成長し続ける文字
ある高利貸しが自室で殺された模様――この一報により、早速ベテランの先輩刑事と、このまだまだひよっこの僕とのコンビで現場を訪れた。
その邸宅のベルを押すや否や、中から中年の女性が現れてきた。が、もはや立っているのがやっとという状態で、その顔面も蒼白そのものだ。そして彼女は、僕が差し出す警察手帳にも目もくれず
「だ、旦那様が、しょ、書斎で……」
それを聞いた先輩が、ずかずかと中へと消えていった。
「先輩。ちょっと待ってくださいよ!」
さすがに邸宅だけのことはある。ようやくお目当ての書斎の中へと入ってみると、中では先輩が床を見下ろしながら立っている。
「どうかしましたか?」
「ああ。ちょっとここに来てみろ」
僕は言われるままに、その場所へと歩み寄ったが
「う、うわっ! こ、こいつは酷い!」
「大丈夫か? 喜多君」
「あ、少々戻しそうになりましたので……も、もう大丈夫です」
そう答えた僕は、再度下に目をおろし
「どうやら後頭部を鈍器で一撃……みたいですね?」
「ああ。だが、それで即死したわけじゃないな」
そう言いながら、ベテラン刑事は被害者の右手の辺りに目をやっている。
「ほら、ここに血で書かれた文字があるからな」
「え?」
それを見て、思わず僕は言葉を忘れてしまった。
「うん? どうしたんだ? 君には読めないか?」
先輩の問いかけに、我に返った僕は
「あ、いえ……『青』、でしょうか?」
「ああ、何だか『麦』みたいな『青』だな。しかし赤字の『青』とは、これまた皮肉なもんだ」
その時、ようやく到着した医師やら鑑識課の面々を先程の中年の女が連れてきた。そしてそこには、仲間の先輩刑事らもいる。
「遅くなりましたな」
「おお、来られたか。では先生、早速頼みますよ」
そう言って先輩は、次に女の方に目をやり
「青田さん。あなたが発見されたんですな?」
あ、青田だって?
「あ、はい。いつもどおり今朝来て参りますと、旦那様の書斎から灯りがもれておりましたもので」
思わず、僕は尋ねてみた。
「あ、あなたは青田さんって言うんですか?」
「は、はい。ここで家政婦として働いています、青田絹代と申しますが」
「家政婦さん、なんですか?」
「はい。旦那様は一人でこの屋敷に住まれていましたから、その身の回りの世話で私は毎日こうやってお伺いしてるのです」
「なるほど……で、横たわっている旦那様を発見され、警察まで連絡をよこされたと?」
「そ、そのとおりでございます」
この時、先輩が死体脇に屈みこんでいる医師に聞いた。
「いつごろですかな?」
それに、医師は腕時計に目をやりながら
「おそらくは深夜の二時から三時の間かと」
「草木も眠る丑三つ時、ねえ」
そんな台詞を口にした先輩が、青田さんの方へ歩み寄り一言放った。
「さ、重要参考人として一緒に署まで来てもらえますな?」
これには目を剥いている中年女性。
「わ、私が? こ、この私が旦那様をやったとでも?」
「さあ、それは今からいろいろとお尋ねしますが……」
ここで先輩がガイシャを指差し
「あの文字が全てを示してくれてましてな」
「そ、そ、そんなあ……」
だが先輩は有無を言わさず、二人の刑事に指示を出した。
「さあ、お連れするように。もちろん丁重に、な」
家政婦は、あっという間にその両腕を掴まれながら、部屋から連れ出されていった。だが、その際にもがきながら
「わ、私じゃないって! ど、どうして連れて行くんですか! 本当の事を言っただけなのに! ね、ねえってば……」
嵐も過ぎ去った後、皆が自分の仕事に精を出している中、僕は再びガイシャに近づいていった。そして傍らにいる鑑識課の男に聞いてみた。
「もう、この血に触れてもいいですか?」
「ええ、いいですよ」
それを聞いて僕は、血文字の左側をハンカチで慎重に拭い取りだした。上から靴あたりで消された風、なのだ。
やがて、そこから顔をのぞかせたのは……三本の線。
「すみませんが、これを何枚か撮ってもらえます?」
これに「何を今更?」というような顔した相手だったが、その字を見るや否や
「おお! こ、これって?」
そう口走りながら、慌ててシャッターを鳴らし始めた。
「何をしているんだ?」
背後からいきなり声をかけられたので多少は驚いたものの、僕は振り返り、相手の目を直視した。
「先輩、僕の話を聞いてもらえます?」
「ん? 話? 忙しいんだが、まあいいだろう。で、話とは何だ?」
僕は思わず生唾を飲み込んだ。
「実は、気にかかっていることがありまして」
「気にかかる? 何がだ?」
「先輩はここに着いた途端、書斎まで一直線に向かわれました」
「そうだったかなあ?」
首を傾げている相手に、さらに僕は畳みかける。
「それに、家政婦の名前が青田っだってご存知でした」
だが相手ときたら
「うん? それがどうした?」
「ど、どうしたって」
「だってな、長いことこんなちっぽけな街に従事してるんだぞ。いつの間にやら、こんな悪名高きガイシャとは、そら懇意にもなるわな」
「し、しかし……そう。やり方が、いつもの慎重でなる先輩らしくなかったです」
「うん? ああ、家政婦を連行させたことだな?」
「はい、そうです。それに……」
「まだあるのか?」
ここで再び、僕は生唾を飲み込んでいた。
「その血文字が雄弁に語っています!」
これに相手は、新たに形を変えている文字を覗き込み
「おお、これはこれは」
「これはこれはって、一体……」
傍にあるとぼけた顔に向かって、僕は力強く吐いた。
「どう説明されるんですか? 清川先輩!」
やがて
「わっはっはっは!」
相手がこう出てくるのは想定内だった。
そして、先を続け
「元々は『清』だったのか、この文字って! こら参ったな」
と笑いながら、先輩はここで面々を振り返り一声放った。
「おーい、全員集合だ!」
その声に集まってきた刑事やら鑑識の面々。それらの口からは、まさしく異口同音。
「え? 『清』だって?」
さあ、どうする? 先輩よ。
だが何と相手は、近くの刑事に向かってのん気にも話しかけている。
「なあなあ、阿部君よ? もし君がガイシャで、ホシであるこの清川に殴られたとしよう」
これに、不意をつかれた格好の阿部先輩が
「は、はあ」
「でな、息も絶え絶えなところを己の血でもってホシの名前を記そうと試みる……やってみろ」
「あ、はい」
そう返事した阿部さんが少々考え込んだ後、屈んで床をなぞったのは……『キヨカワ』
この時傍らから、この光景を見ていた医師が口を開いてきた。
「わしなら、ひらがなだな。まあ、いずれにしろ漢字は使わん。書きやすいためにカナは存在しているからのう」
「ですよね? 先生。『清』一文字を書く間に、全てが書き終えられますしね。目的も達せられるってもんだ」
我が意を得たりと一つ頷いた後、先輩はこちらに向き直った。
「な? 誰も咄嗟の際には漢字なんぞは使わん」
そしてさらに近くにいる鑑識の男に
「……あ、それよりキミ!」
「は、はい? 何でしょうか?」
「その文字にじっくりと目を凝らしてみてくれ。で、何か気づいたことがあったら遠慮なくいってほしい。何でもいいぞ」
「わかりました」
すぐに目を皿のようにして床を見ている男。
やがてその口からは
「清川さん! これって、線の太さが違う箇所がありますよ!」
「おお、そうかそうか。後から書き加えられたかもな。じゃあ、その太いところだけを拭き取ってくれ」
「あ、はい……こんな感じになります」
これに辺りがざわついている。先輩が、そんな彼らを見回し
「いいか? この血文字はな、どうやら生き物の如く成長しているようだ……それも二段階も、だ。それを遡ると、まずは今見えている『清』、そして我々が最初に見た『青』、で、元々書かれていたのがこの文字というわけだ」
そして今度は深く一礼し
「皆には申し訳なかったんだが、実はわしな、誰かさんの仕業が癪にさわったんで、この書斎に到着してすぐにこの文字の『さんずい』を消したんだ。ま、現場保持をしなかった最低の警察官ということだな」
これに皆が驚く中、刑事の一人が口を開けてきた。
「『清』という字を『青』に変えたんですね!」
「そうそう……」
笑顔で頷いている先輩、すぐに僕に向かって吐いてくる。
「君自身が最も驚いたとは思うがね?」
「な、なにを」
「あらま、この場に及んで。君ってな、事が終わった後にたまたまガイシャが残した文字を発見し、これ幸いに細工して『清』に変えてしまったんだろ? だがさっき『青』と変貌していた文字を見て、たまげたはずだ。わしはな、確かに君には嫌われている自負があったが、まさかこんな小細工をされるほどとは、なあ。いやそこまでだったとは、まったくこっちの方こそ驚かされたよな」
「何のことだが、僕にはサッパリ……」
ここで相手が顔を近づけてきた。その表情は、まさに『鬼のキヨさん』だ。
「でもな、その悪ふざけの度が少々過ぎたようだな」
「やめてくださいよ! そんな馬鹿げた話!」
「馬鹿げた話? では言うがな……君がこの先輩の個人情報を収集した如く、こちとらも可愛い後輩の情報を集めているんだぞ。負けないくらいに、な?」
「……」
ま、まさか、青田さんを連行させたのは、この僕を油断させるため?
そして次の瞬間
「なあ? このガイシャさんから、一体……」
すでに息もかかるほど、目と鼻の先。
「いくらほど借りていたんだね? 喜多君よ」 了




