報酬
番所に悪党を突き出したまでは良い。
だが、念を押さねば成らないのが、世の常である。
袖の下、鼻薬、呼び名は雑多であれど、賄賂というものに関して言えば、万国共通であろう。
八州周りなどという、現代で言えば州跨ぎの警察機構の先立てとも言える役職ですら、その実、ただ歩き回って接待とお目こぼしの金を受け取る旅に過ぎない。
「盗賊の処罰、分かっておろうな?」
役人の睨みにも、開き直るかの様な羆之守の低い唸り声。
「素浪人風情が………なにを言う?」
居直る様な役人の態度に、熊之介は我が丸耳を疑った。
これが、悪党を成敗し、宿場を守った者への言葉なのかと。
無論、役人にも仕事をする者は多いが、実の所、町人虐めの方が儲かる為に、得てして、ただの十手を持ったお上公認の盗賊といった方が近い。
だからこそ、熊侍二人に付き添う白兎の侠客は、ズイと前にでた。
「お役人様方……住まいは……先の雨戸長屋………ですよね?」
年若くとも、親兄弟を無くし一人生きる若者真には、鋼が通っていた。
「おう、ソレがどうした?」
ヤクザ者如きに、遅れは取らぬと、狸役人は鼻を唸らせるが、反対に、兎乃助の耳は、小刻みにピクピク揺れていた
「そうですか……では、突然夜に何かあったら……困りやすね、ねぇ、旦那?」
あから様に脅す文句では在るが、この時ばかりは、羆之守はフフンと不敵に笑い、熊之介は、目をむいた。
結局の所、明日にでも市中引き回しの上、打ち首獄門という、苛烈な刑を夜盗達は言い渡されていた。
三人は宿へと帰宅後、それぞれに違う事をしていた。
上役に報告が在るという兎乃助とは別に、羆之守と、熊之介は、洗濯である。
毛深く屈強な熊が二人、井戸に張り付いて衣服を洗うというのも、何とも情けなくとも在るが、それを、羆之守は大事な事だと弟子に教えた。
バシャバシャと鶴瓶の水が二人の衣服に当てられるが、当然、切り捨てた者の地は、怨念の様に落ちはしない。
「………師匠…………」ハタと、何かを思い付いた様に呟く熊之介に、羆之守もまた、「なんだ」とだけ呟く。
「人を斬ったのは………初めてです…………」
悩める若き熊に、老羆は、ウゥムと唸る。
「お前も少しは分かったか……人を斬ると言うことが…………」
そんな師の声は、弟子の感想を求めているようでもある。
胸に蟠る想いに、熊之介は、頭を落とした。
「正直に白状致します……あの時は、無我夢中にて、殆ど憶えてはおりません………ですが…………」
「ですが?」
熊之介の声に、更に続きを促す羆之守。
「お笑いください……俺は、その……嬉しいんです、小夜に会いに行けることが………でも、あの者達はもう…………」
熊之介を悩ませるのは、切り捨てた相手の命である。
どこかに生まれ落ち、それでも彼等は彼等なりの人生を送っていた筈。
無論、如何に落ちぶれたとて、夜盗に成り下がり、人を襲って良い理由は無い。
ただ、切り捨てた者の恐怖に彩られた顔だけは、夜の闇にもかかわらず、しっかりと熊之介の脳裏に在った。
「人殺しとは、そう言うことだが、熊之介よ、万が一小夜を人質に取られて居たならば、なんとする?」
羆之守の質問に、熊之介は答えに窮した。
「この世に絶対は無い……まかり間違ったとして、そういう時、お主ならどうする?」
師の質問に、若き熊は頭を上げた。
「斬り捨てます………そいつら、全員を…………」
弟子の答えに、師も頷いた。
「儂の質問が意地悪ならすまぬが、いつまでも引きずるでない……そんな事を考えていたならば、次の瞬間、お主の剣は出ないかも知れん……出ない事もなかろうが、確実に鈍る……して、相手が速かったなら……今度は、お主が地面に転がるのだぞ?」
羆之守なりの、弟子への激励であった。
夜半、使った太刀の手入れを怠らない熊之介だが、師から伝授された剣、備前長船月光をしげしげと眺める。
懐紙で残った血を拭い去り、打ち粉をポンポンと叩く。
また拭い、今度は油をさすが、蝋燭の灯りに光る肉球の剣を見ながら、熊之介は、目を細めていた。
水に濡れたかの様な刀に、蝋燭の火が映り込む。
しばし問題が無いか確かめた後、熊之介は、静かに太刀を鞘へと納めた。
翌朝の事である。
朝食かとも思った肌襦袢姿の熊之介ではあるが、開けられた襖の先に、仰々しく頭を下げる女中の姿に、少し戸惑っていた。
そんな弟子の肩をぽんと肉球で叩きながらも、膝を落とす羆之守。
「楓殿……頭を上げてくだされ………」
羆之守のやんわりとした声に、熊之介の耳は、ピクリと動いていた。
正直、多少は鈍感な熊之介ではあるが、師と女中の互いを見る目を知れば、おおよその察しは着くと言うものだろう。
だが、敢えてそれを口にするほど、熊之介も無粋でもない。
この場はともかくと、熊之介もまた、羆之守の斜め後ろに控える様に膝を落としていた。
「これは、礼にと……宿の主人も申しております故、どうぞお納めください」
楓の声に合わせて差し出されたのは、畳まれた衣服であった。
宿の外に干された洗い晒しの着物には、確かな血痕が残っており、それをぬぐい去るには、些か難しく、ソレをみた宿の主人もまた、目を細めた程である。
受け取る受け取らないで言えば、熊之介は喉から手がでるほどにそれは欲しい。
何せ、マトモな衣服など無く、小夜との道中ですら内心、繕いだらけの着物に対して、彼の雄としての見栄がある。
腰に差される大小の拵えも合わされば、余計に。
武士は食わねど高楊枝とも言うが、背に腹は代えられぬのも事実。
「過分なお心配り…………痛み入ります…………」
「…………忝く御座います…………」
羆之守の言葉に続き、熊之介また、女中楓に頭を平伏する。
普通で在れば、たかが宿屋の女中に頭を下げるなど、言語道断である。
だが、腰に二本差し、夜盗を切り捨てた筈の侍の腰の低さに、逆に楓は驚く。
それでも、大柄な熊と羆を見て、楓は口を手で押さえて微笑んでいた。
意外にもかかわらず、熊侍の評判は高い。
腰が低く、道を自ら譲り、大声を上げたりもしない。
ただそれだけでも、おぉと町人からは声が上がり、尚且つ、夜盗退治の一方は、瞬く間に町人達の間を走った。
町人達からは役立たずと影で罵られる役人に対しても、熊侍の一件以来、なかなかに町人虐めは出来ず、町人達は活気づいた。
羽織り袴に腰に二本という出で立ちにて、熊之介は町を歩いていた。
懐に関して言えば、夜盗を退治した礼にと、切り餅半分を受け取っている。
最も、切り餅とは二十五両の事だが、その内僅かばかりを熊之介は受け取り、それだけでも、彼の懐は潤っていたと言えよう。
そんなおり、茶屋で働く小夜は、少し憂鬱であった。
良い仲に成れたかとも想っていたが、少し胸には寂しさが在る。
だが、そんな時、「お客様だぞ」という店主の声に、沙世は「はーい」とつまらなそうに返事をしていた。
仕立ての良い羽織りと、長椅子に置かれた刀を見て、小夜は少し戸惑った。
こんな茶屋にお武家が来ないとも言い難いが、無いわけでも無い。
「いらっしゃいませ」と、恐る恐る茶を差し出す小夜だが、ふと、彼女はその侍に見とれた。
「酷いな、もう忘れられてしまったかな………」
咎める様な口振りだが、熊之介を見て、小夜は往来も無視して彼に抱きついていた。




