「魔王、娘と話をする」
勉強机に、椅子と、ベッドにそれぞれが腰掛ける中、
「――というわけです」
二人は説明した、母親のノックに扉は開いた。あまりにもしょうもない神と勇者の事情と何故お父さんが若い女の子をナンパしていたのかを話した。そしてもうナンパはしていないこと、これからもしないこともだ。
そして、
「――そんなん信じられるわけないでしょ」
一刀両断された。
まあ、そうだろうなと夫婦は揃って頷いた。
むしろこんなバカげたことを無条件に信じる様なアホな子じゃなくてよかったと本当に安心した。だが、このままでは反抗期に突入である。
それもそのまま親子断絶、そして家庭崩壊へと一直線のコースだ。
世界の危機より重大な事案である。そこで夫婦は目と目で会話し結託し、
「本当よ。ざくろ? だって私が勇者じゃなくなったのは――お父さんと晴れて両想いになった次の日だったもの」
母親は絶妙に『分かる』オブラートに包む。が、
「嘘でしょう? エロ大魔王がそこまで我慢できるわけないもん」
「ざくろ、お父さんとお母さんは純愛路線だったんだよ?」
「ナンパじじいの言う事なんか知らない」
お父さんの株価は相変わらず下落中だ。しかし魔王は諦めず、
「――本当だ。お父さんはこれでも、女性に対しては奥手な方なんだ」
「嘘吐き! お母さんを毎日甘々に口説き倒したってもう知ってるんだから!」
娘はあごでそっぽを向き、その愚にも付かない説得にどうせ他の女にもそうなのだと思った。
しかし一体、母親は自分の何を暴露したのだろうかと魔王は彼女に視線をやる。
が、にっこりと微笑まれ誤魔化された、これは後で問い詰めねばなるまい、そう決意しつつ再度娘にトライする。
「ざくろ」
だが露骨に顔を合わせてくれない。これは処置無しと思い、やむをえず、
「……お母さんバトンタッチ!」
「はいはい。ざくろ、残念ながら本当よ? ――残念ながらね」
「――おい」
「だって私の気持ちに気付いてたのに、あなたはあなたの気持ち、全然教えてくれなかったじゃありませんか」
「それは私が案外ヘタレだって言いたいのかな?」
「いいえ――そんなことありませんよ?」
「あの頃君は満足に恋の仕方も知らなかっただろう? ――そんな君に私の気持ちを伝えても、君はただ困るだけじゃないか?」
「まぁ? 泣いて喜びましたよ? ……遠慮はしたでしょうけど」
「ほほう? 臆病になるんじゃなくてかな?」
「――そんなの、初恋だったんだから、しょうがないじゃありませんか」
「グレーナ……私だってあの頃、好きな相手には臆病になっていたんだぞ?」
「~~っもう! そんなずるいこと言わないでください!」
夫婦はお互いの愛の歴史を確認し合った。
「……そうやってまたイチャついて!」
だが、娘には関係なかった。
むしろなんでこう堂々と自分の前でイチャつき始めるのかと思う。
特に母親を睨みつける。喧嘩をしたばっかりなのに、お父さんとお母さんに一体何をしに来たのかと、奥歯を噛み潰して。
そして憤慨した。
「――分けわかんない! お母さん、お母さんは怒ってるんじゃなかったの!?」
苛立ちのまま、握り拳を更にきつく握り締め自分の膝に叩き付ける。
それに関しては何も言えることは無いので、魔王は黙るしかなかった。
しかし視線を向けずとも母親は微笑み言う。
「それは当然よ? 今でも怒ってるわね」
魔王の背筋はギクリと強張った。だが彼女はあえて気付かない振りをして、愛娘に大らかな微笑みで告げる。
「でもねざくろ、好きな人と居ても辛い事や寂しい事、かなしい事なんて沢山あるの。それでも一緒に居るって約束するのが、結婚相手なのよ?」
感情的にはあのとき本気だった、それは間違いない。しかしそんな危機を乗り越えたのだと。
子供には難解なそれをやはり何でもないように口にした。
そこが単なる恋愛相手とは違うのだと――
しかし、子供としては思うところがあった。
「……でも離婚したじゃん」
「それはね? 私は――私たちは、もう離れても大丈夫、それでも愛し合っているって確信したからよ? お父さんの仕事は知っているわね? だから、それぞれの場所で頑張りましょうって、お互いのやるべきことを果たすことにしたの」
母親は、それにほんの少し嘘でも本当でもないことを言うことにした。
それはかつてした覚悟だ。
突き詰めた話、死別する覚悟と同じだ。本来なら『死が二人を分かつまで』なんて言うようにそれは結婚するときに誓い合うもので、あくまで一緒に生きる、というものだが。
その時そんな覚悟まではしないだろう。それまでの間に徐々にゆっくり覚悟する。そしてお互いの心の中に愛する人が住む様になるのだ。そこまで愛が極まったともいえる。
他にも色々と理由はある。何せ魔王は多忙だ。今はこんなことをしているが、当時、彼の支えを必要とする女は大勢いた、否、今も居るだろう。それも女だけでなく子供もだ。
心身ともに回復したからには自分に手間を割かせてはいけない。あの城、そして後宮に居る女や離宮に居る孤児たちは皆自然とそう思う。そして魔王の元で役立とうとするか、巣立ち、外から彼を支えようとするのだ。
寿命の問題で普通の人間は後者が多い。この変な魔王に惚れるような女は惚れたからといってナヨナヨとそこに甘える様な者は少ない、聖母もその類である。
確かに、娘の言う通り離婚までする必要はなかったかもしれない。しかし、その身分のまま外に出るのは正体がばれた時あまりにも双方がアキレス腱になるのだ。だから慣習として、立場だけ外すのである。
でも、
「……やりたいこと好き勝手にやってただけでしょ」
未成熟な、特に、壁を乗り越えた経験が少ない娘には、この手の問題は理解しがたいかも知れないと母親は察した。幼いからだけでなく多大な能力がある為でもある。
もちろん父親もだが、今は母親のターンなので口は挟まなかった。
そして、
「……そうね、それはあなたの言う通りね。その所為で、アナタには悪いことをしてしまったわ……お父さんがいない、寂しい想いをさせて……ごめんなさい……」
母親は、誤魔化さずに娘に謝った。
それは子供の目から見たら、ただ理不尽な事だろうと。どうしようもないことだが、それでも親の事情に自分だけが疎外されているようなものだ。
だが、ざくろはそう言うつもりで言ったのではなかった。
もっと言いたい事が、心の内に、別に秘めていることがあった。
なのに母親を謝らせてしまって、冷や水を掛けられたような気分になった。
後悔して、冷静になった。
そこでようやく、
「……怒ってるのはそこじゃないもん」
ほんの少し素直に、会話をする気になった。
だから母親は、
「じゃあ、何を怒っているの?」
娘は酷いバツの悪さに背を丸めながら、
「……お母さんが怒ってたから、私も怒っただけだもん……」
「あら、じゃあやっぱり私の所為ね?」
「ちーがーう!」
「いいえ? だった怒ってはいけない所で怒ってしまったから、あなたもそれに釣られて怒ってしまったのでしょう?」
「それもちがう!」
「じゃあお父さんのこと嫌い?」
「ちが――っ!」
稚拙な誘導に引っ掛かり、メーターが振り切れ、
「~~っお父さんの所為だもんっ!!」
娘は爆発した。
そしてその勢いに任せて一気に捲し立てる。
「お父さんが変なことしてるのが悪いの! 嘘吐いて女の人と遊んでて! どこが立派なの!? ほんとうにバカみたいな言い訳言ってるし、それなのに、お母さんもすぐ許しちゃうし勝手に仲良くしちゃうし!」
「ざくろ……」
母親に名前を呼ばれるも、止まらない。
「お母さんは私の為とかお父さんの為とか言って結局全然自分のこと考えてないし……せっかく私がどんだけお父さんとくっつけようとしても遠慮して、お父さんはそのこと全然分ってないみたいだし全然なんとかしようとしないし、なのに喧嘩して……離婚するとかしないとか、ホントはもう仲良くないんだと思ってたら今度はいきなり馬鹿みたいにイチャつくし……」
抱え込んでいたもの全てを曝け出し、徐々に瞼が萎んでいく。
言ってしまった後、やってしまったと後悔するが、もう遅い。それでも許せない。
なんでこんなに身勝手なのかと。
そして色彩を失った声で、娘は両親に訴え掛ける。
「……もう嫌い、お父さんもお母さんも嫌い……」
「……そうか、……」
「あなた……」
魔王は理解した。説得を諦めたのではない。この家で、家族として一番頑張っていたのは娘だということをだ。
一生懸命はしゃいで、悪ふざけをして、悪戯をして。
ただ甘えていたのではない、いや、きっと甘えてもいたのだろうけど、子供として精一杯、両親の仲を取り持とうとしていたのだ。思えば最初にこの家に来た時から、娘は母親の事を、鈍感な父親よりもはるかに思い遣っていた。
お母さんの大好きな人を、自分の父親をなんとか引き留めようとしていたのだ。
でも、いざ家族として始まってみれば、子供の目から見て両親はてんでバラバラのちぐはぐで。
家の中で自分だけが努力している様な物で、一人空回っているようでしかなくて。
あげくの果てに、二人してその努力とは別のところで、ひょいとした切っ掛けで喧嘩して、仲良くなって――
もう散々だ。
しかし、娘はずっと、
「……ざくろは――ちゃんと、三人で家族になりたかったんだな?」
夫婦だから分っている、では、いくら愛情を積み重ねても、男と女の関係の延長上にある『夫婦』をやっているだけでは親ではない。子供を含めた場合、家族としては片手落ちなのだ。
それどころかその夫婦ですら、子供の手によって繋がれている状態であった。
それを積み重ねて来たところで、子供の心の負担が増すばかりだ。
魔王は娘と目を合わせる。しかし、
「……知らない!」
娘は、心を開くことを拒絶した。
正面から向き合って、目を合わせているが、心は閉じたままだ。
これでは、幾ら会話をしても無駄だろう。
こうもなろうと魔王は思った。当然だ、何もしていない。
――本当に家族らしいことは何もしていない。
仲が良さそうに見えて、全く、全員が個で動いている。
同じ目的であるように見えて、それぞれが別の想いで。
そんな中、今日何をした、楽しかった、笑い合った――その感情が本物でも、子供はちゃんと両親の本当の関係をその眼で見ていた。
他人でもいいから他人でいる、なんて、本当の家族ではない。
それでも愛している――大人の愛なんて、家族の繋がりの中では子供にとってまやかしも同然である。
魔王は鑑みた、子供が何を怒っているのかを。
先ほど娘に告げたことが正解であるかはただの推量でしかない。そしてもう既に会話自体が断絶している様なものだが、今、何を求めているのか。
魔王は自分たちが何を間違えていたのかを反省した。
自分達が本当の家族であるなら――
ただ娘に――家族に伝えなければならないと思った。
「……ざくろ、これからは三人で、……いや、」
勉強机の椅子で、万年雪に出来た淀みの様な目をしている娘と向き合い、魔王はその片膝を着いた。
「待ってるとか、離れても大丈夫とか、これから努力するとかじゃなくて、もう今から家族になろう……最初から間違えていたんだよ、私達家族は、最初から家族であるべきだったんだ」
娘は口を噤んだまま睨みつけて来る。もう、良いも悪いも言わない。
しかし、魔王は、膝の上でぎゅっと握ったその小さな手を取り、
「……ざくろ、本当の家族になろう。だからもう確認なんて取らない。ざくろが許しても、許さなくても――どれだけ嫌いになっても、お父さんはお前の家族だからな」
そして、傍らに立つ愛する妻へと声を掛ける。
「――お母さん」
娘の手を取りながら、彼女の目を見つめ、
「……結婚しよう。私は、娘と、君と、ずっと家族でいたいんだ……」
娘に誓いながら、母親に求めた。
元・勇者は、父親と同じように、母親として娘の前に跪く。
そして同じく娘の手を取り、
「……はい。私もです……私も、あなたと、娘と、永遠に家族でいたいです……」
同じく、娘に誓い、父親に求めた。
それから、何も言わずに声を合わせて、
「愛してるよ――」
「愛してるわ――」
続けて、
「――ざくろ、いままでごめんな」
娘の名前を呼んで、それから抱き締めた。
娘は、また何も言わずに目を細めて、自分の体を抱き締めてくれる二人を見た。
嫌がろうとも、離してくれない。諦めようとしても、構わずに。
二人から同時に求められ、そして与えられた。
娘は一言だけ、口に出す。
「……知らない……」
その言葉は変わらないが。
娘は、初めて『両親』の愛を受け止めた。




