魔王さんちと、勇者と僧侶と。
勇者パーティー、それは世界の危機に人族を救うという、平時では割と厄介者でしかない困ったちゃんたちである。
魔族にとっていい勇者とはまさに平時の勇者だ。構成メンバーはまちまち、とりあえず当代では四人、その女戦士と女魔法使いは、魔王の妻と娘である。
魔王の生存を確かめる為に――妻のポムグレーナは正体を隠して女戦士として、娘のざくろも同じく正体を隠し女魔法使いとして参加しそれが済んだら二人は離脱した。
残りは二人、その女勇者と女僧侶が、
「――オフェリア、リリー……どうしたんだ? 手紙も無しにこんな突然……」
朝の団欒を引き裂いた。
彼女たちは肩で息を切らし切迫した様子である。図らずも同窓会の体裁だが、忙しなく周囲を警戒しつつ妻を押し切り半ば強引に敷居を跨いだ。
流石勇者である、一般市民の家に強行突入するのに慣れている。
それは別として、魔王は、突然の来客に妻が所帯臭くどこか荒々しい仕草で髪を手早くシニヨンに纏め、それから表情を作り、凛々しい女戦士口調でかつての仲間を迎えている姿にちょっと萌えていた。
仕事とプライベートのOnとOff……なんか、結婚した感じがする。
それはともかく、
「グレナ、早くドアを閉めて! 窓も雨戸かカーテンを!」
女僧侶・リリーは妻に要求する。そのパリッとしたタイトな女性用スーツ姿は僧侶というよりまるで護衛官か何かのようだ。
しかし何事かと、魔王も玄関へと向かい、そこで遭遇した彼女たちと無言で顔を合わせ会釈をする。
妻も怪訝な顔をしながらその間にドアを施錠し、食堂にいる娘にも指示を飛ばして家じゅうのカーテンをシャランラ~♪と魔法で閉めさせた。それから安易にドアの覗き穴を使わず、近くの窓まで行き、さりげなくカーテンの隙間から外を伺った。
眼を合わせない為である。そしていきなりドアを蹴破られるかもしれない。
もう現役ではないが伊達に人の世の闇を見ていない、元勇者である。
「で、何に追われているのだ?」
「ファンです!」
「――ファン?」
娘も何事かとトタトタ小さな足音を立て玄関にやって来た。
そこで、所在なさげに壁際に立ち旅行鞄を両手で頼りなさげに持っていた彼女に視線が行った。
「お久しぶりですグレナさん――シロップちゃんも元気だった?」
現・女勇者であるオフェリアは帽子を取り、腰を曲げ、恭しく笑顔で挨拶をした。
それは赤い林檎のよう甘酸っぱく広がる髪に、八重桜のよう花々しくも淡い桜色した瞳が男心をくすぐる柔和な表情を作り出す。おまけに体は庇護欲をそそるほど小さく華奢で、まさしく美少女といって差し支えない恵まれた容姿をしている。
だが思わず魔王は妻を見て――上から下まで、俺の女には敵わない、と、一人再確認した。バカ、と言いたげに妻はそれに満更でもない一瞥を与える。
娘は、また無節操にイチャついてると気付き一人白い目を向けた。
そんな中、魔王は初対面を装い彼女らに向け怪訝な会釈で挨拶をする。
客人たちはそれに、誰だろうこの人は? という怪訝な会釈を返した――その顔を改めて確認した娘はパッと花咲き、
「リア、久しぶりーっ!」
娘の突撃、明らかに腹部を狙った頭突きを受け止め切れず、彼女は苦し気に前屈みになった。
「ぐふ、も、もう――シロップは相変わらずお転婆だね?」
更に娘はターゲットを変え、目を光らせ突撃する。その進行方向に居た女僧侶は、丁寧に頭突きだけ手の平で受け止め、その身体を柔らかく抱擁した。
「お久しぶりシロップ――少し大きくなった?」
「んふふ~、二人を追い越す日は近いよ?」
「まあ、それは楽しみですわね?」
女僧侶は動じない、将来少女にスリーサイズで負けるという予告を受けたのだが、優雅に微笑む。特徴の無い平均的な身体つきの所為か、彼女は印象が薄い。女だらけの勇者パーティーのなかで一番地味で普通の女だ。
といっても彼女本来の仕事を鑑みれば当然である――今もスーツの脇下に、なんか不自然な膨らみがある。
「――ところでそちらの男性は……っ」
女僧侶がそう魔王について尋ねようとしたとき、何やら外で騒ぎ立てる音と声がし始めた。
グレーナは踵を返しリビングの窓からそれを確認した。
木材でクマ除け程度に組んだ塀と門扉の向こう――数人の男と女が背伸びをし、敷地の中をギョロギョロと見まわしている。
そこまでを見て戻ると、リリーは剣呑な表情で、
「……不躾な輩が我が家を覗き込んでいる」
「――お願い、誤魔化して!」
やるか? と親指でクイと首を切る仕草をするがそれはNoと首を横に振る。
しかし、やはりどうにも切迫した様子に魔王は前に出た。まだ戸惑いがちな娘と妻に代わって、
「――私が出るよ」
「……十分気を付けてな?」
妻が女戦士口調でそれほど心配していないというように言ってくる。
が、魔王の心眼には、切なげな上目遣いで祈る様な本当の顔が見えていた。
いじらしい――魔王は意地悪な顔をしてその額に軽く口付けをしてしまう。人目があるにも拘らずだ。
すでに手遅れで、女友達の前で何してくれるんだと彼女は片手で粗野に額を拭った。
だが更に魔王は軽く頭を撫でスルーしてさりげなく一秒ハグした。しかもその瞬間、音を立てず唇だけ押し付け、誰にも見えないよう後頭部にキスまでした。
女戦士はゴミを見る眼で怒り心頭である。適切な表情だ。が、魔王の心眼上ではやはり両手で猛烈に顔を覆って泣きながら恥じらっているのが見えた。これはあとで拗ねるに違いない――それが最高だと思う!
娘はクールにやれやれ顔をしている。
ここまで僅か五秒の攻防である。そんな密度の高いラブコメな日常に仲間達は茫然自失としていた。
そして七秒くらいで正気に返った。
一息、その熱烈ラブな様子から、その見知らぬ男がなんなのかという答えに辿り着いた。
「――グレナ、あなた再婚したの!?」
「したんですね!?」
妻は、これ、演技にしてもどんな顔して答えたらいいのかと迷った。
とりあえず、武骨な女戦士らしく、腕を組み胸を反らし――同時に素でさりげなく左手の結婚指輪をアピールした。
それから、
「――結婚したが?」
勝利宣言である。人生的にだ。
高みから見下ろす気配に、未婚女子二人は後退った。
それに合わせ、魔王は黒縁眼鏡を外し玄関から外に出る瞬間、
「――無動幻真と言います。とりあえず詳しい自己紹介は後でいいですか?」
魔王は、振り返りながらそう言った。
外に出る。
背後のドアの向こうから声がする。
「――私のお父さん。どう?」
魔王はほんのり無自覚に自慢げな娘の声を地味に嬉しく思った。同時にキャー!という黄色い声がする。
「――おめでとうございます!! であの人に射止められてしまったんですか!?」
「ああうん――そうだな……射落とされてしまった」
「ふふふ、是非とも詳しいお話を聞かせて頂きたいですわね」
魔王は中で妻がどんな顔で恥じらい、困り、そして自慢するのかをじっくり眺めて愉しみたいというSな思いを堪えた。
それから郵便受けに新聞を取りに行く体で、自然に門扉まで行く。
朝の高血圧でさりげなく肩を怒らせ、常に怒っている様な風体を演出し、郵便受けを開け新聞を取る。
それから、咄嗟に通行人を装うとする人間の男達に目を向けた。それを装おうとしている割につぶさに魔王とその宅を観察するような視線と、自身の視線を自然に交差させる。
それは気力に満ちているようでしかし、濁った眼をしていた。
半死人のようなその男達に、
「――ウチに何か用か?」
「あ――ええとすみません、この辺りの地主さんって知ってます?」
「……この辺りとはどの辺りの事だ?」
「裏の山と、林を抜けてすぐのところにある畑のです」
「それなら私だが、何か用か?」
嘘である、ほんとは妻の固定資産だ。夫婦の共有財産は彼女のセクシー下着とそして娘、それから彼女たちとの思い出である。
だが妻の敵は己の敵、娘の害は己の害――彼女たちが守ろうとするものは自分も守るべきものだ。
くわっ!
と、眉間にしわを寄せ魔王は無節操に眼光を放った。男達は明らかに面倒くさそうに舌打ちし、卑屈に、しかし魔王の威圧に慄き後退った。
だが、
「いえー、ちょっと……引っ越しを考えていたんですけど、この辺りに空き家とか無いかなって」
「それならまず不動産屋に行くべきだろう、時間の無駄だ。とっとと帰れ」
「は、はい」
しかし、まさか張り込みでもするつもりか? そうであるならば気を付けなければならないと魔王は思った。
「ああそれと――」
「はい?」
新聞を、パン!としならせ手の平で破裂させる。それは拷問の鞭のよう、肉が断裂する様な迫力があった。
「もしこの辺りに引っ越すのならうちの娘と妻――そしてその友人達に何かあったら私は容赦しないぞ、覚えておけ」
「は、はいそれでは、ご迷惑をお掛けしまし――」
「まだある」
もはや聞いていない、まともな問答すら行わずに彼らに魔王は確信を得ているように言う。
「――この街で女性に何かしようものなら私は全力を持って排除する、むろん、私の知人たちもだ……分かるか?」
その瞬間、眼を妖しく赤く光らせた。
刹那、鉄錆と腐った沼の香りが暴風になって吹き抜ける。微笑みを浮かべながら、虫も殺さない様なその真逆の猟奇性が笑顔の中から噴き出している。
「う、うあっ……うわあぁああぁああ――――――――っ!」
ピアノの音が五月蠅いとかで包丁をぶん投げてくるタイプだ。実際にそれを持ちださなくても分かるくらい、彼の機嫌を損ねれば、それが容赦なく自分達に食い込むであろうことが想像できた。
なんでいきなり敵視されなければならないのか、しかしそんな不満を吹き飛ばすくらいこのおっさんはヤバイ――
それに気付いた男達は恐慌した。悲鳴を上げ一目散に背中を向け走り出した。
ネズミの洪水の様に田舎道を駆け巡り街へと向かっていく――
見届け、とりあえず妻と娘に関わりそうな害虫は排除したと思い、その事に満足し魔王は踵を返す。
家の中に戻ると、そこでは家族とその仲間が談笑を終わらせ様子を窺っていたのか、妻が真っ先に歩み寄り訊ねてくる。
「――どうだった?」
「まあ、あの連中に限ってはしばらくはウチには寄らないんじゃないかな?」
久しぶりに魔王オーラを出して威圧したから、余程の馬鹿でない限りは思い出そうともしないだろうと思う。それに、
「お父さんやるじゃん」
父親は誇らしげな娘の頭を撫でた。
なごやかな家族の空気と、危機が去ったということに女勇者達は、
「やっぱりこういう時は男手があると頼れますね……」
「――ごめんなさいフェリア、あんまり表立って護衛なんか付けると返って目立つと思って、失敗しましたわ……」
もう安心だということに感謝しつつ謝罪し、しかし頬を喜色にしならせた。
その間、女僧侶は一瞬何かを訝しむよう鋭い視線を魔王に向けていた。魔王はもしかして魔王オーラに気付いたかと警戒するが、即座に彼女は慎ましく瞼を下げ、酷く洗練された表情を浮かべてくる。
そしてまた、丁寧に頭を下げ告げてきた。
「申し遅れました――私、以前奥様にお世話になっておりました、僧侶のリリーと申します。そして彼女は――」
「――オフェリアと言います。もしかしたらご存知かも知れませんが」
「ええ――勇者様ですよね? その節は妻と娘が大変お世話になったようで、夫として大変感謝しています」
自惚れではなく、自身の著名さを自覚している女勇者に、魔王はそつなく答えた。
女勇者は零れ落ちる様な笑みを浮かべる。そして、女僧侶はまた一瞬だけ怪訝に、それからすぐに儀礼的な微笑を嫋やかに作って笑った。
「そんな、こちらこそ彼女には魔界への道中の案内からなにまでお世話になりっ放しで、それなのにこれといった恩返しもせず――」
「いやいや。とりあえず立ち話も何ですからどうぞ――まずは腰を落ち着けて。込み入った話はそれからでどうですか?」
魔王は言いながら妻と娘にも眼で確認を取る。頷きが返ってくる。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
「お邪魔させて頂きます」
それに顔を見合わせ、彼女ら二人は、改めて恭しく頭を下げるのだった。