人妻女勇者/官能小説家のくっ殺事件簿。~解決編~
私はそれに、抵抗できない。
それはいつのまにか訪れていた。
犯行を決意した時から。
己の悪意に気付いた時から。
いいえ、なんとなく、いつかこうなるんじゃないかって気がしていた。
それはきっと――
「さっき、言ったよね? ピンクのチェックって。どうして分ったの? 今日、さっき気づいた、盗まれた下着がその柄だって。いま、私の下着を洗ってくれて、干してくれているのは、主婦のグレナさんなのに」
彼女の笑顔を、まっすぐ見れなくなった時から――
もう、すべてが終わっていた、ということに。
私は気づきながら、それを無視しようとしていた。
だって彼女は今――本当の私を見ている。
醜く歪んだその欲望を露わにし、へしゃげた私の悪魔の顔を。
寒気がするだろう、怖気が奔る様だろう、狂った女の顔――
怪人の顔だ。
「ふふふ、ふふふ……」
「り、リリー」
「アハハ……だって当然でしょう? 私はあなたのマネージャーよ? これまでお小遣いから栄養管理、衣装管理まで何から何までやって来た――貴女の事なら何でも知り尽している――誰よりも、そう誰よりも……」
「……リリー……」
……ごめんなさい、分っているわ……今、下着を洗っているのはこの家の女主人であるグレナ、私が、知るわけがない……。
悲愴に、悲痛に、悲嘆に塗れた眼で、彼女は私を見つめる。
ああダメ……私の中の私の一人が、彼女をこれ以上悲しませるなと言っている。
でも、
「ねえ……あなたは、私を信じてくれないの? リア」
壊れたい。
壊してしまいたい。
全て、
全て、
全て、
彼女さえ、何もかもを壊してしまいたい。
終わりにしてしまえばいい……。
「……証拠よ。物的証拠が、無いわ……」
本当に嫌われる前に壊れてしまえば。
これ以上、本当の私を知られる前に終わらせてしまえば――
終わらせなくちゃ。
心が震えている。
でもその前にせめて、ここさえ乗り切れば――あとは力づくでどうにでも。
「……ねえリリー、今、あなたの犯した過ちを認めるのなら、私は今この場でその証拠がどこにあるのかを暴こうとはしない。だから……後でいいから、彼女にだけは真相を話してあげて……」
ああ、聖女様、貴女はやっぱり聖女様なのねですね……。
でも、私は内心で勝利の笑みを浮かべる。
その質問を待っていたのよ、きっと、もし万が一、追い詰められることがあるとしたら、きっと誰かが必ずそう詰問してくるはずだったから。
彼女たちに分る筈はない。幾らエロのレベルと経験値が高くても、純正品の愛であるが故に、私のその感性は理解できない筈――
だから、私が盗んだ下着をどこに隠しているのかなんて分かりはしない。
その使用方法なんて絶対に……。
ここを乗り切れば、あと一度だけ、彼女と二人きりになれる、その時全ての想いを砥げればいい――それで最後――
そして、
「――何を言っているの? ――ああそうそう、これから家の中を探した方がいいですわね。徹底的に……容疑者である私と、そして、貴女の旦那様の持ち物や、机の中を……」
既に、魔王の書斎の引出しには、その柄と同じパンツが突っ込んである。
彼女の下着は常に、私が個人的に実用、保存、鑑賞、そして共用の四種類が用意されている。
その内の一つを、彼の机の分かりやすい所に入れておいた。
因みにその机の一番下には、エロ本が沢山あった。
一番多いジャンルは人妻もの、それも甘々の新婚生活からNTR、露出、SMまで完備、この男は自分の妻に何を要求するつもりかと思った。
それが暴かれれば――一片の疑いもなく彼は性犯罪者へと落ちるだろう。下着ドロは窃盗罪だが世間的には変態で一括りだ。
しかし、
「――リリー、」
主婦はエプロンの内ポケから、ひらひらとした三角形を取り出した。
それはピンクのチェック柄の、フリフリフリル――
「――どうしてそれをあなたが!」
私は戦慄く。間違いない、それはあの子の為にわたしが選んだ下着――っ!
どうして、それが今その手に握られているのか。それは魔王を追い詰めたあとでこちらが動かぬ証拠として提示するはずのものだ、まさか真犯人は貴女――
ではなく。
私は思わず自分のお尻を抑えた。しかしその感触から、まだそれがそこにあることに気づく。
当然だ、物質転送も召喚も元勇者だけど主婦の彼女には使えない!
ならあれは――
「――やっぱり、そこね?」
「え? ……っ?!」
気付く、私は自ら墓尻を掘ってしまったということに。
でも、大丈夫、恐れく彼女の想像を、この一点においてのみ私は越えている。
しかし、ならば彼女が持つあれは何だ――
思い当たる答えは、
「――これは貴女が、私の旦那様の机に入れた物ね?」
「な、なにを言って……」
やはりそれか。でもそんな――
そんな絶対に下着が落ちているわけがない所まで、詳しく家探ししていたというの? ありえない、ありえないわ、そんなの――
逆に、最初から夫の事を疑っていない限り――
「――あ、あなた……まさか最初から、旦那様の事を疑って……」
「え? 何を言っているんですか? ……妻が夫の机を探るのは、ただの部屋のお掃除――という名の主婦のライフワークですよ?」
(この女――っ!)
常時、夫の机の中をまさぐりエロ本の更新をチェックしているですって!? 絶対息子が出来たら思春期にひと悶着起こすわよ!?
「ちなみに一番下の隠し棚に、夫が今日着てほしい下着を入れることで、夜の夫婦生活の有り無しと、プレイのオーダーを確認することが出来ます――今のところ皆勤賞です」
夫公認かよ!
てか毎日って娘もドン引きしてるじゃないのさ――あ、これもう達観してる?
オフェリアに至っては硬直して遅れながらにその耳を塞ごうとしてる。
「最初は今夜はこれを着て欲しいのかしら――と思ったけど、しまってる場所が違うし、それに趣味が幼稚っていうかどう考えても私に似合わない――あ、私の旦那様、この人割と透け透けとかTバックとかのどストレートだけど上品な高級品嗜好だから」
「まだ続けるか」
「どこかおかしいとは思っていたんです……たまにはこういうので、私を思い切り辱めて、じゃない恥ずかしがらせて、したいのかなー、って確保しましたけど」
「――意味が変わってないわよ!」
なんかほんとやだ。
なにこれ、え、なにこれ、いままでとりあえず、超ラブラブ万年濃厚純愛夫婦――ぐらいに、オブラートに包めば思えていたけど完全ただのエロ夫婦じゃないの!
聖女様の面影とか、包容力が増して聖母様みたいとか思ってたのに。
それに、
「――その前にあなた何も気にならなかったの!? 他にも、他にも、その……結構シャレにならないエロジャンルが埋蔵されてたわよ!?」
「――全部プレイ用の資料本」
バカな!?
「ついでに言うならその後、私の創作資料になります。いえただの体験取材でしょうか?」
「……そ、そんな夫婦の共有財産があったなんて……」
既婚者の生態を甘く見ていた。
それとも世界最高峰のエロマイスター、エロ大魔王を甘く見ていたのか。
でも、どうみても妻にも原因があるような気もする。
この夫婦が困難だって気付いていたら、こんな罠なんて仕掛けていなかったのに。
はは、これがエロのレベル差か。処女と非処女、既婚者と独身貴族一直線の差か。
私は膝を折った。なんか、やる気がなくなりそう。
しかし――
「――ともあれ、この下着があなたが仕込んだものということはその態度で明白――それでも、まだ白を切るつもり?」
地獄はまだ続いている。
でも、私は、その隠し場所に絶対の自信があった。
だから毅然とした態度で立ち、
「――なら、ご覧になれば?」
ポケットを裏返し、そこに何もない事を示す。それどころか、今着ているスーツの上着を脱ぎその全てのポケットを裏返して見せた。
しかしそのどこにも彼女の下着はない――その事に彼女はほんの少し眉を上げる。
予想外だったのだろう。
これで下着を入れておけるような場所は無くなった。
証拠となる肝心の下着は、もう既に捨てたと思う筈だ。あとはしらを切り続ければ、証拠がない以上この件はうやむやになり、居もしない外部の犯人を捜し続けることになるだろう。
まだ逃げ切れる。
「……どう? これでも、まだ私を疑う? なんなら、貴女の旦那様の前だけど、シャツもブラも外して見せましょうか?」
惜しかったわね。彼女が私の様な真性の変態ならともかく、貴女はそこまでの器ではなかった。
だけど、
「……貴女は本当にフェリアの事を大切にしているわね?」
汗が止まらないのは何故かしら。
「……それがどうかしたのかしら?」
いいえ、このとき私は失念していたのかもしれない。
まだ、この夫婦がまともで、エロくなくて、酷く人格者であると、どこかで信じていたのかもしれない。彼女は決してHENTAIではないと。そりゃあ官能小説くらい書くけどまだどうにかギリギリ――結婚してラブラブ過ぎて燃え上がっている最中で――ちょっとアブノーマルなプレイに励んでいる最中と思えば――
……どうにか普通の夫婦だと。
ううん? あれ? かなり変態なんじゃないかしら?
そんな彼女がこう聞いてきた。
「……そんな貴女が、捨てられるの? ……盗んだ、彼女の下着を」
まるで、まだ持っているんでしょう? と、確信しているかのように。
酷く淫猥な狩人《蛇》の眼をして。
それに私は冷や汗をかきながら答える。
「……ふっ、ふふふ、盗んでいないものをどうやって捨てるというのかしら?」
捨てていない――でも、持ってもいない。
まだ、まだ乗り切れる――
私はそれでどうにか悠然とほくそ笑む。
「――いいのね?」
「……なにがかしら」
「――いいのね?」
この場でボディチェックをしたくらいじゃ分らない。
確信を持っていた。この場所なら隠し通せる。ばれるわけがない、彼女たちは常人だ。この場所を思いつくわけがないのだと。
本当に、そうかしら?
彼女は本当に分らないのかしら。
彼女は本当に普通の主婦だったかしら?
元・勇者とか関係なしに。
だって、 彼女は――
「だから……何をかしら?」
「……いいわ」
私はその不吉な予感をかぎ取った。でもその予感は既に回避不能なほどの距離にやって来ていて、
「今すぐここで、そのスカートを脱ぎなさい」
――ああ。
終わりだ。
すべて、ばれている。
絶対にばれない筈の隠し場所が――なによりも、私の性癖が。
バレている、その確信がある。でなければここでスカートを脱げなんて言わない。
なら、もう、ここで潔く、全てを終わりにするべきだと思った。
そこで私は、自白を始めた。
「――どうしてバレてしまったの? ――普通じゃないわ」
「あら、だって私、これでも官能小説家よ?」
そうだった――この家、最初からエロかった。この人、10年前から官能小説かった。私なんか及びもつかない位にエロだった。
海よりも深く絶望。思わず両膝を着いた私に元勇者――主婦――農家――否、官能小説家は手を置き慰めるように言う。
「……安心して、旦那様にはちゃんと目を瞑ってもらうから」
「……いいえ、その必要はないわ……」
「そうよ……」
でもしっかり気遣いし新妻が夫の目を――あ、いや、自主的に旦那は自分から既に瞑ってるわ。
良人《いい人》と書いて夫と読む。
ふふ、本当にいい人。でも、こうなったのは貴方の所為よ。だから、敬意なんて払わないわ。
それに男に見られるくらいどうでもいい。
でも、一番大切な人に見られるのは辛い。
でも、おもむろに立ち上がりそしてスカートのホックを外した。
「――ひっ」
その瞬間、私の一番大切な人から悲鳴が上がった。
彼女は見た。私の本当の姿を。
そう、
「――私はもう、穿いている」
スカートの下――ガーターストッキング上、しっかりと股の間に、ピンクのチェックのフリフリフリルの――彼女のパンツを装備している。
サイズが合わないのでぴっちぴちのパッツンパツン、めちゃくちゃに女の子の貝が食い込んでる変態マネージャーの姿を。
もう悲鳴すら沸かない。そう、そんなに絶望的だったのね。
幕引きだ。
「……ごめんね、こんな変態で」
独白染みた告白をすると、口を引き結び、何も言わなくなったオフェリアに代わりグレナが、
「……どうしてリリー。あなたはどうして、そんなことをしてしまったの?」
まるで彼女に何かを分からせる様に、その慈母めいた声色で問い掛けて来る。
それに私は、自嘲めいた笑みを浮かべて告げる。
「ふふふ、あなたには分らないでしょうね、グレナ。あなたは……あなた達はどんなにエロイことしてもアブノーマルに手を出しても、それは全て普通の――わりと普通の範囲、わりと倒錯してても、とりあえずまだ正常な性欲として処理される。でも……」
絶対的に淘汰される少数派はいるのだ。
どうしようもない、抗いようもない天分を与えられてしまった人たちが。正常な筈なのに、倒錯しているとされてしまう。
普通に在れればいいと思った。でも、どこかで分かって欲しかった。
「――でも、私は違うわ……」
「……リリー、あなた……本当に《・・・》?」
その口ぶり、いいえ、先ほどから彼女は――
やはり彼女は既に、私の中にあるもの……その全容を察していたのだろう。
それでも、何も言わずにいてくれたのだ。
ああ、やはり彼女はあの頃のままの聖女だ。いや、今は経産婦なので聖母か。
でも、いま思いを馳せるべきはそれではない。
今言うべきことは、
「……ええ、そうよ……そう……私はずっと前からこうしたかった……私の一番大好きな人と……ただ最適な隠し場所として、木を隠すなら森的な発想で盗んだパンツを穿いたわけじゃない――」
私の罪――
私は、その思いの丈を口にする。
そう、私は、
「――むしろ穿きたかったの! 前から、ずっとずっと――それどころか本体と合体したかった! ……本体と、合体したかった……!」
変態よ。ただのレズではなく、変態レズなの。
普通の彼女たちにだって性欲はあるしやることやるけど、ここまで変態的にこじらせてはいない。パートナーを男に置き換えれば精々普通の恋愛という程度。
私のそれは、普通の百合道を行くそれとはまた違う――欲望が肥大化し一皮むけた変態なの。
そこに理屈なんてない、彼女を見るたびに沸き上がるリビドーを抑えるので大変だった。
――いいえ、結局は押さえきれなくて犯行に及んでしまったのだけれど。
これまで、どれだけ彼女の性の穢れを一片も感じさせない綺麗な肢体(平たい)を舐め回して撫でまわして頬ずりしてキャンキャン云わせたかったか。
そんな人体構造と性別の壁を突破しようという夢とロマンに疑問を覚えたのか子供は、なんとも無邪気に聞いてくる。
「え? リリー、オフェリアとセックスしたかったの?」
まさかそんな直球で聞いてくるとは思わなかった。父親も無言で首を横に振り、お口に指を×にして指導をしているが、これは、
「グレナ……貴女娘さんの教育、もうちょっとしっかりしたほうがいいんじゃない?」
「いいえ、リリー。娘もそういう世界があるとちゃんと分った上で聞いているだけよ? 誤解しないで」
「ダメよ……世間的にそれは間違っているわ」
「安心して? 私の娘よ?」
お前は娘もエロ道に引きずり込む気か。
しかしそこで、
「リリー……」
普通に物悲しげな視線を向けてくれている。私の天使ちゃんに気付いた。
まるで人外のそれを見る眼――悲しい筈なのに癒されるのはどうしてかしらね……ふふふ、そんなに嫌われているわけではないって思うのは、私の妄想かしら。
そこで私は、やはり彼女にだけはちゃんと話さなければならないと思った。
立ち上がれないまま、真摯に――ううん、彼女に縋る様に向き合い、
「私……百合なの……同性愛者なの……」
私は、私の原罪を、彼女に告白し始める。
「……耐えられなかった……ここに来て明らかに……私から離れていこうとする貴女に、私が貴女を見ているとき別の誰かを見ている貴女に。だから気付いてほしかった。私は今もあなたのことを見ていることを――だから、ちょっと不安にさせて。そこで私が親身に傍に寄り添うことで、敵を蹴落として――」
嫌われる。いえ、見捨てられる。
変態だと罵られる、ただ純粋に、貴女の事を愛しているだけなのに。
けど、
「……いいよ、知ってた」
「……え?」
「知ってたから……リリーが、百合だってこと」
誤訳ではない。
誤訳ではないだろう。
誤訳ではないはずだ。
二重の意味ではあるけれど、つまり、彼女は、
「……え、そんな……嘘よ……どうして……」
その衝撃に瞠目する。
知っていたのならどうして、
「だって――男の子が隠れて色々見ているのと同じ視線、旅の途中どころかそれが始まる前から度々ね? もう分りやすいくらい感じてたし、その、特に唇にね?」
「……」
最愛の彼女は言った。割と私がどうしようもなかったことを。ああうん、男子のアレ、あれで隠せてるつもりなのかなって思うわよねー(棒)。
いや、そうじゃない。そうじゃなくて。
「なんで……エロい目で見られてたって分って……女が女を……気持ち悪くないの?」
パーティー解散も除名も出来たはず、それなのにどうして私と一緒に居続けたのか。
「分らないのかい?」
「……エロ大魔王」
「その名で呼ぶな」
彼は真面目に気を取り直して、
「――彼女は気付いているんだよ。君が好きになった相手がたまたま女だったということ、そしてそれが自分だっただけだということに。その気持ち自体に、何の悪意も害意もなかったこと――純粋な心だったということに。そうじゃないかな?」
私は思った、そんなことがあるのかと。
普通の人――いえ、良識のある人ほど、私達少数派の人間は排斥する筈――
生まれ方を間違えた、教育を間違えた、壊れている、オカシイ、気持ち悪い、いやらしい、おもしろい、狂っている……。
嘲笑う様に、まるで何かの娯楽の様に、さも常識ぶって分った振りをしながら。
けれど、
「リア……」
私は救いを求めて彼女を見る。
すると彼女はほんの少しだけ気不味げにしながら、確かな微笑を浮かべてきた。
そして、
「あのね……最初は驚いたし戸惑ったけど、そんな嫌じゃなかったよ? 男の子みたいに幼稚な意地悪しなかったし……むしろずっと……すごく優しくしてくれて、いつも私のこと守ってくれようとしてた……。リリーの気持ちだけは、とても綺麗なものに見えた。だから全然、平気だったよ?」
ほんの少し照れくさげに、笑窪を作りながら笑う。
それは偽りの笑顔ではない。無理をしているんじゃなくて、確かな感情を乗せた、本物の顔だった。
「……リリーは、本当に私の事を愛してくれていたんだよね……今回は、こんな風にちょっと暴走しちゃったみたいだけど……その気持ちは、普通に、男の子が女の子のこと好きになるのと同じ好きなんだよ? ……その相手が私だったってだけで――そんなの、気持ち悪く思うわけないじゃない……」
彼女は膝を折り、私を優しく抱きしめた。
ふわりと薔薇の匂いがした。
「私達と同じ、普通の愛の持ち主だよ、リリーは」
「……やめて、そんなこと言わないで、お願い……私は自分が汚れていることは分っているの」
「リリー……」
「だって貴女にめっちゃエロしたいのよ!? こんな風に貴女のおパンツ様と合体までしてるのよ!?」
私はそれを、決して離さないように強く抱きしめ返す。
決して離さないように。
「ちょ、リリー、痛いよ」
「超・欲情してるんだからね? 毎日毎日心の中では舌なめずりしてはアハアしてそれのどこが綺麗だっていうの!? あんたそれでも私のこと好きでいられる!?」
「――完全無欠の好意なんて、どこにもないんじゃないかな? でも、それでもリリーとはこれまでと同じように、普通に友達で居られるよ?」
私の中の何かが粉砕された。
すっごいピリオドを打たれた。うん、この子、こういうところ、ある。
でも、そこから二人して立ち上がる。
「バカ……あなたってここぞで容赦なさすぎなのよ。それでどれだけトラブルが舞い込んだか分ってるの?」
「しょうがないでしょ? そういう性分なんだから」
「でも、」
「……嫌いじゃないの?」
「……うん」
「恋人にも夫婦にもなれないよ?」
「……うん」
「……それでも、リリーがダメだって言っても、私はずっと友達だからね?」
「……うん」
「あと、これからは堂々と、えっちな眼で見ないで、って言うからね?」
「ふ、ふふふふ――」
私は笑う。
可笑しい。
彼女は本気――本気で私という存在を許してくれている。
それでも嫌いじゃないって言ってくれている。好きじゃないでも、気持ち悪いでもなくて。
これからも一緒に居られる。友達としてで、生殺しだけど。
「――ならいいのね? 私は、私のままで」
私は全てを許された様な気がした。
「うん。だって、リリーはリリーじゃない。その方が、らしいよ」
もう一度、今度は優しく、私は彼女に抱き着いた。
「――うん?」
私はぼろぼろに泣いて、彼女はそれを静かに受け止めていた。
「ありがとう……オフェリア……わたし、本当はずっと怖くて……」
「……うん、そうだね……怖かったよね……」
「じぶんが、普通じゃないって、怖くて……」
「うん……うん……」
「ねえ? いいのよね? これからは普通に、あなたにHな冗談言っても、セクハラしてもいいのよね?」
「うん、ちゃんと怒るよ?」
「いいもの……それでも普通にしてくれるんでしょう……」
「うん……私達、ずっと友達だよ?」
それでも、彼女は理解者を得たのだ。
そして彼女たちは謝った。
罪を犯した親友と一緒に、彼女も頭を下げて。それからほんの少し口数の少ない夕食を取り、お茶を飲み、また何気ない日常に戻った。
静かな夜、大騒ぎの余韻も消え去ったリビングで、魔王が湯上りの体を涼ませていると、
「……ご迷惑を、お掛けしました。もし御所望であれば、私はこの場所から姿を消しますのでいつでも御申しつけ下さい」
これまでの、厳粛なのにどこか不遜な高尚さはなりを顰め、両手を重ねてただただ申し訳なさげに頭を下げて来る。
それに魔王は、
「うん? 私は何も気にしていないよ。こんなこと日常茶飯事だ――むしろ可愛い方だよ」
イチャモンや冤罪を吹っ掛けられるのは魔王にとっていつもの事だった。
「それから――」
「……うん?」
「……昔の事ですが、聖女様のことを救ってくださり、誠に、感謝しております……」
「……ふむ」
それは、10年以上昔の事、魔王の妻がまだ一人の勇者として生きていたときのことだろうと、魔王は中りを付ける。
「あの頃、私は何も出来ない子供でした……聖女様がたった一人で世界の命運を背負っていようと、ただ、何も知らずにその背中に憧れているだけの……」
ただの群衆の一人、だけれども、
「――貴方のこと、本当は憎んでいたのですよ? 聖女様を目の前で掻っ攫ってしまって……許せないと……孤児院の慰問に訪れたあの方に、お声をお掛けして頂いたこともありましたのよ?」
「……そのこと、妻は?」
「……私はまだ満足に物心も付かないくらい、本当に小さかったですから。……グレーナ様は、覚えていないでしょう」
魔王は、もしかしたら彼女の初恋は自分の妻だったのかもしれないと想像した。
そこに付け加え、今の懸想相手――オフェリアが懐き始めた男、という百合の最大の敵に、本人無自覚のトラウマが暴走したのかもしれない。
あの時ばかりは魔王も表に出て、結構派手にやらかしたのだ。それこそ人類の敵らしく悪役ぶって。妻もまだ少女と言って差し支えない年頃で――
しかし、
「……そうかな……」
「……え?」
魔王は思う。
「……妻のところに君たちが来たとき、彼女は勇者でも聖女でもなく、一人の母親だった……そんな彼女が、後輩とは言え、わざわざ娘と一緒に危険を冒してまで、君たちに同行するとは思えないなあ……」
「それは、旦那様の安否を確認する為では……」
「彼女は、私の代から無頼者相手には人形を表に立たせてきたことは知っているよ……私が絶対に死なない体質な事もね。それが安否を確認するなんておかしなことだ。……想像だが、念の為だったとしても、それは半分くらい言い訳だったんじゃないかなあ……」
そして魔王は振り返る。
「……ああ、そういえば、妻は魔界で寝たきりだった頃、いつも、子供達を見捨ててしまったことを後悔していたよ……そのとき私も、彼女が懇意にしていた孤児院の引き取り手の無い子を引き取ったり、里親を紹介したりして手を尽くしたんだが……何人か見つからなくてね……心当たりはないかい?」
「っ……!」
「……さて、あとは本人に聞いた方がいいんじゃないかな?」
「え?」
席を替わる。
魔王は、音を消し、元の姿でそこに佇んでいた彼女に、その肩を叩き、
「今日だけは、勇者に戻ってもいいんじゃないかな?」
「いいえ。一人の人間として話しをします」
彼女はまるで子供の様に、どうしたらいいのか分らないというよう狼狽え、足踏みし、後退りしようとしながら、
「ぐ、グレーナ様……」
「大きくなりましたね……」
「あ、ああぁ……」
「お互い名前も、見た目も変わってしまっていたから、気付くのが遅れてしまいましたけど…………もう大人同士ね? そろそろお茶ではなくて、お酒でも飲みましょうか」
「わ、わたしは……」
「それから、出て行く、なんて言わないでね? 貴女ももう――いいえ、昔から、家族なんですから」
それから彼女は崩れ落ちた。
彼女たちはひとしきり、一緒の時間であった頃の話をして、それから酔い潰れた女の子を妻は寝かしつけ、変わらないと苦笑し、そして夫婦で寄り添い合った。
魔王一家は彼女を許した。
一人の父親を貶めようとしたことも、所々に迷惑と心配を掛けたことも、彼女が同性愛者であることもなにもかも何も言わずに受け入れた。
実害らしい実害も全て関係者の身内に収まっていたこともあって、学園には過激なファンからのメッセージ、ということにして真相は闇の中に葬ることにした。
それは最初はほのかな勘違い――純粋な恋心だったのかもしれない。
決して実ることのない、仮に実ったとしても多くの人から非難される。
祝福されることはなく、本当に幸せになるとは言えないかもしれない、それを拗らせた。悲しい恋と愛の喜劇と悲劇の結末は、他人はおろか自分自身を傷付けることだった。
両手放しのハッピーエンドとは言えないけれど。
それでも、彼女はいまから、前を向いて生きようとしている。
と、いうわけで一気読みしたかった方はすいません、長かったので分割しました。