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魔王さんちの再婚事情。  作者: タナカつかさ
薔薇の勇者と百合の聖者。
23/41

魔王さん、諸々の事情を語る。

 魔王と元女勇者は『私達、幸せになります♪』宣言した後、そのままリアクション待ちの硬直タイムに入った。

 女僧侶はひとしきり絶叫した後、息を荒げながら問い掛ける。

「――はぁ、はぁ、まず、質問に答えて下さいますか? グレナの旦那様――貴方魔王なんですか?」

 魔王は妻と二人で、ラブラブ過ぎて天が驚くようなポーズを決めたまま至近で目を合わせて、

「――うん、そう」

 撃鉄が起こされた。しかし動じず、二人は音楽無しにリビングで踊りながらポーズを変える。

「じゃあそれが……いいえ、ということはここに書かれていることが本当に半ば事実というのなら……グレナ、あなた何故そんなことを知っているの? あなた本当は何者?」

「……優しい魔王様の妻――の、元女勇者で聖女の、第一巻『聖霊の眷属妃』のヒロイン、その実在するモデル?」

 その瞬間、女僧侶に動揺が走り表情が揺れた。

 ――弾みで引き金に指が掛る。

 何かが発射されようとしている。が、さりとて二人は動じずまた踊ってポーズを決め、

『――で、だからなに?』

 つい撃った。気を使ってか「黙れ、ふざけんな」という意味でか、女僧侶が天井に向けた威嚇射撃はそこに小さな穴をあけた。

 続けて言う。

「これだから魔王は!」

「さっそく人の家を壊しておいて、むしろ『これだから勇者は!』なんだが?」

「リリー、修繕費を請求していいかしら?」

 夫婦揃ってコケにしている。しかし言っていることは至極まともなので踏み倒すことは出来ないと思い、女僧侶は自分の財布から金貨を一枚投げて渡した。

「くっ、堕ちましたわねグレナ――いいえ、あの時にはすでに落ちていましたのね……」

 正体を隠そうとかバレタとかそういう次元ではない、むしろそんなの当たり前と言わんばかりの態度である。

 そして突然の発砲に遅れて、

「……ちょ、リリー! えええ!?」

 女勇者は仲間の暴挙から正気に返り、ただただ動揺し慌てている。

 それらに対して、魔王と妻はやれやれと両手を上げ、大きくため息を吐き、肩を竦めてソファーに座り直した。それから普通にお茶を注ぎなおし菓子を抓み始める。

 一服――実に軽やかなお茶休憩ティーブレイクである。娘もそれに便乗しクッキーを手に取り両親の間を占領した。

 魔王は娘がこぼしたクッキーの欠片を拾い、食べさせ頭を撫でる。妻はその上で夫にクッキーを唇に加えて差し出し、魔王もそれを唇で受け取る。しかし娘の上に食べかすが落ちてしまうからそのまま食べず手に持ち直して、片手でまず妻の唇を強引に頂いてからそれを頬張った。もちろん娘の髪へのキスも忘れない。

 最近、娘も父親のソレに関してはあまり動じなくなっていた。ちょっと睨むくらいである。それも砂糖が飽和状態のそこにはミントのような清涼剤でしかない。

 それぞれが許されている……温かで和やかな――いやもう本当にウザい位暢気な家庭風景である。

「――で、他に質問は?」

 女僧侶はなんとなく、人として間違えたことをしている気分になった――リアクションとして全く間違えていないのに。魔王一家全員が部外者を見る眼で自分を――否、それは被害妄想だ。

 見たままである、平和な世界だ。

 だが、

「……魔王、何を考えているの……? まさか私たちを囲って、この子の貞操を狙うつもりかしら?」

 魔王は妻と見つめ合った。そして、

「――ううん、全然」

「リリー、あなたどこに目を付けているのかしら?」

 そして目の前でキスした。

 一度、二度、三度――角度を変え、小鳥のように唇と唇で噛合う。

 舌まで使わないが、それだけで満足げに、フフ、ふふふ、と甘~く見つめ合い二人だけの世界で余韻を楽しんでいる。もう公序良俗としてはスレスレだが、まあ確かに他の女にうつつを抜かすようには見えないが、しかし、

「――その男がこの魔王であるなら――他にもお妃さまが軽く千人は越え妾で万、情婦は10万はいるのですわよ!? 信じられませんわ!」

「もう、フィクションと現実の区別位つけましょう? 貴女もいい大人なんだから」

「まあ戸籍を貸してるだけの白い結婚、もしくは養女扱いで保護しているのも含めて、今いる子達だけでなく、魔王になる前も含めればそのくらい倍くらい軽くいくが」

「今まさに目の前で現実が崩壊しつつありますわよ!」

 女僧侶がある意味勝ち目のない戦いに激昂していると女勇者がわなわなとしていた。

 そして、遠慮がちな期待交じりの上目遣いで、

「あの、じゃあ、じゃあじゃあ……旦那様は間違いなく魔王様なんですね!?」

「ええ、そうですが? どうする? 戦っとく?」

 その辺とうに彼女は何かを溜め込んだ様子から、

「……キャ――――――――――ッ!」

 悲鳴とは違う、ウキウキのワクワクの黄色い声を上げた。そして、

「それよりサインをください! 旦那様にもサインを!」

女勇者はそう言い広げていた本の最後のページを指し示した。

 そこには既に妻の達筆なサインがしてある――間違いなくその練習をしたであろうデザイン文字だ。それを視線で妻に確認すると彼女は照れ隠しに笑みを作った。

 その横に、

「――ここに! お願いしても!」

 一緒にペンを受け取り魔王はサインした。こちらは書類にサインする書体だが、

「――これでいいのかい?」

 もう色んな意味でだ。魔王が目の前に居るのにぶっコロそうともせずくっ殺も恐れずサインを強請る勇者なんて、魔王の長い長い人生でもこれまでにない特殊なケースだ。

「ありがとうございます! 実はこの作品から魔界の歴史や歴代魔王の事に興味を持って、古文書をあさり調べたりしましたから、大体の事情は察しているつもりです。貴方が魔王としてそういうことをするときは、概ね人間側が犯した罪の所為ですから、そこを咎める気にはなれません……先生、次回作は是非とも旦那様との愛の日々を!」

「ええっと……どうしましょう、旦那様の許可さえあれば……」

「君のやりたいことに文句を挟むつもりはないよ」

「あなた……♡」

「……ただ、出来れば肖像権の相談はして欲しい所だな」

「うっ……その件に関しましては本当に申し訳ありませんでした……」

「しかし、今度はノンフィクションなのか、なら小説映えするように……これは相当過激な事をしなければいけないかもしれないよ?」

「あ、あなた……っ♡」

 その瞬間、娘が小さな声で「もうしてるでしょ……この前、夜に台所で」と裸エプロンの目撃例を報告してしまい「だからダメだって言ったのに!」と妻が夫を殴った。

 女僧侶は、頭痛がするとでも言いたげに眉間の皺を押さえる。

 しかし気を取り直し、無駄に落ち着いた様子でその仲間に告げる。

「フェリア! この魔王は世界一のドスケベですわよ!? 毎晩毎晩妃という名の女性という女性をとっかえひっかえですのよ!? それでいいんですの!?」

「いいんです! 沢山いるお妃様達に絶え間なくいと深き愛を保ち続けている証拠! 普通の人ならたった一人の妻でさえそれが出来るかも怪しいのに御立派です! 男として憧れます!」

 そこは流石に女勇者も引くかと思いきや、一般的な女性の倫理観や貞操観ではなかった。

 妻がナイス布教と親指を立てているが、

「……男として?」

「あっ、男性としてです。理想の男性――言い間違えました、つい興奮して」

 そういうものか、と魔王は思うが、

「やはり有害図書! 没収しておくべきでしたわ! こうなれば私一人でも……」

「――リリー? なんにしても、あなた一人じゃ……というより、普通にパーティー組んで戦っても私の旦那様には勝ち目はないわよ?」

「……くっ、そうでしょうね、噂通りなら――というか書籍通りなら、HP∞で状態異常全無効で風邪知らずの負け知らずの恥知らずの女の天敵――」

「いいえ。そうではなくて――ええっと、あなた」

「うん、私の攻略法は、正しい手順で城に訪れて、その門を開けて、世界を平和にするためにどうすればいいんですか?――って、聞けばそれで終わりだよ?」

「……はぁ?」

「そもそも戦わなくていいんですよ、この人」

 女僧侶は眉間にしわを作った、何を言っているのか分らない。

 それに限らず女勇者も娘も目に疑問符を浮かべているので、魔王は説明した。その手順とは、

「部下から鍵を盗まない、道中で犯罪行為を犯さない、ちゃんと呼び鈴を鳴らす、入ってすぐの受付で謁見の予約を入れて待つ――後日訪れてからは、城の宝を盗まない、厨房のカレーを勝手に食べない、呼ばれるまでドアを開けない……まあ要するにマナーを間違えなければいいんだけど――基本的に人として常識的行動を守れればそれではいゴール」

 それ以外はNoマナーで終了である――ちなみにミスは3回までだが、間違えても死亡はしない。

 仮に戦ってもHP∞なので絶対に勝ち目はない、殴ったら負けである。

「……普通じゃないですわ!?」

「いや、むしろ普通なんだが」

 社会人として。

「そうですね。私は一回でクリアしましたし」

「いやあ、あの時は城のみんなも驚いたよ……勇者にもまだ常識的な人が居るんだなと」

 ん? んん? と再度疑問符を体中に貼り付けた様な顔をしている。

「じゃあ、どうしてまだ魔王が居るんですの?」

「だって、死ぬようなことしてないし」

「クリアっていいましたわよね?」

 魔王は優しく教える。

「――世界がまた一つ平和まともになっただろう? 彼女一人分だか。

 まあ、戦い、勝ち負けで決まるのは優劣という立場――勝者と敗者という位置付けだ。

 世界を救う――仮に、それを水面下の闘争も経済支配も不満もなにもない――貧富に差が無く誰も誰かを恨み羨むことのないことを恒久平和として、それを作るというのであれば、それこそ、戦うだけ平和は遠のくのではないかな?

 そもそも平等な社会があるように見えるときは、個々の差をシステムや人の善意がうまく働き補ってくれているときだ、あとは不満不平を口にするときに見るただの願望だな。

 平等な社会なんて存在しない――と言うと、まるで努力する意味がなくなるように感じられるが、それら覆せない優劣の差を限りなく補う為、そこにある個々の差を受け入れられるようになる為にも、努力は必須の行為といえるだろう……そしてそれが、それこそが救いとなるのではないかな? 余談になるが、平等ではないが安心できる社会――胡散臭い平和よりまずこれを作るべきだろう。

 そしてそれを壊してしまうのが悪という人の心根だな」

 そんな、魔王の課外授業を聞いて、

「なっ、」

女僧侶はよろめき、

「――なんで魔王がこんなまともなんですの~~~~~~っ!」

 叫んだ。

 魔王は妻の努力が無ければそれこそまた人間側が戦争を起していたなあ――と、当時を振り返しつつ二人で肩を寄せ合っていた。

 そして、

「……この小説の、どこまでが本当で、どこまでが嘘なのですの……」

 女僧侶はやる気をなくした。

 そこに妻は、

「なんなら確かめますか?」



 と、魔王の妻の作品朗読会が始まったのである。

 まあ、別にいいかな、くらいの軽い気持ちで。

 夫としても妻の作品に興味がある――程度の気持ちで放置していたらそれがとんでもなく脚色と誇張がやりすぎ(こんなセリフ言ってない)で、フィクションだと分っていても魔王の精神的にきつかった。逆に一部現実そのままで、 

 ――今日は月が見えないと思ったが、ここに居たようだな。

 ――花も恥じらう乙女とはよく言うが、君は本当にそうだな。

 ――さあ、君の世界一綺麗なところを見せてくれるかい?

 確かに言った言った言った!

 言った言った。だから魔王は即座にストップを掛け作品の自主回収を命じた。

 そこで女僧侶が悪ノリし「まあ? こんな優しい魔王様なら? まあ、いいんじゃないですかね? まだ分りませんけど」とここぞとばかりの上から目線で平和的な精神攻撃を続行したのだ。

 妻と娘的にも動揺する夫が珍しいらしく、彼女たちも悪のりして。念の為にと簀巻きにされて。

「で、この後どうなるんですの?」

「それがねえ? 称号を放棄しちゃったから神の加護が消えて、それまで無理していた体に反動が出ちゃって、半死半生に寝込んじゃうの。それを魔王様が自分の寝室で手ずから献身的な看護をしてね? ……それはもうあらぬところまで全部見られちゃって!」

「え? ……グレナ、あなた旦那にもうう○この世話されちゃったんですの?」

「ちょっとあなた、そろそろ口を慎みなさい」

 女僧侶、もう色々とブレーキが利いていない。

「何を言っているんですの? 寝たきり看護と介護にそれは避けられない問題ですわよ? 例えば養老院でお通じの悪い方は介護士さんが入口で詰まった固いトリュフチョコを掻き出してそれでも間に合わなければ口からチョコが」

「慎みなさい! お世話をして頂いたのは侍女の方でした。そもそもあの時私は食事が要らない状態、聖霊――聖属性のアンデッド状態でしたから、身体が『アイドルはトイレに行かない』状態になってて……あっ、体が回復するまでで――今は普通の体ですよ?」

「その代わり、霊力を魔王様から直接毎日頂かなければならなかったんですよね!? 年に一度のエッチか、毎日寝る前にお休みのキスか、胸板で添い寝かの三択で! 作中では強制的にキスでしたけど!」

「現実のあなたはどれを選びましたの?」

「――添い寝です。恥ずかしかったですけど、一番触れ合える時間が長かったですから」

「キャー!」

「嫌がる乙女を、無理矢理抱いて……」

「いえ、恥ずかしかっただけで、別に嫌ではありませんでしたから……ふふっ、たまに侍女のお姉様達が背中を押して、ちょっと恥ずかしい夜着を着せてくれたり……そういう時は、主人も『似合うよ……綺麗だ』って言ってくれて一晩中背中を撫でて、髪を漉いてくれましたね……眠れませんでした……」

「キャーっ! これぞ愛の歴史!」

 魔王は思った――これ、いつまで続くんだろうかと。正直、二人だけの思い出にしたい内容までかなりぶっちゃけられている。妃たちの間では誰でも知っている話であるのだがあえて拡張されたいとは思わないし爆笑系の笑い話にされるのは微妙である。

 あの頃、妻が喜んでくれて、自分の腕の中に居場所を見出してくれていたので、全く後悔はしていないが。

「――いつまで続けるんだ?」

「ええー? まーだー、ここにいる魔王が本当はどんな人なのか、ぜんぜんわかりませんわ~~?」

「もう、リリーはっちゃけすぎ」

 相方に拳骨付きで叱られ女僧侶は反省した。

「……仕方ありません、じゃあこのシーンを今からここで再現しますので、それでおふざけはお開きにしましょう」

 言いながら妻が、一巻クライマックスの告白シーン手前を開いた。

 魔王はその内容に目を剥いた――

 そして、

「……分かった、これを解け」

 それ以上何も言わずに要求する。

 速やかに娘が魔法の指先一振りで縄を解いた。リビングの中央に行き魔王は妻と再現を始めた。

 


「聖女よ……私の不自由が其方の自由となるなら、それ以上の喜びはない……だからそなたはもう、人の世に帰るのだ……」

 別れを告げようとする魔王に、聖女は告げる。

「いいえ。……魔王様、どうか、私の不自由を、貴方の自由の一つとしてください」

「しかし、それでは」

 それは一生、彼女がこの魔王城に捉われるということだ。完全な聖霊となり眷属妃となれば、彼女はもう死ぬことが出来ない。

 人は永劫を、人の心を保ったまま生き続けるということはできない。

 必ずどこかで破綻する、そこで狂い、元の自分が何を願っていたのかすら分からなくなりながら、好奇心を、欲求を、忍耐を、友情を、愛情を、家族を、仲間を――自分があるべき世界を失い続けながら、それでも存在し続けなければいけないのだ。

 それに魔王は聖女を巻き込みたくなかった。もう、生きる事より死ねない無間地獄の巻き添えにしてしまう少女や女性たちを、増やしたくはなかった。

 だが、

「いいのです。私、魔王様には様々な自由を頂きました……行儀の悪い食べ方、はしたない服、夜の遊び方、優しい悪口の言い方、生き甲斐も……だから……」

 聖女は、それを笑顔で伝える。

「……たった一つの不自由を、私の自由として、選ばせてください。これからはただ、共に在らせてください……」

 それは、シンとした笑みだった。

 恐怖も、熱も、なにもない、愚直なまでにまっすぐで、盲目とした、狂った愛の証だった。

 人を辞めることを覚悟した瞳だった。それまで魔王はいくつもそんな瞳を見て来た。そのどれもが激しい憤怒や悲憤、憎悪の最中にあった。

 それとは違う、深い、深い、藍色の瞳――

 狂いながらも、穢れを知らない、寒気がするほど澄んだ愛を満たした色合い――

「……ただ、愛しています……どうか、そのたった一つの自由を……」

 それ以外、何も入っていない。狂っている、何も望んでいない――それは大人でも子供でもない、それどころか女性としての形容すら失っている。

 そんなただの藍色の瞳が、そこには入っていた。

(これが、いまさら人の世に戻ってどうなるのか……)

 それ以外何も映さず――それは生きていると呼べるのか。

 そう思い、魔王は――


 小説に合わせて、妻のかつての仲間と、娘の前で唇を重ねた。


 小説ではそこで終わりだ。何故ならその後事後描写に行く。

 しかし10秒……たっぷり数えてもまだ離さない。妻のギブアップが入った。抱き締めた背中にポカポカ連続でそれが叩き込まれているが魔王は止めない、強く抱く。後頭部から猛烈に顔を引き寄せ口付けを継続する。激しいわけではない、むしろ、ゆっくり、丹念に、力強く――猛烈に優しくする。甘えと、求めと、愛情を全力で注ぎこむ。

 髪を撫でた。そこで妻は夫の気持ちを悟り、泣いた。

 拒まずに、受け入れた。自分からも求めた。

 観客たちはなんとなく、これが見世物でも演技でも演出でもない今まさに本気どころか本意のちゅうをしていることを悟り――静かに沸き立った。

 どちらからともなく終わりを察し、音一つ立てず唇を離し、妻は眼を閉じその顔を胸板に埋めた。確かに、描かれていない部分を鑑みるならこれで間違いない、この二人が実際にやるとしたらこうなる。

 そのことを観客は強く認識した。

 そんな愛を示した魔王は、

「――これで満足したかな?」

 尋ねる、どこか闇を纏い寒気がするような笑みを浮かべて。まだ妻は腕の中で動かない、余韻を反芻し独り占めしている。

 これは魔王だ。そして完全に心を奪われた女の背中を見た、女僧侶は、

「……そ、そ、そうですわね……まあ、小説はともかく現実では奥様はこの上なく幸せなのは確認できましたわね」

 態度では否定しているつもりだが、叱責するより魅入られていた。いくら厳粛でもそれぐらいの女心は理解できるということだ。女勇者はまだその手の感性が発達していないのか刺激が強すぎたのか、

「その、その……この後の事後描写で――『一秒ごとに唇で体中に愛を刻まれた』って……そこは事実なんでしょうか……」

 どこか朦朧としながら呟いている。そんな彼女を魔王は嗜める。

「――ほほう? これ以上は道徳の授業ではなく保健体育の授業、それもかなり実戦的になるのだが……」

「――も、もう結構です!」

 その騒がしさに、妻はさり気なく魔王の腕の中で涙を拭いながら復帰した。気恥ずかし気に、熱に腫れぼったい目元は隠すことも出来ずに、そして何も言わずにいた。

 女僧侶はそれをどこか気遣わし気な眼で見ていた。

「まあなんにせよ。私は自分の妻になった女以外には手を出さないからそこは安心していい。自慢の娘もいるし、一〇年分の埋め合わせで今は手一杯だ――」

 魔王は娘に手招きする。

 すると娘は文句を言わずに父親の隣に行き、妻も何事も無かったかのようその隣に普通に立ち始めた。

 娘を中心に、それぞれが手と手を取り合い横並びになる。

 先ほども、家族は娘を中心に三人で纏まっていた。

 その姿を見る――それはリビングに飾られた結婚写真と同じ位置にある。

 女僧侶はちいさなため息を吐いた。そして、

「……分かりましたわ……」

 不承不承、認めた。

「――はい。じゃあ、君たちのこれからの住居もここで決定ということで」

「え?」

「……何故ですの?」

 疑問げにしている二人に、いや、四人に、

「――君がこの情報を外へ漏らさないとも限らないからかな? そうなったら私達は暢気にここで暮らしていけなくなるだろうし――まあそれは冗談だよ。――何より妻と娘の仲間を捨て置くわけにはいかないしね」

「ご主人……」

 冗談めかした口調ではなく女勇者はそう呼んだ。そしてその後、自分の相方に視線でどうするのかと尋ねると、背に腹は代えられないのか、気難しげに眉間にしわを寄せながら答えた。

「……分かりましたわ」

「リリー!」

「……私、それ程信心深いわけではありませんわよ? まあ、どう考えても危険はなさそうですし――それに……」

 女僧侶は妻を見て、

「……先代の勇者様が、しっかり尻に敷いていらしているのなら、なんとか」

「そんなことは――」

「たまにあるな――ああもちろん手綱も握って鞭も入れくるぞ?」

「――あなた?」

「――ほら」

 気恥ずかし気に目を伏せる妻に、女僧侶は苦笑した。


「では改めて自己紹介と行こうか――アレをやろう」

「ええー?」

「……そうですね、そうしましょう」

「やだ、なんか恥ずかしい……」

「大丈夫だ、慣れれば癖になる――」

「……お父さんって変なところで男の子っぽいよね」

「まあそう言わずに」

 妻と娘共々に目配せして、タイミングを合わせてその場でくるりとターン、それぞれ変身を解いた。

 妻は銀髪蒼眼を露わに流し、娘は黒銀に桜紫の目を咲かせ、夫は紅眼に――一人だけ追加でマントと衣装のチェンジを行い、

「あーっ! お父さんだけズルイ!」

「ふっふっふ、あとでお前用の変身コスチュームも用意してやろう!」

「ああ、また甘やかそうとして……」

「グダグダですわね」

 気を取り直す。

「ゲフン。あー、魔王です。名前は無動幻真といいます。まあ変な悪名ばかりだけど本当はこんなんです、割と適当に生きてます。ついでに教師もしています――」

「――初めまして、というべきでしょうか。元・女勇者――聖女なんて言われていましたけど今は主婦、それに農家をしています。――本名はポムグレーナね? 主人と娘共々、改めて、これからよろしくお願いしますね?」

「最近分かりました、魔界のお姫様です。本名はざくろ、職業は学生兼魔法使い」

 そして、

「三人そろって愉快な家族!」

「今は幸せに暮らしています」

「―――以上」

娘がクールだ。それ以外特にオチが無いそれに、

「……マネージャーです」

「あ、わたし、アイドルです」

 またオチが無く、女勇者たちもただ自己紹介を返した。

 

 それは、平和な世界だった……。


  


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