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威風 動物剣客伝  作者: enforcer
4/19

誹り

 初めて相手を殺した熊之介だが、若き熊が想像したような爽快感は無く、ただ虚しく、同時に空しい。

 世を見て、息をしていた筈の猫門弟は、虚ろに倒れ伏し、その背は、生きている事を示す様には動かず、ただ、静かであり、熊之介の肉球には、確かな手応えという感触だけが、残されていた。

 

 程なく、フサフサと毛を蓄えた尻尾を振りながら、狸役人の到着と同時に、熊之介は肝を冷やした。

 【ああ、打ち首か獄門か】と、自分の心配をする若き熊に、やって来た狸役人達は、あれやこれやと調べを始めるが、彼等の尋問に、熊之介は正直に応じた。

 

 調べを進める内に、最も役人達が驚いたのは、熊之介が用いたという得物である。

 

 打たれた猫は、肋骨を凹まされたまま、死んでいる。

 そして、かの猫を打ち殺した武器は腐りかけ、朽ち果て寸前のただの板。

 武器とも呼べないモノで、対手を殺めた。

 そんな、異様なまでの技量の持ち主に、見聞していた役人達は、舌を巻いていた。

 

 名乗りあってから始まる常の試合ではなく、丸腰にて襲われた故の仕方ない反撃で在ると、熊之介は無罪放免でなっていた。

 もし、熊之介が脇差しなり、短刀を帯びていたなら、何も板切れではなく、刃物を使えば良いのである。


 勿論、最初に襲いかかった方に非があるのは、誰の目にも明らかではあるが、なにせ、凶器が無い。

 木刀は、死んだ門弟が肉球にしっかりと握っており、熊之介が用いた板切れは、既にバラバラである。 

 それでも、他に凶器になりそうなモノが一向に見つからず、やはり熊之介は、放免と相成るが、コレには、実は裏がある。

 板切れにて、平然と人を殺める程の使い手相手に、狸と揶揄される狸役人達は、迷惑御免とばかりに、わざと町の仲間に詫びつつも、熊之介を解放していた。

 

 顔面蒼白にて歩く熊之介だが、彼の顔の毛は、年若き熊の恐れを隠してくれる。

 だが、いたたまれない気持ちが、熊之介には在った。

 もし、自分に師ほどの技量が在れば、かの門弟を殺さずに済んだのではないかと。

 無論、行き掛けの不意打ちに、焦った一撃は本人も想いも因らぬほどの勢いを産んでいたわけだが、この時の熊之介は、それには気付けず、ただ、宿までの道を歩いていた。


 宿に着くなり、急ぎ師が眠るであろう部屋の前へと、膝を落として正座の体勢をとる若熊。


「師匠…………申し訳有りません」

 襖を開けるなり、開口一番に熊之介はそう言った。

 弟子の声に、のそりと、布団から身を起こす老羆は、ウンと唸る。

「何故に詫びる?」

 そんな師の問い掛けに、熊之介は、洗いざらい全てを吐いた。

 

 若さに任せ、女郎の口車に乗せられ、まんまと誘き出された上に、猫一人を、打ち殺してしまった事の顛末まで、全てを。


 熊之介の震える声に、羆之守は、静か首を縦に振った。

「相分かった…………明日にでも、共に詫びに赴こう」

 やけにあっさりと、老羆はそういって、布団に潜る。

 夜更けだからか、これ以上師になにかを云おうとも思えず、熊之介のまた、急ぎ宿の浴衣に着替えると、隠れる様に布団に潜り込んだ。

 

 だが、安無精の布団のせいか、ヤケに寒いという感覚に、熊之介は震えた。

 そんな震える布団に、外から、声が掛けられる。

「人の命の重み、身を持って知っただろう……一死一生、本気で立ち合うならば、それが常だ……熊之介…」 

 意外な程に、羆之守の声は優しく、熊之介は、大きな身体を丸めて、恐々と眠りに付いていた。

 

 明くる朝、町道場の師範は驚いていた。

 昨日、自分を負かした筈の相手側が、深々と頭を下げていたのである。

 ともかくと、道場の中へと招かれた羆之守と熊之介。 

 そして、道場の満々中に通された羆之守は、青年猫に、肉球を付いて頭を下げてしまう。

 

「此度は……我が弟子が不始末を……」

 

 そんな、羆之守の声に、青年猫もまた、膝を付いて座すが、かの若き青年猫の尾は床に落ち、力無い。

 昨晩の一件すべてを、熊之介は漏らさず事の顛末を語るも、それを聞いた青年猫は、苦い汁を飲み込んだ様に、口を強く引き結ぶが、直ぐに、顔からふっと力を抜いた。

 自身の弟子とは言え、不意打ちを仕掛けた上の失態など、恥以外、何物でもない。

 しかし、それを風潮して回る所か、わざわざこうして詫びに来てくれた熊二人に、青年猫の師範は、頭が下がる想いであった。

「申し訳在りませぬ……熊之介殿……」

 静かに、喉を鳴らした後、師範は詫びの音を呟く。

 如何に弟子を殺されたとは言え、尋常の勝負ではない。

 闇討ちに加え、女にまで手伝わせたと言うことは、卑怯者だと、師範は、若き熊に自分の弟子の不始末を詫び、その旨を告げると、一端道場の奥へと消え、そして、何処からか大小二本を持ち出し、それを、熊之介に差し出す。

「些少ながら……どうか、お詫びと…」

 師範の差し出した太刀と脇差し。

 それは、来たるべき内弟子用に用意しておいた大小二振りである。

 最も、それを受け取るべき者は、既にこの世には居ない。

 剣を差し出した師範の声に、困る熊之介ではあるが、助けを求めて羆之守に視線を向ければ、師は、ウンと僅かに頷いてくれる。

 一悶着在るとも危惧していた熊之介だが、それは、杞憂に終わり、熊二人は、静かに町道場を後にしていた。


 師、羆之守と同じく、腰に差料を得た熊之介。 

 その足取りは、何処か自身に溢れて居るのか、いつもよりもズンズンと力強いモノであった。

 だが、次の宿場か、町へと移動する為に、宿場を出んと歩く熊之介だが、宿場の猫達から向けられる視線は、自分を怖がるモノである。

 それは、立派な侍に対する畏怖や、畏敬の念というよりも、人殺しに向けるそれであった。

 やってしまった事への気持ちに、熊之介は毛深い頭を落とすが、そんな若き熊の後頭部を、分厚い肉球てのひらが叩いた。

 「武士が……仮にも腰に二本を差す者が面を下げて瀬が立つものか? 顔を上げろ、熊之介」

 力強い老羆の激励に、若き月の輪熊は、フンと鼻息一つ、バッと顔をあげていた。

 

 旅を続ける二人は、いつしか上野国かみつけのくに大前田村(現在の群馬県前橋市宮城地区)に辿り着いた。


 繁華街とも言えない程の村では在るが、其処はソレ、現在の隆盛の如く、在る程度の活気と華やかさに、若い熊之介は、おのぼりはんとでも言わんばかりに、首を左右に振る。

 見るもの全てが珍しく、正に、京へと登ったばかりの田舎者、そう、熊之介を見た人達はこっそりと笑った。

 サッと、適当に休めそうな場所を見つけ出した羆之守は、茶屋の軒先に座る。

 旅慣れた、と言うよりも、まだ周りに興味が深々な熊之介に、師は、トントンと、自分の隣を爪で軽く叩いた。

 床机に腰を下ろし、鼻息荒い熊之介ではあるが、ふと、彼の目に洗い晒しの前掛け。

 ハッと顔を上げると、柔らかく笑う茶屋の娘と、目が合う。

 「はい、どうぞ」

 そんな柔らかい声と共に、湯飲みを差し出す熊娘に、熊之介のは、呆けてしまった。

 前に見た、猫女郎のような細面とは違い、程良い体格も長い睫毛の店員に、熊之介は、思わず怖ず怖ずと肉球を出すと、湯飲みを受け取る。

「か、忝い……」

「そんな、気にしなくとも良いのに………」

 どこか体格に似合わぬ熊之介の声に店員の娘は、肉球で口を押さえて、軽く笑った。

 他の客も居るために、湯飲みを渡した熊娘は、サッと其方へと云ってしまうが、熱い湯飲みにもかかわらず、熊之介は、茶屋の娘の臀部へと、目を向けてしまう。 

 そんな若き熊を、師である老羆は、フフンと軽く笑った。 

「あの娘が気になるか? 熊之介………」

 師のからかう様な声に、熊之介は、急ぎ茶を口に含むが、分厚い皮膚に守られた肉球とは違い、口に含んだ茶の熱さに、若熊は咽せる。

 そんな弟子の背中を、ポンポンと叩きながら、爲右衛門は、自分の分の茶をゆったりと味わう。

 出涸らしではない茶の味に、老羆は、ウゥムと鼻を唸らせた。

「恥ずかしがる事も無かろう……お前も、今は独りの雄……であれば、隣に誰かが居て欲しいと願った所で、不思議では無かろう?」

 老羆の宥める声に、熊之介は、自分の肉球に在る湯飲みをしげしげと眺める。

「師匠は、どうなんですか?」試すような熊之介の質問だが、それを受けた老羆は、「……さてな」と、適当な返事であった。


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