛しの彼女(オフェリア)のあごの形、網膜パターン、全身骨格、などなどと、そこにいる男はほぼ一致している。

 という答えを電撃的に導き出した。つまり、

「――ちょっと、リア!? なにしているのよ髪! こんなにバッサリ切ってしまって――どうするの!? あああ衣装はもうでき上っちゃってるのよ!? これからじゃ、もう――ああもうどうするつもりなの!?」

 その脳内電流が過剰な圧を持って駆け巡り全身に衝撃が走る。一瞬で全身に変な汗を掻きつつ眼を剥き、焦燥し、仰天し、恐慌した。

 だが恐らく何らかの理由で、彼女は男装をしているのだと理解した。

「グレーナ様! これはあなたの旦那様の仕業なのですか!? あなたの旦那様に何か唆されて、この子が髪を切ってしまい~~~っ!」

 そして、夫婦喧嘩というにはあまりにも一方的な受けと攻めであるあんな凶行を――がそれも仕方あるまいとその原因について理解した。

 だがそんなことはどうでもいい、事態は切迫している。

「~~~っああもう、何があったのか知りませんけどあなたはプロなんですわよ? 夢を売る仕事なの、だから勝手にイメージを変える様な事しちゃだめ! ぁああああもう台無しようっ、どうするのよお……っ!」

「うーん、しょうがないよ、これが本来の僕なんだし……」

「本来の僕って何ですの?! モラトリアム!? 思春期の病気的なあれ!? そういうのはあなた……あああそういえば反抗期らしい反抗期も来てなかったから……よりによって今……!」

 もうポスターも刷ったしチケットも前売り分は掃けてしまっている。押さえた劇場自体のキャンセルとか客一人一人への払い戻しの手続きとか悪夢だ。そしてご迷惑をおかけしたファン以上に業界内での彼女への信用が失われてしまう。ファンがいくら望もうともそこで再起の道が途絶えてしまう。

 それが何よりも怖い、マネージャとしてそれを一番心配していた。

 ――しかし今。勇者としての巡業の旅で色々と過酷だった、抑圧された青春を送っていたその反動が出てしまったのだ。

 その所為で、彼女が女の命である髪をばっさりと切り男の娘の格好をしている。後悔した。一体何に悩んでいたのか! どうして自分はそれに気付けなかったのか!

 リリーはそのうすいAAカップ未満の胸をポカポカと殴った。

 何故気付けなかったのか、本来相方である自分がそのケアをしなければならなかったのにと。

 ……その極めて常識的な判断に、土下座続行しながら聖母は涙しふるふると首を横に振っていた。

 そして魔王は相変わらず天井からつるされ、身体に残った打撃の余韻で時折り反転しながらくるくる回っている。控えめに見てグダグダだった。そう判断した娘は、ダメな大人達に代わりくつろいでいたソファーから立ち上がる。

「リリー、手」

「……なんですの?」

「いいから、ん」

 泣きべそを掻くリリーに歩み寄り、彼女に手を差し出した。

 もはや脳の処理能力を超え気味なリリーは、しょぼくれた犬のようそこにお手をする。

 それを表に返し、手の平を露出させ、娘はその手首を握り、

「――えいっ」

 と、オフェリアの股間に当てた。瞬間、リリーは反射で悦びしかし――

 そこにある触感に疑問を覚えた。

 玉が二つ、それに棒らしきものが一本――もにゅもにゅと。

 パッと離す。

 いまのはなんだ……それはなんだ? 一体、何を握ってしまったのか。

 その一点を凝視した。不信感溢れる股間に――ちょっと距離を取りおののいた。

 眼を白黒させながら、それから誰でもなく、世界に尋ねる。

「…………い、いまのは?」

「――男の子のあれ」

 小さな女の子が教えてくれたが、理解できない。

 目の前に居るのは、男の子に見えるけど、女の子のはず。

 女の子に男の子のあれが付着している筈がない。

 リリーはそのごく一般的な世界法則を信じた。

 それが絶対正義の筈だった。

 しかし、

「……リリー、僕は……僕はね――本物の男なんだ」

「えっ――」

 最も信頼している相方に、カミングアウトされた。

 そう、世界はカノジョを裏切ったのだ。

 

 

 

 時間は二時間ぐらい遡る。

 ダンジョンの最下層、最終フロア――性適合術を受ける部屋。

 その最奥には、円筒形の透明な何かが祭壇の様に横たわっている。

 高さは腰の位置よりやや高い、ベッドとしては高いが、立ったまま人の手を届かせるには十分な位置だ。

それは半分、台座となる部分に埋め込まれている。見ようによっては無機質な繭ともゆりかごとも取れる形状である。

 その透明な円周――蓋が横滑り、中に人が入れるようその口が開いた。新たな世界への扉だ。

 そこに、

「服を全てお脱ぎになって中でお待ちください」

天の声を止め、再び姿を現した医療用自動人形がそう指示するので、オフェリアは魔王が後ろを向いたのを確認しその場で装備を外し下着類もすべて脱いで、追加で現れた看護婦型自動人形が持つ篭に入れる。

 跳ねる心臓を意思で押さえ、透明なその中に入って横になり、局部を両手で隠した。

「閉めますのでご注意してください」

 蓋が閉じる。そして、

「それでは、術式を開始いたします」

 言った瞬間、繭の下半分、そこから赤い触手が溢れだし、オフェリアにぬるぬる次々と絡みついた。

『ひっ、こ、これは!?』

 内部の振動から音を拾い、スピーカーからオフェリアの言葉が流された。

「治療用の万能触手です。これ一つで性適合はおろか、不妊治療を始めとしたありとあらゆる肉体改造、そして魂への干渉まで行えます――楽にして、身を任せてください」

『ら、らくにって、ちょ、もご――!?』

 触手の一つがオフェリアの口に突っ込まれた。

 生理的に拒むが、無理矢理開けられズボズボと中に入って行く。

「今お口の中に入ったそれは酸素補給、麻酔含めた生命維持の為ですので、間違っても噛み千切らない様にお願いいたします」

『もご!? おっもうもももも』

「ご安心ください、目が醒める頃にはあなたは望んだ人生を歩き出していますので、今はお眠りください……あと内臓に残っている消化物をキレイ取り除く必要がありますので、後ろと前にも行きます」

『もご!? もご! もっ! ……――――』

 医療行為でなければ間違いなくR18指定の体験を地味に通過した。見た目的には、触手が八割、彼女の体を包んでヌルヌルしている非常にピンク色のアレな光景である。

 地味に、大切な何かを失っていそうな、見ている方が恐慌に陥りそうな景色だ。

 その姿に思わず、

「……大丈夫なのか?」

「ご安心ください、当院の技術は世界一です。あと一時間もすれば安全に術式は終了し、日帰りで日常生活へとお帰りになれますよ?」

「ほほう……」

 もっと旧い術式では術後しばらくの入院とリハビリ生活が続くのだが、それはすばらしいと魔王は一人見学しながら感心していた。


 そして、一時間後――

 チーン! と何やら冷凍食品も温められたような音がして。


『終わりました――』

「本当に早いな……」

 新たな世界の扉が開く音がプシュ~ッとする。そこで魔王は見ていいのか否か迷い、完全に女性化したのだからとやはり後ろを向いた。

 ヒタ、ヒタ――

 その確かな足音を確認して、

「オフェリア君――気分はどうだい?」

まだ背中を向けつつ、不幸な事故が起こらないとも限らないので、魔王は念の為に両手で目を覆っていた、ここでラッキースケベなんて目も当てられない。

何やら液体の滴る音がする。生まれたばかりの化物が身に纏う粘液のようだ。

 しかし返事が無い、まるで屍のようだ。

 その不穏な気配に負け、

「……ええっと、目が覚めたばっかりで気分が悪いのかな? ……もう服は着たかな?」

「……」

 やはり返事が無い。しかし衣擦れの音も無く湿った足音だけが近付いてくる。

 もうすぐ第一の殺人事件が起きそう、魔王は胸騒ぎを覚えながらも、両手のブラインドは上げずにただ応答を待った。

 そして、

「――先生……好きです……」

 唐突に、ロマンスの銀幕が上がった。

 魔王は何を言われているのか理解できなかった。

 しかし、魔王は乙女チックに両手で両目を塞いだまま、少女に男らしく後ろからハグされているということに気付いた。

 立場とポーズが完全に逆のポジションである。

 いや、大切なのはそこではない。もっと別の立場だ。

「……何を言っているんだい、オフェリア君」

 先生と君は教師と生徒。そして妻子持ち。

 禁断の関係である。それなのに、

「先生の事が好きなんです……もう、我慢しません」

 魔王はその衝撃に相変わらず両目を塞ぎながら仰け反った。いつからこの世界は幻想世界ファンタジーから恋愛時空ラブコメに変わったのかと。だが、

 ――生徒に告白された!

 奇しくも、再婚する前に予定していた計画通りである。魔王は理解していた。肉体が完璧になった為、そのタガが外れてしまったのだと。

 いままで精神的にも肉体的にもあやふやだったその欲が、明確な形を帯びてしまったのだ。

 しかしそんなことはどうだっていい、今魔王は一般家庭(?)、その妻子ある身だ、応じるわけにはいかない。

 そう思い先生は、優しく気持ちを解こうとする。

 背面ハグを決めている華奢なその手をそのまま、あえてぎゅっと握り、

「――ダメだよ? 先生には奥さんが――」

「この衝動は止められません!」

 勢いが凄い――

 これが若さか、ハグの圧力がサバ折り並みに強まる――

 だが胸の圧力が無い、業界的に言う乳圧という奴だ、戦闘力というかもしれない。いと哀れ、完全な女性化を成し遂げても彼女のボディーに女性の象徴は宿らなかったのだ。

 しかし胸なんて飾りだ。大切なのは内容、髪を上げるちょっとした仕草とかごく日常的な表情それだけで。女の子は生きているだけでもはや尊い、尊いのだ。

 先生はそう判断する。

 だがこそ、教師が生徒に全裸でハグされるというのは不味い、

「服を着なさい――」

「いやです」

「着なさい」

「いやです――せめて、この想いが遂げられないというのなら、生まれ変わった私の全てを、初めて見る人だけは……貴方にさせて下さい……」

 そこまで言われたら見なければなるまい! 彼女の本当の姿を――!

 先生はあっさり鞍替えした。最近、割と、そういうノリが好きだった。このところ暇があれば読んでいる妻の創作物の影響と、その監修を兼ねた夜の朗読プレイの所為かも知れない。

「……離れなさい」

「……先生」

「……離れないと、この距離ではよく見れないだろう?」

「! ……はい……」

 先生はぐっと拳を握り心の準備をした。

 鼻の下は伸ばしてはならない、まず目を、そして微表情を――そこから全体をズームアップ、羞恥心とはちきれんばかりの思慕がどこに現れるのかを確認せねばなるまい。仕草の癖が分ればその気持ちの動向自ずと分る、これは今後の戦略上重要な情報だ。

 むろん――これ以上の恋愛フラグを立てない為にだ。流石に子供がいて、更に子供が出来そうなのに、新しい嫁なんていらない。

(――決してよこしまな思いではない、そう、決して邪まなな思いでは!)

 だからこれは正当防衛――

 否――ただ『芸術』がそこにあっただけだ、それに見惚れてしまっても問題ないだろう。

 女性とは須らく芸術なのだ、だから見惚れても何も恥かしいことは無い。むしろつい目が奪われるなど、そこに居る女性に対する最大限の称賛と賛美なのである。

 そう言い訳して。

 先生はキュッと右足を後ろに引き踵を浮かせてシュッとターン、綺麗に回れ右をした。

 眼は閉じている。強い光はいきなり眼に入れてはいけない――それと同じだ。ぼんやりとしたそれが徐々に明らかになって行くのがいい。ゆっくり、先生はまさに今産まれたばかりとも言える生まれたままの姿の生徒の裸を見ようと瞼を開けた。

 男の子の体があった。

 先生は思わず目を細めた。そしてモザイクを消そうとしているのかいや逆に掛けようとしているのか、瞼を擦り――

 大きく息を吸い込んで、

「アッ―――――――――――――――!!」


魔王は早急に帰宅した。

 しかし玄関のドアを開けあぐねていたところ、奥様が愛の力でその気配を察し、そこを躊躇いなく開けた。

 そして、

「――お帰りなさ~い」

 そこで奥様は、眼が虚ろな夫の腕にしがみ付いたショートヘアの美少女?を見て、ストレートにやきもちを妬き、目くじらを立てるも、顔ですぐそれが誰かに気づき、

「オフェリア? どうしたのその髪!」

「えへへ、心機一転しようかと思いまして」

 記念日か。でも、

「……ああ、……うーん、あの子がなんていうかしら……」

「大丈夫ですよ。リリーの事は僕が説得しますから」

「……僕?」

 奥様は首を傾げた。

 一人称が何故か性転換している。旦那様はその隣で虚ろな目でまっすぐ遠くを見つめている。その様子に訝し気な視線を送るが。

 理由は分からず。そこで、

「はい。だって僕、男ですから」

 奥様は一瞬で眼をカッぴろげた。

 そして、その隣にいる旦那様にゆっくり……ゆっくりと眼を向けた。

 自身の耳と目を疑い、

「ど、どう、……なっ……!?」

「……説明する、説明するから……心の準備をするんだ……!」

 奥様は、がくがくと震え、今後どうリリーの棺桶を処理するのかを既に考えながらそのドアをバタンと閉じ、リビングへと二人を通した。

 そこに居た娘は、父と母の微妙な空気と、見た目からして変貌している女勇者に即座にステータス鑑定を行い、祝、女の子! と書かれたホールケーキを、

「リアが男の子になってる~~~~~!」

 床に落とした。



 魔王は疑問した。

 彼女は、男の子の体に女の子の魂が入ってしまったのではなかったのかと。

 一度死んで記憶保持したまま転生をやり直すなんて、容易には出来ない。

 だから女の子の体になるべきではないのかと。この場合肉体の方が間違えているのではなかったのかと。

 そう思ったのだが。

『――そもそも魂に性別なんて存在しません。 魂はあくまで結び付いたものに意識を発露させる、自然界に存在する量子的な世界の構成要素の一つです。それでも魂に性別があるとしたら、それはおそらく前世の記憶や感覚が強く残留してしまった場合でしょう。でなければ輪廻転生で常に単一の性にしか生まれ変わることになります。

 そもそも性別という機能は肉体由来のもの、そしてそれも生物によっては存在していない場合すらあるでしょう、その場合、彼らの魂はどうなると思いますか?

 本来あるべき性別に、彼を正常に治療するのであればそれは魂に含まれている女性の感性を切除チョッキンすること――つまり、彼女《♀》を完全に彼《♂》にすること、それに耐えられる精神構造にすることが適切な治療であると提示させて頂きます』

 TS転生全否定である。

「ま、待て――先ほどの試練で彼――彼女は間違いなくその全てが女性であることが証明された筈だ! そこはどうなる!?」

『それについては御心配なさらずに――彼が肉体、そして精神共にもっとも健常な反応を示していたのは貴方にドキッとしちゃったときです』

「なんだと?!」

魔王は、自分が男としてまだ若い子にも通じるのだと知りちょっと嬉しくなった。

 ただ、男にエロい意味で好かれても嬉しくない。魔王は大概のエロを極めてはいるが、美童とかショタとかガチムチ、男×男の属性は保持していなかった。

 そんな場合ではないのだ。

「し、しかしそれは女性としてでは」

『確かに股間が熱くなっておりました。温度分布図サーモグラフでも確認済みです』

「それは身体の反応で――いやいやいやその前に彼女の意思は!?」

『いいえ。なにを仰っていらっしゃるのですか? 彼は本来あるべき姿にとおっしゃいました。そして先程からのあなた方の性別の壁を越えた、言葉なくとも理解し合い支え合う姿……あれこそまさしく肉体、心、そのどちらの性別をも超えた真の愛の姿――本来あるべき愛の姿です、素晴らしい! つまり既にあなた方は辿り着くべき場所に至っていたのです! 御見逸れしました! 性別の垣根と常識に当院こそとらわれていたのだと気づかされました! そう、世界は他人との隔たりをも乗り越え性別はおろか、在るがままに愛し合う文化を体現する社会になるべきなのです!』

「――そうです! 僕は、先生の事を愛してしまったんです! この思いは完全な男になった今も変わりありません!」

『すなわち薔薇道《衆道》こそ正義ジャスティス!』

「正義《ジャスティス!》」

「何を言っているのだ貴様らは!」

 魔王は、何を言っているのか分るようでしかし全然わからない、音楽性の違いのようなものを感じていた。

 だが時を越え、性別を越え、そして人とダンジョンの垣根すら超え、目の前に居る彼らは確かに一つの価値観を共有しているのだった。

 そして、

『ああ、これで当施設もようやくその役目を終えることが出来る……長かった……ただひたすらに、長かっタ……』

「あああ!?」

 転成の神殿はその役目を終え、機能を停止した。

 

 

「……つまり?」

「――彼は現在、ただの女装趣味の、同性愛者ということになります……」

 茶は冷え切っている。

 心の準備はしていたが、奥様の震えは止まらない。どうして、こんなことになってしまったのかと肩を落とし頭を抱えた。そして娘も眉を顰め、

「ねえお父さん……もう一度試練を受けてどうにかできないの?」

「一応、魔王権限の一つ、ダンジョンマスター・マスタ―を使って遺跡をどうにか再起動したんだが、本人が……」 

「僕は本当の恋を、愛を知りました。なのでこれからより一層深い創作活動を表現者として生きて行こうと思います! ……まあ、魔王様には速攻で振られちゃいましたけどね」

 このありさまである。

 いわば治療拒否だ。女勇者からただの勇者になったオフェリアは自己完結している。否、つまりこれで正常な精神状態なのである。

 もはや完全な『彼』は彼女に戻ることはないということだ。身も心も男だけど男が好き、ということこそが正常な感覚なのである。その父親に視線で熱い視線を送る彼女に、娘はちょっと嫌なものを見た気がした。

 そうなってしまったのも、

「これもグレナさんの旦那様の魅力が、定められた機能を超えた判断をダンジョンに与えた結果だよ?」

 魔王(父親)の所為である。

 彼女が魔王にドキドキしていなかったら正常な適合術を受けられ女性化していただろう、しかしあまりにも自然に、オフェリアの心臓は魔王に反応してしまっていたのだ。

 男の部分まで。

「……ふっ、うふふふふふふ……またあなたが、また、無節操に勇者をドキドキさせてしまったから……」

 その事を理解した奥様はユラリと立ち上がり、物置から鎖を取ってくると自分の旦那様を縛り上げ、そして天井のフックからつるした。

 元々は貴族の別荘として、豪勢なシャンデリアが吊るされていたであろうそれである。人一人吊るしてもそれは天井を壊すことなく彼を宙に浮かせた。

 魔王は何も言わず、抵抗しなかった。それは不徳――というより、多大な美徳が裏目に出てしまった所為なのだが。

 しかし潔く、

「……ふっ、殺せ!」

「――遠慮なく!」

 

 そして夫婦は拳と身体で語り合い、訴え合った。


 男を男に目覚めさせた旦那さまを奥様は責め、そして旦那様は理由はどうあれ反省し、奥様の本気の愛《腕力》を受け止めていた。 

 旦那様は分かっていた――実はちょっと、若い子に好かれる自分の夫にちょっとだけやきもちを焼いているということを、男×男の魔道に手を出したとか思ってるわけではなく、ただ単に、今自分は自分の奥さんのとても可愛い所を見ているだけなのだと。

 そう思うことにした。いや、一番デカいのは間違いなくリリーへの罪悪感なのだということも分かっていた。

 奥様も、それは旦那様の所為なんだけど決してそうとは言えない、それは分かっていた。

 だけど、もうなんていうか、どうしようもない理不尽へのやるせない憤りをぶつけたくて仕方なくて。

「ごめんなさい……浮気とか不倫の心配はしていなかったんですけど……、なんか、殴らなくちゃ気が収まらなくて」

 普段ならこんなことは無い筈なのだがと、自身でも困惑した様子で。

 それを旦那様は肩から抱き寄せ熱い胸板で支え、

「いいんだよグレーナ……君がそういう風に私に気持ちをぶつけてくれるのは、それも含めて理解し合えるって、体で分っているからだろう? 嬉しいだけさ……」

「あなた……」

「――それに……」

 旦那様は奥様の下腹部を見やる、もしかしたら、その気持ちの不安定さは――

 その視線で、奥様も自身の心身の変化にもしかしたら、と、思わず両手でそこを押さえた。

 まだ不確定なので口にはしないが、思わず身を寄せ合った。

 既に仲直りしている――否、あの激しい殴り合いは殴り合いではなく、殴り愛だった、ただのLOVE味ケーションだったのだ。

 そんな、説明を放り出して二人だけの世界を展開し出した夫婦は脇に置き、

「――と、そこでリリーが帰って来て一時中断――ここに至るわけなんだけど」

 男の娘改め――完全無欠の美少年(衆道)が解説し、視線を送る。

 返事が無いそれに娘も眼を向け、

「……リリー、生きてる?」

 その脇、縦に置かれた棺桶に話し掛けた。


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