人妻女勇者/官能小説家のくっ殺事件簿。~事件編~
「ただいまー」
「――おかえりなさい。あなた」
再婚した元妻の新妻が、尻尾をぱたぱたと振る様に駆け寄ってくる。
ほのかに浮かんでしまう喜色を抑えて、緩み微笑んでしまう。
今日は、魔界の方の会議に出ていた為、魔王は夕食を一緒に取れなかった。ここ最近これでもかと言わんばかりに時間を埋め合って来た所為か、そのほんの少しの時間も夫婦にはひとしおである。
「……ただいま」
「……おかえりなさい」
さほど重要じゃなくても、二度確認した。いや、この夫婦にとってはとても重要なのだ。だからしっかりじっくりと抱擁を交わし、背中に手を伸ばし合う。
既に家の中――外界との扉はもう閉じられている、邪魔する者はいない。
「てい」
お互い甘え切って、その匂いと、愛しい肉の感触と、肌触り、ほんの微かな衣擦れさえ堪能し合うその間に、ズムリと、合掌させた手刀で突入、二人の間を割くように一刀、娘が侵入して来る。
「……二人のじゃまー」
夫婦は頷き合った、そして四本の腕で囲い、逃げ道を塞いでダブルに圧力を掛けプレスした。
むぎゃぁああああ! とじたばたしているが気にしない、しばらくして大人しくなった。娘はその間でスンスンと匂いを嗅いでいる。
その頭を二人してくしゃくしゃに撫でる。
「……二人はまだ帰っていないのかい?」
「ええ」
下宿人である残りの二人はまだ、この辺りの興行主や都市の役人と顔合わせをしているのだ。だから最近は帰宅が遅くなりがちである。
特にマネージャーの方は、それに先んじて押さえられるホテルや各種広場、酒場、村や町の年間行事なども調べて折衝を重ねているので彼女以上に多忙だ。
「大変ですね……疲れて来るでしょうから、なにか軽く用意しておきましょうか」
「ああ、それがいいよ」
「あなたも何か召し上がりますか?」
「……そうだなあ……」
夫は妻の体を、上から下へと意味ありげに見つめた。
「――あなた?」
「冗談、冗談です――と見せかけてこっちの娘さんをガブリと――」
「ヘンタイ! HENTAI!」
「んー、大好きだからしかたないだろう~」
「……分ってるからそういうの止めて、恥ずかしい……」
「ん? ――ごめんごめん、でももう少しだけな?」
娘の抗議と抵抗を無視して優しく、でもギュッとハグする。
父親がそんな風に素直に甘えると、娘は仕方なく抵抗を辞めた。
10秒きっかり数え、娘は髪を整えながら上目遣いに離れ、照れ隠しに小走りでリビングへと向かった。しかし一度だけ振り返り、父親の事をそわそわした視線で一瞥してくる。
魔王は疑問に思うが、娘が見えなくなったところを見計らい、妻が小声で、しかし弾むような声で告げる。
「――お夜食、もうあの子が作っているんですよ?」
「――なるほど」
父親は娘と母親の厚意を理解し、さっそく食堂へと向かおうとした。
その袖を引き、
振り向かせた驚く夫の手に自ら手を重ね、導き、躊躇わず乳房を揉みしだかせた。
そして爛々とした笑みで、
「――……灯りが全て消えたら、私も食べて貰いますから……」
「……子供が《・・・》優先だね?」
妻は何も言わずに背伸びする。夫の唇に唇を押し当て、音も立てずに舌を絡ませる。
離れると、その瞳が妖しく揺らめき、仄暗い三日月の様に嗤っている。
妻は夫との唇と唇の間に掛った透明な糸を、愛おし気に豊満な胸の稜線に沿い、愛撫するよう手の平でなぞる。
今すぐそこに貪りつきたい衝動に、夫は駆られるが、二重の意味で子供を優先すると約束したそれに鉄壁の自制心を働かせ、堪えることにする。
だが愛情表現を欠かす必要はないと、妻を腰から抱き独占し横に伴わせた。
そして回した腕の先、妻の胎の上で五指を広げて撫でる。夫の熱烈な意図を察し、妻はそれに両手を添え、既に宿っているかもしれないそれを更に温めるように包み込む。
嬉し気に、唇に、色情と愛情に塗れた弧を描いた。
女の歓びが滲み出ている。
子供のところに早く行こうとしたはずが、ついつい見惚れてしまう。
連日抱き続けている所為だ、どんな慎ましい服を着てもそれが隠せなくなってしまっていた。清廉とした中にある嫋やかさや、更に大きくなった包容力――そのそこかしこに、真逆の色艶と香気が絡みついている。魔王も自制心が少し弱くなっていた。
その優美な曲線を描くスカートを、壁に押し付けそのまま下着の中まで手を入れて蠱惑な肉付きを鷲掴みにしてやりたい――
だが早く娘のところに行かなくては――
ここで襲ったら負けだ。父親としても、夫としても――
気付けば唇が目の前にあった。そこに、
「――ただいま戻りましたぁ~」
「――すみません、すっかり遅くなってしまいましたわ」
「おかえり二人とも――」
「おかえりなさい――今日も大変そうね?」
慌てることなく、突如として帰宅した女勇者と僧侶に。
もう既に、いまそこでセックスの前の前の前戯の様な甘~い駆け引きをしていた雰囲気は全くない。これで平常運転だ。既に数日、居候さんたちと暮らし始めて、その辺の切り替えもキレが出ていた。
コートや帽子を腕に抱えている彼女たちとまた二人は何食わぬ顔で――しかし終始、肩より親密に、腰で、寄り添い合い抱き合いながらリビングへ向かいながら、
「――これから軽くお夜食にしますけど、二人ともどうですか?」
「いいんですか? 頂きます!」
「私はお気持ちだけで十分ですわ、」
「あっ、それで制服は――」
娘がさらに増えた足音と声に食堂から顔を出しに来た。
その手にはお玉が握られている、それに暖かな笑みを送り、魔王は、もう少しだけ待っててね? と視線で言いながら、
「ああ、出来ているよ? ほら、これだ」
一旦妻を離し、空間収納から学園で預かった彼女の制服――学園の校章を入れたローブを取り出し、オフェリアに手渡した。背中に翼が、頭に角が、下半身が馬だったりと色々な種族が居るので、ローブ以外にも色々な型がある。
それに妻やマネージャーも、彼女が腕の中で広げたそのお披露目に視線を走らせる。
「リリーはローブにしたんだ」
「うん。えへへー、なんか如何にも学生、って感じでしょ? ――どう?」
そこで広げるだけでなく彼女はさっそく袖を通して、くるり、ひらりとその場で右に左にポーズを付けるその姿に、娘は思わず、
「――アイドルだ」
「え? こ、これからは学生も兼業だよ?」
普通の学生は即興で、そんなあざと可愛く目線を意識したポーズなど付けられない。なにより日ごろそれを生業としていなければ自然に出てこない。
彼女に至っては半ば無意識――職業病、もしくは天然というそれに魔王一家は黙々と頷き、マネージャーが自慢げにあごをしゃくった。
そこで魔王は、
「……そうだね。じゃあ、これから魔族も通う学園に在籍する訳だけど、その辺の心構えは大丈夫かな?」
「大丈夫です! 魔族の方々が概ね悪い人じゃないってことは、ここでもう魔王様に証明して頂きましたから!」
彼女はそう元気いっぱいに答えた。
魔王は勇者という経歴上の注意事項を言外に問い掛けたつもりなのだが。
彼女が敵視するのではなく、される側なのだと言いたかったのだが、ちょっと見当違いな答えが返って来た。
ただ能天気に答えたわけではなく、芯の通った目線を感じ、魔王はそうではないと思うう。それも覚悟の上なのだと。
これはこれでいいのかもしれないと思う。
それに、信頼を得ている。そうあらぬ誤解を招きそうなほどの笑みだ。
しかし、否、だからか視線が突き刺さる。
「出合い頭からの新婚再婚家庭の壮絶な甘々生活を間近でみせられたら、まあ毒気も抜かれるというものですわ」
でも、情操教育上あまりよくありません、と元・聖職者は語っている。
――つまり愛ある家庭は最高の教育現場、と魔王は自賛する。
妻も同じようで、愛が世界を救う! と言わんばかりにまた夫の首に腕を絡めしな垂れかかった。
「――キスは止めなさい」
「――見つめ合うだけ」
「――それも禁止で」
それだけでも常人をはるかに超えるLOVEオーラを撒き散らすからだ。
やれやれと二人は離れるが、リリーはその眼光を緩めない。
そこで真面目に、魔王は生徒の一人に向け教師として告げる。
「いや、悪い魔族も当然ながらいるよ……だから何か厄介ごとに巻き込まれたらすぐに言うようにね? そのことについてこれ以上はあえて言わないが……そうだなぁ」
小言を掲げるのは好きではない、とでも言うように咳ばらいをし、
「オフェリア君、明日から――楽しみましょう」
「――はい?」
先生の顔をした魔王に、オフェリアはまばたきを返し、リリーは眉をハの字にした。
夫は、目の前で疑問げにする彼女らにかつての自身を重ね、妻が温かな苦笑を零すその視線を気にしつつ、もう少しだけ掻い摘む、
「……君たちみたいな子は、もう少し人生を楽しむべきだ。まあそれだけです。深く考える必要はありませんよ」
「……! ……はい、先生」
魔王の意図するところに、オフェリアは笑窪を作って笑った。
それから揃って娘の作った夜食を取り、英気を養うために早めの就寝となった。
もちろん、灯りがすべて消えてから、夫婦は夜の生活に移ったが、それはまさしく別バラということである。
魔王は学び舎をアイドル女勇者・オフェリアを伴いながら教室へ向かっていた。
既に職員室での彼女のお披露目は済んでいる、彼女の春に咲き誇る花の様な見た目のお陰で、人、魔、両方の教師たちに概ね好感触だった。既にアイドル活動をしていることを知っている教師の一人が一曲強請るなどしたが、そこは近く開催するライブの招待券を配り回避した。
マネージャーの仕込みもあるだろうが見事な回避力、そして営業努力である。
「……でも今更ながら、本当に魔族の方々と共生しているんですねえ、この都市は……」
「まあどうにか、と言ったところですよ? 生活様式や文化的価値観に留まらず、どうしても相いれない部分もありますからね。
木材を手に入れるにも木の精霊や妖精などの種族と話しを付ける必要があったり、海に出て漁をするにも、そこで暮らしている海人族の家や魚牧場に掛らないようにしなければいけなかったり」
人が人だけの為に暮らしている世界では、他と上手くやって行こうとするほど不自由になるのは、生存に必要な物資、それだけでない。
多様な種族と暮らさなければならない魔族は既にそれに慣れているが、人はまだ精神的な障壁が大きいのだ。たとえば獣人族は毛皮があるから局部を隠すだけの様な服を着なければ夏は熱中症になるのだが、それを公序良俗に反するとか、性的な好奇心にあふれた目を送ってしまったりするのは彼らにとって甚だ遺憾なものである。
そこをどう上手く理解し合えばいいのか、間を取ればいいのか、どちらかに寄せればいいのか、そんな課題がこの都市には溢れかえっている。
「身近な所でいうと例えば、吸血鬼の隣の部屋だと夜五月蠅くて眠れない、とかだね。そこで別のアパートに移るのか――耐え忍びながら上手く順応するか、争って相手を追い出すか……」
「人と人でも、そういうトラブルはありますね……」
「特に異種族――それもこれまで敵とみなしていた種族同士では難しいでしょう?」
そこであえて、この都市に移住してきた人は最初、人と魔族が入り混じった寮やアパートで生活をさせるんです」
「……私は……」
勇者である、それは、魔族とだけでなく、同じ人と人の間で会っても隔たりを生むことがある。それを察した魔王は、
「――そう構えないこと」
「先生……」
「……まずは自分のことを話してみてください……よっぽと捻くれてなければ、相手はちゃんと話を聞いてくれます。そんな普通の生活を楽しみましょう」
それから、
「まあ、私《魔王》のようなキワモノと暮らせるなら、他ともどうにかなりますよ」
「……先生は優しいじゃないですか~」
「さて、どうでしょうかねえ?」
微笑みキラキラとした輝きを浮かべる生徒に、魔王は意地悪な顔をしながら言う。その姿はその辺のただのいい大人だ。
そうして二人は教室に入った。
魔王は騒めく生徒たちを席に着かせ、早速、オフェリアを紹介する。
「――このクラスに編入することになりました、新しい仲間です」
「オフェリアと言います。勇者でアイドルやってます。なので音楽、文学、言語学を中心に、ステージ衣装の研究などで家政学、服飾などもここで学ばせて頂こうと思っています。これからみなさんと仲良くなれたらとても嬉しいです――なので、どうかよろしくお願いしますね♪」
オフェリアはぺこりとお辞儀をし、それからあからさまではないように小首をかしげて微笑んだ。
仕上がっている。サイン会とか撮影会で鼻の下を伸ばさせてそうだ。が、
「勇者だあああああああ!」
「あああああああ!」
「キャー!」
「うわああああああああ!」
「こっ、殺される! 経験値にされちまうぞおおおおおおお!」
「サインくれえええぇぇ――!」
そこは半数が魔族の教室であった――すでにその魔族も若干ファンになりつつあるが。
人間は人間で声を消して驚き、あんぐりと口を開けていたりする。こちらは芸能人に出会った普通の一般人らしい反応だ。が、一定数はガクブル眼を下に逸らしている。きっと悪い事をしたことがあるのだろう、なまはげと同じだ。
ちなみに娘はクールに鼻でため息を吐いている。
だが騒がしい、これでは先に進めない、そこで魔王は大きく息を吸った。
胸を膨らませ、肺活量を駆使し、そして、
「――静かに!」
空間が震撼する。
生徒たちは静まった。普段はのほほんとしているが、怒る時は怒る先生である。
皆姿勢を直し始める。
そんな中、オフェリアは思った、生徒たちは教師を信用している――しかしその背後に、勇者以上に怖いものを見ているような気配が漂っているのは気の所為か。
それなのに、生徒たちは恐怖ばかりを感じていない。普通は口煩いとか逆に空気読めよとか感じるのに。これが魔王の教師としての貫禄かと。
娘は少し自慢げに口端を上げている。父親はそれに顔を緩めない様にと気を引き締めながらも、お父さんカッコイイ?! と内心で喰らい付いた。
「……はい。ではオフェリアさん、自己紹介を」
そこで魔王は教壇を譲る。
彼女はそれに華やかな会釈で前に出て、
「――私は、戦時ではない今だからこそ、国でも世界でも、種族なく――少しでも皆さんの勇気や心の支えになれればと、歌を届けたいと思いました。
その為により広く人の心を知るために、異文化、異種族、多くの心に届くようにと思い、この交流都市で、これから皆さんと一緒に、色々な『生』を学ばせてください」
それ以上のことは何も言わずに頭を下げる。
シンとする。
何の躊躇いもなくかつての敵に遺憾なく頭を下げるその姿に、魔族も、同じ人族の生徒も戸惑っていた――この都市で暮らす人間に関しては大分、異種族に対する偏見は取れてきたのだが、極めて特異的な存在はまだ経験が薄い。
しかし、真っ向から。
彼女が選んだこれからの生き方を否定しようとする者はいなかった。それを見て、
「……みなさん、彼女がこれまで戦ってきた経緯は知っていますか?」
彼女を理解するために、これからの付き合いや、ファーストコンタクトのリアクションを決めるに必要な情報が足りていない。
膠着した場に対し魔王は問いを提示していた。
世間に周知されているのは彼女がどこでどんな悪党を倒したとか、ざっくり世界平和とかその程度だ。その心情、動機の詳細を知る者はいないのだ。
その全てを察したわけではないが、オフェリアも応じ、心を開いた会話をしようと試みる。
「……私は元々争いが好きではない――というより、苦手でした。近所の男の子と喧嘩をしても負けっ放しで、どちらかというと誰も来ない場所で思い切り歌ったり、可愛いお洋服や小物を繕ったり……魔法らしい魔法は生活魔法がちょっとで。――でも、それでも勇者に選ばれました」
その時の事を思い出すような視線で、教室に居る、これからの仲間を見る。
いま語ったそれまでの自分を否定するように、ほんの少しの笑みを浮かべて。
そこにある一つ一つの視線を感じながら、彼女は、彼女の中にあったそれを更に開示する。
「――だから、人の世を治すために戦ってきました。そのとき私に戦う理由なんてありませんでした。でもきっとなにか私が選ばれた理由があると思い、どうせなら、また好きなように歌を歌って……それが私に出来るのなら、やってみようと……それが、みんなが楽しい事、幸せな事が、その手に取り戻せるようになるのならと……私自身が、決まってしまった運命の中で、希望に縋っているようなものでした」
迷いも憂いもある、それは強固な決意ではなかった。
勇者というには、あまりにも凡庸な人間が掲げる――理想というよりは、ただの意思だ。
高尚な弁舌を垂れ流すそれではない。
一個人としての心情の吐露に、面々は耳を澄ませた。
「でも、その限られた運命の中で、私に出来ることはなんだろうな、と、頑張ってきたつもりです……それが、私にとっての戦いそのもの――戦う理由そのものでした」
娘はそれを知っていたのか、さも退屈気に、猫が寝コケる様に目を細めている。
この世の悪ではなく、平凡な自分自身との戦い、それは世界を正す勇者にしてはあまりにもスケールの小さなものだ。
いや、そもそも世界を変えようとしたのではなく、彼女は、身の丈に合わせて自分を変えようとしていたと言ってもいい。
「なので、残念ながら、勇者らしくも無く、魔族が敵、人が嫌い――正義を成そう、悪を淘汰する……そんな気持ちすらなく、とんでもなく身勝手な理由で戦っていたんですよね……すみません。何かよくわからないまま勇者をしてしまっていて……」
しかし、そんな女の子が、地道に、彼女自身より遥かに大きな、人の膿とも呼べる大人や老害などと戦っていたのかと、生徒たちは心臓の奥を締め付けられる様な気がしていた。
そんな小さな気持ちで戦い続けられるのだろうか、戦い続けていたのかと。
自分達となんら変わらないような、普通の女の子が。
そこで初めて、同じ生き物に見えた。
そこで生徒の一人が、
「……じゃあ勇者さん、魔族の事嫌いじゃなかったの?」
「――はい。人界では出会ったこともありませんでしたし、見ることがあっても物語の中で……私がよく読むそれは、コミカルに描かれているのが多くて、精々物語の中の人というか」
彼女の為人を知ろうと、
「へえ~、勇者でもそうなんだ……」
「――勇者でも? どういうことですか?」
「んー、うちら魔界……ていうか、とある魔王様がいてさ、その魔王様、全然人間が憎いとか世界が嫌いとか神がウザいとかそういうことなくて、魔王らしくない魔王様だから」
「そ、そうなんですか?」
ごく普通の会話の様相に代わって行く。
「あ、その魔王知ってるかも」
「ああ、もしかして人界にも伝わってるの? ねえ勇者さ~ん、物語ってどんな話?」
壇上の彼女とだけでなく、隣同士の生徒でも。
魔族と魔族、人と人、人と魔族とで話が広がって行く。自己紹介が一挙、某魔王論議に成り代わってしまったが、
――いいことだ。と、魔王は思った。
彼女を発端に内輪に話が広がって行く。その中に、彼女も取り込まれていく。この分ならオフェリアも教室に馴染めるだろうと。
「え、え~っとですね、普通の恋愛小説ですよ? 女性向けの」
「あー、もしかしたらそれ、私読んだことあるかも」
オフェリアは肩を震わせる。
「そ、それとほかにも、伝承やおとぎ話とか民話とか、色々、逸話が残っていますからね?」
「――ああうん! そうだよね、そうだよねえ~?」
個人の趣味は自己責任である。何やら見えないやり取りがオフェリアと女生徒間で行われている気がするが、それはきっと気の所為だろうと魔王は思うことにした。
「それ、歌劇なんかにもなってるよ? 西の商業都市や王都の方で度々脚本とか演出をリメイクしてやってる」
「へー、そうなんだー」
「民話は?」
「口減らしの生贄にそれ用の祠に子供を置くと翌朝消えてなくなるとか、嫁に暴力を振るうと魔王が攫いに来るとか、そういうの」
「知ってる、それ知ってる。それあれでしょ」
「えっ? 何?」
「うちの有名どころが保護してるんだよ、子供も嫁も。奴隷商人とか暴力夫から」
「ええーっ!?」
「魔界である意味一番の有名人だよねー」
「私この前一緒にお菓子食べたよ」
「それはうそだろ!?」
大いに場は盛り上がっているので、魔王は生徒達を放って置くことにした。
その後も、選択した授業ごとに生徒たちがばらける中、オフェリアは普通の学生生活をスタートさせた。
ほのかに甘く温かく香るスープ、塗り込んだ油が香ばしく輝くローストチキン、薪窯で一緒に炙り直したパンもパリッとしている。それに色とりどり、新緑と深緑、赤、黄、白、鮮やかなサラダにチーズと生クリームも滑らかなマッシュポテト――
芳醇な食卓がそこに盛られている。
オフェリア達の改めての新生活のスタートに、妻がちょっと奮発したのだ。
そこで、
「――それで先生さんのところにホームステイさせて貰ってるって言ったら、魔族の子達が変な関係にならないかって心配して、そしたら堂々と左手薬指をアピールして『新婚生活、約一ヶ月、ラブラブだっ!!』って言い切って、教室中がヒューヒュー大騒ぎしてたんだよ?」
オフェリアは、周囲にふわりと花を咲かせるような笑顔を、夕食の和やかな雰囲気の中に振り撒いていた。恐らく久方ぶりに過ごしたのであろう、何気ないごく普通の日々と人々との触れ合いにまだ、心が浮足立っている。
それをありありと感じ、年長者二名はそれを包み込むような笑みで相槌を打ち、保護者一名はもう少し落ち着きを持ちましょう、と言いたげに苦笑を向けていた。
しかし、その保護者も流石に、その光り輝く笑顔にほだされ、自身も笑みを浮かべながらに問う。
「――楽しそうですわね」
「うん、とってもね? 趣味が合いそうな子も、普通に仲良くなれそうな子もいたよ?」
「……そう、……貴女の念願が敵いそうで、よかったですわ」
「――念願?」
魔王は妻と娘と一緒に、彼女達を見つめた。すると朗らかに困り笑いをし告げてくる。
「はい。ごく普通の友達が欲しかったので……政治、駆け引き、勇者としての立場なしに振る舞える、普通の」
「……そうね? 特別な称号を持ってると、どうしても距離が出来てしまうものね?」
それに妻は、いつかを懐かしむ様に、そう告げる。
「――もう! わたしは普通にリアの友達だよ?」
「うん、それはもちろんだね? でもそんなに可愛いと食べちゃいたいくらいかな?」
言いつつオフェリアは娘の口元をハンカチで拭った。話ながらでスープがちょっと零れたのだ。
美少女たちの触れ合いに満足しつつ、
「……各国からの要請で、教会を出ると決まったときは驚きましたが。――どこかの誰かも分かりませんが、憎らしいくらい良い方に転びましたわね」
リリーは、魔王に視線を送った。
「ん? ――なんのことだい?」
「さあ? わたくし政治には少々疎い物でして」
魔王はばれていたのかと思うが、素知らぬ顔でおどけ、リリーも涼やかに鉄壁の笑みを浮かべた。
「――何の話?」
そこで思案気に尋ねた娘に父は、
「オフェリア君に、普通の友達が沢山出来るようにって話だよ」
「……なんか悪巧みしてる?」
「いいや? そんなことしていないさ」
妻は苦笑する。まあ確かに、悪い事ではないだろうと、厚顔にものたうち回る夫に一人ツボに入ったように、長い堪え笑いをし出す。
「なんだよ」
「ふふふ……そうですね。ええ、それはとてもいいことですから」
その様子にオフェリアは、はたと眼を丸め、そして、何かを察した。
浮かんだ微笑にリリーは眼を背けるよう、温かなスープに視線を落とした。
夜が更け、魔王はベッドで眼鏡を外し足を投げ出し妻の背中を見ていた。
しばらくして、彼女は鏡台でしたためていた手帳を綴じ、夫の隣へとその腰を落ち着ける。
すると夫は自然に腕枕をし、妻はそこに横になる。
甘えるように身を寄せ、腕の中に包まれ、ほっと一息、
「……あなた?」
「――なんだい?」
「……あの子をここに招くことと、口説こうとすること――一体どちらを先に思いついたのですか?」
妻は視線を投げ掛ける。それは偶然、なんて言うには都合が良すぎるだろう。
わざわざこの都市で口説こうとして根を回したのではなく、政治的な駆け引きでもなく、彼女を無力化しようとしたわけでもなく、それはきっと――
「……嫌だ」
「――ええ?」
「どうせ魔王らしくない、と言うんだろう?」
それが答えだった。
「ふふっ……いいえ。大好き……」
妻の指先が夫を求めた。
夫もそれに合わせて――かつてそうしていたように、妻を守るよう腕の中に深く誘いながら口付けを落とした。耳に、首筋に、胸元に、そしてその下に――段々と、ネグリジェを肌蹴させ、その間すら、妻はその芳醇な肢体を摺り寄せ、妻の腰を浮かせ、ショーツのそれを解いて、ごろりと組み敷かれる。
そのまま背中に手を伸ばされ全身での抱擁に、妻は夫の愛と固い劣情を感じた。
もう準備は出来ている。
「……今は君だけだろう? ――いいかい?」
「――もちろん。分かっています。……でも……」
足を腰に絡める。
「……子供が、優先ですよ?」
ここまでしておいて、
「……どういう意味なんだい?」
「……今日、出来ちゃう日なんです」
そのとき――魔王は、魔王になったその日、夫婦の妖しい声は一切外には漏れず聞こえなかった。
しかし、このとき妻のお腹の中では確かに産声が上がろうとしていた。
魔王は朝食と、昼のお弁当の準備を彼女に代わって行っていた。
台所を開ければ大体何を使う予定であったのかは分る。鍋に浸水した雑穀と米から朝は粥、作り置きの惣菜と――
調理台には昨日買った食パンが一斤、マリネした野菜、チーズ、ハムが魔法の冷蔵庫に入っているから、昼はサンドイッチだ。
まず鍋に火を入れ粥を炊く、それから盛付けて並べればいいだけのそれは今からやると乾くので後回し、お弁当の用意を優先する。食パンの耳を落とし、適切な厚さに切り、室温のバターを纏めて全てに塗り、水気を拭った野菜とハム、チーズを交互に挟んで適当なところでナプキンで包み崩れないようにして、軽い重しを上に乗せ圧着させる。
その繰り返し――他に包むものは果物を幾つかにゆで卵だ。
それは本来妻の担当だった。忙しい時は、魔王が代行する。
今日は、妻の仕事が大変なわけではないが。
――やりすぎたのだ。
昨晩、魔王が魔王化してしまったため先代女勇者は敗北を喫した。
だがそこで彼女は覚醒した、愛の力は偉大である。そして今度は魔王が敗北した。一勝一敗、そこでお約束的にここからが本気の勝負だと魔王も復活する。
勝負は五分にまで戻った。しかし体力∞は伊達じゃない、負けても何度でも起き上がる魔王に覚醒した勇者といえども一方的な消耗を強いられた。もはや強制負けイベントだ、その連戦につぐ連戦に力を使い果たしついに彼女は指一本動かせなくなった。しかも今の彼女にはピンチを助けてくれる優しい魔王様がいない、その為体中に淫紋を刻まれあえなく完堕ち、完全敗北してしまったのである。
なお――両者は夫婦の上に合意の上なので何の問題もない。
とはいえ、ばっちり化粧をしないと子供と他人に見せられない身体になってしまったため入念な偽装中なのである。
最近ちゃんと化粧をするようになったのは、実はそんな理由である。
なんにしても朗らかな毎日である。
「――ごめんなさい、遅くなりました」
ちょっと念入りなお化粧――と、踝丈のスカートに、腕を伸ばしてもしっかり手首まで隠れるゆったりした服を着た妻がやって来る。
だが、
「気にしないで。――朝まで熱くすると約束しただろう?」
「っ、聞かれたらどうするんですか!」
「愛してるよ?」
「っ~~~! ……キスだって、見えない所だけにって言ったのに……」
「仕方ないだろう? 他に付ける場所が無くなってしまったんだ、あとは――」
まだ弱り切っている妻に言いながら魔王は唇を見つめる、そこなら跡は着かない――
妻は、心底弱りながら、今は誰も居ないことが分っていたので、それを拒めずに受け入れた。
軽いキス――朝の挨拶は終わり、二人して手早く朝食とお弁当を仕上げて包んだ。
それぞれの袋に入れ調理台の上に並べたところでリリーが起床し、朝の身支度を全て済ませてやってくる。
「おはようございます――あら? 今朝は夫婦の共同作業ですわね」
「ああ。正確には昨日の夜からなんだが――」
「――あなた!」
「おっと」
「……まあ、聞かなかったことに致しますわ」
お弁当まで作って貰っている手前である。
そして、二階から娘の足音が聞こえ始めたので父親は、
「――グレーナ、ざくろを手伝ってくるよ」
「ふふふ、お願いします。あの子ったらすっかり甘えん坊さんになって」
朝は父親が髪を編むのだ。それも、妻が妻になる前、ベッドで寝たきりの頃に魔王がしていたことである。それを聞いてどこか物欲しげにしていた娘に父親が頼み込んで了承させたのである。
「――グレナ、お皿、これでいい?」
「ええ」
「――グレナ、」
「え? なんですかリリー」
「――キスマーク、首、後ろ。子供が来る前にお化粧で隠したほうが良いですわよ?」
「やだ、気づきませんでした」
髪を結いあげる前だったので、よく見えなかったのである。
「時間が無さそうですから、今日は髪を降ろしてみたらどうですの?」
「――ごめんなさい、そうします」
仲間に促され、た妻はっぷりとした髪を結い上げていたそれを解き、櫛を入れ整える為に少し席を外した。
それから揃った一同は朝食を取り、それぞれが弁当包みを手に取り、職場や教室へと向かった。
そしてまた何事も無く一日が始まり、終わるだろうと思っていた昼時――
魔王が職員室に弁当を取りに学舎の廊下を歩いていたときだった。
「……せ、先生」
「なんですか?」
息を切らした様子でオフェリアと――仲良くなった生徒の一人が、緊張と不安を漲らせながら駆けて来た。
肩を揺らして、その手の中に持つ紙袋を青褪めた表情をして、
「――これ、オフェリアさんの持ってきた昼食なんだけど……中に……」
「……」
何があったのか。彼女は見てはいけないものを見てしまったかのように、恐怖に顔が歪んでいる。魔王は受け取り、静かにその不気味な口を開けると――
今朝、妻と作った、サンドイッチのお弁当箱、
更に蓋を開けると、ヌチャリ、と、異臭を放つ何かの粘液に塗れて、糸を引く――
間に一枚のメモが挟まっていた。
指先で抓んでそれを取り出し開くと、そこには、
『――君のことは、私が一番よく知っている……』