「魔王は女戦士と朝チュンした! しかし!?」
昨晩は猫の鳴き声が酷かった。
発情期のあれだ。どこか抗議めいた、しかし甘ったるい鳴き声だ。仕方ない。
それに狼も居たと思う、何度か遠吠えをしていた。山の間際だ、それも仕方ない。
どこか喧嘩めいた騒音がしたが、それも仕方ない、相手は動物だ、知性はあるが理性は乏しい、特に夜だ、月でも出ていたのだろう――
満月は人を狂わせる。
魔王はベッドで腕の中の重みを撫で回す。揉み心地も、抱き心地も素晴らしい。
魔王城で飼っているスライムに似ている。張りと、沈み込むほどの柔らかさ、吸い付く様な弾力を両立した最高レベルのスライムだ。
核がある。内部に埋没している筈のそれが何故か外にある。疑問に従い指の間に挟んだ。手の平にスライドさせ、回す様に捏ねる。
ひとしきり欲求を果たしたらその抱き枕の前後を回して入れ替え抱き締めた。
もう一度寝直す……。
犬が現れる。メロメロと舌で胸板を削ってくる。起きろということか。どうも抱き枕だと思っていたが犬らしい。
長毛種だ。さらさらとした毛が腰下まで伸びている、それも大型だ。その要求にこたえてグルーミングし斃した。
離れた。満足したのか、背中を魔王に押し付け寝そべってくる。
その腹を抱き寄せると満足げに喉を震わせている。
そして魔王は目を閉じながら夢現に確認する。
何時ベッドに来たのか分らない。ここはどこだ。昨日は確か――物件の内見で、予期せず生徒の家に家庭訪問に相成った。
そこで何か重大な出来事が起きたような気がするが気のせいか。生徒とその母親となぜだか家族団欒とした。
悪くない。そこまでを思い出す……。
そうだ、生徒の家だ。しかも母親は女戦士――
起きる。それもばね仕掛けのよう直角に。
さすがに二度寝はやばい、彼女に朝起こすと約束した。酔い潰れるまで飲ませた。ホストに飲ませるのもあれなので自分もしこたま飲んだのがいけなかった。農家の朝は早い――とっくに起きて畑にでも出ているだろうか? それとも一日分の収入をふいにさせてしまったか。
寝台の上のところに置いてあった自分の眼鏡を掛け直す。
生徒に恥ずかしい恰好は出来ない。寝返りを打ち、薄い掛け布を脇にやりながらベッドの縁に体を起こす。朝の空気がやけに寒い――
肌が心許ない――下を見れば全裸だった。
服が無い、どこだ――他人の家で裸族になり寝ていたという事実に戦慄する。しかも女所帯だ。気を使って起こしに来られたら惨劇が起きた。
服はと辺りを右に左と捜索し、とりあえず足元に落ちていた自分の下着を穿いた。ベットのすぐ脇だ。もしかして寝ながら布団の中で脱いだのかと思い、背中に向き直りその布団を思い切りよく剥いだ――
――素っ裸の女性が寝ていた。
――魔王は変な悲鳴を出した。
たわわな肢体に寝汗を掻いている。それが目に飛び込んできたと同時に、情事の後の艶めかしい甘ったるい匂いがした。
裸である、肌色である、全部見えている。重量感あるバイオリン体型の、背中――しっかりした肩甲骨に華奢な背筋、豊かなヒップは、ダイナマイトな安産型だ。
それも各所に、赤い斑点や、山折り線の楕円が付いている。
よく見なくても見覚えのある金髪である。
生徒の母親だ――つまり生徒の母親だ。
心臓が跳ね上がりそして変な汗が出て来た。血圧が急上昇と急下降を繰り返す。
だって、すごい、女戦士の体中に歯型が!
……これは言い逃れは出来ない。
見れば歯形だけでなく他にも物証はあり、今まで寝ていたベッドには様々な染みが出来ている。DNA鑑定でも真っ黒が出るだろう。ていうか自身の体にも至る所から粘ついた何かが乾いたカピカピ感がする。眠気が吹き飛べば部屋の匂いもすごかった――大人達の世界の匂いだ。
有罪、生徒の母親と、不義の関係に。
どうしてこうなった。
がくがくと膝に震えが奔った。
――生徒の母親に手を出した……!
それもハードプレイ。
教師として絶対やってはならない事案発生である。
魔王は理解した。やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい! 早く起こさないと「――先生がお母さんと裸で寝てるー!」なんて言われてしまう。
思春期のトラウマだ。きっとここから終わり無き反抗期に突入、そして非行に奔り不良娘になるに違いない。
それだけはダメだ、それだけはダメだ……!
魔王はそう自分に連呼し己を奮い立たせた。
可及的速やかに適切な処置(証拠隠滅と口裏合わせ)を施さねばならない。だから魔王は勇気を振り絞って事後状態にある母親に手を掛けた。
その肩を掴み、まずは軽く揺さぶる。起きない、なるべく声を出したくないが仕方ない、しかし、繊細に用心した小声で言葉を掛ける。
「……お、お母さーん。……シロップさんの、オカーサーン?」
2・5秒後、
「……もう、ゆるして……げんかい……」
「……私はどんなプレイをしたんだ!?」
とりあえずしつこかったんだろうとは分かる。
仰向けになった顔にはまだ生乾きの涙の痕が見える。
ほつれれた髪も艶っぽい――
背中越しに丸い尻しか見えていなかったが、そしてすごいゴージャスボディだった。乳房が胸囲に収まっていない上にまったく型崩れしていない――
それを泣かせた――とかそれよりも、まずこれとしたのか? という思いが湧き上がって来た。男として、こう、やってやったぞ! みたいな。責任を取れって言われたら即決で跪き喜んで指輪と花束とウエディングドレスを送ってしまう浮足立った気分――
魔王は自分で自分の顔を殴った――妙な思考にふけった自分を叱咤した。
とりあえず彼女に布団を掛け直した。それからまた冷静に、縋る思いで女(既に生徒の母親としてい見ていない)の名前を呼んだ。
「……グレナディーンさん……グレナディーンさん! 起きて! ねえお願い起きて!?」
必死なそれに一言、
「……ごめんなさい……あなた、ゆるして……」
悲鳴的な一言。そして致命的な一言――
――合意は無かったのか!?
(それとも続きは堪忍してという意味か!?)
多分前者。彼女の文脈的には後者の可能性もあり。
本当は嫌だった。でも最後には同意した、そんな気配――
魔王は後退り、ゆっくり床に尻餅を着いた。そして初めて勇者に、自分を殺してほしいと願った。
もう死んでもいい――満足したという意味ではなく心からの罪悪感で。
そこで、女戦士はゆっくりと目を開けた。
「あ……あな、た……?」
魔王と目を合わせる。それが自分の主人ではないということに気付き――
「……せんせい……? ……あ、……い、いや……」
絶望の開幕である。
半ば茫然としながらゆるゆると布を袂に引き寄せ、その下にある自身の体が裸身であることに彼女は気付いたように――
多分、手遅れだと分りながら、
「……みないで、ください」
「……すみません」
「……謝らないでください……お互いに、責任はあるのですから……さいわい……主人以外には、初めてでした……ッ、子供には……言いませんから……」
逆に謝られるようないいざまに――
「――お母さん! ダメですよそれは! ちゃんと――ちゃんと、訴えないと!」
「そんなことをしたら貴方が! ……責任を感じる必要は、ありません……わたしが、ゆうわくに負けて……寂しさに負けて、……よわかったから……」
「そんなこと言わないで……貴女は何も悪くない。悪いのは私だ……」
「そんな……昨日の夜、最初に誘ったのは私ですよ? そのあと、あさ、起こしてくれるって……夢みたいで、舞い上がって……」
「えっ……」
「魔王様は……それに、応えて……」
つまり、逆に逆に本気だったということか!? ――このとき魔王は初めて神に祈りたくなった。
しかしその瞬間、魔王のその困惑に女戦士は彼がその気ではなかったということに気付き、無言で絶望に暮れ、魔王もまたそれに気付き、慌てて取り繕うとするが遅く、
「……どうすればいいんですか……子供も、夫も裏切った、わたしは、もう……母親じゃいられな――」
致命的な一言を再び口に仕掛けたその瞬間、魔王はその唇を塞いだ。
抱き締めた。
「……私の所為です……責任は取ります」
「……私と……結婚……するおつもりなんですか?」
「……貴女さえ良ければ……」
するしかあるまい。いや、しなければならない。
こんな弱い彼女の事を放ってはおけない――いや、そこにさらに楔を打ち込み、決壊させてしまったのは自分なのだからと、魔王はまだ愛の無い夫婦関係を築こうとした。
否、
「……貴女は、私が幸せにします……あの子も、纏めて、」
その瞬間、
「うっ――」
「――どうしたんですか?」
突如として、女戦士は下腹を押さえて狼狽えた。まるでそこに危惧を懐いたよう両手で、何かを暖める様抱えるようにして、
「……お腹に、あの子を授かったときと同じ感覚がします……!」
ガタン!
「……もう……もう一人、家族が……出来てしまったようです……!」
魔王は戦慄した。たった一日――否、半日も経っていないのでは精子が卵子を受精させることすらままならないではないのか!(正確な医学知識)。
そんな馬鹿な事があるのか。
いや、女の勘は馬鹿にならない予知にも似た直観だ。
その瞬間、魔王は床に正座しそこから己の姿勢を土下座に切り替え、とりあえず何も言わずに平伏した。
「……なんですか、それは」
「――あの子と貴女は私が幸せにする! 当然――今そこに居るお腹の中の子も――絶対に不幸にはしない! 纏めて私が幸せにする! ……幸せにさせてください!」
そのなりふり構わない強引な、傲慢なまでの求婚に――
女戦士は両手で口を押えて、溢れ出そうになる歓喜の悲鳴を――
にしては、目許がやたらと緩んだニヤつき顔で……。
どこか爆笑を堪える寸前のような顔で。
下を向いた魔王の上で、彼女はそれを立て直し、
「……あ、愛の無い結婚はしません……」
つまり今、ベッドの中心でそれを叫べということだ。
だが、
「……それは……まだ、言えない……」
「……まぁ。それでは、私に愛の無い夫婦関係を、強いるというおつもりなのですか?」
「ちがう、そうではない……これ以上貴女に不誠実な態度は取れない……今、このようなことになってから、愛しているなどと……それこそ不実でしかないだろう! だが必ず……貴女と、あの子と愛を育んで見せる!」
まさに、上から(物理)目線で、腹を見せた可愛い犬を愛でる様な視線で。
苦笑する。それは愛に満ちた微笑である。
そのことに魔王だけが気付かずに。
仕方ない、とでも言わんばかりに眉間にしわ素寄せながら、穏やかに頬を緩め、
「……あなた《・・・》? 嘘でもいいんです……私は、嘘が苦手ですから……あの子に説明するためにも、今だけは、私に、嘘をついてください……」
「だが――」
「――許します。……あなたの妻として、その嘘を……」
そこでようやく、魔王は自身の呼び方が変わったその意味に気付いた。
「……! ……分かった」
そして同時に、女戦士は左手の銀の指輪を外した。
ポフン。と、気の抜けた音がして。目を閉じた魔王の上で淡い光が溢れた。
が、その事に魔王は全く気付かず――
顔を上げた。その瞬間、
「――愛している! グレナディーン! おまえのことを、お前の娘を! わたしは――……?」
叫んだ――
言葉が、徐々に切れる。
目が点になる。茫然とし、そして顔面が停止した。
目の前で、ニコニコ嬉し気に微笑んでいる顔を見て、
「――はい。これから改めて、私はあなたの妻になります。よろしくお願いしますね? 旦那様?」
完全に脳が機能停止した。
そこに居たのは、金髪碧眼のどこか雄々しい美女ではない。
銀髪青眼の、嫋やかであり、清廉とした、母性が滲み出る様な淑女だ。
どこか見覚えのある――しかし見覚えのない。
そこで魔王は、真顔で現実を声に出して再確認した。
「……はい?」
誰だか分る。誰だか分っている筈なのに、それが認識できない。
今まで、手を出してしまった生徒の母親に土下座プロポーズしていた筈なのに。
何故、そこにとって替わって存在しているのか。
「……ふふふ、初めてあなたに勝った気がします……♪」
「……」
「あの時のお返しです。――だからもう、私達を騙さないでくださいね?」
「…………」
「……そんなに……変わってしまいましたか?」
どこか困ったように、眉根を寄せたほほえみ。
そこでようやく、脳が再起動し、
「……………ポムグレーナ?」
その名前を呼ぶ。
そこにはかつて、魔王と結婚しそして離婚した、妻の姿があった。
魔王はゆっくりと周囲を見回す……女戦士と入れ替わってそこに居るという訳ではなさそうだ。
訳が分らない。
月光を幾重も束ねて糸にしたような銀流が揺れている。豊満な体型はそのままだが、女戦士のそれより腹部の腹筋の厚みが薄れて、ふんわりと柔らかくくびれている。
自身を殺すために――失敗したら生贄になるよう送られてきた、元・女勇者――聖女と呼ばれた彼女の事を。
その名前を呼ぶと、
「はい」
信じられずにもう一度、
「……ポムグレーナ?」
「はい……」
「……」
反芻する。更に、
「……ポムグレーナ?」
「はい。……もう、好きなだけ確かめてください?」
「……女戦士の人妻の未亡人の母親は?」
「仮の姿です。……そちらの方がお好みですか?」
「…………こっちで……」
「ふふふ、早速約束を破るおつもりですか?」
「え? ……いや、あれ? …………」
幸せにすると約束したのは果たしてどちらになるのか。
二秒、三秒、四秒、五秒、たっぷり六秒取った。
「……いや…………訳が分らないんだが……」
思い出す。
彼女はかつて化物の大発生で荒れていた人界の為、聖女として、各国の名代として魔界に復興支援を取り付けに政治交渉に来ていた。正確にはそれに偽装し勇者として魔王を討伐したのち魔界を侵略する、その尖兵として来た。
だが自分からそのことを暴露――逆にその陰謀を挫き、紆余曲折あって壊していた心と体の療養生活を魔王城で送り、その中で寵妃の一人として結婚した。しかしほどなくして彼女自身がやるべきことを見つけたと言い、魔界での身分である【柘榴妃】の名を捨て、後宮を卒業し魔王城を出て行った。
戸籍を貸しているだけではない、数少ない本当の妃の一人だ。
その、十年前の彼女の姿がちらつく……。
まだ十八歳の頃の、凛々しくも儚く、楚々とした少女と、磨き上げた鏡の様な、粛然とした理性と嫋やかな母性を宿した彼女の姿が。
それと金髪巨乳女戦士が。
それと今現在目の前にいる銀髪青眼の聖母系・爆乳淑女が。
三方向からオホホホホ、と、脳内で高笑いしていた。
そして相変わらず、魔王の顔面は停止していた。
「――コホン、説明いたしますと、貴方が手を出しちゃった人妻は、元あなたの嫁が変装していた姿です」
「……大変わかりやすいご説明をどうも……」
「ダメですよ? 先代女王様を押し倒したときも、確かお酒の勢いで泣きつかれたときでしたよね? 双方理性が無くなるくらい飲み潰れて――すごいことしちゃって」
「……ああ……はい……気を付けます?」
そんなあっけらかんと言われても。
生徒の母親という絶対に手を出したら行けない相手が変装した自分の妻で事後にそれを明かされ気付くという茶番染みた二重不名誉を喰らっているが未だその事実に脳が追い付かず、言われるがままに魔王は鵜呑みにした。
「……あの、」
「はい」
「……昨日の夜の……弱音は?」
「……ふふっ、真っ先に心配するのがそれですか? ……あまり、嬉し泣きさせないでください……」
そう言いながら思わず零れたという様な……本当の涙を拭い、
「……あれは本当です……貴方がくれた優しさも、言葉も、全て、偽りではなかったでしょう?」
「……」
そのとき魔王は自然に、しなければいけないことが分った。
何も言わずにベッドへ上がりそして彼女を抱擁した。
しばらくして、腕の中にいる彼女を見つめる。
……苦労をして来たのだろうと、それだけでわかった。
染み一つ、皺ひとつないような美しい肌だが、そこには確実に年輪が刻まれていた。
輝きも影もその深さを増している、喜びも、苦労も、涙も、笑顔も、共にある人生を送って来たのだろう。前よりも美しくなった。それは、ともに在れたらごく当たり前のことだ。
だからこそ、変わったと感じてしまう自分が魔王は辛かった。
だが、
「……幸せになれたかい?」
「はい。苦労は多かったのは確かですが……あの子を授かりましたから」
今更ながらに思い知る。離婚したのだからそれは当たり前かもしれない。
子供がいるのだ、それならば……自分とは別のパートナーがいる。
それに、仄かに嫉妬を滾らせながら、
「……どんな男なんだ?」
「……え?」
「君の――あの子の父親は?」
夫、という言葉を避けて通った。そのやきもちと、意気地の無さに――しかし彼女は蕩ける様な苦笑をし、
「まあ――私が出て行ったのは何年前ですか?」
「……10年だが」
「では……あの子の歳は?」
10歳である。
その可能性に気付く。
「……え」
「……私が、貴方以外に、この魂を許すとお思いなのですか? ……」
咎めるような鋭い視線であるが、はっきり、まだ彼女が自分に貞操を捧げているという事実に――
いや、それ以上に。
もう一つの命が、自分の半身と半身を掛け合わせたそれであるという事実を唐突に理解して、歓喜が湧き上がり、眼の奥がぐらぐらする。
「じゃ、じゃあ」
「はい。貴方と、私の子です」
――うちゅうがばくはつした。
まおうのあたまのなかで雷鳴がとどろいた。
半裸で、魔王はその衝撃の事実をしった。
家族が一人増えた。
子供が一人出来ていた。
嫁が一人でそれを産んでいた。
それは男として夫として正直どうなん?
という事態に魔王の脳味噌は一人で急転直下、パラシュート無しのスカイダイビングを決行し、潰れたトマトになって無事、再起動する。
しかし冷静になれるわけがない。
動揺は続き感動するだけの感慨すら与えられず、ただ、
「……わ、私の子なのか? ……あ、あの子はそれを――」
「私は教えていませんが、もしかしたら、そうだと感じているのかもしれません」
「……なんてこった……」
それに気付かずに、普通に生徒として接していたことに酷い罪悪感を抱いた。
あの、懐っこい生徒が、自分の娘だったなんて。
そして、離婚した元妻を抱きながらくねくね悶絶した。
「……あああ……あぁあぁああぁああ……ああぁ~~~~~~~~~~~~……酒に酔った勢いで朝チュンした生徒の母親が離婚した自分の元嫁でしかも子供が出来ていてそれも間違いなく自分の子でその子が自分の生徒でっ!?」
「すみません、驚かせすぎましたね?」
「うんそうそれ!」
「でも昨日私も驚いたのですよ? まさかドアを開けたらあなたが立っていて、まさか私を追掛け迎えに来たのかと思えば、でも違っていて……お父さんみたいな先生がいるって聞いていましたけど、まさかそのものズバリあなただったなんて……」
魔王はやんわりと首筋にキスをするとくすぐったがりながら彼女は差し押さえて来る。
「ていうか君もここで何してるの? ていうか、この十年何してたの?」
「それは……昨晩話した通りですが……」
「……子供の可能性? ……子育ての為に?」
しかし彼女も手を伸ばし、首に絡めてさりげなく久方ぶりの夫の匂いと体を堪能した。
「それもありますが……出来れば、貴方の負担を減らそうと、人の世界で孤児院を営もうとしたのですが……旅立ってすぐに、お腹にあの子が居る事が分ってしまって、とある町で立ち往生して産んだものの、娘が大きくなるまで動くに動けず、帰るに帰れなくなってしまって……まして魔王城に郵便をしてくれる人間が居る訳もなく、こちらに連絡も出来ずで……満足に目標を叶えることも出来ず……情けない限りです」
未だ剥き身の尻を揉もうとするが、それは手を叩かれ叱られた。
「子供を片手に抱きながらでそれは無理だろう……柘榴は、いや、グレーナはちゃんとやるべきことをやり、耐えるべきを耐えていた……立派な母親だよ」
「魔王様……」
見つめ合わずに目を閉じたままキスをする。
「で? どうして今代の勇者一行に参加して魔王(偽)を倒しに来たの?」
「魔王が代替わりしたって噂を聞いて、貴方が死んだかもって絶望して……それで、娘共々変身アイテムで名前と正体を隠して……」
「……うん?」
夫婦生活をしていた頃の朝のピロートークをしていたが。
距離を取る。命の危険を感じたからではない。再確認の為だ。
ちょっと良く頭が働かない。
「……え? 娘共々?」
「はい。あ、あの時の女魔法使い、あの子ですよ? 気付きませんでした?」
「気・づ・き・ま・せ・ん・よ! 見た目もサイズも全然違うじゃないか!?」
三年前に魔王が画面と報告書越しに見たのは、目の前の元妻には迫力として負けるが均整の取れた十代の美少女だった。
「それも仕方ありませんか、正体を隠すのに、あの子は変身アイテムで十七歳の姿になってましたからね、髪と瞳の色も変えて」
「無・理・だ! そもそもそれは魔法使いというより魔法少女のような――ちょっと待って、十年前生まれて勇者が来たのは三年前――ていうと七歳? その年で旅させたのか?」
「平気ですよ。あの子当時でもう人類最強の魔力がありましたよ? あなたのHP∞と私の攻撃力∞が混ざった結果ではないかと……」
「もう訳が分からないんだが!?」
魔王の処理能力を超えた。
「――いや、私はひょっとして実の嫁と娘に殺されかけていたのか?」
ベッドの上で正座で後退る。
「あれはあなたが作った人形だったじゃないですか。むしろ、私たちの方が夫であり父親であるあなたに暴力を振るわれていたのでは?」
猫パンチ。猫パンチ。元妻の攻勢に魔王は愛想よく手の平のミット打ちで受ける。
「うっ、嫌われちゃわないかなあ……でもちゃんと接待プレイで負けたでしょ?」
「それぐらい分ってますけど……ぷぅ」
「なにそれ、可愛い~」
「うふふ~。でもそれで、生きてるって分って、ほっとしたのですけど」
再度抱擁……からのキス三連続。
「……心配かけてごめん。でも、気付いたのならなんで戦いが終わったとき、いや、始まる前に声を掛けてくれなかったんだ?」
「だって曲がりなりにも勇者のパーティーですよ? そんな露骨におかしいことをしたら、貴方が死んでないとか本体がどこにあるとか筒抜けに――」
「ああ~なるほど」
おおよその疑問は収まった。
そして押し倒した。
エロい事をするわけでもなく二人して抱き合い腕枕でゴロゴロする。
両者、裸であることぐらいさして問題ない関係である為、取り立ててそういう意識はない。
夫婦の神聖な儀式、裸なんてただの綺麗なモノ、一種の芸術染みた感覚として見ている。そして日常という程度――
むしろ下着や服を着ている時の方が劣情を催すしそそる。
「……でもその後は? 来ようとすればこっちに来れたんじゃ」
子供が大きくなって旅が出来るのなら魔王城にもう一度来れたはず、と。
もちろん勇者専用・迎賓館のそれではなく、本物の魔王城――後宮備え付けのただのマイホームの方にだ。
「……だって、やりたいことがあるって、どうしてもの我儘を言って、貴方の元を出て行ったのに……都合よく子供を産んで育てる為に戻るなんて……帰れるわけないじゃないですか」
「……本当にそれだけ?」
「……すっかり、おばさんになってしまいましたし……」
「あの頃以上にセクシーになっただけだろう? ――ほら」
「アン?! もうっ……!」
本気で抓られたので止める。
「だって、絶対気を病むじゃないですか……あの子に愛情を注げなかったとか、引き止めておけばよかったとか、大切な時間を失くしたとか、絶対……」
言葉にしながら、その思いが自身の中にもある――ということを、魔王はその表情から察し、
「……なら、もう幸せになることしか考えないようにしよう?」
「魔王様……」
「ほら、おいで、十年分、まだ足りないだろう?」
「あ! そんなつもりじゃ、あっンン!……」
湿った音をさせながら、魔王は甘い抵抗をする彼女の唇を塞いだ。
「まって、待ってください……」
「なに? ……本気じゃないだろ? ほら」
「あの子がそろそろ起きて……もう起きてるかもしれないから、もうこれ以上はだめえ……あん……アハ、アハハハ、うふふ」
脇をコチョコチョする。
子供には絶対見せられない格好をしながら、やってることは子供の悪戯レベルの睦合いを十年振りに繰り返していた。
その瞬間だった。
『――先生ー? もう朝だよーっ?』
状況が一転した。
「せ、せせせ生徒が、生徒が、生徒が!?」
「落ち着いて魔王様! あれはあなたの子供!」
「じゃあ見られても平気かってそうじゃない!?」
――お父さんとお母さんが裸で変なことしてる。
十分事案である。いや、正確には。
――先生とお母さんが裸でベッドでにゃんにゃんしてた。
十分事案である。いや、正確には夫婦なのだが元だ。その上娘は父が父であることを知らない。やはり事案だ。
「大丈夫です! ここは私の部屋、客間は向こ――!」
ガチャリ、
『あれー? 先生? どこいったのー? おかーさーん!? 先生どっか行っちゃったよー?』
娘は母の指示を仰ごうと今二人がいる寝室に向かってくる。
足音がかなりの早足で近づいてくる。
「どどどどうするどうするどうする!?」
「部屋の空気! 換気! 換気!」
「服! 服!」
お父さんとお母さんは同時に慌てた。父は眼で訊ねる――娘に保健体育はどこまで教えたのかと。母は眼で答える――と、とにかく! ベッドと部屋は激戦の荒野だ。その痕跡を隠滅しようと窓を開け放ちシーツをぐるぐるにまとめてベッドの下へそしてそこらに落ちてる服と下着を身に付けようとしたがそれぞれ女物は野獣に襲われたのかと思う様な引き千切られ方をしていて断念その間小さな足音が絶望へのカウントダウンとして遠慮なく淡々と近づいてくる!
父親は窓から飛ぼうと思い足を掛けるが母が思いとどまらせようとその腰に抱き着きバックドロップでベッドへうっちゃった。パン一の半裸装備で外に出たら変態だ。
このままでは娘は思春期を待たずして反抗期へと直行コースだ! その上おそらく恋愛観や性的価値観、男性観にまで致命的なトラウマを与えるに違いない。
おまけに母親の女としての素顔を見てしまうのだ。
家庭崩壊の危機だ。魔王はパン一でその最悪の事態に直面する。
「おかーさーん?」
「す、すぐ行くからちょっと待って!」
その合間に母はクローゼットから着替えを取り出しもはや下着は着ずシャツに上着にそしてだけをスカートを穿こうとする。
ドタバタと、
「何で慌ててるのー? あれー? ひょっとして先生と逢引きしてるー?」
バレてる――っ!?
「な、なんでそう思のかしらー?」
「おいバカ! その答え方は!」
「じゃ入るねー?」
魔王はその言葉に咄嗟にパン一でドアノブに飛び付き死守した。
ガチャガチャガチャ! コンコン♪
開けようとした後にノックだと!?
「――なんで押さえるの先生」
もはや断定している。魔王は心が折れそうだ。同時に噴き出る冷や汗と脂汗が止まらない。
母親がどうにか声を振り絞る。
「せ、先生はここに居ないわよ?」
「じゃあお父さん?」
戦慄した。
「ど、どうしてそう思うの?」
「だって昨日の夜『あなた、あなた、あなた、もっと愛して! あんっ!』って。先生もう責任取って結婚するしかないよね?」
父親と母親は致命傷を負った。もはや回復不能だ。
……ていうか、夜中に何しているのか分っている?
「――どこまで教えたんだ!」
「……だ、断面図を使用して、おしめどめしべから避妊に至るまで自衛のために!」
「くっ、なら仕方あるまい!」
小声で。純潔教育と子供を子供扱いしない教育、その難しさについて悩んだ。
つまりは大人の保健体育というか、夜のプロレス技について完全に知識があるということだ。その事実に、また父親として複雑な心境に陥る。
そして魔王は観念して項垂れながらドア向こうに声を出した。
冷静に。
「……着替えるから、ちょっと本当に待ってください」
「うん。分かった。でも早くしてね? ――結婚式も」
――娘からの圧力が怖い!
そして母親からの刺すような期待の眼差しをほんのり背中に感じた。
とりあえず、着替え終わった母親が、散らばっていた父親の服に手の平でなけなしのアイロン掛けをし渡してくるそれを片手ずつ手伝って貰い袖を通した。
娘が信用できずドアノブは固定したままだ。案の定、手が離れたと思いガチャガチャとフライングでノブを捻ってくる。
「まだー?」
「まだだよー?」
手櫛で髪を整える。と、それではダメだと母親が自分の櫛で髪を撫でた。
用意は整った。
というより、魔王は逃げられない。女勇者(元)も逃げられないだけである。
一夜の過ちでこの状況――
魔王は思った。親子の再会とか初体面って、もっと感動的なんじゃないだろうか、そう思うが仕方ない。
ドアを開けた。
そこで、足をぶらぶらさせながら待っていた、娘が訊ねた。
「……先生?」
「……いいや?」
「お父さん?」
「……ああ。そうだよ」
「……それだけ?」
その瞬間、魔王は全て察した。
「……いいや――お父さんは最初からお父さんだった。分からなくてごめんな?」
「……うん。知ってる」
「……いつから分かってたんだ?」
「最初から。学校で見た時、」
「……怒ってるかい?」
「……ううん。だって仕方ないもん。知らなかったんでしょ?」
まだまだ小さな女の子は、平素な顔をして、不機嫌でもなく、さも、寂しげではなさそうにしている。
が、
「……じゃあ、ちゃんと怒りなさい」
父親がそう言うと、
「……じゃあね……もっと甘えて良い?」
言った瞬間両手で彼女を抱き上げて、抱っこした。
「……やっぱり、大きいな」
「お父さんが悪い」
「その通りだ――」
「シロップ、あのね?」
「お母さんは黙ってて。……あのね……先生が、……私の本当の名前を当てたら、許してあげる」
母親と顔を合わせる。彼女は頷いた。そうか、彼女も変装し名前も変えていたのだから、娘もそうかと。
魔王は理解した。
本当に何も知らなかったのは自分だけなのだ。名前も、自然に教師と揺らぐあたり、まだ本当には、父親と認識出来ないのだろうと。
いや、それはきっと、娘の中で予てから決めていたことなのだろうと思った。
「……ノーヒント?」
「……お母さんから、一回だけ」
彼女を見る。それはどこか祈るような顔で、
「……あなたに愛されるようにと、つけられた名前です」
魔王にはすぐに思い至った。
自身と彼女の間にあるそれは、ただ一つだった。
腕の中、眼前、自身の事をつぶさに観察している。それは期待ではなく、それくらい分からなければ許さない、と目で言っている。
そんな愛娘に、
「――柘榴。愛しているよ?」
かつて、愛する妻に送った名前を告げた。
何の変哲もないブラウンの髪が、黒銀のそれに変貌する。
瞳の色は、透き通る桜紫色に。母親似の純白の肌に。
これは、間違いなく、自分と彼女の愛の子だと分った。
「――お姫さまみたいじゃないか」
「だって実際そうなんでしょ?」
「確かに。……じゃあお父さんも本当の姿を見せるか」
「……それ、お決まりなの?」
「ああ。なにせ魔王だからな?」
それに合わせるよう魔王も目頭を押さえ、その瞳の色を赤に変えた。
深紅の赤、澄んだ紅色、妻と愛娘に着けられた果物の色と、同じだ。以前に、妃としてどんな名前がいいかと尋ねたら、それがいいと言われた。
「……それだけ?」
子供にはそこまでの機微は分からないのか、淡白なリアクションが返ってくる。
「――派手なのは嫌いなんだ。それにお前を抱っこしたままじゃ鎧なんか付けられないしな」
「ええー、つまんないの」
下ろす。とりあえずばさりと政務用の礼装を瞬間的に着て、もとの一般人の服に戻す。
見事娘の目を引くが、ただの父親のファッションチェックの様な気がした。
改めて、娘の顔を見ようとすると、彼女は母親の後ろに隠れて顔だけを出し、母親はそれを苦笑し尻に隠したまま娘の頭を撫でる。
もうただの教師と生徒ではない――父と娘として改めて出会ったため、かえって他所のおじちゃんのようだ。それか、
「……先生がお父さんじゃ嫌か?」
「――違うけど?」
単純に恥ずかしいのか、こそばゆいのか。ならいいのだが――
魔王はそう思った。
「もう一度抱っこさせて?」
「……やだ。なんか臭い」
「……え、」
「――乾いた唾の匂いがする」
父親は母親と見つめ合い、ああうん――それはそうだな、とその原因を理解した。
子供には見せられないよ!
とりあえず誤魔化そうと思い、
「――よく口を開けて寝てるから、涎かな?」
「――そうですね?」
二人して迫真のとぼけ顔を決めるが、
「どうせすごいチューしてたんでしょ? 嘘吐いたから罰ゲームね」
即でバレました。
そして朝食で。
「は、はいアナタ? あーん♪」
「あ、あーん……」
「もっとラブラブに。枕詞か語尾を『愛してる』で」
「あ、愛してるわアナタ。あーん♪」
「私も愛してるよ。あーん♪」
スプーンで朝粥を食べさせ合う。娘の要求で、新婚ほやほやラブラブごっこをさせられた。それぐらい出来なければ夫婦として認めないと言われ、
「次。お父さんがお母さんを膝にお姫様抱っこしながら、もう一度、ちゅーも交えて」
「ぐッ」
「も、もう許して」
「ダメ。さもないと昨日の夜、『わ、わたし、魔王様から逃げられないの!』『女戦士よ! 我が愛に屈するがいい!』『死んじゃう! 死んじゃう! もうメチャクチャにして~っ!』とか言ってたの近所のおばちゃんにバラすよ? お陰で眠れなかったんだからね?」
母親は即座に両手を広げた父親の腕に飛び込みそして抱き抱えられた。
色ボケしてるのかと思うほどラブラブな熱視線を送り、
「はいアナタ! アーン♡ ちゅっ♡」
「私の女神よ! 君以外この世に女性は存在しない! 君に首ったけだ! ちゅ~♡」
「もう、いいすぎですよ」
「いいや、いつだって君は私の女神だよ? さあ、これからまた独り占めさせてくれるかい?」
「……あなた……」
「……グレーナ」
「――あ、素は禁止ね?」
『ひぎぃ?!』
こうして、魔王と元・女勇者は、
娘にいじり倒され、無事幸せに――
……。
とりあえず、愉快な家族になりました。
そして……。