「魔王は生きていた! 教師として活動していた!」
教師はそんな話を終え、
「――ハイ、こうして魔王は勇者に倒されました」
パタン、と本を閉じる。
それは教科書、歴史のそれである。
そこに記されているように、それ以降、魔王は決して立ち上がることはなかった。
そして世界に平和が訪れた。
勇者とその仲間の旅は、終わりを告げたのだった。
その後、勇者とその仲間達《パーティ―》は――その後も世界を巡り、荒れ果てた国々を復興する為に尽力するかと思われた。
しかし、彼らは忽然とその姿を消した。
勇者が世界を救うとしても、世界を維持し、変えて行くのはごく普通の人々だからと。
その力は寄る辺なきものの為に役立てるべきと。
戦士。
魔法使い。
僧侶――
そして勇者の行方は、もう誰も知らない。
勇者一行はその後も世界の混沌と貧困から人々を救う為に奔走したとかしないとか。まことしやかに囁かれている。
だが、
「――そもそも何故勇者は魔王と戦ったのか。その大体の原因は、」
黒板に各国の農業収益、犯罪数などを書き連ねたグラフを教室の天井からスクロールで垂らして言う。
「――天候不順です」
どやどや、がやがやと席がざわつく。けど無視して教師は教壇で鞭を取る。
「気持ちは分ります。ですが大体そんなもんです。天気が悪い――すると作物が育たなくなります。お腹がふくれません、飢饉です。――それは誰の所為ですか? ――はい。そうです。未知の存在――魔王や魔族、はたまた精霊か悪しき神々か――ぶっちゃけただの冤罪です。とんだ風評被害から陰謀論からまあこの手の話のネタはよく尽きませんね」
身も蓋もないが、別に世界征服をしたかったわけでも破壊したかったわけでもない。
どちらかといえばれっきとした正当防衛だ。
「――そもそも魔族と言うのは過去、旧世界における突然変異で生まれた特殊能力者や、見た目がちょっと変わってしまった人達、いわゆる亜人種が差別階級、被支配階級、生まれながらの奴隷として同じ人間に迫害されるときに用いられた蔑称です。れっきとした普通の人です。あ、この辺歴史から抹消されてますから気を付けてくださいね、よく覚えておくように。ただ自分も抹消されたくなかったら誰にも言わないでください」
「先生、そんなことぽろっと言わないでください」
生徒が苦情を入れるが教師はそれを軽く笑って、
「あはは。何言ってるんですか。これは歴史の授業ですよ? ちゃんと真実を学びましょう」
「でも信じられません、それって本当なんですか?」
「本当ですよ? ウン万年どころかウン十億年生きてる私が保障します――まあそんだけ生きてると記憶もだいぶ曖昧ですが」
「ダメじゃん!?」
教師はやはり笑顔で無視し、白衣を翻し朗らかに笑みを浮かべる。
「ですがここ最近の出来事に関しては確かですよ? まあ、色々あったんですけどね。一度世界が崩壊して正確な記録媒体や歴史自体が途絶えて、それを発掘した考古学者や冒険者が曲解や誤解をして悪い印象やイメージが先行して……で、今から丁度1万年くらい前あたりで改めて人と魔族が接触、その人から見れば異形である第一印象から――」
一息、
「――こいつらは敵だ」
座席に着く生徒たちを指す。
そこには、ただの人間と、犬耳、猫耳、樹皮の皮膚、鱗の肌、龍頭、虎顔、ウサ耳、文字通りの岩肌まで、大小さまざまな異種族が居る。
生徒たちは周囲を眺め、睨み合うものも居れば苦笑いしあそれも居て、どこ吹く風と笑い合う者達もいる。
一転、教壇を右に左に闊歩しながらなんども手を打ち、
「そこででやっぱり戦争が勃発、生物として相いれない害獣、悪魔、これは人類の埃と生存権を掛けた聖戦だ! ――紛争に次ぐ紛争、民族対立、宗教的な対峙も巻き込んで、世界はいわゆる末世と呼ばれる状況に。双方にもはや拭い去れないほどの罪の歴史が積み重なってしまったわけです」
初期は和解するより殴り合い殺し合いしていた方が楽に稼げるからであったが、途中からは本当に復讐が復讐を呼び血で血を洗う殲滅戦争だった。平和を求めていたのでも安全な生存圏を確保したかったのでもなく。
幼稚な言い方をすれば、
「……やられたらやり返す――悲しいですねえ……星を越え、世界を越え、それでも歴史は繰り返す。それが何よりも悲しい歴史の真実です」
生徒たちは真剣に話を聞く。しかしやはりというか、そう簡単には受け入れられないのだろう。人、魔族、それぞれに言い分があり正当性があると主張したがっている。
相手が謝らなければ――ではなく、自分が正義でなければ許されない、そんな顔だ。
まあ、子供なのだから仕方ない。精神的にも肉体的にも、そして理念――生き様としても。
長命である自分からみれば下らない、そして心底つまらないものだ。教師はそう内心呟く。
だが、
「……さて、そんな風に我々は悪い歴史や記憶を重ね続けてきました。その所為で忘れようとしても、変えようとしても、どうしても学んでしまいます。あのときこんな酷い事をしていたんだよと概ね中途半端に主観のみで――歴史の話をしている筈なのに歴史的観点や本来あるべき倫理観を忘れて感情論を正当化しがちです。
そんな相手を信用しようとかそりゃ無理でしょう。なによりそれが一番都合がいい――敵を悪く思えれば遠慮なく残酷になれる、愉悦に浸り――嫌いになる努力が成立します。これでは仲良くなるはずがありませんね」
もっとも、初期の両種族間の闘争の理由は経済でも宗教でも生存でもなく統治の為のそれだ。
その為に利用された、というべきだが、この世界に魔物が溢れ出したときに同じくして現れ始めた異形と異能の人間を槍玉に上げ、弱く数が多い人々の精神的な均衡を保ったのだ。
仲良くなれる筈もない、最初から人の敵としてイメージが作り上げられたのだ。
そして殲滅しようとした。その復讐の為に魔族側が何度か同じく殲滅戦争、世界崩壊を目指したそれを仕掛けて泥沼化した。
まあ、それは過去の話――
ともかく、長い闘争によって文明、文化が衰退し、かつて栄華を誇った旧世界はそれこそ滅び、世界は退行した。そこからまた失われた知識と技術を復活、復旧を進めつつ、新たに世界に加わった【奇跡】【加護】【魔法】【魔術】【スキル】などの法則も利用した、新世界文明が築かれ始めた。
「……でもはっきり言って適当に仲良くしとかないと面倒なんですよね。争う方。いちいち嫌いになってムカついて面倒臭くて……何より痛いでしょう? そんな殴って殴られ理由をわざわざ作る努力なんて面倒でしょう……よくしてられますね? 冷静になってみるとそう思いませんか?」
愉快げに生徒たちは苦笑する。
飄々と嘯く教師は更に、
「そんな暇なんですか? やることないんですか? 正直もっと真っ当な目標とか無いんですかぁ? ――って思いませんか?」
「そりゃまあそうだけど……」
と、生徒たちはまた苦笑で相槌を打つ。しかしなんとも言えない微妙な緩い雰囲気に、真面目な筈の講義の時間は論議に必要なテキトーな遊び心を与えた。
そして生徒たちは自然、気を取り直す様に教師の事を見る。
納得できるけど、じゃあどうすればいい? と目で聞く。しかしそこは自分で考えなければいけない所なので教師は答えは言わない。
しかし、
「――それはともかく、どうすれば人は繰り返されてきた過ちの歴史を乗り越えられるでしょうか?」
生徒の問いを代弁する。これはこの講義の焦点である課題である。
というか全人類に架せられてしまった課題だ。何千年、何万年経とうとなくならない、ゲームのテーマだ。人はいつもその答えを探している……そう思いながら。
「……制度ですかね? 人の心でしょうか、知性でしょうか、感性でしょうか、それとも腕力でしょうか……」
疑問を、否定を、知識を――可能性を与える。
それぞれ肯定はしていない。あくまで仮定として論じる、そしてその論ですらその材料である。
勉強はまず好奇心からだ。好奇心があって初めて向学心に結びつく。
そしてその好奇心を育てる為に知識を与える。健全な精神は目の前にある新しい物、物珍しい物、見目麗しく美しいそれを禁じ得ない。それは気になった赤い林檎であり数式であり芸術品かもしれないし、人の心かも知れない。
それは置いておく。
教師は生徒がちゃんと話を聞いているのか――与えた問いに疑問を覚えているのかを確認する。
好奇心か猜疑心か、反抗心か――単なる自己主張でも意見でも、それを持っているのか――
表情からそれらを探り、次の問答や設問をどうするかを決める。
みんな素直に聞く態勢なので、短い言葉で端的に、婉曲に言うことにする。
その答えは、
「――歴史です」
頭に疑問符を浮かべる。
そんな生徒もいれば、ああ、としている生徒もいて、へ? という顔をしている生徒もいる。
それに、
「単純な話ですよ……間違えた歴史を見てこれから先も無駄だろう――と、諦めるのなら、これから正しい歴史作るしかない、と、私は思いますね」
何を言っているのか。と、ああそういうことね、と言う視線が半々になる。
理解の及ばない生徒に向け、もう少し噛み砕いて言う。
「つまり眼には眼を、歯には歯を、記憶には記憶を――歴史には歴史を。というわけですよ。ようするに――これから正しい関係を積み上げていきましょう、それを続けて行きましょう、ということです」
あくまで理屈の上での話である。
世代を超えてもその手の意識が変わらないのは歴史を学ぶからだ。それを経験していない世代に同じ思考が広がるのは意図してそれを教え込んでいるからだ。
だから、それを逆用して、
「信じられる思い出、優しい記憶、そんな正しい歴史を積み上げて行きましょう。今信じられるかどうかなんてどうでもいいんです」
現実はそううまくいかないだろうと思いながら。
「まあ殺し合いした仲なんですから相当時間かかるでしょう。ただ、それでも実際心から仲良く出来なくても『そこはみんな我慢した』『殺し合う事の方が嫌だった』と、平和の為に我慢して笑える骨太な歴史が築けたのなら、戦争は回避できると思いませんか?」
生徒たちは想像する。実際に、その苦難の道を実行し乗り越えたなら。
出来る、かもしれない――と思う。
それは何故なら、
「――これで齎されるのは実質、歴史ではなく、そういう精神性なんですよ」
スポーツや武道で身体鍛えるという作業を積むことで、同時に心が鍛えられる。
理屈としてはそれと同じだ。しかしこれは個人の意識――
歴史に習い倣った行動は、集団への帰属行動でもある。
例えるなら、大人が我慢しないから子供も我慢しない。これの方がより近い。
親が出来ないから子供も出来ない。それがそのまま受け継がれているのだ。
なら、それを変えるには――
「……まあ、はっきり言ってほぼ無理です」
「言っちゃうんですか?!」
「言っちゃいますよ?」
「それでいいんですかー?」
「じゃあ出来ますか? ――貴方に、人類の新たな歴史を作ることが」
「うっ」
「……ね? 誰だって二の足を踏んで、そしてそして諦めます」
淡々と教師は語る。
「――歴史を作るなんて、そりゃあ……一個人でも、国でも無理です。そこで『諦めないことが大切だ!』『それでも努力を続けるべき!』『苦しくても頑張らなくちゃ!』なんて神様とか勇者様はよく言いますけど、そんな精神論じゃ解決できません。必ず誰かが無理をして、そこで壊れて行くだけです。理想と理念ごと、その人の人生が」
そこに異論を挟む者はいなかった。
何故なら、
「諦めないこと、努力し続けること――夢や目標を失わずにいること。そんな大それたこと果たしてどれだけの人間が出来ますかね? 人生は挫折と苦渋に満ちています。優秀な人間と凡庸な人間、そしてそれ以下の人間――世界中の過半数が普通かそれ以下の人間です。そんな人たちが多いのに、さて、そんな偉業を達成できる人がどれだけいますかね?」
できるわけないと思う。
それが例え勇者でもだ。勇者は世界を救える、しかし、それは世界が危機に瀕した時の状況の、歴史としてみれば一瞬のみだ。平時――その緩やかな日常には意味がない。
しかし、
「しかし……そんな普通の一個人でも出来ることなら、出来るということでもあります」
単純な話だ。出来ないことをしようとするから無理だと思ってしまう。
なら、そういう時はまず階段のハードルを下げることだ。
それには、そのことに対する本質を見極めなければならない。
「――そこであらためて、歴史って何でしょうか? 歴史はよくよく見れば――如何にも真実のように見えて実はそれぞれの都合の良いように書き換えられ作られています。そこに正しい記憶、正しい記録なんて存在しえません。そこに人の心の在り様は本当の意味で記されていません。では我々が目指すべき歴史とはいったい何でしょうか?」
そこで教師は言う。
「……それは毎日の積み重ねだと私は思います。例えば歴史の転換点はその時起きた技術や出来事ではなく、人の心、生活の在り様の変化を指すものですね? それに習うのであれば、新たな歴史を築き、そして変えるというのは、目の前にあるごくごくありふれた生活を変えるということではないでしょうかね?」
普通の毎日……動かすのは、歴史じゃなく普通の毎日でいいと思う、その中でも特に大きな出来事、世界の動いた流れやそれが積み重なったものをたまたま歴史と呼んでいるだけなのだ。
だから教科書に登場する人物は、すべからく英雄であり暴君であり名君であり、賢者で愚者で傑物なのである、それこそ歴史に名を残すほどの。
しかし、世界の過半数はごく普通の一般人である。
ごく当たり前に隣にいる様な人々、隣人は、
「――毎日そんな難しいことしてますかね? 考えてますか? 世界平和とか世界征服とか、そんなこと考えてないでしょう? でも、その程度でいいんですよ。別に世界を平和する努力とか特別な修行とかしなくていいんです。代わりに世界を壊したり征服したりする努力もしない――ただそれだけです」
しかし小さな視点で見れば、やはり隣人を嫌いになる努力や貶める努力、相対的に自分を上げる努力はしている。悪口を言ったり差別をしたり、いじめをしたり意地悪をしたり、そのことを誤魔化したり。
世界征服なんて大それたことはしない代わりに、そんなことならしている――普通の人なら出来るだろうししているだろう。大なり小なりはあるがそれらをしたことの無い人の方が珍しい。それだけで十分、人一人のちいさなの世界は変わるだろう。
それと同じだ。特別な良いことなどしなくていい。ただ、
「……ほんの少し、これから、仲良く暮らしていくために必要な事をすること、ちょっと我慢すること――たったそれだけ。でも、それだけで、非常に穏やかな生活がそこにあるんじゃあありませんか?」
教室が沈黙する。
別に勇者になれなんて言わない、立身出世しろとも口煩く真面目に生きろとも言わない。
「そう難しい事ではないでしょう。何せ、怠けるだけです、歴史を恨む努力とか、人を嫌いになる努力を……別にしなくていいじゃないですか?」
生徒たちはほんの少し笑いながら納得した。
口煩い期待を寄せる親でも、厚かましい義務を強要する社会でもないただの教師の、どこか気の抜けた言い分に。
そこで――ガラーン、ガラーン……と鐘が鳴った。
それに示し合わせたように、ちょうど、
「――日々是好日、英雄も勇者も魔王も、そういう普通の人がしっかりしてれば必要なかったでしょうね……はい。ここで今日の講義はここまで」
そんな緩い講義を行う教師の名は、無動幻真。
野暮ったい筈のスーツを品よく着こなす長身の逆三角形――練り上げた筋肉質の体をその下に隠している。
ふわっとセットした黒髪も爽やかな七三分けに、包容力に溢れた柔和な微笑みを生徒たちに浮かべているが。
その正体は――魔王である。