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魔王さんちの再婚事情。  作者: タナカつかさ
薔薇の勇者と百合の聖者。
28/41

人妻女勇者/官能小説家のくっ殺事件簿。~推理編~

 言われて皆まず真っ先に。

 この男の普段からの妻や娘への熱烈な愛情とスキンシップ、そして胸焼けするほどの甘い言動を思い出し――

 ……それはないと思った。

 そして、ああ、ネタか、探偵ごっこのトーク企画かと思い、半分くらい本気の冗談と受け取った。

 だから一応一理ある。この男がその愛情に比例するスケベとエロス、そしてムーディーの塊であるのも本当であると、一応そこに居る面々全てが(娘まで)理解していた。

 なので彼女の理論の推移を見守る方向で静観することにした。

 あくまでお茶の間の一時、その空気である。そして、

「……ええー? じゃあちょっと待って――いま真犯人ぽく全身黒タイツ着てくるから」

「あなた、そんなのあるんですか?」

「そりゃああるさ、だって正体隠して魔王とかやったからね。マントも上着もズボンも全部真っ黒――みんなも着る? 男女問わず体型に合わせてサイズ変更が利くから誰でも行けるよ」

「着る着るー」

「あーっ! 私も着てみたいです! 勇者やってると絶対に着れない装備! 興味あります」

「ええ? ……どうしましょう、ぴっちりする奴だと、流石に、10年前よりお肉が付いちゃってますから、恥ずかしいことにならないといいのですが……」

「何を言っているんだい……あの頃よりずっとセクシーになっているよ」

「あなた……」

 和気あいあいとした。が、

「――私は真面目です!」

『ええ~っ』 

「――その暢気な態度を! 止・め・な・さ・い~~~~っ!!」

 女僧侶は静かに息を吸い、大きく口を開けてそう言った。

 津波の後のよう波が引いて。

 みんな思った、え、これ真面目な話なの? と。

 でもそういえばそうかと。なぜこうなったのかと。

「……君が悪ノリを被せて探偵台詞を言ってしまったからではないかね」

 皆、とりあえずソファーに姿勢を正した。

 テーブルの上にポップコーンと炭酸ジュースをしっかり用意して、あくまでざっくばらんな座談会の雰囲気だが。

 さっそくと舌を湿らせ塩気を口に入れようと――

 推理役にギロリと睨まれ魔王一同は手を伸ばさないようにする。

 元々はストーカー対策会議である。その事を思い出し、若干真面目に、

「……いいですか? サンドイッチの犯行時刻は学園のロッカーに入れ、それが昼に取り出されるまでの間。でもロッカーには鍵がかけられていた。そしてその鍵はオフェリアが肌身離さず持っていた。だからもし鍵無しに中身を取り出し細工をするとしたら、施錠を外す【開錠】スキルかそれに相当する魔法が必要――更にはそのとき外部の人間が学園に入った様子はなく、また内部の生徒による犯行でもない、と、思われているということですわね?」

 それぞれ顔を見合わせ、その内容に間違いがないことを確認して視線を戻した。

 そこで、

「ですが、おかしくはありませんか? なぜ合鍵と、それを管理している方の可能性を除外しているんですの?」

疑問を投げ掛けられ、そういえば、と言う程度に一同は眼を広げた。

 そして、

「……その管理者は、誰ですの?」

「……先生」

 オフェリアは、編入当初にその説明を受けていた。

「おまけに、この方なら授業をしていないとき、生徒が授業中でも自由に学園内をうろつけますわ」

 それは、誰よりも犯行が可能な者、ということである。

 なるほど、確かに一応容疑者としての条件は揃っている、と、そこに居る者達は思った。

「そして――この家の衣類の洗濯ものは、夜に一括で洗い、下着のみ屋根裏の物置部屋に干しています……なので寝静まったころに盗むことは可能ですが、」

 リリーは無理なものを除外し、有りもしない可能性や困難なそれを模索せず、一番可能性があるものを突き詰めようとしていた。

 しかし、

『――その時間は無理』

 夫婦は顔を見合わせ、息を揃えて言った。

 何故なら完全なアリバイがある。その時間、夫婦は二人で、全く別の事に熱中している。そしてとりあえず、ハートマークを飛ばし合い視線でキスした。

「ええ、ええ。ええ遺憾なことにそれは分かっていますわ。なので犯行時刻はおそらく今朝、娘を起こし髪を編みに行くと台所を離れたちょっとの時間――部屋に入って下着を引っ掴み懐に入れ出て来るだけならほんの数秒で出来ます。あのとき、皆寝起きの慌ただしい時間で意識が散漫になっていましたし、貴方は誰の視線からも逃れていましたわね? 

 気付いてみれば実に単純な話ですわ、一連の出来事は外からの侵入者ではなく、内に最初から潜んでいたのですから……我々の警戒などすり抜ける必要も無かった。最初から敵と見做されず、我々に怪しまれず――そして女性下着を女性以上に必要とする者……」

 静々と、周囲を見渡し。

 元勇者の兼業主婦。

 その娘。

 現役アイドル兼学生勇者。

 とそのマネージャー。

 そして、

「それは貴方だけです! 無動幻真! いいえ、エロ大魔王!」

 リリーはこれまで何度となく気を削がれ、呆れかえり、そして眼を背けて来たラブラブオーラを跳ね返し、夫婦の惚気回避を掻い潜った。

 その執拗な言及に、妻は、これがただのネタ話ではないということを悟る。

「……リリー? あなた本気で疑っているの?」

「ええ。残念ながらそうよ?」

 彼女は怜悧に瞳を尖らせる。

 しかし、

『おおー、推理物っぽい』

 当の魔王とその娘は暢気に観戦していた。

「――真面目です! ただでさえ毎晩毎晩ピンク色の脳味噌で先代勇者を独り占めして夜を重ねているというのに、それでも飽き足らずに今度は私の可愛いリアにまで毒牙に掛けようなんて――」

 彼女は上着の懐から銃を取り出し、そして、

「――今ここに、勇者権限第五項――人類への一定の被害、もしくは有害性による魔王認定――街中での武力行使に移ります」

 宣言、その銃口を魔王に向けた。


 静かな夜のお茶の間に。

 硝煙の匂いと、ポップコーン、そして炭酸飲料のパチパチ感が同居する。

「――ふむ、無駄だと分っている筈だが?」

「いいえ? ここで私が敗れれば、貴方は正式な討伐対象として世に御触れが出されます――それで少なくとも、自由を奪うことはできましてよ?」

「その正式な罪状は?」

「当然、変態行為と、女勇者の下着ドロですわ」

「……また歴史に残りそうだな?」

 しかし魔王はそれを別段気にすることなく。

 手元のポップコーンに手を伸ばし、ぽりぽり、かりかり、シャクシャクと咀嚼した。

 あまつさえ映画鑑賞のよう悠然とソファーに佇み足組みしている余裕である。

 妻もその隣で脇に置いた籠から毛糸玉と鉤付きの棒を手に取り、これが終わるまで編み物をしようさえしていた。

「……違うよ? 犯人はお父さんじゃないよ?」

「……ざくろ」

 その中で唯一、娘が物悲しげに瞳をウルウルさせる。

「あのね? リアのパンツがすっごく可愛かったから、私もああいうの履いてみたかったの。私、いつも三枚セットで1000Gの綿パンだったから、つい――」

「――ざくろ。平然と嘘はダメですよ? この前そういうの、お父さんにプレゼントして貰いましたよね? それにお友達との比べっこ用に、ちゃんと可愛いのも買ってるでしょう?」

「でもいつもは綿100%のだよ?」

「それが一番履き心地がいいって言っていたじゃないですか」

 が、どこからどう聞いても演技と分る演技で、じゃっかん棒読み気味にとりあえず話に乗っかり盛り上げようとしているのは明らかで。

 妻も普通にダメ出ししている。娘が性犯罪者にされかけている父親を助けようと健気にも拙い嘘を吐いているとか、そういう感動は無しである。

 そんな中、オフェリアはただ、真面目になっていいのか仲間の凶行を止めるべきかと眼を白黒困惑していた。

「だってなんかチクチクしたりゴワゴワするんだもん。お母さんのは全部触り心地がいいのに」

「貴女にそのレベルの高級下着はまだ早いです」

「ええ~、……お父さ~ん」

「……ん~、可愛くいおねだり出来たら考えようかなあ?」

「――お父様。私もお母様のように、綺麗な格好をして、お父様と一緒に寝たいの……」

「――ざくろ。お父さんとお母さんは一緒に寝るだけじゃないんだよ? ――もっと仲良くしなくちゃいけないんだ」

 楚々とした上目遣い――

 娘は声まで清涼な鈴の音の様に作り変え完璧なお姫様になった。しかも凛とした気配まで纏い、これまた【かわいい】と【綺麗】をいい塩梅に配合した可憐な――いや、もはや華麗な姿である。

 中々演技の幅が広い娘に、父親として感嘆としつつ、暗にもう一声サービスしてと言っている。子供に何を要求しているんだと思われるが、

「じゃあほっぺにちゅーまでならいいよ?」

「――今すぐ買いに行こうか。今晩は両手に花だ」

 そんな夫と娘に妻はちょっと呆れながらも、やはり憎み切れずに溜息を吐いた。

 妻は夫が仲間からガチで下着泥棒の変態にされかけていると理解していたが、微塵も焦っていなかった。平和な世界――安定の魔王劇場に、リリーの内情とは別のところで怒りが火を噴こうとしていた。

「――この馬鹿家族……!」

 否、既にその銃口に引き金に指を掛けそれを引き絞ろうとした。

「とにかく、そこのエロ大魔王がリアのピンクのチェックにフリフリフリルの超可愛い奴を盗んだのは間違いありません!」

 その時だった。

 ちいさく、彼女が眉を上げたのは。

 そして、

「はぁ~、あのねリリー、ひとつだけ言わせてもわうわね?」

 妻は余裕たっぷりの女の顔をした、元・勇者の強固な笑みを浮かべる。


「……何? グレナ、あなたが夫の無実を信じて疑わない気持ちは分かるけど――」

 無視して、

「――そうね、こういうとき、言うならばこうね……」

 ビシッ! と。

「――異議あり」

コントを止め、悠然と立ち上がった。

「――リリー、とりあえず言わせてもらいます。あなたの推理は推理じゃなく、ただの推測で、何の物的証拠もなければ確証もない、ただのポンコツ理論でしょう、それでこの人を討伐対象にすることはできません」

 元勇者らしく、妻は毅然と踵の音を響かせ、そして整然と悠然とその唇をしならせた。

 あまりにも堂々と、そして一片も揺るがぬ夫への愛情と、誠実な決意を込めた凛とした表情に、リリーは眼を逸らすよう動揺する。

「下着ドロの犯行時刻に関してはまあ問題ないし、理論上の密室――これはある意味完璧ですね、たしかに私の気配察知能力を潜り抜けられる技能を持つ人は中々いません――それが出来るなんて関係者じゃない限り無理ね。これだけで犯人は内部犯に限られるでしょう。でもね、リリー……サンドイッチの件はどうなるの?」

 整然と並べたてられた――しかし、自身を肯定するそれに、彼女は表情を取り戻す。

 不敵に、口端をほんの少し吊り上げた。

「そ、それもそこにいる魔王でしょう? 今日、朝、彼が朝食の準備と一緒にしていたのですから……そう彼なら今日この日起きた全ての犯行が可能ですわよ!」

 確かに。

 そうして学園で鍵を破る前から入っていたのなら、校舎に侵入者の形跡がないことも、同じ生徒が犯行を犯したわけでもないことにも説明が付く。

 それには妻も文句は付けられない筈だが。

「ええ、そうですね。でもそれならば、もう一人、犯行が可能な人間がいるでしょう」

「な、なにを」

 だが妻は、それをまた整然と打ち砕く。

「――もっと相応しい人物がいるのよ、確実に、より自然に、犯行が可能な人物が――」

 それは再度、そこに居る人間の感情を揺り動かした。

 犯人は別にいる。そして、これまで並べ立てた理論を鑑みるなら――

 この中に居る。

 それに憮然とした態度ち、泳ぎそうになる視線を隠せぬまま、

「……そんなの、居ないわよ。この家の中で、自然に動き回れて、今朝、サンドイッチに手紙を挟み、下着を盗むことが出来たのは、あなたの旦那じゃ」

「いいえ。違います」

 視線が交差し、眼光がぶつかり合い、弾け合った。

 ソロで戦ったとして、絶対に負けないのは確かに魔王だ。

 しかしこの事件が可能な能力、として見た場合――

 この場に居る全員がそれを可能としている。

 だが、そうではない。

 犯行時、それを可能とするのは、そんな能力ではなく、

「――みんな下着ドロのエロで忘れているみたいだけど思い出して。事件はもう一つあったでしょう? 昼食のサンドイッチに変態メールを送った、ある意味下着ドロより変態度の高い事件が。……そしてそれこそが真犯人を確定付ける状況を示しています」

「……どういうことなんだい、グレーナ」

 そう問い掛ける魔王に銃口を向けたまま、リリーは妻を凝視する。

「単純な話です。……昼食に挟まれた手紙は、鍵付きのロッカーを開けて犯行に及んだのではなく――ここで……作ったそれを紙袋に入れ、その後のわずかな時間、犯人以外誰も居なくなったときに犯行に及んだというのなら……、あのとき、それが本当に自由に出来た人間がただ一人、貴方以外に居るんです……」

ここに居る面々はその口述から当初、それぞれ家の外と内で起きた事件と思い、つい二つ目の下着ドロも外部の犯行として考えていた。

 しかし、それは内側からの裏切りという前提を置くことで覆され、動機と犯行時間などの関係から、魔王にその容疑が掛っていた。

 だが、

「……リリー、あなた……私がお化粧と髪を整え直している間、どこで、なにをしていたの?」


 妻は問い掛けた、魔王と娘、そして、彼女の相方の前で。

 容疑者に。

 しかし、

「――ね、寝坊し掛けていた私を、お、起こしに来てくれてたんだよ!」

「……リア……」

そのとき彼女の相方は、咄嗟に彼女を庇おうとした。

 妻は彼女に、そして、リリーに悲しげな視線を向ける。

 容疑者は哀愁漂う瞳で、まるで全ての力を抜いたよう佇んでいる。

「ねえ、グレナさんが降りて来たとき、私、もうリリーと一緒に居たよね? 旦那さんも、ざくろちゃんと降りて来たとき、袋の位置とか、向きとか、何も変わっていなかったでしょう? ――ほ、ほら、もう止めようみんな、リリー、ダメじゃない――私達グレナさんにも旦那さんにもざくろちゃんにもいっぱいお世話になってるのに、こんな疑いを掛けるなんて。きっと外の人だよ、ほら、過激なファン!」

 ずっと彼女を支え続けて来た。

 だからなのかもしれない。

 だが、

「――リアちゃん……こういうとき、庇ったりしたらダメですよ?」

 妻は何かを確信している様である。

 そして、

「ねえグレナ、私は女よ? それなのにどうして、フェリアの下着なんて盗む? ……そこにどんな動機があるっていうの?」

 彼女は、自信を持って、それを否定した。


 元聖女の先代女勇者は私を追い詰めて来る。

 ああ、十数年前、私がまだ本当に小さな子供のころに拝見した、そのときの御姿が蘇ってくる様だ。

「――それです。だからこそ、貴女はこの女の園に等しい我が家で、他に犯行が可能な者が居ない中で女性下着が盗まれたら、その疑惑が私の旦那様に向かう……そうなればたとえ疑惑であってもその信用はがた落ち――いえ、この家の安全性自体が問われることになる――そのあとは自然、あなた達はこの家から出て行くことが出来る……それが最終的な目的、ですよね? リリー」

 でも、悲しいことに、その正義の剣は今私に向けられている。

 どうしてこんなことになってしまったのかしら……。

 その思いに呼応するように、彼女は推論を披露する。

「――どうしてそんなことをしたのかは……おそらく、友愛、親愛、これまで自分が独占していたオフェリアの一番であることを奪われてしまうような気がしたから――ちがう?」

 私は微笑む。違う――違うわ。

 そんな薄っぺらな物じゃない。私が欲しかったのはそんな誰かと比べられ順位付けがされてしまう様なものじゃない。

 親愛なんて生ぬるい、女の友情なんて紙切れよりも薄い形骸でしかない。

 私にとってそれは、家族愛よりも、神への愛よりももっと大きくもっと特別で深く大きく、何よりも勝るもの――

 笑ってしまう。笑ってしまうでしょう、そんなもの――

 だから悠然と、

「――あら、どうしてそんなことで?」

「女は女の友情を信じていない――だからこそ、その分だけ真の友情も愛情も常に求めている、……でしょう?」

 まるで、ここで頷いてほしいという様に、彼女は哀愁が漂う程の慈愛に眼を細める。

「……そうかもしれませんわね……でも、違いますわ」

 貴女には分るわけがない。世界を変えるだけの力を持ちながら、それを捨て、男に走り、心を奪われ、平凡な愛と平凡な家庭(?)に満足している貴女には、私の様な特異な愛の持ち主の気持ちなんて――

 女は女の感覚を知る。言葉だけでなくその陰湿な中身や、半面、何よりも乾いた孤薄さも。嘘をごく自然に息をするように、水を飲む様に吐くことが出来る。

 自分自身を騙すことも、他人を騙すことも。

 だから……綺麗な心根の聖女様あなたは分からないわ。

 私の感情なんて。

 私は、私の感情を、心を偽る。

「――リアに新しい人間関係や友達、信頼関係が出来ることを喜ばないと思うの? ふふっ、ふふふっ、むしろ嬉しいわ、それは本当に喜ばしい事ですわよ? 恋も愛も友情も、挫折も苦節も後悔も、それにより人の生き様のいろいろな感情を知って、経験を得て、より人として成長していくことは彼女の音楽家としての人性の大いなる糧となりますのよ?……それなのにどうして? まるで私が、私の手元から巣立ってしまうことを、彼女の成長を願っていないかのように見えますわ……」

 どうして――そんな風に。

 人とって一番大切な人を。

 自分で壊し、腐らせ、傷つけようとするのか。

 あなたには分らないでしょう? ごく普通に幸せに辿り着き、満たされている貴女には。

 でも、

「そうですね、あなたは本当にリアの事を思っています。それは認めます。でも……他にも、もっとも単純な理由があるでしょう? ……貴女を狂わせるだけの、理由が」

 心臓が跳ねる。

「……あら、それはなに?」

 静かに、音を上げ、

「……リリー、だってあなた以外居ないのよ? 彼女を、それ程愛しているのは」

 恐怖が忍び寄って来る。

「……なに?」

「まず、私の旦那様は、彼女の下着なんて盗もうとしません、そんなものに、何の価値もないからです」

「――どうして? 現役女子学生の現物よ? それに魅力を感じない男なんて居る?」

「……あなた」

 妻が夫に証言を求める。それに応じ、彼は厳かな様子で。

 そっと娘の耳を塞ぎ、

「……生憎だが、私は他人のそれも、干されているそれにも興味はない……下着に問うのは愛する人が穿いてこそ輝くもの……私は妻が今穿いている下着だからこそ、自分の手で脱がせて、懐に入れ、そしてここぞというときにそこ保有したくなる……!」

「……昔、戦いに赴くときに、君が傍にいる代わりだって、穿いているものを脱がされましたね……血の匂いに酔いそうになったら、これで思い出すからって」

 この……変態夫婦が!

 その下着でなにをしたんですの?! まさか、嗅ぎいえ、これ以上考えたらだめ!

 私は頬が引き攣りそうになるのをどうにか堪える。

「それと、毎晩私に夢中になってるのに? それでも足りないって言うくらいなのに、他に目移りする余裕あると思う? 隙あらば腰砕けになるまでキスを求められるのよ? ……よしんば、満足させられていないとしても、一緒に暮らし始めてから、あなた達に色目を使ったことがあった?」

私は思った。

 ……確かに、否定できない――

 この夫婦は夫婦間が良好過ぎる――むしろちょっと周りの事を気にして自重して欲しいくらいラブラブな雰囲気をそこら中でまき散らしている。

 部屋の隙間から、ちゅっ、ちゅっ、と音がしていたらとりあえず立ち止まって、もう一度来た道をあえて大きな音で歩き直さねばならないくらい。

 まるで森の中、クマよけに歌いながら歩くとか鈴をつけているようなものだ。

 しかし、物凄い説得力である。それでもあえて犯行の可能性を上げるなら性欲が大きすぎるというところだが、この二人の場合、それ以上に愛情が大きすぎると言った方がしっくりくる。

 性の話題はひと段落したのか、父親は娘の耳を離した。

「……サンドイッチを唾液塗れにしてメッセージカードを添付したのは?」

「そんなことしなくても、直接キスが出来るでしょう?」

「なあ?」

 言いながら、した。

 それはもう、二人は幸せなキスをしましたFin――と言わんばかりに見つめ合って、

ちゅぱ音はしない。慎ましやかで上品なキスだ。なんかもう、物語が違う。

 それを見ていると、なぜだろう、心がささくれ立ってくる。謎の敗北感を感じる。

 そこで彼女は、

「まあそんなところもあって、私は最初から、私の旦那様が犯人じゃないって分っていました」

「……なんですって?」

 どういうことか。下着を盗んだり、リコーダーを舐めたり、女の物に唾を付けたり変態行為するのは男の専売特許ではないか。

 誰でもそう思う筈……。

「だって貴女――じゃなくて、真犯人と私の旦那様、二人のエロのレベルは明らかに違います」

「え、エロのレベル?」

 ――なによそれ。

 私の素で疑問に思う内心に同意するように、娘と、そしてオフェリアも首を傾げている。

「ええ、エロのレベルです。そして更に言うならこの事件と犯行は童貞バージン臭い」

ど、童貞(ば、バージン)……?」

 私は思った――むしろ訳が分らないわ。

 そしてエロ大魔王は神妙に妻に同意している――

 これが同レベルということ?

「ふっ、分らない。分らないでしょう――それこそが貴女がこじらせ生娘バージンの証明――」

「ちょっ」

 経験者はさっきから恥かしげもなく非推奨の言葉を堂々と曝け出して……!

 これがレベル差か――

 いや、他人の股間の経験値を語らないでよ――あってるけど!

「いいですかリリー、ちゃんと恋人が居たり、夫婦間に愛があるカップルは他人の下着を盗むなんて低俗なことはしません。何故ならそんなことをすれば大切な人への裏切りだから。なによりもしそういうことがしたいなら、正直にお願いして甘えあってしまった方がはるかに楽――」

「……それは……」

 間違っていないと思う。お金を掛けて風俗産業にお金を落とすぐらいなら自分のパートナーに頼むだろう、ていうか、盛り上がる。

「もちろん、いい歳した童貞でも処女でも清らかな心根の人はいますけど、それが出来ない人間が、犯罪に走るのよ?」

 性欲や愛欲を発散できないと人はそういう間違いを起こしやすい。逆に性欲や色欲に溺れ暴走する輩も居るが。たとえ独り身でも、正しい愛を心に満たしている人間はその手の悪に手を染めたりはしない。

 ちょっと屈折した人生観なら持っていそうだが。

「その上で言わせて貰いますけれど……むしろ私の旦那様は、エロでも愛でも与えて喜ぶ方です」

「与える、ですって?」

 それは噂に聞く、夫婦の寝室で、ベッドの上に『これを着て欲しい』って具合にエッチな下着が置かれていることがある、というあれだろうか。それとも恋人とセクシー下着を買いに行く、遭遇するとちょっと迷惑なあれだろうか。

 はたまたエロ本のアダルトグッズの紹介にある過激下着にチェックを入れて折り目を付けたり、それを見える位置に放置しておくことだろうか。

 ふーん、こういうのが好きなんだー、みたいな。

 むしろこの二人は、その程度の事既に通り過ぎていて、もっとすごい事をしていそうで怖い……。

「……貴女が今想像しているのは、せいぜいカップルが下着屋に行くとかベッドの上に着て欲しいそれをおいて置くとかその程度の事でしょう?」

 心を読めるのかしら。しかし、

「……何故、それが?」

「ふふっ、それが童貞の妄想――つまりレベルの低いエロの証明です。――この人はそこで自然に調べられたサイズを利用して、後でオーダーメイドのウエディングドレスを用意して来ます!」

「下着を買う振りをして、ドレスの発注ですって……」

 そこで彼女は指を差した。

 暖炉の上、飾られている写真立てには純白のウエディングドレスに身を包んだ彼女と、晴れ姿の夫、そして娘が写っている。

(つまり、れっきとした事実――!)

「――そ、そんなことを……!」

「更にレベルが高くなると、以心伝心、その日のちょっとした表情や気配、仕草の模様で、どんなプレイがしたいのか、どんな下着を選べばいいのか、それくらい分かります……」

「な、……なんですって?」

 そんな超能力染みた奇行ができるの!? うそでしょう?!

 おそろしい……私に出来るのは、せいぜい目立たない花を選んで部屋に飾っておくとか、疲れて眠るその隣にこっそり座って、匂いを堪能したり、寄り掛かって来ないかなあ、とか妄想するばかり!

 まさにレベルが違う。

「私達、経験者は我慢なんてしません。いえ、愛し合うことに余念がないというべきでしょうか。例えば着て欲しいコスチュームがあるかなんて聞いたら『いつも着てくれてるよ』『え?』『君はいつも女神さまの格好をしているじゃないか』なんてさらっと言ってきますよこの人は。それも毎日愛情たっぷりに、情熱的にです。貴女なら愛する人に言えますか? そんなことが」

「くっ……」

 言えるわけがない、言えるわけがないのに……知ったような口を……! 

「この人は常に愛を与えようとしてくれる、決して愛を奪おうとはしない、優しすぎるくらい優しくて……純潔を失い女にされた時ですら、むしろ乙女に戻されていると感じるほどでした……」

「いや、それ今言う必要があったか?」

 夫が突っ込みを入れているが無視して、

「――貴女のした下着泥棒という行為は童貞臭のする、自分さえ満足できればいいという自己中心的な物――言うなれば自慰行為です。それも例え大切な人でも踏みにじって自分のものにしたいだけ――それは愛を欲していても、決してその人を愛していない、愛情とは似て非なる傲慢です」 

 ――それが経験済みと未経験の者の間にある隔絶たる余裕の差――だというの? 

 あなたには、それがあるというの?

 悔しい……悔しい……!

 けどそれ以上に――

「――それが私の旦那様と貴女とのエロレベルの差! それすなわち愛の差、愛の深さの差です。だから私の旦那様は決して下着なんて奪ったりしない――」

信頼している、自分の生涯のパートナーの事を―― 

 心の全てを開示している。それは確かに私と彼女との間にはないもの。

 そして元勇者は言う、

「愛とは奪うものではなく与える物でもなく、そこにあるもの。自然的で必然的で、それはその人が磨いたただ純粋な力なの……言い換えるなら、その人そのものなのよ? だから本来、自然に人を愛することはひどく難しい事……。ただまっすぐに生きること、正しく生きることはとても難しいです……」

 

 暗に、諭そうとして来る。

 道を踏み外すことは間々ある。しかし、間違いを認めて、自分で正せと。

 でも――そんなことは分っている、分っているのよ。

 でも、どうにもならないのよ。そこでどうにかで来るのはどうあっても正しく生きれる人――他人から、世界から正しいと評される人なのよ。

 自然に人を愛したくたって愛せない人も居る。

 私はそちらの側であることは、とうの昔に理解していた。

 それでも私は後悔していない。

 そしてだからこそ認められない。そんなふうに自然に愛し愛されることに出来る人間を、

 それがどんな不自然な事で不格好な事で不様で醜い人間の所業だとしても、私はそれを認めることが出来ない。

 だから言う。

「――証拠は?」

 まだまだ余裕。

 追い詰められているけど、まだまだ余力はある。

 逃げ道は用意してある、でなければ犯行には及べない、でなければ実行には移さない。

 そういう世界で生きて来た。

「ふふふっ……グレナ、証拠がありませんわよ? あたかも私が犯人であるというように話を進めているけれど、証拠はどこにあるんですの? 真面目なお説教で人を改心させ自供を促すつもりでしたか?」

 私に繋がる物など何もない、現場には指紋や足跡、証拠となるものは何も残していない。

 サンドイッチには唾液は残っているでしょうけど、常識的に考えればそんな汚いものは捨てている筈。そうでなくても【一角獣の蹄】である私はその手の検査や犬の嗅覚を掻い潜る為、ありとあらゆる匂いがしない体質に改変されているし、身体から体液や汗などが切り離されると、ランダムでその中にある情報が変調する呪法が刻まれている。だから調べれば調べるほど混乱するし、たとえ旧世界の超技術でも判別は不可能だ。

 盗んだ物に関しても、常人には決してわからない所に隠している。

 だから決して、私にはたどり着けない……!

「……証拠、そう、証拠ですか……本当に、それでいいんですか?」

「……なにがですの?」

「ここで見せてもいいのですか? ……それで本当に困るのは、貴女ではありませんか? リリー」

「……」

 ふと、疑問に思った。

 ――ここに居る人間に、一人としてまともな人間は居ただろうか? と。

 寒気がした。

「――リアちゃん」

 どうして、彼女の名前を呼ぶのか。

 そういえば、どうして彼女はまず真っ先に、私を庇おうとしたのか。

 何か、私に繋がる、確信的な物を得られるのではないのか?

「……な、なんですか?」

「……教えてあげて」

「何を、かな?」

「あなたが、さっき気づいた事をよ」

 彼女の肩が震えた。あなたは、いったい何に気づいたというの? どうしてそんな――すっごい冷や汗で、HENTAIを見るような眼をしているの?

 もう……どうしてそんな顔面真っ青で、カタカタと必死に眼を逸らそうとしているのかしら? あはは? 怖くない、怖くないわよぅ?

「……な、何も知りません……私は何も気づいてなんかいません!」

「リアちゃん……自分の大切な人に、罪を重ねさせてはダメよ?」

 その言葉に、私の天使は悲痛に顔を歪ませた。

 そして、

「……ねえ、リリー……」

 一番大切な人が、心配そうな顔をして訊ねて来る。

「……なあにフェリア」

「……私の昨日の下着の柄、どうして知ってたの?」


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