魔王さん、女勇者に告白される。
過激なファンがその性癖と恋愛観を暴露しそして逮捕された。
次の朝のこと。
そこには何事もなかったかのように食卓を広げ、そして暢気にいつも通りにほのぼのと食事を始める魔王一家がいた――
その何も変わらない日常を見て、
「……ううう、本当に私はなんてことをしてしまったのでしょうか……」
リリーは、その目立たない端正な顔をしょぼくれさせる。
魔王と聖母の夫婦は顔を見合わせ合って、頷き合い、苦笑し合い、
「――なんなら失恋がふり切れたら、魔界にある同性愛の婚活パーティーを紹介しようか?」
「……え、ええ?」
「人の社会的価値観に合わない、普通の人間も過去に魔界に逃れて来ているからね……けっこう普通なんだよ? 魔界では男×男も、女×女も」
そんな理想郷があったなんて――とリリーは衝撃を受けた。
娘はそんな人の世の世情として際どい話にも、特に気にせずパンに木苺ジャムを塗っている。
「……い、いえ、私その、まだ……そこまで開けっぴろげるほど吹っ切れてはいませんので」
彼女は非常に声を小さくして言った。正気ではなかったとはいえ「私はレズです、貴女の事が好きです、恋人になりたいです」と言い、スッパリ一刀両断、ボロクソに玉砕したことは彼女の心に多大な後遺症を与えていた。
一番忌避していた百合道であることがただの変態だと思われることは無かったお陰で、人間として再起不能にまではなっていないのだが。
魔王はそこでふと、神を再起不能(二重の意味)にする計画とその手段はやはり間違えていなかったのだと再確認した。
「だから同性愛者だからと縮こまらずに思い切って生きるといいよ……やけ酒がしたくなったら私も妻と付き合おう」
「……旦那様も、異常だとは思わないのですね……」
「そんなもの何もおかしくはないさ。愛とは人を成長させるもの、あるべく正しく生きること――ただ純粋な力だと私は思っているからね。この世の問題の多くはその純粋な力を悪用するかしないかの問題でしかないよ。
同性愛なんて誰が誰を好きになるのか分らない偶然の一つだ。
偶然、どこかの誰かがどこかの誰かを好きになった――その本質としては異性愛と同性愛はなんら変わらないだろう」
よく同性愛を敵視するとき、一部の例外が存在することで社会全体に悪影響を与える――などと言うが、そんなことあるのだろうかと思う。
もし同性愛が社会に深刻な悪影響を与えた――と言うレベルの話になるとしたら、それはきっと、同性愛者が社会の過半数を占めそれこそ社会機能が維持できなくなるほど出生率が低下するような話だろう。
それともやはり、性癖としてそういうフィクションや体験を個人で好むことだろうか。それは社会に影響を与えるというのだろうか。そうだとしてもせいぜい個人の出産や子孫繁栄に影を落とす程度、自己責任の管理の範囲ではなかろうか。同性愛者の近親者などが子供がいないと将来苦労するよ? とよく言うが、覚悟を入れるか老人ホームに入るだけの金を稼いでおけば解決するだろう、これも自己責任で解決する問題である。
肉体的性別はどう足掻いても物質面の問題である。
同性愛は精神的側面だけで語る事は出来ない。
仮に、同性愛は何なのか、ただ肉体の問題なのか、精神の問題なのか、先天的なのか後天的なのか――と語るにしてもだ。――現実に誰が何に苦しむのか、という焦点と議題無しに何を解決しようというのか。
愛は心の欲求か、肉体の本能か、ただの幻想か――というと、如何にも哲学的だが、求めるところは異性であろうと同性であろうと変わらない。
適切な相手が欲しい、ただそれだけである。出来うるならば、人と比べても、人と違っても、同じくらいの幸せが欲しいのであると魔王は思う。
だからこそ、
「……何も変わらない、のでしょうか」
「そうだよ、みんな愛が欲しいだけだ」
愛があれば人は豊かになる――愛がある人間は成長する、そして他人を成長させる。それは子供を見ていれば分りやすいだろう、大人もそうだが、成長は人生を豊かにする。
そして生活が豊かになる――即物的な欲求も満たされる――もっとも注視され重要視され評価を受けるのはそれだが、そのどれをも人は欲している。
愛の無さは力の無さだ。既婚者でも友達でも恋人でも仲間でも、それがある人間には必然力があるように見えるだろう。それは経済力、腕力、知力、コミュニケーション能力と様々だが、それらは成長過程で身に着くものだ。
欲しないわけがない。単なる庇護者、パートナーに限らず。
愛が成長を司るのなら、単純に見て、それは望む結果を引き寄せる力ともいえる。
それは理想論や理念といった言葉だけで済むような――精神性ではなくてむしろ、結果をもたらすだけの『ただの力』と言った方がしっくりくる。
結果が出ないとき、気持ちが足りないとか意識が低いとか精神論でどうになかるみたいな話をする人間がよくいるがそれはとんだ見当違いである。
ただの力だからこそ、使い方を間違えれば凶器になり、間違った愛も未熟な愛も当然あり――人それぞれの形になるのだ。愛は人生、などと言う言葉もあるが、それはその人そのものともいえる。
おかしな話、他者の愛が無くても生きられるようにするには即物的なお金などの資産が必要だが、言い換えるならそれは愛が無ければ手に入らなかったとも言えてしまう。
人は力を欲する。
とはいえ、そんな話は朝の食卓には似合わないので魔王は言葉を慎んだが。
「……そうはっきりと言われると、困りますわね」
「でも、愛には人を正しく受け止める力があるだろう?」
視線を彼女の最愛の人に向ける。
昨日、それこそ――
「……どちらかというと、歪めて見られている気もしますわね」
「それも愛だね――」
のほほん、コーヒーを飲む。
正しい形、それだけが愛ではないということだ。
もし彼女が間違えているとしたのなら。その結果、二人の人生を何かしらの形で阻害した時だろうと思う。
「……はぁ、正式に環俗して魔界に行きたくなりましたわ」
「あら? 貴女達は正式に教会を出ているのでしょう?」
「繋がり自体は切れないのですわ。裏の組織のお約束という奴で」
「それなら戸籍だけ主人の妻になりますか?」
「えー、リリーもお母さんになるの?」
「リリー、失恋したからってすぐ鞍替え?」
「何を言っていますの? 私は貴女一筋ですわ――仕事込みで」
「ふむ、最高の職場か」
「そうですわね――好きなこを最高の可愛さに仕上げてプロデュース、新曲も写真集も表には出せないものまでまず私が独占――ぐへへへへ」
「リリー、待て」
「キャイン」
変態百合女は娘に調服されていた。
「……けど、私が百合に行っていなければ、それもありでしたかもしれませんわね」
「……あなた?」
「……君は、私にどうしろっていうんだ?」
嫉妬なのか、男気を見せろというのかと。
「……でも、リリーの気持ちもわかるな私、」
家族一同+1がギョッとした。
「……リア! あなたまさか先代と続いて……私という女が目の前に居ながら!」
「ええ? 違うよ。普通にいい人だなって話」
二重の意味でスルーされたリリーを娘がよしよしと慰めている。傍ら、
「だって私に言い寄ってくる人ってみんな、私が王冠とかトロフィーに見てるみたいで、甘い言葉を掛けて来るのに視線が冷たくて……旦那さん、大人の男って感じで余裕があるから、一緒に居て安心するんだよ」
そう困ったに、ほんのりと柔らかく微笑む。
まるで恋をしている――と言うには熱が足りない様子だ。
世知辛い勇者の恋愛事情に、身に抓ませるものがある魔王と元勇者の二人は、どこか沈痛に眉を曇らせた。
そこで浄化された彼女の相方は、やれやれと目尻を下げる。
「それは旦那様にはグレナという愛妻が居るからですわよ? 貴女はそれに水を差すつもりですこと? ――ほら」
説教しながら、口にした柑橘類の果汁が飛び散った、彼女の口を気にしてナプキンを渡す。それを受け取り、
「う、ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」
言外に、分かっている、と手を伸ばしたリリーに彼女は黙って頭を撫でられる。
仲が良い。魔王なんて存在が無くても十分癒しは存在している。
あれだけの事が起こったにもかかわらず、以前と同じく、否、それよりどこか親し気な距離を感じる。
それに魔王は無言で満足し、食卓に視線を戻す。
「ふふふっ、この人には他にも妃たちが居ますから、私は気にしませんよ?」
「――ハーレム王は伊達ではなかった!」
「そういうところを聞くと、改めて魔王だと思わされますわね……」
「お父さんのスケベ」
「いいや。お父さんはスケベじゃない、ただ大きな愛があるんだ」
談笑が響くそんな中、当代勇者は密かにその視線を彼に送っていた。
――授業中。
本日の歴史はこの世界でもっともポピュラーな種族――
ゴブリン。
体は子供の様な体躯でオスしかいない、その為女を攫って繁殖する。
体色は緑、地域によっては小鬼、餓鬼とも言われる。
旧世界が終わる時、彼らは表れ始めた。
その出自は人が変じたものであることは確か。そしてオークやサキュバスに並ぶ三大悲運の種族として数えられている。身体は子供でも立派な大人、しかしそれにしては知性と理性が少なく性格は残忍かつ狡猾、一匹見かけたら三十匹居ると思えと言われるほど警戒されるキングオブ害悪――悲しいことに彼らは他の二つと比べ、料理と農業が出来るわけでもなく、性産業に光を与えるでもなく、人魔共に社会的利益に貢献することが無くその多くが問題を抱え罪を犯す傾向にあるため、特に扱いが酷かった。
「……とされています。残念ながらここまでは事実ですね。ではなぜ彼らゴブリン族は人から転じたにもかかわらず当初からそのような傾向にあったのか……」
それは何故なのかというと、
「――彼らは愛に飢えていました。その多くが人間であった時に、家族、友人、あらゆる社会から愛と呼べるものを与えられずに過ごし、そして、真っ当な人間と呼べる精神性を育めなかった者がゴブリンに転じたとされています。今でもよく言いますね? いつまでも大人になれないとゴブリンになる、我儘ばかり言うとゴブリンになる……ゴブリンの子供はゴブリンにしかなれない……それは事実であったわけです」
生徒たちは、その漠然とした理由に、しかし一定の理解を示した。というのもこの先生が口を酸っぱくして道徳の授業でそれを語っているからだ。
「一説には一定の罪を抱えそれを清算することなく転生するとゴブリンになる、などという学者もいました……しかし、」
魔王は告げる。
「それを解消することはできます――ある一定の人種と触れ合うことで彼らの精神性は解消され、キレイなゴブリンになります」
ゴブリンがゴブリンでなくなる――
そんなことがあるのかと、生徒たちの多くが眼を見開き無言に疑問する。それは一体何なのかと。
「彼らは愛に飢えています。つまり、時に優しく、時に厳しく、叱って、許して、包んで、傍に居てくれる人を欲しがっています……そんな人をなんと呼ぶのでしょうか?」
生徒たちの一部は、やや、怪訝な顔をしながら、まさかな、と思った。
それは子供の時期に必ず存在するものだ。
そして、彼らは何を求めているのか、それを持つ一定の人種とは何か。
誰が、何を与えれば、子供は健全に育つのか――
彼らの種族に存在していないのは何か――
考えずとも自ずと答えは出て来る。
「――母親です、彼らは数ある愛の中でも、極めて母性に飢えています……特に赤くて一本角の個体は人の三倍くらい飢えています――」
教室が凍り付いた。
あの残虐にして極悪非道なゴブリンが、ただバブみ感に飢えていただなんて、と。
坊やだからさ、と言ってる人が一番坊やだった、という話――
しかし雄しかいないのもそこに拍車を掛けているだろう――ゴブリンには人の社会にはあって当然の癒しが無いのだ。
そして、彼らはただバブみ感を求めているだけではない。
なんと、
「総じて彼らは年上属性に弱いです。姉か妹かで言えば姉、先輩と後輩なら先輩、熟女か美少女かといわれたら間違いなく熟女――同級生より保健室の先生」
筋金入りである。そこに女生徒たちは引いた。男子生徒の一人が神妙な顔をして頷いているが彼のあだ名はこれからゴブ男となるだろう。
尚、
「もっとも、単純に母性にだけ飢えているのではなく愛に飢えているので――たとえ母親であれど適切な対処が出来なければダメです、率直に言うなら理想の母親ですが、それに飢えて飢えて飢え過ぎて、理性を失った彼らは女性を攫い、無理やりにでも母親にしようとするのです。
そう――嫌がる彼女たちに――膝枕を強要し、耳の掃除を強制し、酷いときはオムツ交換――甘えさせてくれないと凶器を振り回し、最終的には隕石落としの魔法を唱える」
シャレにならないそういう悪癖を持っている。
だが、
「ですが子供のゴブリンであれば、ちゃんとした母親役を得られれば真っ当に成長し、永遠の美少年風の髪が緑の人になります――なので年下好きの人に一時期狩られたりしていましたね。大人ゴブリンは――そこまで拗らせてると、愛はむしろ拒絶する、一生ただのゴブリンなので普通の母親ではちょっと処置無しです」
プレイも癒し系から完全に18禁へと移行する。その辺は残念ながら創作物と一緒だ。
それらを矯正するにはもはや母性ではなく、彼らを完全に物理的にも精神的にも組み敷くことが出来る強い女が求められる。
そう、恐妻力である。
だがなんだかんだで彼らはカノジョら強い女たちの言うことを聞き、従えられることに誇りと充足感を持つ――最後には他の妻ではむしろ不安になる。己の至らなさを自覚し、彼女たちに尻に敷かれ鞭を入れられることに至高の歓びを見出す様になるのだ。
世界一微妙な男という生き物――それが現代のゴブリンなのである。
そして、
「ああ、あと意外かもしれませんが、彼らゴブリンは老女まで守備範囲です。むしろ若い女性(熟女含む)にはないわびさび……人生経験豊富な彼女たちの極めて余裕ある態度でやんわり叱られることは母親役以上に好みます。特に弱いのはエルフの美老女です――美しいお年の召し方をした晩年の彼女らの前では……なんでも、親不孝をして来た積年の想いやそれまでの人生を思わず後悔するそうです」
自分の汚れ具合を悟ってしまうのだが。
「そして、許してくれたおばあちゃんの為に、彼らは身を粉なにして、ゴブリンの一面である妖精の性分が表に出て、家の掃除や繕い物、家事などを隠れてお手伝いするようになります」
ホブゴブリンは本来そうらしい。
「今彼らは魔界で介護職に就き、多くがその肩を叩き、車椅子を押し、彼女らと共に静かな更生の道を歩んでいます……」
ただ、慈善事業ではなく、人間以上に少子高齢化社会に犯されていたエルフにはもってこいの需要であったところもある。
暇を持て余した彼女たちに声を掛けたのは魔王だが、エルフ達も、孫や息子より可愛げがあると言っていた。実の息子や孫だと高慢なところがありがちならしい。
世の中は意外な需要で回っているものである。
彼らゴブリンは、人でも魔族でも魔物でもなく、そしてそのどれでもある非常に曖昧な種族である。彼らは今も子供にもなれず大人にもなれず、永遠にその狭間で苦しみ続けているのである。
魔王は教壇から生徒たちの様子を俯瞰すると、生徒たちは微妙な顔をしながらも関心を持っていた。
そこで、授業以外の事に関心がある生徒を一人見つける。
オフェリアだ。彼女は明らかに、授業における向学心でも好奇心でも疑問でもない――不安、と、恐怖。
一体なんだろうかと、そのとき魔王は疑問に思った。
風呂に浸かる。それはただのバスタブから変貌していた。
家族三人で入っても余裕で足が延ばせるような岩風呂だ。ダンジョン創造技能で改築した。洗浄用のスライムを放し飼いにしているので掃除要らず、湯も温泉から普通のお湯、薔薇風呂、ミカン風呂までなんでも出る。浴室も大きく床にマットを敷いて横になれるほど広々としている――
深い意味はない。いや、流石に居候が居るのに。
妻と二人きりで入浴とか――ただそれだけだ。髪を洗ったり、体を洗ったり、湯舟の中で膝の上に抱えたり、正面から抱き締め合ったり、ただそれだけだ。
空間を捻じ曲げて作っているので家の外見は何も変わっていない、露天温泉にしても良かったのだが覗きが危険なので閉鎖環境にした。妻と娘の裸は父親専用だ――
娘は、彼氏が出来るまでだろうがと、居もしないそれにちょっと嫉妬する。
しかし、
「……はぁああ」
生き返る。体中がピリピリする、血管が広がり血が隈なく流れて、じっくり、汗が流れる。
そんな中思い出す。
放課後になり娘と帰宅、リリーがスケジュール調整やらで居ない不揃いな夕食後、歌やダンスの練習を広いリビングでする彼女を、尻目に眺めた。
夕食の最中も、時折り何か言いたげに自身の事を見つめていた彼女に、何を尋ねて良いのかと思案していた。
どこか思いつめた様子なのだ。そうでなければ気軽にどうしたのかと魔王も尋ねたのだが。
あと――娘には時空魔法の講義を特別に施しながら――使えると便利だからと色々と教え、そして教えられたことをすぐさま吸収した。
娘は【空間収納】の魔法を新たに覚えた。これまでそれはアイテム頼り――お父さんがお母さんに上げたの、で、よかったのだとか。
後で娘専用の道具を幾つか送ろうと、父親は母親に内緒で決意した。
それはともかく――
「……うーん……」
魔王はオフェリアがまだ彼女の相方の事で自分に気を使っているのではないかと思った。
性犯罪者の烙印を押そうとしたのだ。普通は許せるものではない、それが自分の大切な仲間であればあるほど、罪の意識を感じるだろう。
神の下らない理由とは言え、勇者の称号を得るほどなのだ、その心は清い。
となると、
「……何かイベントを企画するべきだろうか……」
彼女達ともっと打ち解けるような何かを、禊ぎ的な覚悟を促せるような何かを――
強制的に、仲良くなる。そんなイベントに魔王は心当たりがあった。
ラッキースケベ、これに陥るとヒロインはどんなにツンツンしても漏れなく主人公と仲良くなる強制イベントに突入する。
しかし見るからにオフェリアはツンデレ属性ではない。どちらかというと、何気ない日常の中でじわじわ、そして不意に恋に気付きそうなタイプだ。
清純派の恋愛と言うか、昔気質な純愛気質――
心に隙が無い、恋愛における会心の一撃を問答無用で回避する耐性を持っている。可愛い系女子、という以外に特徴が無さすぎて逆に難しい。仕事も学生生活も今まさに充実している――恋愛なんて二の次三の次の気配を漂わせるお花畑だ。
普通にいい子――とっかかりがなく、仲良くなれるイメージが逆に湧かない。それこそ同じ日常を過ごし地道に距離を詰めて行くしか。
そんな子に、忌避を抱かれる。
家の中、同居という狭い空間と時間の中で。
それはまずい、妻と娘、そして彼女の相方の為にも早めに改善した方がいい。
これは挽回が難しい――こちらが何もしていないだけあって、なおさら。
「あの――」
「うーん……」
どうしたものか、何か一発で彼女の勘違いの罪悪感や懸念が解け、そしていつも通りの穏やかな生活に戻るには。
魔王は眼を閉じ悩んでいた。湯船にどっぷりのんびりと浸かって。
ラッキースケベを除いた、普通の女の子の誤解を解く方法――
普通に話し合うしかない、と思った。起因が自分の外側にあるのは難しいが、まあ、君が当人そっちのけで悩んでいたら余計に君の相方が苦しむよと、少しきつい言い方になるが現実を見させればいいだろうか。
いや、それだと、彼女に干渉しまいと多分距離が出来ないか? その辺も含めて、今まで通り友達で居るように言い含めれば大丈夫か。
罪を犯した人間は、その周囲の人間の、特に心優しいものほど苦労する。
どうしたものか。そこまで面倒を見なければいいのだが、魔王はそういう性分でもなかった。手に届く範囲で手に負えていなければ、ついつい口を出したくなる――ぎりぎりまで見守る方針だが、まして今回は自分が直接関わっているのだから。
「……はふう……」
お風呂、気持ちいい……そんな溜息。
頭がポカポカぼうっとする。
だから、気付くのが遅れた。
「――あの」
「……ん…?」
魔王はようやく声の方へ視線を向けた。
そして、――あ、これもあったか、と思った。
お風呂に湯気、全裸に巻きタオル――腹を割って何も隠す所なく全てを曝け出す。湯舟の語り合い――
女の子の裸――
はて、誰だろうか。この、妻のダイナマイトセクシーな肢体ではない、娘のまだまだ発展途上、さりとて妻の血の片鱗を感じる無垢な体でもない――
平坦な、見慣れない裸は。
「……」
湯気が晴れる。
そこにあったのは、林檎の様に赤い髪に、花が咲いたような淡い桜の瞳――
オフェリア、装備はバスタオルのみの紙装甲ならぬ究極の布装甲――
それを理解した瞬間、心地よい湯舟がカッチコチの氷河に変わった。
「……」
「……ふむ」
魔王と勇者は、お風呂でエンカウントした。
その状況を冷静に鑑みる。
これは不味い、これは不味い――
浮気はしていない、しかし、この状況に陥ったことそれ自体が不味い。裸もギリギリ胸元まで巻いたバスタオルのお陰で全然見えていない。だが不味い――
自分が突入したんじゃないからいいか、女の方から突入してきたんだし。
それでも不味い――
この状況において男は絶対的な弱者だ、妻は信じてくれるだろうが娘の方は絶望的だと思った方がいい。
――お父さんが友達の裸を見た。
拳骨頑固親父より嫌われるお父さんじゃないだろうか。
魔王は長い沈黙状態に陥った。しかしその最中、ただじっくり、当代女勇者のセミヌードを観察していた。魔王にはたくさん妃が居る、今更裸やこの程度のトラブルくらい気にしない、むしろ魔王城では日常茶飯事――妃が狙って一緒にお風呂に入りに来るのだ。
むしろちゃんと見て、褒めなければならない。自分に興味が無いなどと思わせたら彼女たちが人生を儚み出す。魔王が自然に女性の裸を眺めそして褒めて抱き締めるのはそんなただのライフワークである。
余談だが、それも、妃になる前の者たちは、責任取ってください、と、捨て身の告白をしに来る事が多い。
ベッドかお風呂か、高確率で何故かそこで背水の陣を敷くかのように迫ってくるのだ。
そういうところもあって、ラッキースケベでなく裸を見せに来た女であれば、動揺など見せず、むしろ堂々と、さりとて下品にならない様に視線を送る。
今もオフェリアの極めて平坦な体を褒める言葉がごまんと湧き出ている。スケベだからではない、おkれは愛深き者が故の業なのだ。
何より――彼女が悲鳴を上げないのがいけない(言い訳)。隠れようとも、必要以上に隠そうともしていない。恥かしがっても居ない。
これは見ていいと思うより他ない、むしろその覚悟を決めて来た! みたいな決死の表情である。
これは自分の意思で男の居る風呂に入りに来た、ということだ。魔王と、勇者はお風呂に入りに来たということだ。
――逆のその状況が理解できない。
いや、察するに、
「……なにか、言いたいことがあるんじゃないのかい?」
この状況を仕掛けたオフェリアだが、驚愕していた。
「――どうして、それが……」
だが、裸を見せに来たわけでもなく裸で一緒にお風呂に入る理由――
腹を割った話し合い、裸の付き合い――それしかあるまいと魔王は思考の深淵の中即座に察していた。
彼女も自分自身の悩みや態度に着いて思い悩んでいたのだ。
つまりここが勝負どころ。魔王として、男として、人としての器の見せどころである。
問題は解決するために存在している!
「……これでも長生きしてるからね、見ればわかるよ」
「そんな! ……じゃあ、最初から」
「ああ、気付いていたとも」
風呂に入られたことなんてこれっポッチも気付いていなかったが。
普通に暢気に風呂に浸かって、そしてラッキースケベに遭遇していたが。
魔王はとりあえず、その第一候補に、ないとは思うけど多分告白タイム、責任取って系のそれをあげた。あと相方の分の謝罪――
だが、
「じゃあ、もういいですよね? 何も隠さなくても」
「――うん?」
魔王はそこで何らかの齟齬を抱えていることに気付く。
一体、何を隠さなくていいのだろうか?
百合の聖者の犯行と積みは暴かれている。告白では多分ない。
いま、まさに隠しているのは――
オフェリアはその身を包んだバスタオルの、袂を強く握った。
――裸か。
裸をは隠さなければならない、それは女性ならば当たり前のことだ。
でも裸か、裸だな、裸しかない。今彼女は隠しているのは裸しかない。
それは不味い。
魔王は流石に慌てた。妃にもならない素人女性の裸を――見るわけにはいかない。
そういうのは好きじゃない。自分の妻の裸の価値も下がる。他人で見ていいのは職業プロだけ。
しかし、彼女は大胆にも、肢体に巻き付けたバスタオルを一気にはだけた。
止める間もなく、魔王は即座に目を隠そうとした。だが、若干遅く、彼女のあらぬ部分が視界に入ったその瞬間――
思考は無になった。
「――」
「……」
裸ぐらいでは動揺しない。しかし、何が起きているのか理解できない。
魔王は、それをみていた。
ぶらぶらしているそれを。
彼女の股間に――
「……そうです、私――」
否、
「私……♂なんです」
――彼に。