勇者さん、魔王さんの前で、お花を摘む?
数日後、魔王とオフェリアは学園に行く振りをし、魔界にあるダンジョン化した遺跡に来ていた。妻と娘まで一緒で、しかしリリーだけ省くとなればあからさまに何かあると勘付かれる為だ。
娘からは「お父さんと冒険したかった」と、なんとも可愛らしいことを言い父親を悶えさせられ、妻からは魔界に行くということで「お姉さま方と会ったらグレーナは元気にやっていますとお伝えください」と伝言を頼まれた。
普段着ではなく、それぞれダンジョン攻略用の装備に身を包んでいる。
魔王は黒尽くめの上下に外套、勇者はステージ衣装っぽいドレス鎧である。
それはさておき、
「――ここが、」
「ああ。転成の神殿――と呼ばれている、性転換が可能になるダンジョンだ」
魔界にある砂漠地帯――その渓谷の陰にある巨石群、その隙間のさきに、ぽっかりとあいた穴がある。
元は平野部だったのだが、大陸移動や気候変動で色々あった為、砂に埋もれてしまった施設だ。湿気が無く、風雨に晒されず、光りも当たらない為中はほぼ劣化していない。
それがこの洞窟を抜けた先にある。極端な環境も手伝い人もほとんど来ない為、設備も荒らされることなく今でも稼働状態にある。
ダンジョン、というが、本物のダンジョンではなく過去の遺跡や史跡に含まれるそれである。世界の変容によってその機能や構造が一部変わってしまっているが、概ね安全なタイプのそれだ。それも神殿型――純粋に、人に被害をもたらす事が無く、何らかの恩恵を与えるかなり希少なタイプである。
通常のダンジョンは、モンスターの住処や天然の迷路なども含まれる、【魔素】と呼ばれるモンスターを生む原因を意図的に集める場であり、魔石の養殖場でもある。なので、定期的に間引かないと魔物の大氾濫や強大な魔物を産む蟲毒の壺となってしまうのだ。
そしてここは神殿と言うだけあって結界を張られているから、中にモンスターはいない。なので、
「こら、そんな及び腰になるな」
「す、すいません。何気にリリーのいない冒険は初めてで。それにいつも【歌】スキルでパーティーの強化と癒しを担当していましたから、近接戦闘や魔法の打ち合いは護身術程度なんですよ~」
「やれやれ、本当に勇者なのかと疑いたくなるな……」
後方支援特化の勇者――彼女の能力が真価を発揮するのは特に戦争だ。
歌スキルは単体やグループを対象とするのではなくその場だ。なので敵、味方の数が多いほど効率がいい。
ちなみに妻は勇者としては単独での戦闘特化――殴り合い最強である。
剣や槍ではなく、拳を抜かせたらヤバイ、力∞の確殺殴打が待っている。そして聖女としての回復技能込みなので体力∞の魔王以外では絶対に勝てない。
というより、魔王は決して負けないだけであって、戦いになったら妻の方が上である。
それはさておき、洞窟を進むといささか古ぼけた金属の扉が見えた。
いまではなんの金属なのかは分らない、何かしらの合金であることは確かだが。
それを開ける。
潜り、と、中に光が灯った。
そこには薄暗い闇が下に向かって伸びた階段がある。
降りて行く。
「……変わったダンジョンですねえ……」
「まあ……元は医療施設でもあるし」
白い壁に、弾力を返してくる床、頭上には円筒形の光る石が取り付けられ、光りの届かないダンジョン内を清潔に照らしている景色が続いている。
普通はかび臭く、泥臭く、湿った空気と、血と、魔物の糞尿の匂いがかすかにする。
掃除屋のスライムがいないと下手な下水より酷くなるのだが、そんな気配はない。
階下に行くと、廊下が四方に伸びており、ところどころ、長椅子の枠組みを残した金属と、劣化し風化した繊維質が埃となって床に敷き詰められている。
天然の史跡ダンジョンとしてはかなり綺麗なのだ。
「さて、まずは最下層を目指そうか」
「そこに性転換の秘宝が?」
「いや、受付がある」
「え? 受付?」
「ここ、建物の構造としては最上階部分だから。受付は一階――そこでまずは試練を受ける手続きをしないとね」
「な、なるほど……」
魔王は勇者を連れてダンジョンの階段を下りて行った。
そして、円筒形のガラスケースらしきオブジェの前に彼女を立たせ、そこにある操作パネルに手を置かせる。
と、円筒形の中に青白い蛍火のような波が奔り、それは揺らめきながら虚像を結んだ。
ぷつん、と何かの接続音が上から響き、
『――おはようございます。本日はどのようなご用件での来院ですか?』
ナースキャップにカーディガン、看護婦イメージのボディースーツを着た女性が口を開いた。
「え――あの、こ、この人は? まさかダンジョンマスター?」
「そんなものだな。とりあえず答えて」
「は、はい。あの……私、性転換をしたいのですが」
『――性適合手術をご希望ですね? では、当院を初診でしたらまず健康保険証、それから身分証明の提示をお願いいたします』
「え、ええ? 健康ホケンって?」
「冒険者カードでいいから、ある?」
「あ、はい。ええっと――」
「そこのパネルの、四角いマークのところに裏をかざして、ピッてする」
「ぴっ? ……」
ピッ。
「あ、した」
『……それでは順番が来るまで少々お待ちください』
受付嬢は手の平で風化した椅子を薦める。
と、フロアー全体の明かりがつき、そこかしこで何かの導力が伝わり、仕掛けが動き出すような振動が響いた。
そして天の声が、
『――オフェリア様、三番の診察室へお入りください』
「し、試練ですか!? 試練ですか?!」
「ああそうだ。君はこれから様々な精神的、肉体的苦痛を味わう――それに耐えなければいけない」
「は、はい!」
返事とは裏腹に、挙動不審にウロウロしながら無言で助けを求める視線をよこすオフェリアに、魔王は、覚悟はどこに行ったのかと思いながら提案する。
「付き添った方がいいのかい?」
「……はい」
勇者は恥じらいながら、自分の袖を指先を畳んでキュッと握った。
診察室③、とある表札の開きっ放しのドアを潜る。
手狭な部屋の中、簡素なベッドと丸椅子、それに金属製のワークデスクが置かれている。
そこには人の形を模した、金属とも肉体ともいえない体を持つ何かが居た。
「これは――自動人形ですか?」
「ああ、古い時代のものだね」
その声に反応したよう、机に着いた自動人形が、振り返った。
『そこにお掛けください――では、これからいくつかの質問をします、それに嘘偽りなく答えてください』
勇者が、これまで風化していたそれとは違う、外から持ち込まれたのであろう椅子に座りながら魔王はそう答える。
顔のパーツや四肢の細部は簡略化され、手抜きのマネキンのような外見である為、それが滑らかな人の仕草で言葉を話すとかえって異様である。
位置に着いたところで。
その医療用自動人形が問診する。
『いつごろから自分の性に疑問を持ちましたか? そのときどのような切っ掛けがありましたか?』
「……割と小さなころ……物心がついた頃かな? 4、5歳だったと思うよ。その頃にはもう男の子の遊びや……生き方? 考え方かな? それに共感できなくて。どうしてなんだろう? としか思えなかったんだ……反対に、女の子の考え方、生き方、好きになるもの……そういうものの方が身体に馴染んでいるような感覚があって……」
オフェリアは懐かしむよう目を細め、しかしどこか寂し気に、頼りなさげに目尻を下げた。
孤独、疎外感を、持て余す様にぽつぽつと語り出す。
「……男の子と一緒に遊ぶ時が辛くて、でも、たまにカッコよく見えて。反対に、女の子といるときの方が、ほっとしたり、嫌になったり。でも……好きとは違うんだけど……やっぱり〝こっちに帰りたくなる〟っていうのかな?」
その感覚は、人にとって最終的な居場所、を決めるときの天秤であろうと魔王は思う。性別のそれだけでなく、社会や、恋人や友情、愛する人を定めるそれと同一だ。
彼女の瞳の中で、その光と影が、混じり合い揺らめいているのを魔王は見ていた。
「明確なきっかけは……女の子に囲まれて悪戯されて、女の子の格好させられた時――あっ、これ! って、鏡に内った自分に、凄く心が凪いだときかな……自分が定まったって言うのか、酷く落ち着いたんだ……」
『それがあなたの目覚めですか?』
「多分そうだと思います」
それは幼年期の勘違い――生き物として性別の境界線がまだはっきりと機能しない、知識も足りない曖昧な感性がもたらすそれだと、普通の人間なら思い、時間が是正すると思うだろう。若気の至りか何かだろうと。
そして叱責され――普通の人間なら、自身の誤解と解きほぐすのだろう。
しかし、
「それまでずっと、どこか自分や周りの言うことにおかしな違和感を感じていたのに。ああ、自分が本来そういう生き物なんだって……ふと、答えが目の前にあったんだ……男の姿をしてるけど、本当は女の子なんだって……」
彼女はそうじゃなかった。
「それから冗談めかして、悪戯した女の子達に『君たちより可愛くなってやるから、村中の男の子たちに笑われるといい』って……両親は呆れたし、男の子からは悪ノリで応援されて……でも、実際は、凄くドキドキしてたなあ……初めて本当の自分らしさを表現できて」
その時の事を思い出しながら、彼女は闇の中で燃える炎の様、爛々とした顔をする。
そして、
「それからは一芸で。女装をして、度々お祭りなんかで披露して……どんどん歯止めが効かなくなって……で――」
ハマったのだ。パズルとか、歯車の様に例えられるものに。そこ以外に当てはまらないし、動き出したら止まらないものに。
自分の中に、自分の居場所が出来たのだと魔王は察した。
でもそれはとても居心地が良くて、知ってしまったら他では生きられない様な場所――
それが自分の中に出来てしまったら、
「……それが普通になっちゃったら、世間の普通の場所に、居場所がなくなっちゃった……それを分かってても自分で選んだんだけどね……」
離れられるわけがないだろうと、朗らかに笑う。
掻き毟って、傷つき、傷つけようとも、世間の居場所じゃなくて、自分の居る場所を証明するにはそれしかなかったのだということは魔王にはありありと分った。
しかしそれを――普通の人間は異常者と言う。
とても無慈悲に、常識こそが良識であると宣うのだが、彼女にとってはそれが何よりも普通の事で、正常な、たった一つの冴えたやり方だったのだ。
それを聞いた自動人形は、
『……分かりました。――ではこれから、いまあなたが話したことが本物であるのかどうか。その肉体と魂、どちらが正しくアナタであるのか試させて頂きます』
そう言い、医者型の人形は、診察室の更に奥――
ぽっかり空いた別の出口――周囲に明かりが付いているにもかかわらず闇に覆われている新たな入口を勇者に指し示した。
彼女は息を呑む。これから本当の試練が始まるのだと。
そこで魔王に、不安ながらも力強い視線を送る。魔王は無言で頷きを返し、彼女の勇気を促した。
彼女は進んだ。闇の中へ一歩――そしてその瞬間、体が黒に飲まれた。
微かに鼻にツンとした匂い。異臭がする。それは仄暗い水と、小水――
それに何故だか、薔薇の花の香りが入り混じった、長くこの場に居ると頭に靄を掛ける様な空気だ。
光はまだ見えない、そこに何があるのか分らない。
しかし、何故だかよく知っているような気がする。
そう思った瞬間、
『それではこれより、第一の試練を始めます――』
闇が晴れる。白い光に満たされた勇者はその眩しさに目を閉じる。
ややあって薄目を開け、光に目を慣らし、あるものに気付いた瞬間、彼女は疑問の声を上げる。
「――これは……」
白く、楕円を描き、その下に上品に曲線を纏いし造形物――
温かな木の感触を感じさせる蓋に、背後には立派な貯水槽を背負っている。
生活必需品、決して欠かすことが出来ないライフライン――
それは、
「…………トイレ?」
洋式である。
スポットライトに照らされた、真っ白な洋式トイレが部屋の中央に鎮座している。
それが、何の試練になるのか。
勇者が疑問に思った、その時だった。
『それではオフェリア様――してください』
「……はい?」
意味が分からない、なにをするのか。
トイレがある部屋で――一体何を――。
それを天井に視線で問うと、
『ここで、おしっこを、して見せてください――何も考えず、魂の赴く形で、おしっこをしてください――』
その瞬間、勇者も魔王も口を閉ざした。
ワンテンポ遅れで、既に羞恥心の限界を超え真っ赤になった彼女を魔王は確認する。
こんなかわいい子が、男に見られながら、赴くままにおしっこをするだと?
そして、想像した。この、女の子より女の子らしい男の娘の女の子が、他人に見られながら、スカートを穿いたままパンツを降ろし、目の前で花を摘む瞬間を――
頭を振る。きっと幻聴に違いないと。
それから落ち着いて、魔王は硬直している彼女の気持ちを代弁した。
「……いま、なんて?」
『我々に見えるように、おしっこをしてください――それが第一の試練です』
「……確かに試練だな――」
何かを試されるとは聞いていたが、まさかそんな内容だったとは。
勇者の赤かった顔が青くなった。えっちな嫌がらせや冗談やセクハラではなく、重度の変態的犯行である。
なので許さない。
魔王は黙って手の平に魔力を集めそして天の声に向かって解き放とうとした。
それに自動人形の音声は、
『では、試練を放棄なさいますか?』
「――まっ、待ってください!」
その声に魔王は目を剥きながら振り返った。
「…………それしか、ないんだよね?」
『――はい』
その変態的、且つ、無慈悲な返答に、勇者は何も言わずにトイレと向き合った。
勇者は花が萎れるよう目じりを下げ、苦渋と苦痛、そして一抹の信頼に、儚げに頬を染めている。
葛藤している。目の前に居る男に、それを見せて良いのか。
音を、聞かれてもいいのか。
助けを求めるように、勇者は魔王に目を向けた。
魔王は何も言わずに背を向けた。突き放したのではない。
何もなかったことにしよう――何も起きなかったのだ。
魔王は、そうしようという姿勢を見せた。
それに気付き、勇者はやはりと自身の胸に手を添え、そこにある信頼に恥かし気に目を細める。これなら何とか我慢できる。
しかし、
『それでは試練になりません――付き添いの方は必ずその瞬間を見なければこの試練は不合格とします』
絶望が襲う。
魔王は忌々し気に天の声を睨み、歯噛みする。
このどこが試練なのかと。いや、試練であることは確かなのだが。
可笑しくないか? トイレで用を足すことの何が試練なのか。
この試練は彼女の本来の在り方を試すもの――すなわち、本当に男か女かどうかを確かめている。
であれば――
この試練は何を確かめるものなのか――
(――トイレ!)
理解してしまえば、それはあまりにも簡単な試練だ。
使用法の違い――
立ってするのか、それとも座ってするのか。
考えるまでもない、精神構造上、彼女は座ってする方だ。
だが肉体構造は男だ――立って、その最後には振るって、中のしずくを全て落とさなければならない、でなければ染みが出来る。
彼女はおそらく立ってする――
魔王はそこまで考え、しかしまた否定した。心が女で、体が男であることに忌避を抱いているのなら、それでも座ってするだろう、女性としての矜持として。
神をも欺く女子力なら、きっとそうする。
ここで、するのだ。
男に見られながら――
……そこで、魔王は違和感を覚えた。
なぜ、自分達に見えるように用を足さなければならないのか――
それは本当に正常であるのか。そんなことしなくても、用の足し方なんて自動人形だけで確かめられる筈、それに思い至った瞬間、
(まさか――)
魔王は気付いた。
その試練の本意に至った瞬間、彼女に注意を促そうと叫ぶ。
「――オフェリア!」
このままでは彼女は試練を乗り越えられないかもしれない。その危機に、
しかし、
『付き添いの方の発言は禁止致します――もしこれ以降何か彼女に伝えるようなそぶりを見せれば、その時点で失格と見なします』
「くっ――!」
遅かった。
魔王の視線が集中する。
その最中、勇者は意を決して、スカートを、少しづつたくし上げた。
男のズボンの様に下ろすのではない、それでは床にスカートが着いてしまう。
装備はダンジョン探索ということで、戦闘衣装、やや意図的なたるみを効かせた、愛らしくも豪奢なものだ。
女性勇者らしく、上半身もそれに合わせた華々しい意匠である。
どことなく、花嫁感があるドレス鎧だ。
そのスカート部分が、徐々に禁断の領域へと上がって行く――まぶしくも華奢で、いかにも手折れそうな反面、柔らか気なマシュマロのふとももが露わになっていく。
「うっ、……うぅ………」
既に涙目だ。
しかし、それに彼女は耐えようとしていた。一番恥かしい所の恥ずかしい瞬間を。見せなければ、女の子になれない。
何故なら、本当に女の子になったら、男性に、いずれはその部分を見せるのだ。
それに耐えられなくてなにが女の子なのか。
その覚悟を見せなければ――そう思えば耐えられる。魔王の推測とは真逆に、これはそういう試練なのだと思っている。
魔王は、それではいけない、と首を横に振ろうとして、耐えた。身振りも禁止されている。
ただ、彼女の女子力を信じて、彼女を見つめるしかなかった。
洋式トイレに座る都合上、背中側から。それを限界までたくし上げて、魔王には見えない位置で下着が露わになった。
スカートは腹部に手繰り寄せて、保持する。
そして、抵抗するように、ゆっくりと座る――
少しづつ、閉じ合わせていた膝を開き――
左右に、少しづつ腰を浮かせ、下着を交互に抜いて行き、そして、鼠経部を離れた。
「――んっ」
その隙間に空気が入る感触に、座ったまま思わず内股になる。
そこで爪先を立たせ、ふとももを微かに上げ、ぎりぎりまで――膝の手前で、スカートの上から、一緒にギュッと保持した。
そこより先にしてしまえば、魔王に、下着が見られてしまう。その奥もだ。
「……ふっ」
唇を噛んで、力を入れた。
しかし、出さなければと思う程、恥ずかしいと思う程――目の涙の方が溜まり、下腹部が萎縮していく。
「――んっ……んんっ……」
何度か、腰を揺する、悩まし気に。
シュッ、シュッ、衣擦れの音だけが響いた。
その所為で、余計に今自分があまりにもあられもない姿をさらしていることを勇者は自覚してしまった。
空気に晒されたそれが敏感にそれを感じ取ってしまった。
緊張と絶望で筋肉が弛緩し、下腹部が緩んだ。
訪れた尿意に感情が膨れ上がる。
「―――ひっく」
反射的に、それを堪えようと力を込める。
でも、しなければ。
諦観と共にそれが出口まで到達しようとした。
走馬灯のように、大切な人の顔がよぎった。
その瞬間、決壊した。
「――――――――――――もう、もうダメ! やっぱりこんなの無理だよ!」
立ち上がりスカートの上から強引に下着を鼠経部に噛ませる。どうしても、その羞恥に耐えられなかった。
どうしても、本物の女性になりたかった。
でも、どうしても、男の人にそれを見せる事だけは耐えられなかった。
勇者は試練に屈服した。
それは本来の自分になる機会が失われた瞬間だった。
その筈だった。
『――合格です!』
オフェリアは耳を疑った。いま、何が起きたのかと。
「……え?」
周囲を見回す。
魔王は、ほっと胸をなでおろしていた。天の声は、ファンファーレを鳴らし彼女を祝福している。
これは、
「……ど、どういうことなの……?」
魔王は熱い汗を掻きながら端的に説明する。
「――しないのが正解だったんだよ。普通の女の子として」
「……え?」
言われている意味が分からない。試練は、本当に女の子になりたければ、その覚悟を見せる為に、男の前でおしっこをすることではなかったのかと。
その疑問に答えるように、
『――そう、その通りです』
天の声は言う。
『トイレの使用法は普段の生活の癖が如実に表れる場面でしょう、男性であれば便座部分を上げたままだったり、女性であればその匂いを気にして消臭剤を常備したりです。
体と心に染みついた癖、習慣は消えません。
しかし、用の足し方では正確に心の性別を測れません。
例えば、体が男性、心が女性の方からこのような経験談があります。
立ちションをしないのは、スカートをたくし上げても男性器が見えづらく、狙いが曖昧になるからだと。その上、片手でスカートを保持し、片手でノズルを持つため、どちらも不安定になり非常にし辛く――運が悪いとスカートに直撃するそうです。
なのでスカート時は、漢女も男の娘もオカマも、多くは座ってします。背に腹は代えられず。
仮に通常の男性でも、洋式の水洗トイレでの立ちションは、その勢いで水と尿が跳ねて脚にかかる嫌いがあるので、座ってするという意見も多くあります。
よって用の足し方では、正確に判別できないのです』
「……そ、それは確かに」
オフェリアは、自分の生態と照らし合わせてみて納得した。女性として自覚する前から、座ってする派だった。スカートの時と限らず、跳ねて、ちょっと汚いと思うのだ。
天の声は続け、
『なので、これは対象を極限状態においやり、心に嘘を吐けない状態で用の足し方を確かめ無意識下の性別を調べる――と見せかけた、女性として本当にあるべき精神性を保持しているのかの試練なのです』
「……本当にあるべき精神性?」
『はい、』
用を足す際の、女性にあるべき精神性とはなんぞやと、彼女は疑問に思った。何か特別な心構えなど在っただろうかと。
『それは女性として生きる上で自然な心――心からの本物の女性であればこそ――男性にそれを見られることは忌避する自然体――男性では決して抱けない、強い羞恥心です。この試練は、それを確かめる為のものでした』
「羞恥心……」
魔王はそれに途中で気づいていた。
この、心が女の子に人前でおしっこさせるという試練のおかしさと、その意味――本当に正常な女の子であれば、普通はどんなリアクションをするのかということに。
男の目の前でするのではない――むしろ、してはいけないのだと。
たとえ命令されても、強制されてもだ。
『そしてその上で、それに耐える覚悟――魂の底から女性になりたいという願望をあなたは示されました。もし最初からあきらめたのなら、その程度の覚悟ということ。それは苦しみを乗り越えようとするのではなく、逃避を選ぶという姿勢――性転換などしなくても生きて行けるということ……』
よって、それを乗り越えた彼女は、
『第一の試練――パーフェクト! ……最高の恥じらい、そして限界ぎりぎりまで踏み込んだ覚悟――最高のリアクションでした。……文句なしの合格です!』