「そして魔王は再婚する」
その夜のこと、
「ねえ――」
「ん?」
「んー?」
「……熱い」
「我慢よ?」
「我慢だ」
三人で大きなベッドにぎゅうぎゅうに両親から抱き枕にされ、寝返りも打てない暑苦しい状況に、娘は早くも後悔しつつあった。
「……ねえ」
「んー?」
「なぁに?」
「……トイレ」
そこは我慢させず行かせたものの、その足音がトイレから娘の自室に入ったのを聞き、二人して強行突入、確保、これでもかというくらいのハグを左右から受けつつ連行、
「イヤ――っ!」
「――はっはっは。魔王からは逃げられないぞ?」
「ふふふ、元勇者からもよ?」
「もういい! もう十分! ラブラブすぎるのもダメ――っ!」
両親から際限のない頬ずりが始まった。決して手を組んではいけない二人が手を組んだ。娘は抵抗するも再び密集体系でもみくちゃにされた!
上掛けの下で、親子三人でもぞもぞと格闘戦を繰り広げる。娘だけ本気のマジ蹴りだ。ついでに魔法を駆使して娘は何とか脱出しドアのところでこれでもかと舌を出した。
そして、
「――もうそんなに子供と寝たいんなら弟でも妹でも作るといいよ!」
そんな捨て台詞を吐き、今度こそと自室に逃亡した、バタンと閉じられたドアを見てから二人は見つめ合い、
「……だ、そうですが――」
「……だ、そうですが?」
律儀に、もう一度娘に、ドア越しにお休みの挨拶をしてから。
部屋に戻って。
「……ん」
「……ン」
そして久方ぶりに、お互いの下着を脱がせ合った。
子供の手前見栄を張っていたが、愛しい男女がそう何日も愛を求めずにいるのは大変だったのだ。それも10年分である――朝まで満たし合うそのときだけは、お父さんとお母さんであることを忘れ合った。
それは幸いであっただろう、もし意識してしまったら、あんな可愛い子がまた欲しいとむしろさらに燃え上がってしまうところだった。
だがそれでも一晩で足りるわけがなかったのは……いい大人として如何ともしがたい所である。
こうして魔王とその家族は、紆余曲折を経て、夫婦の、そして家族の繋がりを取り戻した。
娘は掛け値無しのいい子ではなく、ほんの少し尖っていて、でも所々で甘えたところを見せる、年頃の、普通の女の子になった。
父親と母親は、それに反してもう口から砂糖と蜂蜜を垂れ流すようなラブラブ夫婦になった。
それから一週間後――
教会の礼拝堂にて、
「あの、あなた? いつの間にウエディングドレスなんて注文したんですか?」
「10年前と、そしておよそ一週間前にだが?」
既に、純白のそれに身を包んだ愛しい花嫁にそう答える。
その期間から、花嫁はそれがいつなんときに仕組まれたのかに思いを馳せたが。踊る胸に思考がうまく纏まらない妻に魔王は、
「……君が出て行く前に、あらかた出来ていたんだ――それを下着屋でサイズを測ったときに、仕立て直して貰った」
妻は、あの日、やけに入念にサイズを測っていた理由を理解した。時間のかかる筈のそれが一週間でというのも、ほぼ仕上がっていたそれがあるというのなら納得である。
ただ女性的部分が10年前よりかなり豊かになっていた為、ほんのちょっとの修正の筈が分解し飾りや生地を大幅に追加、デザイン自体もがらりと変更したのは美しい秘密だ。
元は、繊細な刺繍が気品漂う清廉なそれだったのだが、まるで豊かな自然を象徴するよう華々しくも優美な芸術品と化している。しかし、母親としての豊かさも手に入れた、今の彼女にはこれがこの上なく似合っていた。
穏やかで幸せいっぱいに目を細める姿も、まるで宝石を熔かし込んだ陽光の様だ。乙女と、牝と、母性の全てを兼ね揃えた女神でしかない。極薄のウエディングベールが楚々と初々しく神性を帯びた花嫁であることを象徴して来る。その下で感極まり頬を赤らめたそれが唯一、愛情たっぷり幸せな女性であることを教えてくれる。
人生で最高の瞬間が、今まさに訪れようとしている。
そして、
「さあ――うちのお姫様はいつまで恥ずかしがっているのかな?」
礼拝堂の祭壇、その袖にある修道士用の入口で、着付けを済ませた娘が、どこか恨めし気に、
「――お姫様言わないで、恥ずかしい!」
その距離は若干遠く、体を隠しているつもりか入口わきから顔だけを出している。
しかし悲しいことに、ふんわり純白の小さなドレスに身を包んだそれが既に半分以上見えていた。これでもかというくらい絵本のお姫様仕様、プリンセスラインのドレスだ。
母親とお揃いである。こちらももちろんあの日注文したのである。
観念したのか、しかし入口から一目散に両親の元に来て、母親の腰上から広がるその大きなドレスの影に隠れようとする。
婚礼衣装に身を包み整えた両親に合わせて、どうにか耐えているが、子供向きとはいえ慣れない本格的なお化粧までして貰い、思春期の微妙な乙女心には中々辛いのだろう、女の子にとって今は背伸びや大人びたことをする方が恥ずかしい時分だ。
「――いいや? そう間違えていないぞ? 何せおまえはこの魔王の娘なんだからな。それにお父さんにとっては間違いなく、誰にでも自慢できる可愛い娘だ」
整えた髪型を崩さないように、頬を手の平で何度か撫でると心底恥かし気に瞼を伏せ、母親のドレスをキュッと握った。
「……やっぱりお母さん、別の人と結婚しない?」
「あら、お父さんみたいな人と結婚するって言ってたのは誰かしら?」
「お母さん!!?」
ボッ、と火が吹くほど娘は赤くなる。
「――どういうことだ? まさかもうそんな相手が」
「いいえ? ふふふっ、だってこの子、将来結婚するならとある学校の先生がいいって――あら、これは秘密だったわね?」
娘がヒールを履いた足で全力でローキックを母親にはなっているが効果はなかった。
そして父親と眼が合ってしまい、もう涙目である。
「……大丈夫だよ。ざくろ、そういうときはこう言えばいい――お父さんより強くて優しい男の子にするって、それならお母さんの負けだ」
口喧嘩としても、将来、女としてもである。
「……そんなのいないじゃん」
「うん?」
「なんでもない!」
母親はコロコロ笑っている、父親もしっかりそれを聞いてはいたが、そこでからかったりせず、優しいお父さんでいることにした。
娘の味方をするんですか? この裏切り者。と妻に目で問い掛けられるが、魔王は『父親として娘には甘くなる』とでも言いたげに鼻で笑った。
「……でも、なんでわたしまでこんなの着なきゃいけないの?」
「それはだな――」
子供用の礼服的なドレスもあるが、今日この日、するのはただの結婚式ではない。少々複雑な経緯だが、子連れの結婚なのだからその相手は妻だけではないのだ。
だから、
「これから三人で、家族になるからだよ」
魔王はそう言った。もう娘も、妻も、そして自分も置き去りにしない、そういう決意だった。
しかし、
「……四人かも知れないのですけど……」
母親はそう言った。その吉報に間髪入れず父親と娘は驚くが、もはや何も言うまいとでも言わんばかりに目と目で牽制し合い、
「――名前は私が付けるから」
「ええー、お父さんも付けたいんだが?」
「やだ。譲らない」
「そこをなんとか、娘さん」
「やーっ!」
表沙汰にするとアレな面々なので参列者は居ないが、それを不満に思うことは無く、むしろ余人を交えず家族水入らずをこれでもかと満喫する。
静かな礼拝堂に、温かな日差しがステンドグラスで彩られる。
そんな彼らの姿に、神父はただの訳有り変わり者家族から、ただの幸せな家庭であると相好を崩した。
そして、
「この素晴らしい門出の日に、仲がよろしいのは大変結構なのですがそろそろ――」
厳粛な儀式に、神父が三人(?)を呼び集めた。
子供を真ん中に置き、父親と母親がその両隣に立ち、誓いの言葉を交わし合い、銀の指輪を交換する。
そして、キスを交わした。
唇と唇ではない、頬と頬だ。
二人で、子供を抱き上げ、その両サイドから両親はキスをした。
子供が二人の誓いを繋いだ。
その変則的な誓いのキスに、むず痒そうに娘は目を逸らし、そして二人の代わりに二人の口にキスした。
その遥かな空には、一羽の鳩が、暢気に飛んでいた。




