魔王さん、勇者たちをホストする。
朝食の途中であったそれを簡易的に片付け、午前のお茶とおやつを用意し、リビングに席を設けた。
非常に分かりやすく、身内とお客さんとで二分された領域に声が響く。
「――まずは改めて御礼申し上げさせていただきます。私達も立場が立場ですので、むやみやたらに力を振りかざす訳にはいかず、どうしても対処が消極的になってしまい……グレナ、シロップ、それから旦那様、先ほどは助かりました。これから何かお困りになることが御座いましたら私達はその助力を惜しみません、どうか遠慮なさらずなんでもご相談くださいませ――」
女僧侶は、ソファーの上で綺麗に閉じた膝に手を置き、深々と座礼した。
その方角は魔王に向けられている、彼女らと直接関係を持つ妻と娘にではない。それはこの家で誰が一番立場として上なのかを測った様子だった。プライベートで彼女たちを尋ねて来たにも拘らず、しっかり礼節に重きを置くのは厳粛な教会関係者らしい。
単に大人としてデキた態度とも言うが、先程の僅かなやり取りで、この家が誰を中心にしているのか理解しているのだと魔王は理解した。
そうでなくとも公私分け隔てなくそれをするというのはなかなか難しい、流石は勇者パーティーといったところである。
そこで魔王も丁寧に、そして、
「では、その時はどうかよろしくお願いします。……それで、先程の連中は? ファンということですが」
彼女らを悩ませた原因が気に掛った。ファンとは多分『巷で話題の勇者』に付いているそれだと想像がつくのだが。
それにしては敬意が無さすぎだった、ただの情報屋や新聞屋にしてはプロらしくもない。
そんな魔王の疑問に女僧侶は、
「ええ。実は彼女、この度転職してアイドルも兼業することに致しまして……彼らはその層のファンなのですが、これまでと違い妙に熱狂的というか狂信的というか、」
「――ストーカー?」
どこか疲れた様な小皺を目尻に滲ませた。
「……はい、言葉を選ばすに使わせて頂くのなら、それが適当かと」
「……というか、アイドルだと?」
魔王は特に疑問を挟まずに。
妻はハスキーな声で憮然と問う。
「ええ。そうなのですわ」
魔王は、へえー、ぐらいに納得していた。いわばスポーツ選手がタレントになる様なものだ、彼女個人に就いたファンがそのまま付いてくる。
勇者が選ぶ第二の職と人生としては中々いいんじゃないだろうかと。
英雄やらが用済みになってもまともに暮らそうとしたら、その人生は山奥か離島で隠棲するか、貴族になるかのほぼ二択である。前者はまだいいが、後者であるなら間違いなく重要な駒扱いで事実上の拘束――男ならいい種馬、女ならキャベツ畑扱いだ。
その点、アイドル――歌姫や踊り子などの芸能人なら、ある程度自由も利くし拘るのであれば名声も持続する、経済効果的にも美味しい中々絶妙なポジションだ。
彼女の花のような容姿もそれを手伝うことは間違いないだろう。いやむしろアリである――
魔王は無言で称賛の頷きを打った。女僧侶もそこは流石に無警戒に会心の笑みを浮かべて語る。
「前々からこの子、歌が上手かったでしょう? 聖歌隊を務めていたこともありますし、それと勇者としての知名度とコネクションもあるので――下手に国家に関わり拘束されるくらいならと教会からも半ば独立させて頂きましたの」
実際には、国家間の政治闘争、軍事バランスの崩壊と、教会の過剰な権力拡大を防ぐ為に半ば追い出されたのだが。
そしてそうなる様に、心底くだらない理由で魔王が裏工作をしたのだが。
と、全ての真相を知る彼は、白々しく茶に視線を落としながら、今更地味に気まずく、ちょっとだけごめんなさいと思っていた。
妻はそこまでは知らずにただ世の中で生きる苦労を感じ、
「……それでも大変だろう、大丈夫なのか?」
「私も僧侶を止めて専属のマネージャーに転職しましたし、その手の変な輩なら問題ありませんわ……ただ、先ほどの様な微妙な輩に就いてはノーマークでしたわけで……」
「罠でも毒でも権力でもなく暗殺者でもない、熱狂的な一般人か……」
「それが善良であるかどうかはさておきますけど……一般人というところがややこしいですわ……」
妻と女僧侶、大人女子二人はため息を吐いた。
殴って解決できない、むしろ殴ったら終わり――それが一般社会である。彼女たち勇者の力が一番使えない世界だ。
でも、それが普通だから。残念ながら共感の余地はあるが、同情の余地はないと魔王は思った。
「でもリア、アイドルなんだ!」
「ライブの時は見に来てくれる? シロップの家族なら最前列ど真ん中のチケットを用意するよ?」
「いいの? いくいく~♪」
今日も世界は平和である。家庭内に訪れた小さなそれを確認し、魔王は辛気臭い話は吹き飛ばそうと柔和な笑みで尋ねることにする。
「――ということは、この街でも興行を行う予定なんですか?」
「ええ。それだけでなくここを拠点に活動を行う予定ですわね」
「そうでしたか、しかし学生との兼業では大変ではありませんか?」
「――あら? 旦那様はどうしてそれをご存じなのでしょうか?」
「ああいや、学園で教職に就いていますので。当代の勇者がこの街に来ること自体は知っていたんですよ――もちろん編入されることも」
女僧侶は目を光らせる。吃驚している様子だが、その目は冷静な動きをしている。
「まあ、そうでしたの? 偶然ですわね?」
「グレナさんの旦那さんが先生だったなんて……」
武骨な女戦士が知的職業の優男であることが相当意外だったのだろう、その声は友達の夫が高学歴だった時の黄色いそれだ。案外俗世に染まっているのかもしれない。
そこへ、
「――中々生徒には人気があるらしいぞ? 娘もその一人でな、夫とはその縁で知り合った」
妻がまたさりげなく自慢げに微笑んでいる。その演技ながらも本心が滲むごく普通の妻の姿に魔王は苦笑した。
「じゃあ先生がお父さんになっちゃったんだ」
「私は最初からお父さんだって分ってたけどね?」
「じゃあ運命だったんだね~?」
あくまで純粋な愛情と評する少女たちだが、女僧侶は笑っていいのかどうしていいのかと眉間にしわを寄せた。
普通、教師は保護者に手を出さない、それは同じ聖職者としてどうなのかと。
しかもその夫と妻は『運命だった』と言われ何も言わずに両手を四つに組んだ恋人繋ぎを始めている。
見つめ合うだけで感じ合える愛、それを確認し心の会話をする夫婦の姿――
――別にそれはいいのだが。子供と客の居る前ですることではないと、その脳味噌お花畑に女僧侶は微笑を片付けた。そして、
「――こほん!」
情操教育に悪い、と眼で訴えた。
話を逸らせと。
夫と妻はそれに気付き流石にちょっと冷静になった。少女たちもそれを見ている――非常に興味深げな表情で、演技の中で演技を忘れ本気になっていた夫婦のイチャLOVEをみているということを。
「――こほん。まあそういうわけなので、履修する講義にも寄りますが勇者さんも私の生徒になるかもしれませんね。――ところでお二人とも今日はこれからどうするおつもりですか?」
それはホストとゲスト、両サイドにとって割と大切な事である。
なので女僧侶は留飲を下げ、
「そうですわね……本当は学園から彼女の為に特別な下宿先を紹介して頂く予定でしたが、転職先の都合上、ダンスやボイストレーニング、書類仕事なども出来る住居にした方がいいので、そういう訳にも行かなくなりましたし、それにこういう事態です――彼女一人ではなくせめて私も一緒に暮らせるそれを、これから自分達で探そうかと。ですが……しばらくはホテルを転々としようかと思います」
「……なるほど――」
まだ熱狂的ファンが街中でうろついているかもしれないのだ。いや、場合によってはこれからもっと増えるかもしれない。そうなればもっと厳重な警備や警戒体勢が必要になるだろう。あれから魔王は一応、女勇者用の物件を見繕い用意していたのだが、流石にそれを満たせる物件ではない。
しかし、
「いくら身近なアイドルになったといっても勇者なので――ある程度の礼節や敬意、礼儀が払われると思っていたのですが」
「そうですねえ……本当に難しいですからねえその手の問題は」
魔王にもそれはよく分った。いわゆる有名税である。後宮で女を大勢保護――結果的に囲っている都合上、スケベとか女の敵とかむしろ男の敵とか言われるのだ。その上勇者に至っては問答無用で絡んで来る。
(……今目の前に居るしなあ)
妙な感慨深さがあるが、それは置いておいて。
「……ねえ、お父さん、お母さん、フェリアとリリー、しばらくここに居ちゃダメ?」
娘がどこか申し訳なさげに口を開いた。友人の心配をしているその姿に、父親と母親は、目尻を優し気にしならせる。
何より、本当は一番に何に配慮したいのか――娘のその思いが親の目に一目瞭然だったからだ。
そして、
「――ダメですよシロップ、私達の方が返って気疲れしてしまいますわ」
「そうだよ? 折角お父さんが出来たんじゃない」
女僧侶と女勇者は、その純真さに、微笑みながら視線で叱った。
それは当然他人の目からも明らかだった。新婚家庭として、そして再婚家庭として今が一番大切な時期だと判断してだ。
そして彼女たちはそのまま迷うことなく席を立とうとする。娘に負けず劣らず、良心的な仲間である。
だから魔王は、
「――まあとりあえず、差し迫った御予定が無いようですし、今日はこのまま家に居てください。そうでなくとも、妻や娘と積もる話もあったはずでしょう……」
「いえ、確かにここに立ち寄る予定ではありましたが、挨拶だけで済ませる予定でしたから」
「まあまあ、つまらない輩のつまらないことに踊らされる必要はないでしょう? 問題が無ければ、あなた達は今本当は何を話していたと思いますか? ……正直に思い浮かべてください」
続けて告げられ、一瞬、離れかけていた腰を戻した。
父親のより強固な善意と施しに、それを無碍にしていいのか、さりとて甘えて良いのか、容易に答えを出せなくなってしまっていた。なによりも、
「いえ、それは……」
本来するべき話をするべき――というそれに、二人は目を見合わせる。
それは彼女たちの本意とする、悪意には負けない、という姿勢だ。それが心に響いていた。
そして、自分達は本来なら、ここに何をしに来たのかと――
「――とりあえず、改めて近況報告をして貰いたいものだな」
「グレナ……」
「――私は夫の言う通りだと思うぞ?」
「私も」
「シロップちゃん……」
魔王の妻と娘も彼女たちに促した。
かつての仲間の言葉に、女勇者は相方に視線を送った。
ここまでの厚意を無下にする方がかえって無礼であると、微笑んだ苦笑を。それに女僧侶はここまで一人眉間にしわを寄せていたそれを和らげた。
「……はぁ、まいりましたわ……まったく、素敵な仲間に恵まれましたわね、私たちは。それからもちろん、その縁を繋いでくださいました仲間と、彼女達を射止めた旦那様に、この天の采配――神に感謝いたします」
「そうだね、リリー」
十字を切り、恭しく頭を下げ感謝されるのは悪い気分ではないが、神の実情を知る魔王にとってはちょっと微妙な気分だった。
むしろ、神がすべて悪いと。
「――それじゃあグレナ、シロップ、私は客間を綺麗にして来るから」
「あなた、それは私が後で――」
「――彼女たちは君達のゲストだろう? 私はもう十分だよ」
「旦那さん?! それぐらいせめて私たちが!」
「自分でやりますわ!」
「――いやいや。女同士でしか話せないことだってあるだろう」
テンションも、男が居ると居ないとではノリが違うものだ。なので魔王はさっさと退場してしまう。
女の仲間内の会話に部外者が居ても仕方がないと、魔王はそこに背を向けた。
貴族の元別荘――愛人を囲う予定だったにしても別荘の体裁としてそれなりの部屋数はある。主人に家人、使用人部屋、客間に書斎、屋根裏の物置部屋――
その内の客間の窓を開け、換気をしつつ埃を落とし、掃き掃除からの拭き掃除、それが終わってからベッドのシーツと上掛けを交換した。
白のエプロンと三角巾を頭に付けて、決して魔王がしてはいけない格好で、はーとふるなパパさんになって。
今度は台所でそろそろと、紅茶と菓子の追加を用意し、リビングへと運ぼうとする。
「――それにしても意外ですわね、あれだけ死んだ夫以外とは縁を持つことはない――再婚はしないと言っていた貴女がまさか……」
「ああいや、その夫なのだ、彼が」
「ええっ!? そ、そうなんですか?」
「うむ、死んでいなかった。よく探したら居た――一月ほど前に、この都市で遭遇して――そうか、あのとき生徒用の寄宿舎を探していると言っていたが、もしかしたらそれはフェリアの為だったのか?」
「奇妙な縁ですわね……」
「あ、でもじゃああの旦那様がシロップちゃんの本当の――」
「そうだ。……これでようやく本当の父の愛を与えられる……」
「よかったですわね……」
「私としてはお母さんだけでもいいんだけどね~」
「こら、そんなことを言ったら貴女のお父様が悲しみますわよ?」
「別に平気だよ、お父さん図太いもん」
いや、そんなことはない、微妙に傷付いている。
魔王はそう思いながらも、そんな軽口が気兼ねなく出る辺り、親として子供に愛されているとも思う。本当にどうでもよいいなら無視して、嫌っているなら、もっとウザったらしく忌々しく言うものだ。
そこで魔王はもう少しだけ聞き耳だけを立て、足を止める事にした。そこには姦しい空間が広がっている。男が居ない方が舌の滑りもいいだろうと。
しっかり聞き耳を立てる。
「――グレナさんは、もう冒険者業は完全に引退するおつもりですか?」
女勇者が紅茶をソーサーに置き、テーブルに戻して尋ねる。
と、妻は、
「うん? ……そうだな、流石にそうなるだろう、これからしばらくは暇を見て畑をいじりながら家に入ろうと思っている。主人は中々忙しい人だからな、いつでも出迎えられるようにしておきたい。……そして、この子が独り立ちするようになったら、改めて孤児院を開けるよう準備をしておこうと思っている……この家なら少し整えればそれも可能だろう」
「……そういえば、そのようなことを言っていましたわね」
魔王もその話は聞いていた。
彼女と離婚した時――そしてこの家に来てから、女として、人として、自分の妻として成し遂げたいことがあると。
「だが……本当は、これからも私だけでやるつもりだったのだがな……その所為でこの娘には寂しい想いをさせた。……主人の元を出て一人で、いや、娘と二人色々やってみて、ここにきて分かったことだが……最初から支え合っていればよかったのだと改めて気付かされたよ……だからこれからは家族でやって行こうと思っている」
「……実りを大きくする旅だったのですわ、貴女がご主人と別たれることになったのは」
「それでも家族としては、ただの遠回りだよ……お陰でまた新婚気分が味わえているのはいいことだが」
魔王は妻をもっと甘やかそうと決めた、もちろん娘も一緒にだ。やりすぎて疲れすぎてそんなこと思えなくなるまでだ、密度の濃い毎日を送ろう、とりあえず目下――子供は何人まで行けるだろうかと計算した。
と、
「……ああ! それじゃあもう作家としては? 新作は出さないの?」
「ぶっ」
妻が茶を噴いているがなんのことだろうか、もしかしたら聞いてほしくはない話だろうか。いや、そんなことはない――
魔王はこれは面白い話が聞けそうだと、
「――作家? 誰か作家なのかい?」
あえて前に出た。最悪のタイミングで計ったように出た夫に妻は目が飛び出しそうなほど動揺しているが気にしない、素知らぬふりをする。
すると、
「あ、いえ、以前お尋ねした時、グレナさんは執筆業もしていまして――」
「あ、ああ、まあ、この子を産んだ頃の話でな? 今はもう辞めているぞ?」
やはり妙に動揺しているが気の所為だろうか。いや、何かある。そう思い、魔王は新しくポットに入れた紅茶と茶菓子をテーブルに並べ自らも席に着く。
「こほん――臨月から産んでしばらくも、動きたくても動けないから、蓄えは十分にあったが、何か収入になるならそれに越したことは無いと、物は試しで始めたんだが――」
「どんなの書いていたんだい?」
「それは女性向けの――」
「――ただの恋愛小説だ!」
うん、何かあるな。
掴んだ、妻の弱み。
そんな、獲物を見つめる鷹の目をして。
「へえ、恋愛小説家……」
「あ、ありきたりなものだ、ヒロインが悪役でだけど大逆転とか」
妻は動揺している。夫として、ここは見ないふりをして、あとでしっかり追い詰めようかと外道な事を考えた。
だが、
「夫婦で嘘はいけません、嘘はいけませんわよグレナ」
そこで、一息、
「――あなた、官能小説家でしょう?」