「魔王、元嫁と再婚しようとする。」
オーク・キングは言った。
「我々は人の女なんて襲わない。確かに強化された繁殖力の所為で精力は強いが絶対に襲ったりなんかしない。むしろ紳士! その汚名を返上するために立てよ豚民ども! ジーク・ナオン!」
――ジーク・ナオン!
「ジーク・ナオン!」
――ジーク・ナオン!
「あんなほそっこいのに興味はない!」
「女は太めに限る!」
「我ら皆ぽっちゃりもしくはデブ専よ!」
「オークに復権を!」
「女性万歳!」
「女こそ地上に咲いた枯れない花!」
「人なぞ食ったりしないぞ! 肉だって絶対喰うもんか!」
「大豆だ、大豆を作るんだ! 豆腐万歳! おから万歳! 納豆最高! 美肌効果もあるぞーっ!」
「女性に紳士たれ――っ!」
「人間どもに健康の偉大さを思い知らせてやるぞーっ!」
そして彼らは立ち上がった。
剣を鍬に、石つぶてを大豆に、彼らは幾日も幾日も自然と向き合い大地と語らいそして荒野を実りの大地に変えた。
これが世に言うビバ・オーク、一年運動の始まりである。
「――というわけで、オークさんは好き好んで人なんて襲いません」
魔王はチョーク片手に講義していた。
片手には教科書を持ち、
「彼らは気は優しくて力持ち、そして身も心も太い女性が好みなだけです。かりにそんな女性が居たら襲わず真っ向から愛の告白をしてきます――一緒に大豆畑を耕そう、と。
一般的に人族がオークと呼んでいた種には大まかに二つの分類があります。一つはその鋭敏な味覚や嗅覚、そして優れた体格を使い大地を耕す、【調理】スキルと【農耕】スキルに特化した民族です、魔族の中で豚人と呼ばれる方々ですね。我々はその偉大な能力から三ツ星・コック族と呼んでいます。
そしてもう一つは、魔物が跋扈するようになり、放牧や畜産業が難しくなったこの世界で放って置いても野山で力強く育ち魔物を狩る――同時に人の狩猟対象になる様に改良された豚――それが突然変異で人型になった種族です。魔族とも人間とも違う、生物として全く別の起源を持つこちらが過去、世間一般的に魔物とされていた、オーク族と呼ばれる種族です」
歴史を広げる。
その理由は、最初期の段階では言語を操ることが出来なかったから――文明や文化を有するだけの知性の有無だ。だがほどなくして彼らも人と同じ言語を獲得し、元より近かった人と豚の遺伝子が更に近付き進化を遂げ、現代にまで残る人との交配が可能な『亜人』として認知されるようになったその歴史をだ。
「……しかし、彼らは事実として、改良された豚として放牧されていた歴史から、言語による意思疎通が可能となったその後もあろうことか食肉として扱っていました。それにより似た様な体を持つ豚人族の大量虐殺が起きたこともあります。……これは歴史の中でもっとも世界が荒廃していた頃のことですが、食糧難を回避するためそれこそ奴隷以下、物以下の扱いをし出しました。
そうして禁忌とされる食人行為を公然とまかり通されてきたオーク族や豚人族は、そうした残虐行為の正当な復讐――いわゆる意趣返しとして人を浚い、人間牧場を作り、報復行為を行うになりました。……これももう過去の出来事ですが、今でも人間社会ではそれが原因で彼らを差別対象として見ることがあります」
チョークを置き、そして、
「……後は皆さんご存知の通り。オークは人を襲う、オークは人間の女を攫い繁殖する……大昔に蔓延った一部の空想世界のイメージであった筈のそれが――間違えたオーク概念が現実のものとして固着してしまったわけです。いまでこそ大分払拭されましたが、魔族内でも差別が存在していました」
魔王は沈痛な面持ちをして、そんな歴史を語り終えた。結果から言うと運動は成功しなかった、お互いに血で血を洗い贖わせてきた歴史がある為、己の罪と罰から目を背け、勝者と敗者という形でしか決着がつけられなかったのだ。
今では魔界のごく一部にしか彼らは存在していない、人の世界のオークは狩り尽されてしまった。非戦を掲げても弱者である彼らに正義と平和の使者は降りてこなかった。
それ故に、この世界にはもう幸せなオークしか存在していない。
そんな潜在的な爆弾を現実にどの民族も抱えているのだが、そこまで語るとホラーでしかないので割愛する。
魔王は一息、そこからの教訓として、私見を述べる。
「さて、復讐は確かに感情の払拭や決着、区切りになるかもしれません。が、その正当性が悲劇の是正に繋がらないことが多い事、そして、むしろ悪徳の肯定になってしまい更なる愚行の蔓延に繋がることは自明の理です。だからこそ、刑罰という仕組みの有用性が出てくるわけですね?」
私刑などで罪と同質の罰を加害者に与えるのではなく、違う形で同等の代償を背負わせることに意味があるとしたらそれが一つとして挙げられるだろう。
もちろん、死や刑罰を恐れない人間にはそれこそ無意味でしかない。復讐の意義とは、やはり感情の決着なのである。
「それから、正しい歴史を知らない、ということがどれだけ恐ろしい事なのか、これはその一例でもあります」
一番怖いのは、これが感情や本能による欲望――衝動による倫理の欠如ではなく、理性による犯行だということだ。通常であればどれだけの飢餓が起きようとその場にいる人間を食おうなどとは思わない。しかし、それが食えると判断し、一つづつ倫理をすり抜ける判断を、理性が意図的に感覚を麻痺させる思考を行っているのだ。
そこまでを言いながら、魔王は教室全体を俯瞰するように見ながら、ある生徒の視線を気にする。
そこには生徒の顔をした娘がいた。その為、今日はほんの少し格好付けた様子で魔王は講義をしていたのだ。
何故ならば――
夕暮れの喫茶店――
オレンジ色が足早に帰路を進む群衆を景色の外に追い遣り、そして屋内には足早に夜の帳を落としている、ほんのりセピア色に染まった店内だ。
本日の商談や仕事を終えた大人たちがひっそりと小休止をしている。そのまま軽い夕食も取れるだろう。この時間の喫茶店は特に、静かな音楽が流れているようだ。和気あいあいよりそれを好む人間はいる。
そこで、魔王軍は会合を開いていた。
神の性癖をどうにかまともにし、その職権乱用を止めさせよう――
それは(ある意味)世界の命運と革命を掛けた会合だ。
そして、
「――娘が出来てた」
仮面魔導士はコーヒーをウエィトレスから受け取り損ね床に落とした。
カシャーン!
つぶさに魔王が真面目かどうかを確認し、自身の耳掃除の最終履歴がいつであったかどうかを思い出しそして停止した。
魔王はその再起動を待たずに続ける。
「それももう十歳――相手は私から自立した妃の一人で十四、五年まえの元女勇者の聖女で、彼女たちは三年前に来た勇者パーティーの女戦士と女魔法使いだった」
仮面魔導士はピク、ピクリと聞くごとに震えがはしり、しかし、毒が毒を超克したのか正気に返った。
「……盛り過ぎです」
「ネタじゃない」
「でも嘘でしょう?」
「本当だ。信じられないかもしれないが全部本当なんだ。何が起こったのかをありのままに話すとR18になるから話さないがとりあえず彼女と再婚しようと思う」
仮面魔導士は静かに到着したコーヒーを飲んだ。
そして「悪い悪い、冗談だよ冗談――」と、上司がいつものごとく発言を撤回するのを待ったが、その気配が無いことに気付き、本当に冗談ではないのだと理解した。
その五秒後、
「――じゃあ待望のお世継ぎが!?」
「世襲制じゃないだろ魔王は」
「だとしても王室広報の一面を飾れますよ!? ついにあのエロ大魔王が正式な所帯を持った! 男の墓場に入ったって!」
「愛する妻と同じ墓に入れるという意味でなら肯定しよう」
「惚気! 惚気ですね!?」
「そうだが? まあとにかくそういう訳だから、これからの計画はお前に全面的に任せる、精々頑張って現女勇者を口説け、後は宜しく……」
ゆらりと立ち上がった魔王の腕を掴み、仮面魔導士は逃亡を防いだ。
「ちょっと待った――……ちょ、ちょちょちょちょっと待ってください? ――何を任せるんですか?」
それは仕事が終わったと思いきや新しい書類を「はいお願いねー」と唐突に渡された時の気分である。だが魔王は平然と言う。
「いや、現・女勇者のナンパだが?」
「私もう彼女もちですよ!? ていうか先日それで脱退しましたよね!?」
「私はもう妻子持ちだ。残念ながらスケールが違う」
「確かに。でもあなた元々お妃様沢山いたでしょう!? 今更一人二人どうってこと!」
「実の娘の前で娘の仲間を口説けと? それも同居させて妻も居る前で?」
「そんなお父さん嫌ですね!」
「だろう?」
「かといって私に丸投げするのもどうかと!」
「そうなんだよなあ……てことでとりえあず作戦は中止ってことで」
「そうですね」
一応、世界の命運が掛った作戦会議なのだがそんな気軽なノリで棄却された。
そうして世界がまた一つ正常になった。
しかし――
「魔王様、再婚の話ですが、よく考えたのですがあれは冗談なのでおやめくださいね?」
五秒で崩壊した。
魔王は思う、だがそう言われてみれば確かにあれはドッキリだったと。
それでも暴露後の会話に関してはリアルドキュメントだったのだがと、魔王は自分の愛の価値について考えさせられるがめげずに言う。
「……馬鹿なことを言うな。ようやく家族が揃ったんじゃないか」
目の前に愛しい妻と娘がいるというのに、それを愛でるなと? 無理だ。
だが、
「ですが魔王様、あなたは何時までもこの都市に居る訳ではないはずです。それに私も、まだなすべきことを成していないのにそちらに戻るというのも恥知らずとしか思えません」
「君は相変わらず固いな。それくらい個人用の転移門を使えば何の問題もない」
「いえ。それだけでなく、これまで魔王様は後宮に女を分け隔てなく数多く囲うことで平等に扱ってきたはずです。特別な女、正妃を置かないことで。ですが私だけ子供まで儲けさせていただいた挙句、ここで家庭まで営ませて頂くなんて……他のお姉様たちにどう顔向けすればいいのか――」
「そこは全員平等に、後で文句も言えない位可愛がるから心配するな」
「……それは逆にお姉様たちが心配になります」
ただでさえ魔王の夜伽は妃たちの間でソロ討伐は絶対不可、パーティー推奨どころかフルレイドクエスト扱いされていたのだ。まあそれは体を対価に何かを懇願する様な女を遠ざける為の方便だが、実際ベッドで彼を倒すとしたらそれぐらいは必須――
じゃなくて。
「ですが……」
元女勇者の心にあるのは忌避だった。自身の我を通した結果、子供を一人で育てることになり……娘は立派に育ったが、実情はそこに本来あるべき父親の愛をろくに知らない子にしてしまった。
負い目と言うべき事実と感情だ、それは親としての怠慢でも不義でも不備でもないが、娘には申し訳なさと後悔が押し寄せるのである。まして、そこに居れば間違いなく一番幸せであったということが、当時も現在も分り切っている。
しかし、そこに甘えるだけでは魔王の事を支えられない。当時、彼の元を訪れる以前から彼は女性だけでなく訳アリの孤児も集めて面倒を見ていた――そんな彼の負担を減らす為なら、彼の傍でその仕事を手伝うのではなく、そこから離れ人の世界をどうにかすることが一番有効に思えた。
それは今でも変わらない――捨て置いて良いのか。
それでも、子供の事を考えるなら魔王の言う通りここから家族として再生するべきだ。
それが一番いい。それは分かっている。
しかし……、
「グレーナ、もう私と――いや、家族三人、愛し合うのは嫌かい?」
そんな葛藤の最中、魔王は隣から肩を寄せながら語り掛けた。
「……そんなことを言われたら、断れるわけないじゃありませんか……」
「だから改めて申し込むよ。結婚しよう? これからまた君と……そして娘と、家族になろう?」
そしてその手を取りプロボーズした。元嫁はまるで乙女のよう顔を真っ赤に、弱り切った素顔を覗かせる。そのどこか艶を浮かべた熱っぽさはもうただの乙女心でなく、成熟した女心を滲ませている。子供が目の前に居なければなし崩しに魔王は彼女をソファーに押し倒してしまっただろう。
しかし――
でもと、元女勇者は男を知った女ではなく、母親としての本能から。
目を合わせられず床に目を逸らした。ここで娘に目を向けたら、娘はその心情を汲み取るだろう、かえってその気持ちを無視して仕舞いかねなかったからだ。
刹那、
「お母さん、お父さんと再婚してあげなよ」
娘はどこかしょうもなさげに溜息を吐く、それはもう何もかもを悟ったような、諦めたような様子でだ、それは非常に曖昧な表情で。
指を立てる。
「正し条件付きで」
疑問する。
「……条件?」
「ん。お母さんは自立した女に成りたいんでしょ? それでお父さんの助けになりたいんでしょ?」
「……ええ。そうだけど……」
「――でも一番心配なのは私でしょ?」
父親は目を剥き、娘を見つめ――母親は耳を澄ませる。
娘は先ほどの母の視線の意味をちゃんと理解していた。
それを、魔王は父親として誇らしく思う。母親はほんの少し自分が情けなくなる。
と、更に娘はどこか素っ気ない口調で指示を出す。
「だからね? 私がいいっていうまで結婚禁止――お父さんはお母さんに認められる前に、私に『私のお父さん』と『お母さんのお婿さん』だって認められないとダメ」
つまり保留の間は今の状態が維持され、尚且つ、より一層の家族としての努力が求められる――しかし別れるという選択肢が最初から提示されていない。
そんな風に、家庭を采配していた。
中々ずる賢い子である。だが何より、なんとも優しい子である。
「……まだ認められていないと?」
「当たり前でしょ? 私がお父さんになって欲しかったのは先生で、エロ大魔王じゃないもん」
「……ええ!? そうだったのか?」
「そうだよ? 先生はお父さんみたいに優しいから良かったんだもん」
「……その先生はそのエロ大魔王なんですが?」
「全然違う。お母さんから聞いてたのは世界一優しくて――」
娘はつい父親を持ち上げそうになって、
「とにかく! お母さんは私がイイっていうまでここでお父さんと一緒に暮らせばいいの! その代わり、私がイイって言ったらいやでも結婚して貰うんだからね!? もちろんお母さんがどうしてもお父さんと結婚したいっていうなら今すぐ許してあげるけど?」
なんて強引な屁理屈なのだと二人は揃ってまた苦笑し感嘆とし、肩の力を抜くように吐息した。そして母がその頭を撫で、
「……分かりました……あなたの許可を取ればいいのね?」
「うん、そう」
魔王はどうにかその微笑みを噛み殺した。いい子に育っている子じゃないかと母親に視線を送ると、
「……まったく、どうしてこんな変に口の旨い子に育ってしまったのかしら?」
彼女は苦笑いの嬉し笑いで首を横に振り、そして眉間にしわを寄せえくぼを作りながら魔王を睨んだ。
目を逸らす。元の位置に戻すと相変わらずそれは困り笑いをしながら睨んでいて――
なんとなく罰の悪さを覚え、そして尻に敷かれた気分になった。
それを娘ににやにやと笑われて。
「ゴホン――私の所為かな?」
「――よくお父さん似だって言ってたよ?」
威厳もみすぼらしく白々しくそう言えば、そう返ってきた。
母親は本当にどうしてこうなったのかと、なんとも言えない微妙な表情で、処置も無しと微笑んでいた、どこか眩しい物を見る様で。
そして、父親は決意したのである。




