女僧侶、魔王を観察する。
私はリリー、勇者パーティーで僧侶をしている。
しかし回復魔法は使えない。それは勇者が担当している、あと支援系も。
戦士と魔法使いがうちの火力だ。それも魔界に向かうところから入った対魔物戦力で、私はどちらかというとそれ以前の旅で、対人寄りの戦闘要員だった。
主立ったスキルは【索敵】と【開錠】、そして【隠形】と【暗殺】――そう、教会における諜報機関、その実働工作部隊『一角獣の蹄』の一員だ。
……一員だった。
今はただのアイドルマネージャー、私の相方、女勇者であるオフェリアのお目付け役をしている。某魔王の裏工作のせいだ。その所為で彼女は教会の庇護下から出なければならなくなってしまった。
それは別にいい、むしろよくやった――これで彼女の可愛さを世界に喧伝することが出来る。都合の良いように勇者を使って来たくせに事が済めば邪魔者扱いして軟禁状態にするなんてとんだ恩知らずだ。教会にせよ国にせよむしろ滅びろとさえ思う。
一応、表向きの話で、裏ではまだ教会と繋がっている。だがその更に裏では、本気でただのマネージャーをやりたいと思っている。
彼女の可愛さを死蔵するなんて、神への背信行為でしかないに決まっている!
そんなわけで、これからは彼女を私がプロデュースしようと思う。
ともかく、これからは大手を振って彼女の為に生きることが出来る。
そう、彼女を世界一のアイドルにする為の戦いの日々がこれから始まるのだ。
……その戦いは熾烈を極めた。
旅(地方巡業)を続けながらの彼女の体調管理、地主との折衝、会場と備品の確保、衣装の発注、作詞作曲の依頼、バックダンサーと振付けの打ち合わせ、、楽団の手配、それら全てのスケジュールの調整――
どれか一つでも遅れればドミノ倒しで崩落する事態に――
正直、暗殺の方が楽だった。情報収集は得意だがあくまで現場の人間なので判断は上に仰いできた。だから裏方の仕事がこんなに神経を削るとは思わなかった。ただ命令出して無茶振りするだけだと思っていた。こんなハラハラどきどきして胃に穴が開きそうな感覚だったなんて。
しかし、それら全てが成った後の拍手喝采――
暗がりの中、一人スポットライトを浴びて輝く彼女――
手を振り、涙し、声を張り上げて。観客が一斉に賞賛を爆発させるあの一体感――
音の奔流、歓喜の号砲、夢と希望と、生きる活力全てがそこにある。
それを見て、はにかみながら涙するオフェリア……。
そんな彼女を目に入れると、脳内麻薬が生成され、眼の奥で光が弾け、体全体が真っ白な炎に包まれ吹き上がるような熱感が溢れ出す。
――心が光になる。
彼女の為になら全てを捨ててもいい――そう言っても過言ではない。
だから、彼女を穢そうとする者は絶対死刑――
推測が正しければ、魔王は彼女の純潔を狙っている!
抹殺せねば!
しかし感謝していることもある、それは彼女の制服姿が見れるということだ。そこだけは感謝している。学生+アイドル、すなわち青春時代×譲れない夢。瑞々しい乙女の全てがそこ(制服)に詰まっていると言っても過言ではない。いいっ、いい響きだ! 最後に貴様はいい仕事をしたぞ魔王!
独り占めするのは私だ。だから見つけ次第、貴様にはこの鉛玉をくれてやる。
待っているがいい、魔王――っ!
ファンを舐めていた。
いや、正確にはその中でも悪質な者をだ。重々承知していた筈だがまさか諜報組織顔負けの忍耐力と人員密度で代わる代わる出待ちをし、網を張りあろうとこか街全体どころか街道にまで一般人の振りをしてその行き先を割り出してくるなんて。
会場限定のグッズは必ず実用、保存、鑑賞、もしもの予備の四つを購入までは分かる、握手も出来るだけ長い事していたいけど他のファンの迷惑、そして彼女の迷惑になるから泣きながら撤退するその気持ちも分かる、分かるが!
――一体どんな忠誠心を持っているのか。
非常に共感を覚える。
でもそこらを歩く一般人が敵に見えたのは久しぶりだ。ノーモア・ブラックファン活動。
まさかこんな辺境の新興都市にまでその魔手が伸びていたとは、ある意味魔王より手ごわい――
流石だ。さすがは我が勇者――まだまだ歌姫としては駆け出しなのに既にそこまでの人気。
でもそんなこと言っている場合じゃない。
このままでは彼女の安眠まで妨害されてしまう、本当は挨拶をするだけの予定だったけど仕方ない、彼女たちに迷惑を掛けよう。
――何故居る。
何故ここに魔王が居る。
仲間の女戦士宅だぞここは。
そして女戦士よ、何故貴様は魔王と結婚している――
え? 実は女戦士じゃない? 本当は先代勇者・聖女ポムグレーナ? 嘘でしょう?! 私子供のころファンだったの……。
おまけに娘も魔王との間に出来た実子だとか!?
おい、おめえら……先を越されたとか騙されたとかそんなレベルじゃねえよ(絶望)。
ていうか魔王が街で教師をしているとかそこがもうオカシイ、お前、現場に出て来ちゃいけない人だろう?
あれ? ちょろっと脅されたけど、本気じゃないっぽい。からかわれた? え? 平然と私達を受け入れようとしている?
……再婚の新婚家庭なのに普通にしばらくの間ここに住んでいいとか、頭おかしいんじゃないの!?
子供優先でしょう、自分の嫁さん優先でしょうそこは。
家族が第一でしょうそこは! バカなんじゃないの?!
いい人過ぎるでしょうが――何で魔王がいい人なのよ?!
くっ、何だこの敗北感は。
いや、騙されるな。きっとこれはオフェリアを篭絡するための罠――
そう、そうに決まっている……!
魔王は視線を感じていた。
「――どうかしたのかい? リリー君」
夕食も終わって、食卓と水回りの片付けを手早く終え、家族はリビングでくつろいでいたところ、女僧侶が階段から降りて来た。
夫婦は大きなソファーを使い、仕事で疲れた体をお互いに按摩し合い、娘はその傍で魔法書を広げている。
既に皆湯上りで、慎ましい夜着や寝間着に身を包みのんびりとしている。
気を使っていない。家族にも、そして来客にもだ。
「……いえ。お三方は本当に仲がよろしいのですわね?」
「そうかな?」
「……はい。新婚でも再婚でも、こうも仲睦まじい夫婦は中々ありませんわね」
女僧侶は、笑顔のまま頭痛のようこめかみに皺を寄せそう告げる。
魔王は、それはまさに自分達が世間に認められるほどの仲睦まじさなのだと、妻へと満足げな笑みを向け、
「……だってさ?」
「ふふふ、少し、恥ずかしいですね?」
甘ったるいロマンスの空気が駄々漏れになる。
娘は両親のそれに構わず、どんなふうに呆れるのだろうかと女僧侶を見遣ると、彼女は柔らかい笑顔を貼り付けていた。
流石大人だと娘は思った。魔王もそれに目をくれ、彼女一人であることを確認し、
「オフェリア君は、まだ頑張っているのかな?」
「ええ――なにやら創作家として刺激を受けたということで、もう少ししたら休憩を挟むということですわ」
宛がわれた部屋で自らも作詞作曲、踊りの振付けの考案をしている。
「それで、あの子にお茶を淹れて上げようかと。台所をお借りしても宜しいですか?」
「そういうことなら使い方を――」
その台所の主の動きに、魔王は肩もみを止め彼女を解放した。さっそくと妻は彼女を伴い台所へ向かおうとする、が、女僧侶は、
「先程お手伝いした時に把握しましたわ。それに、聖女様にわざわざそんな」
「そんな肩書は知りません、今の私はただこの方の妻で、この子の母親です。それにまだうちの茶葉やお砂糖の場所は知らないでしょう?」
「いえ、出来ればあの子の好きな薬草茶を淹れたいので、こちらを」
「ああ、そう言えば旅の途中もよく淹れていましたね?」
手に持っていた茶葉の詰まった金属缶、随分くたびれたそれは手製の茶葉を何度も詰め直して使っているものだ。
それを妻は懐かし気に目を細める。
「……ほんとうに聖女様なのですね」
その顔を眺めて、小さく呟いたそれに、
「――幻滅した?」
「――いいえ。そんなこと、出来るわけがありませんわ……短い間でしたが、一緒に旅をしたことも含めて、今改めて光栄と思っております」
「ふふふ、ありがとう。でも、アナタ一人に私の城(台所)を使わせるつもりはないわよ? 主人の城程ではありませんけど」
それ、魔王城ですわよね? と、視線を送ったが笑顔で無視され、
「……分かりましたわ」
静々と、女僧侶は妻と連れだって台所へ向かった。
火の魔法陣コンロ、五徳の上に水を入れたヤカンを置き、着火する。砂糖や調味料、粉物の場所を教えつつ、妻は女僧侶に仲間として言わせて貰う。
「それから、そろそろその妙に畏まった態度は止めてね? いつでも慇懃無礼なあなたらしくありませんよ?」
「……分ったわ、グレナ。――でも偽名はもう少し捻った方がいいと思いますわよ?」
「呼び間違えても平気なのよ。――昼に焼いておいたクッキーがあるの、よければ一緒に出してあげて?」
「でしたら降りて来させますから……チョコがあります、皆で一緒に」
「あらあら、そこまで行くと明日のお肌に大打撃よ?」
「――私達はまだ若いので」
「……なんですって?」
「無礼講を持ち出したのは貴女ですわよ?」
「揚げ足取りは相変わらずね?」
「……今は、幸せなのですよね?」
「……ええ。あの人と出会ってから、今までも、ずっと、ね?」
それから彼女たちは、ひとつ、ふたつと、湯が沸くまでの間、そろそろと足音を立てる様な言葉を交わした。
女勇者は、それまでの集中力がそのまま疲労になった目元のよれ具合で、降りて来た。
慣れ親しんだ薬草茶の香りを嗅ぎ、ふわふわとした足取りでソファーの空いた部分にリリーと並んで座り、そこに居る面々は、持ち寄り手前を掛けた品へのお世辞の言い合いも過ぎ、しめやかな夜の時間を過ごしていた。
魔王は、裏の山で採れた様々な木の実を入れたクッキーを、口に入れ、
「……やっぱり懐かしくなるね、この味は」
「ええ。でも、あの頃より上手に焼ける様になったつもりですが――」
「……そういうことじゃないよ、愛する人が作ったということが重要なんだ、胸の奥から力が沸く。――もちろん、美味しくなっているよ?」
「お父さんもこのクッキー、食べたことあるんだ」
「ああ。ざくろは好きかい?」
「作るのは大変だけどね~」
「魔王家の、家庭の味……ですか?」
女勇者が問うそれに、
「まあそんなものだね」
「……あの頃は城で養っている孤児達と一緒に山に入って、籠一杯になるまで拾って、皆で下処理していましたね」
市場には並ばない様な、手間のかかる実ばかりだ、だから拾い放題で。
皮むきに灰汁抜き、天日干しを繰り返し、砕いて、挽いて粉にして、それぞれ種類が違って、大人数だから苦ではなかったのだと妻は改めて思った。
それに女勇者は感慨深げに頷きを返す。
「そこも事実だったんですね……」
「ん? そこも?」
「はい――魔王城では、人界で生まれた魔族や、魔界で生まれた人族の子供を保護しているって奥様の小説には書かれていました」
「なるほど――まあ事実だね。そういう子達は奴隷や見世物にされがちで、更には負の感情を両種族に向けることが多いからね、それで復讐に走ってしまわない様に引き取っていたんだ。その手の奴隷商人の手に落ちていれば札束で叩いて買い落としたりして、お陰で【奴隷王】なんて呼ばれていたこともある」
そんな子達に教育を施して、生きて行けるように教育をしてから、それぞれに見合った世界に自立させていく。
と、
「……どうかしたのかい?」
女僧侶がまた、なんとも言えない具合に眉間にしわを寄せている様子に、魔王は声を掛けた。それに、
「いえ……」
どこか気まずげな視線を向ける。
女勇者はそんなことは微塵も気にせずに、
「ということは、サキュバスを囲っているとか……その辺の事情も?」
「ああ、本の中でどう書かれているかは知らないが、彼女たちも苦労人だからね……生き物としてどうにもならない生体、とその生態の所為で、人と魔の両者、特に女性から疎まれているからね。……苦労したよ……たった一人のパートナーだけでも満足――いや、生きていけるようにと精力剤を開発したり、一緒に死ねる様にと寿命を合わせる為の呪印とか、精液や精気と同じ成分を得られる植物【食種】を製造したり……それでも女性から《・・・・》理解を得られない場合が多くてね、迫害に次ぐ迫害、そして、男性からの性のはけ口に……今でも夢に見るよ、当時の彼女たちの悲鳴を」
魔王は思い出す、そんな運命にうまく迎合できず嘆いた彼女たち、人が魔族に変異し始めた当時それこそ彼女達の自殺者が後を絶たなかったことを。
それでも生きたい、そうしないと生きて行けないから、という理由で、淫魔達は性に忌避を抱かない教育を施こして、どうにか普通の夢魔や淫魔になったのである。
しかし、そういうところを、人の社会に求められる精神性を破壊する生き物――害悪として排除しようと、人が過去、魔族そのものを忌避するきっかけの一つになっている。
例え人界と魔界で住み分けをしても、それが存在する所為でその価値観が存在してしまう、だから人が堕落する原因になると殲滅対象になっていたのだ。これは戦争ではない、ただの駆除だと。
そんなわけで、例によって庇護している。
「それでいっそ意識改革――サキュバスが男に、女性の扱いに対する精神教育を行き届かせる娼館、兼、性教育訓練施設『絶対紳士の誓い』を建てたら【娼館王】とか呼ばれたり……他にも、彼女らが存在することそのものをメリット化しようと、その手の犯罪者の性欲を夢の中で根こそぎ奪って精神的な去勢を仕事にさせたり……でも性欲じゃなく、それ以前の思想、もしくはある種の自己顕示欲、承認欲求、暴力そのものに快楽を見出している連中はもうお手上げでねえ……」
「……子供の、女の子のいる所でする話ではありませんわ」
「いいや。むしろこういう話は女の子だからこそ聞かせておいた方がいいんだよ。悪い男に気付けるようにね」
「でも、難しい問題ですよね……サキュバスとかそうでなくても、その手の問題は」
性の快楽、と、愛。人の精神性と文明における不可避の課題だ。
「そうだね、千年、いや、二千年あっても時間は足らないだろうが……まあ私は根気強くやって行くつもりだよ」
魔王のその発言に、喜色、感心、関心、そして、茫然とした表情が浮かんでいる。
彼女は笑っているのか睨んでいるのか呆れているのか分らない顔をしていながら、
「……で、ですが、妃や愛妾を一〇〇〇人も抱えている貴方では、難しいのではないですか?」
「ふむ、むしろ、女性の扱いに関しては一家言ある、と言わせて貰いたいところだね」
そこで魔王は、妻に視線を向ける。
意味ありげなそれに、妻は彼の隣から更にその距離を詰め、用向きを無言の上目遣いで尋ねる。
魔王はその視線を一度妻の唇に落とした。
それだけで、妻に柔らかく微笑ませ、その頤を自ら上げさせ――
キスをすると思いきや、
お互いに瞳の中を覗き込み合い、視線を感じ、息遣いを読み取り、熱を察し、意図を察し、心を満たし――
こくびを微かに傾げ、柳眉をしならせ、瞳を揺らし、まばたきをゆっくり繰り返し……
二人して、月が微笑む様にそっと相好を崩した。
それから妻が自然に身を任せて夫の胸板にその顔を埋めた。
夫はそこでようやく抱き締め、彼女の髪を無許可で解いて撫で漉いた。
妻はもう何も言わない……。
それこそ、ベッドに誘い込んでも、抵抗しないであろう有り様である。
娘と女勇者は色めき立った。猛烈に拳を握り眼を見開いた。
魔王は愉悦の表情で、
「――わかるかい?」
「……ぐぬぬ」
言葉で口説いたわけでもなく、口付けで蕩けさせたわけでもなく、指で触れるまでも無く――その心を燃え上がらせ射止め切った。衆目の中その気にさせた。
機知を利かせ、その場で咄嗟に話を合わせたアドリブではない。
別に、あーん、をしなくとも、会話をしなくとも、眼と眼で見つめ合うだけで慈しみ、愛を確認し合っているレベルの高い夫婦――
女僧侶はそれを否定できなかった。仮に自分が愛する人に視線を合わせたとして、ああも心を曝け出せるのか、できない、と。
助けを求める様に、彼女は隣の自分の相方へと視線を送った。
彼女は、おかし気な苦笑いで彼女を受け止め、そしてよしよしと髪を撫でた。
「まあもっとも、最初からこれが出来なくてはいけない、ということではないね。まずは言葉、その前に礼儀正しい視線、そして相手を思いやる心を持つことだ。これを見るだけで相手に善意があるのか悪意があるのか……更に色々な知識や経験があれば、より精度を高く――そういうことを見抜ける、という話だよ。
応用すれば今みたいに、私が彼女の事をとびきり愛してる、と理解し合うことも出来る……まあそんなことが出来るのは、それこそ深く愛し合った仲だけだが……。もちろん、子供の好奇心を上手くあしらわなければならない場面、というのもある、それは自分に正しく知識を教えることが出来ない、と判断した時だろう?」
「そ……その通り、ですわ」
「それはそれでいいんだよ、ただし、ちゃんとそのことを子供に言うべきだ。大人ぶらずにね?」
「は、はい、」
家の中、娘の前なのでついお父さんぶってしまい少し説教臭かったかと思うが、あえて魔王は他人にそこまで言った。
たとえばそのとき一番悪いのは、子供を怒鳴り委縮させて煙に巻くこと、その胸の中で感情と動機、そして対応を掛け違えていることだろう。
自分が正しいことを教えようとしていることにかまけて、だから自分は正しい、と勘違いしていしまう。子供相手におかしな自負を持って体面を気にしているのだ。
正しい知識を教える自信が無いなら、誠実にそのことも伝えて、どこまで考えているのか、どこまで分からないのか、更に考える必要がある、などのことを伝えたほうが、子供は大人が答えてくれなくとも、『何故話してくれないのか』という疑問に対し愛情を感じる事が出来る。
それが、正しく理解しようのない時期に、如何にも高尚な気分や言い方で知識を説いてはいけない、ということだろう。
愛情のある行為は得てして理解を誘い、そしてそれらと共に信頼を勝ち取ると魔王は思う。社会は寛容には出来ていないが、大人だって、誠実であろうと努力する人間と、そうでない人間、そのどちらに何を感じるかは明白だ。
そんなことは分かっている、と言いたげに。
戸惑いつつも、素直にうなずいた女僧侶に魔王は笑みを返す。
それに彼女は、ほんの少し恥ずかし気に顔を俯かせた。
そこで娘は興味を持ったのかソファーを降り、クッキーを片手に女勇者の前へ行った。
そして、
「はいリア、あーん」
「え、ええっと、……あーん?」
戸惑い、困り笑いしながらも彼女はそれを素直にパクリと受け入れる。
「おいしー?」
「ん。ありがとう、……じゃ、こんどはざくろちゃんが、はい、あーん」
「あ~、んっ!」
リスの様に、サクサクサクサク!と、高速の前歯で咀嚼した。
美少女二人が百合の花を背景に咲かせる――には色気と背徳感が足りない、おままごとのような光景だが。
それをどこか虚ろな目で、羨まし気に、そして疎まし気に女僧侶は見つめていた。
そして思った。
「オフェリア――やっぱりここを出ましょう。精神衛生上非常によろしくないわ」
「え? すごく作詞が捗るのに……あ、今度はラブソングね? ――いい?」
「……なぜわたくしに聞くの?」
「え? だってリリーは私の一番じゃない?」
「――許しますとも」
ここで暮らすこともだ。
――おのれ勇者め!
おおっといけない、これでは私が魔王ではないか。
でもあの子があんなに可愛いのがいけない、あんな無防備に、無自覚に、愛くるしいことを言って見せるなんて。そして今だけは感謝してやろう魔王――あんな綺麗《美しい》な百合景色を見せてくれやがって。
良い汁が脳から出たわ。
……ていうか、普通に苦労人なのねあの人、ただその尺度というか規模というか、もう寿命もレベルもなんもかんもが違うけど……普通に、すごくいい人――
はっ、いけないけいない。流されちゃダメ。これもきっと罠、きっとあの男はこの家に囲い込むことで彼女も私も篭絡しようとしているだけ!
私が真実の愛に目覚めていなければ、危なかっただろう。
生憎、ジャンルが違うので無理だが。
なんていうか、しょうがない人、っぽい。この人が本気で弱って泣きついて来たら、ころっと抱かれてしまうかもしれない、というタイプ。
愛人だ。それもヒモではなく、デキる大人の関係――
まあそうでなくても付き合ってみれば、精々、世話の焼き甲斐のある上司、くらいには思えるだろう。
よし、これからの精神的距離はそれで行こう、理由はどうあれ居候させて貰うのだ、それぐらいの敬意は払おう。
うん? 根っこのところで、うちの子と同じ匂いを感じるのは気のせいか? つい手を出してしまいたくなる、というか。
無邪気な笑顔で女勇者は言う。
「でも珍しいねえ、リリーが男の人にあんな顔するなんて」
「えっ? ……ちょっと、何を勘違いしているんですの? ……あれは子供の前でたしなめられたから、いい大人として恥ずかしかっただけですわ」
「ふ~ん、そうなんだぁ~」
「ああもう、この子は本当に何勘違いしているんですの?」
「ええ~? だってリリーは私専用のお姉ちゃんでしょ~? やきもち妬いちゃうなあ?」
「……ほんとうに、もう……この子ったら……」
むちゃくちゃハグしたい。
しかしふと、ベッドの上でごろごろしている彼女を見て、残念に思う。
胸の平原に揺れるふわふわのキャミソールに、もこもこの花が咲くようなドロワーズ、
「……この前買ったショーツはまたお蔵入りにしているようですわね?」
「いいでしょ? 見られるのは恥かしいんだから」
可愛い三角形を、買っても、穿かない。ステージ衣装で止む無く穿くときでも、ペチコートにパニエの積層装甲で鉄壁の防備だ。
たとえ同性でも無理やり見ようと(私)したら、きゃあ! とか言って顔を真っ赤にしながら蹲って、本気で泣きそうな顔して恥ずかしがるのだから――
逆に、不味い。
なんて恥ずかしがり屋なのだろうか――どうにかしたくなる。
いまだに一緒にお風呂に入ったこともないのだ。いつか突入してやる。他の男に見られる前に、それがたとえ神であろうとも、あの子は渡さない、一生愛で続けてやる。
そう思っていた時だった。
「……でも、リリーがちょっと認めちゃうのも分かるな~」
「その話、まだ続けるんですの?」
「だって、そつなく大人してる男の人ってそういないでしょ? カッコイイよねああいう人。……憧れちゃうなあ……」
「……え?」
私は、耳を疑った。
「……リ、リア?」
「聖女様も落ちちゃうのが分るよね~」
その、どこか夢を見るような視線に。
――私は決意しました。
――ええ、決意しましたとも………。