用心棒
宿に戻った熊之介ではあるが、違いが幾つか見えた。
女中、楓の名前は知らずとも、前の彼女で在れば、若き熊之介をからかう調子まで見せたが、今の所それは無く、寧ろお淑やかなる女狐とでも云うべきか。
はたまた、宿の預かりである兎乃助にも、変化は在った。
合口やドスといったモノを、懐に飲んでいるヤクザ者は珍しくはないが、腰に道中差しを帯びている様な白兎に、熊之介は、眉を寄せた。
帯刀を許される身分ではないのは、熊之介とて同じである。
本来、武家の出でもない限り、名字帯刀というモノは、武家の特権意識が産んだ、いわば格差の為の流布だろう。
しかしながら、大戦の結果諸藩からは膨大な量の浪人が溢れ出し、もはや、誰が誰でというのを特定するのも、不可能とも言えた。
「また、世話に成ります」
訝しみつつも、丁寧に頭を下げる熊之介に、侠客である兎乃助は舌を巻いた。
仮にも、腰に二本帯びる者が、頭を下げるなど、本来であれば言語道断である。
しかしながら、それを無碍にするほど、若い白兎また、仁義に外れても居なかった。
「これは、多分に…………」
知らぬ間に、兄弟弟子たる月の輪熊と、白兎。
しかしながら、両者の剣風は、両者が知らぬ間に真っ向から相対していた。
体躯と腕力に優れる熊之介の満月剣であれば、野武士程度では一撃の元に切り倒される。
無論、防御をしようモノなら、平安時代に伝わる【野太刀の技】を源流とする示現流の如く、相手の太刀ごと斬り込むだろう。
対して、僅か数日とは言え、羆之守から技の基本を教わった兎乃助の腕前もまた、素晴らしいモノがある。
細い体躯はいかんせん、それを補って余りある器用さは、羆之守ですら驚いた程である。
これについて、白兎は、「賽子を当てるのと同じ」と、端的に師に話していた。
無論、一朝一夕にて剣技が身に付くかと言えば、要は動かし方であり、力ではない。
多対一という、特異な戦いであれば、今の所は熊之介が優位とはいえ、真っ向勝負にて、一対一ともなれば、話しは違う。
だが、ソレにもまして熊之介の有利をたらしめるのは、かの熊の修業だろう。
町暮らしとはいえ、鍛錬は怠らず、山野を駆け回る熊之介の俊敏さは、兎乃助も知らない。
この時の兄弟弟子については、熊之介有利と、師羆之守は考えていた。
無作為な日々が過ぎるかとも気を揉んでいた羆之守ではあるが、在る意味、朗報とも言える知らせが、熊之介が帰ってから一日で届いた。
【近場の宿場にて、野武士が暴れている】と。
ソレを聞いた熊之介は、我知らず、笑っていた。
真剣にて、立ち合った事はない。
だが、若き熊には自負が在った。
長い修行の末、会得した剣と、鍛え上げた体躯にて、負ける筈がないと。
無論、それを口に出せば羆之守が咎める為に、面には出さないが、若き剣客には、須くそういった想いが在っても、何の不思議でもない。
【鍛え鍛えにこそ、そんな自分の方が、強いに決まっているのだ】と。
だからこそ、老羆よりも早く、熊之介は太刀を手に取り立ち上がった。
「師匠! 御出番に御座りまする!」
一応は、師を立てることを忘れない弟子である。
だが、羆之守にしても、【用心棒】を引き受けている以上、引くには引けない。
第一、弟子達の行く末を案じれば、己が名乗った流派【北爪一刀流】の多少の売名もまた、吝かではなかった。
昼日中、宿場に襲い掛かると言うことは、愚の骨頂とも言える。
無論、明日を探すどころか、今日の糧すら逼迫する山賊で在れば、或いは昼日中に、山中深く度をする者を襲い掛かる事はあるが、それは、相手が少ない場合に限る。
問答無用にて襲い掛かる以上、相手の抵抗も珍しくなく、時には、多勢に無勢にも関わらず、被害が出てしまうと言うことも希ではない。
得てして、一日の仕事を終えた宿場の民が、眠りに着く夜半を狙うのが、盗賊や山賊の習わしともいえよう。
月明かりとて、やぶ深く迄は照らせない。
太陽であれば、或いは照らしはするだろうが、二重三重と折り重なった葉や枝は、宿場を狙う山賊の姿を、実に巧みに隠していた。
十何人と居る山賊達だが、素面を隠さず、笠すら頭には無い。
顔すら隠さないと言うのは、見られても構わないか、見た者は全て殺すという、彼等なりの意志の示し方とも言えた。
野良犬達の鼻息に混じって、草むらからは虫達の奏でる音のみ。
近くに見える宿場の僅かな明かりに、山賊達全員が、息をひそめて、今か今かと、頭領の合図を待っていた。
宿場に放った密偵から、大まかな家の配置から、誰が何処にいて何をしているのかを、山賊達は掴んでいる。
用意周到ではあるが、在る意味当たり前だろう。
戦って殺されるかも知れない。
捕まれば間違いなく晒し首。
後にも道はなく、先にも光明も見えない。
成ればこそ、自らそれを切り開かんと、頭領は立ち上がった。
「…………行けい!!」
バッと、刃こぼれ著しい太刀を、頭領は振り下ろした。
ソレを合図に、やぶに潜みし野良犬達は、一斉に立ち上がり、前へと駆ける。
その様は、かつて行われた合戦さながらに、在る意味、勇猛果敢とも言えた。




