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威風 動物剣客伝  作者: enforcer
17/19

決意

 夜の闇にもかかわらず、熊之介は走った。

 鍛え上げられた体躯は、素早い移動を可能にするが、息を切らせながらに宿へと辿り着いた彼が見たのは、大騒ぎに成っている宿であった。

 

 役人も駆けつけたのか、見聞を行っては居るが、その顔は真面目なソレではなく、どちらかと言えば嘲笑の嘲りが見える。

 嫌な予感から、急ぎ宿の二階へと駆けつけた熊之介は、その場に膝を落としてしまった。

 

「…………師匠…………」ぼそりと呟く熊之介。


 泣き崩れ鼻を鳴らしていた楓もまた、役人数人から見聞される羆之守に寄り添う様に近くに居た。

 のそりと、熊之介は畳を赤く染める師へと近づくが、その喉には切り傷。

 そして、片腕は斬られ、無惨に転がるのみ。

「誰が……誰が………こんな事を………御師匠様!?」

 役人を押しのけ、師へと近づいた熊之介は、師の身体を揺さぶった。


「其処の熊、まだ見聞は済んでは居らんぞ……其処からね」


 あまりな言葉に、熊之介の頭には血が上る。


 急ぎ立ち上がり、相手を斬らんと意気込み、太刀に肉球を掛ける熊之介を、咄嗟に楓が抑えた。

「熊之介様………どうか、どうかこの場は…………」

 必死な楓の言葉に、熊之介は息をのみ、奥歯はミシりと歪む。

「彼の、爲右衛門様の為にも……どうか…」

 楓の言葉に、熊之介は膝を落とした。


 その晩、とある宿の一部屋からは、野太い熊の咆哮が轟いたと、口伝にて後生にも伝えられていた。


 翌朝よりも、少し後の事。

 宿の主人の心遣いからか、羆之守の葬儀は楓の喪主としてのものである。

 下手人に関して言えば、役人からは、討ち果たした夜盗の一味ではないかという、酷く曖昧な答しかなく、それを聴いた熊之介は、別の答えを導き出していた。


 羆之守程の使い手相手に、不意打ちを喰わせる者は、一人しか思い当たらない。

 尚且つ、その人物は、葬儀の列に顔を見せず、この場に限らずいつしか顔を見ていない。

 そして、爲右衛門のもう一振りの太刀【籠鶴瓶新月】と、楓が見たという【印可目録】の所在不明という事から、考え得る可能性は一人を置いて他には考えられない。


 だがこの日、熊之介動かず、茶屋から呼び寄せた小夜を横に置きながらも、羆之守から受け継いだ太刀、備前長船月光の柄に白布被せ、喪に服していた。


 伏せる楓の為にと、小夜に彼女の世話をお願いしながらに、熊之介は、宿の主人に詰め寄っていた。


「ご主人……僭越ながら、貴方も元侠客と言う事は別にせよ、兎乃助はどこに居るのか、知って居ますか」

 

 宿の奥座敷に通された熊之介は、決して小夜には見せられぬ形相にて、宿の主人を睨んでいた。

 太刀は左に、背を僅かに丸めた熊之介の佇まいに、煙管を吹かす主人もまた、恐れを隠せずに居る。

 宿の主人にしても、下手人が誰だかについては察しが付くと言うものだろう。

 ポンと、灰吹きに煙管の灰を落とした主人は、不味そうに煙を吹いた。

 答えるに答え辛い問題である。

 

 町の支配者、弥平からは口止めをされている。

 だが、かの弥平よりも恐ろしく、鬼の様な形相にて自分を睨む熊に、主人は酷く困っていた。

 だが、反対に宿の主人、狸の世五郎はこれは機会だとも感じていた。

 

 蛇の弥平に関して言えば、確かに町の支配者ではある。

 だが、その評判は御世辞にも良いとは言えない。

 役人への裏手周りから、八州周りへの鼻薬に至るまで、彼が統治しており、其処から上がる莫大な富は、世五郎にしても魅力的ですら在る。

 

 件の剣客、羆之守が敗れた際に、かの老羆に泣き付く楓を別にすれば、腰には脇差しはおろか何も無かった。

 それは、丸腰にて襲われたとしか言えず、それに対しても、世五郎にしても含むところは在る。

「旦那……俺っちが言えるのは………兎乃助が頼る所が在るとするならば一つだけ………蛇の弥平親分の所でしょうな………」

 世五郎の声に、熊之介の目はピクリと僅かに動いた。

「…………場所は?」

「…此処から二里程……旦那…乗り込む気ですかい?」

 端的な熊之介の声に、世五郎はそう言い、熊之介は頷く。  


「教える代わりに………一つお願いしたい義が御座いやす………云っておきますよ? 彼処は子分が三十は居るでしょうな………それでも、行きやすかい?」


 だが、世五郎の声を聞いても、熊之介は微動だにせず、太刀を携えて立つ。

「お聞きします…………」 

 熊之介の声に、世五郎は僅かな微笑みを見せていた。


 宿の部屋は、その日の内に片付けられ、今や主は居ない。

 それでも、楓は位牌を羆之守に見立て、両手を合わせ目を瞑る。

 投げ込み同然に葬られた羆之守ではあるが、看取ってくれた者が居るだけマシなのかとも、熊之介は考える。

 なにせ、自分もまた、何人も同じ様に殺してもいる。

 過去、修行の最中、羆之守は口うるさく何時かは自分の番が回って来るだろうとも云っていたが、ソレにしては、早すぎると、熊之介は口を強く結んだ。


「楓殿の胸中………お察し致します…………」


 蝋燭の火を線香に付けながら、それを位牌の近くの線香立てにソッと立てた。

 隣に座る熊之介に、楓は、ゆったりと顔を上げる。

「酷い御人ですこと……どうせなら、私も……連れて行って行かれても宜しいのではないでしょうか………」

 今にも、懐剣にて胸を突かんばかりの楓の声に、熊之介は、ゆったりと首を横へ振った。

「下手人は分かっております……楓殿……敵討ちが済むまで……小夜をお願いしたいのですが………」

 そう言う熊之介に、楓は苦く笑う。

「師弟揃って……いけずな上に酷い御人だことで………ですが、あの御方が全てを託そうとした貴方様でなら……信を置きます……御武運を………」

 楓の言葉に、熊之介は無言で頷き返した。


 仏間と化している部屋の隣では、小夜が布団を敷いていた。

 小夜にしても、羆之守には恩がある。

「……羆之守様……」

 若き熊之介との引き合わせてくれたのも、町外れの茶屋から宿へと引き上げてくれたのも、かの老羆であり、小夜は、あの晩に見た羆之守の笑いを思い返していた。


 襖の開けられる音に、ハタと顔を上げる小夜。

 神妙な面持ちの熊之介である。


 刀掛けに太刀と脇差しを置いた熊之介は、無言にて小夜に抱き付く。

 大柄な熊の割には、僅かに震える彼の背を、小夜はソッと撫でた。


「師の仇を………討つには、俺は人を斬らないといけないのか」


 そう言う熊之介を、小夜は強く抱き返す。

 夫婦に成ろうかという雄に、殺しの相談を持ち掛けられた小夜だが、唾を飲み込み、額を熊之介の肩にこすりつけた。

「私には………剣の事なんて分かりませんが………貴方は、貴方の成さねば成らぬことをしてください………例えそれが辛くとも………」

 そうして、小夜は自ら布団へと倒れ込むが、熊之介を引きながらであった。

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