小競り合い
雄叫び上げながら、攻め進む野武士達。
帰るべき所もなく、待つべき者ももはや居ない。
なればこそ、彼等もまた、必死であった。
他者から、力付くで金品食料を強奪するなど、本来で有れば、無知の蛮行としか映りはしないだろう。
無論、それは間違いではない。
だが、現代の様に法整備が整って居ない地に置いては、寧ろ、力こそが正義であり、弱肉強食の世界そのものと言える。
だが、力こそが正義なればこそ、相手に対しても、それは、同じであった。
闇夜に隠れて突き進んだ筈の野武士達だが、前線に位置して居たものは、唐突に転んだのだ。
落とし穴が在ったのかと言えば、そうではない。
単に、木と木の間に、丈夫な荒縄がピンと張られていただけの子供だましである。
しかしながら、闇夜にて、足元の縄を見つけるだけの者が、どれだけ居るだろうか。
加えて、ただ前に意識を集中していればこそ、なおのこと野武士達は容易く倒れ付した。
「なんだってんだ!?」
一人の野武士は、転んだ程度では怯まず、必死に肉球をついて立ち上がったのだが、その胸に、竹槍が突き立った。
仲間の胸に、深々と突き刺さる槍を見て、野武士達は呆気にとられた。
合戦の最中に、意識を他に向けるなど、論外ではあるが、今や彼等は、正規の軍ではない。
同士を集めた一塊の集団なればこそ、在る意味仲間という存在は掛け替えの無いモノと言えよう。
だが、油断は油断。
「ぎゃあぁ!?」
他の野武士達数人もまた、闇夜の藪から唐突に現れた大柄な熊に襲われ、悲鳴を上げた。
羆之守は、熊之助に情けを捨てさる事を徹底させた。
万が一、相手に情けを見せた所で、下手をすれば後ろから斬られるのだと。
間違いではないだろう。
お互いに切磋琢磨した技と技の試合ではない。
ただ単に殺し合う死合いに置いては【武士の情け】など、ただの自己満足に過ぎず、一銭の価値もないのだと。
それに対して、最初は渋る様子を見せた熊之介だが、師である羆之守は、敢えて小夜を利用した。
「よいのか? あの娘に会えなく成るぞ?」と。
この師の言葉は、熊之介に多大な恐怖を与えた。
恋しく、お互いに結ばれた相手を残し、一人ただ路傍の石になり果てる。
そう考えると、熊之介は全身の毛を逆立てた。
恐怖は、若き熊の盾と成る。
過ぎたれば、恐怖は身体を縛り付ける鎖ともいえるが、同時に、強き者は必ずといって良いほどに、臆病さも兼ね備えていた。
第一に、熊之介と羆之守が使う得物は、竹槍である。
何故真剣を用いないかと言えば、竹槍の安価さに理由が在った。
鋸で切り出した青竹は、骨と同等の強度を有し、槍としての機能は全く問題は無い。
だが、真剣に関しては、在る問題が在った。
その価値が、千両以上に登る時もある大業物と称される名刀ですら、使い方によっては、銀一朱にも満たない木剣に負ける時がある。
荒木又右衛門という剣豪は、ある時、立ち合いを行った事が在るのだが、この時、かの剣豪は井上真改の業物を用いた。
が、立ち合いの最中、荒木又右衛門の太刀は、木剣の一撃に、ポキリとあっさり折れたのだ。
無論、多数に囲まれながらの戦いともなれば、刀が折れるのも無理はないだろう。
仲間の助太刀在って、辛くも勝利した剣豪ではあるが、無手にて対主と戦うには、無理がある。
事実、後の新撰組が、かの有名な【池田屋騒動】の際、幾人もの隊士達も馳せ参じたが、この時に使用された刀のひどい状態の情報については、彼らの直筆によって事細かく残されている。
なればこそ、羆之守は、安価な竹槍を用いていた。
なにせ、どれだけ折れたとて、何の気兼ねの必要も無い。
少し宿場の周りを歩けば、嫌と言うほど竹は生えていた。
そして、同時に、槍の間合いの理でもある。
携帯出来る刃物としては、最高の刃物といえる日本刀だが、当時の刀は三尺を超えれば長刀とも言われた時代である。
なればこそ、身長をゆうに超える青竹の槍は、相手を一方的に刺突するのには、具合が良いとも言えた。
加えて、熊之介と羆之守の膂力と合いまれば、それは素晴らしい武器へと変身する。
具足を装着していない野武士では、竹槍に容易く臓腑を喰われた。
「なんだ!? テメェらは!?」
元が氏族だろうが、乱戦ともなれば誰が誰やらであろう。
そう叫ぶ野武士の喉に、細めの竹槍が突き刺さる。
狼狽え、怯えたからこそ、膂力に乏しい白兎でも、隙を突けるのだ。
羆之守と熊之介に続いて、縄で罠を張っていた兎之助も、いよいよ参戦していた。
侠客が浪人と肩を並べ戦うのは、別に珍しくは無い。
この時代、法整備が成されていない以上、自らの身体はもちろんの事、自らの財産や誇りもまた、己が守らねばならない。
そして、羆之守の教えを賜った兎之助もまた、若き熊の様に、教わった技を試す機会を、心から望んでいた。
相手の野武士が固まるのは、恐れからだが、この時その戦略は、愚の骨頂と言える。
もし、襲撃が失敗したのであれば、逃げるのが鉄則だろう。
戦時下にあれば、敵前逃亡は死罪とは言え、彼等は、別に将軍に仕える兵士ではなく、ただの夜盗の塊に過ぎない。
味方の死者が、勝ち得るであろう報酬に満たないのであれば、素早く後ろを振り向き逃げるのが最も適切だ。
だが、彼等の薄っぺらい仲間意識がそれをさせてはくれない。
いよいよ、三対六という数字に成ったとき、羆之守一行は、元々は青いが、今やすっかりと赤く染まってしまった竹槍を、ポイと捨て、腰の太刀に手を伸ばした。
野武士達にしても、この時は逃げ時ともいえた。
相手は、わざわざ得物を捨てて居るのだ。
速やかに後ろを振り向き、死に物狂いで走ればこそ、或いは逃げ切る事も叶ったかも知れない。
カチリと、僅かに鯉口を切る音が響き、先ずは、熊之介が太刀を引き抜いた。
同じく、鯉口は切るのだが、兎乃助は、熊之介が右に行くのとは反対に、左側へと回り込み始める。
そんな若き二人の師である羆之守は、黙って立っているのみで、特に何かをしようとはせずにいた。
兎乃助と熊之介、この両名どちらも、生身の敵と白刃を交えた事は無い。
無論、竹槍を捨てろとは一切言われていないが、それでも、自身の技への興味が、若き二人には先にあった。
【立ち合いたい】という、剣への強い欲求は、自ずと熊之介の身体に力を込めさせるが、深く息を吸い込み、吐き出す事で、若き熊は力みを捨て去った。
「死に腐れ!!」誰が口火を切ったのかは定かではないが、野武士達は、一斉にそれぞれが敵へと斬り込む。
死に物狂いの敵は、容易ではないと、羆之守は二人の弟子に伝えてある。
重要なのは、恐れを捨ててはいけない、ということだろう。
過ぎれば、重石とも言える恐怖だが、強き者は必ずそれを鎧として、胸の内に持っている。
その反対に、慢心はただの奢りに過ぎず、武器足り得ない。
真っ向前から振り上げられた刀が、落ちる前に、左左へと熊之介は滑らかに脚を滑らせる様に動く。
かつての自分の様に、野武士の刀は地面へと落ちる時、ほぼ同時に熊之介の太刀は、野武士の顔を薙いでいた。
対して、兎乃助の太刀は、野武士の剣が振り上げられた時には、既に鞘から走り、円とは違い線の動きを呈した。
「ギャッ……」左手首を切り払われ、悲鳴を上げて焦る野武士。
その隙を、器用な白兎は見落とさず、野武士の首を、兎乃助の道中差しが僅かに斬った。
頸動脈は、守るモノは少なく、皮一枚である。
其処を寸断されれば、斬られた首筋からは、心臓の脈動に合わせて血が赤く咲いた。
あっという間に、残りが四人になってしまった野武士は、皆が腰を抜かし、その場に転ぶ。
結果から言えば、羆之守はとうとう太刀を抜くことは無かったが、だからといって、問題は無いだろう。
生き残りと成ってしまった野武士は、速やかに縛り上げられ、やる気の無い番所へと突き出されてしまった。