裸足の戦乙女
隣国からの姫君を迎えに行く途中、城が襲撃を受けた知らせが入った。
すぐさま先方への知らせを向かわせつつ、カルヴィシドとラージュら一行は、きた道を引き返す。おそらく敵は、彼らが出立して離れたのを見計らったのだろう、用意周到さを感じた。
時間としては、そう経っていない。
にも関わらず街は静まり返り、そして城からは煙がいくつも立ち上っている。
誰もが怯えているのだろうことは、尋ねるまでもなくわかった。
止まりそうな足を、カルヴィシドは鼓舞する。
ラージュは、無言のまま先頭に立って城を目指した。
前に出るなと言っても聞かない。次第に周囲は諦めて、更に足を早めて取り囲むようにして進んだ。閉ざされていた正門を回避し、万一に備えて用意してあるいくつかの隠し通路を通って中を目指す。……それすら、ほとんどが潰されて使えなくなっていたのだが。
苦労して城へと戻った彼らが見たのは、荒れ果てた城内。
多くの者が、顔に絶望を浮かべ絶句している。
騎士が、内部から侵入された、とか、誰かが手引したのではないか、とか。そういう報告を言い合っているのも、きっと耳に入ってすらいない。カルヴィシドはため息を付いて。
「ひとまず生きているものを探しましょう」
いるとは思えないけれど、という本音は隠した。
ひときわ絶望の色を強くしているラージュを前に、そんなことは言えなかった。
……この世界も、ダメなのかもしれない。
彼女が死んでラージュは生きる理由を見失って、そして国ごと終わる。この状態を引き起こした連中が何なのか知らないが、彼らのせいで国は乱れて消滅ぐらいはするかもしれない。
怒りのような、何かの感情が湧き上がった。
襲撃者ではない。
崩れ落ち、うなだれているラージュへの感情だった。
「……そんなにセレスを失って悲しいなら、なんでほったらかしてたんだろうね」
隣に立って、彼にしか聞こえない声で語りかける。
ラージュの心を揺らすのは、必ずセレスという少女と決まっていた。
だから、彼に絶望を与えるのは、彼女以外にありえないのだ。
しかし城に彼女を迎えてからの態度は、今の状態を否定するようなものばかり。愛情の裏返しなんて可愛げのある言葉で片付けるには、カルヴィシドの眼はあまりに多くの後悔を見た。
なにもしないで、八つ当たりだけして。
絶望だけ他と同じ、なんて。
「そんなに恋しいなら、最初からそう言ってればよかったのに」
この後悔も、どこかの世界の、何も起きていない『カルヴィシド』に届くのだろうか。こんなにも後味の悪い、不味いことこの上ない後悔なんて、消えてしまえばいいのに。
言い返すこともしないで、更に深くうなだれる彼と一緒に。
そもそも、隣国から姫を迎えなきゃいけなくなったのはあなたのせいでしょう。さっさと王妃を決めないから。ううん、一人しか欲しくないくせに意地を張って拗ねくれていたから。
だから他所からせっつかれて、気乗りしない縁談を押し付けられた。
不満そうにすることだけは一人前で、前に進まないで。だからまた死なれた。だから彼女はいなくなった。そうやって本音を言わないまま、ごまかしばかりしてきたからこうなった。
……そこまで言ってやろうかと、カルヴィシドは一瞬迷う。
だがやめた。
まだ彼女が死んだとは限らないし、それに。
「大丈夫だよ、あれはそう簡単に死んでくれる人じゃないし」
むしろ――そう、ラージュが殺しにいかなければ死なないような人、だから。
生存しているという仮定を前提に、カルヴィシドは考えを巡らせていく。彼女は戦術などもそれなりに学んでいるはずだ。そうなると有事の際の行動は、おそらく『避難』だろう。
城の中には避難に適した部屋がいくつかある。
地下室がその筆頭だが、もしかするとそのいずれかに身を潜めているのではないか。
見たところ、周囲は死体はない。真っ先に犠牲となりそうな兵士のものも、侍女など非力な女性らのものもない。それどころか、荒れているのに血痕すらも見当たらない、となると。
「もっと遠くで戦いが……?」
情報が足らない。
もう少し踏み込むしか無いか、とカルヴィシドが腕を組んだ時だ。
鉄と鉄がぶつかり合う、嫌な音が近づいてくるのに気づく。
「――陛下、下がって」
カルヴィシドが前に出る。
数人の騎士も反応し、未だ座り込んだままのラージュを囲んだ。
音は、次第に近づいてくる。時折呻く声があるが、こちらの味方が勝っているのか負けているのかはわからない。カルヴィシドは杖を構えた、いつでも魔術を使用可能な体勢だ。
ラージュはまだ動かない、動けない。
もともと、彼は武術は得意ではないから動けても何もできないが。
音が近づく、廊下の角、向こう側に迫る。
数人の、軽装の男らが転がるように飛び出してきた。その視線がカルヴィシドらの方、座り込んだラージュに向く。焦りなどが滲んでいた彼らの顔に、僅かな希望が見えた。
「国王がいたぞ!」
狙いは、やはりラージュ一人らしい。
あの世界でも、反乱軍が狙ったのは女王一人だった。――だからこそ、彼女の遺言を遺品を持っていたあの侍女は助かったのだし、彼女は一人で死んでみせたのだけれども。
ここで、同じことをさせるわけにはいかない。
短く呪文を唱え、迫る敵を消し炭にでもしてやろうとした時だった。
「ラージュ……っ!」
騎士らが身構えるより早く、カルヴィシドが炎を放つよりも早く。
聞き慣れた少女の声が、射抜くような響きでこだました。彼女は曲がり角の向こうから踊るように現れ、引き裂かれたドレスを翻しながら、敵の手足を、腹を切り裂いて。
身を低くした体勢で間合いを詰め、もっともラージュに近づいていた敵の前に迫り。
「それは貴様が気安く触れてよい相手ではないぞ、痴れ者が!」
一瞬の構えから、一直線。
狙いすました横薙ぎの剣が相手の喉を引き裂いて、絶句させ、絶命させて。
白系のドレスと肌を赤く染めた、剣を握る裸足の少女がそこにいた。
■ □ ■
剣にまとわりつく赤を払いのけ、私は安堵の息を吐く。
自分がかけてきた方角を見て、追手などがいないことを確認した。
ひとまずは、大丈夫そうである。
だが問題がもう一つ増えた。
この背に、いくつかの視線が突き刺さるのをひしひし感じる。まぁ、いきなり私が現れたのだからしかたがないことだ。振り返ればラージュと、カルヴィシド、あと十数人の騎士。
……カルヴィシドがいるなら、いきなり切り捨てられる心配はないか。
「あ、あのですね、ちょっとセレスさま」
なに、してるんですか。
カルヴィシドの口からそんな声が聞こえた。
何を、と言われても見ての通り。
「賊が入り込んだから、片っ端から切り倒していただけだが」
「いや……そうじゃなくて、ですね」
えっと、と言葉を探すような素振りを見せるカルヴィシド。
そんなにおかしいことだろうか。私は戦える、だから戦っただけなのだが。この国には女性の騎士も多い。護身術を兼ねて剣術などを嗜む少女も多いと聞く。
まぁ、動きやすくするため、ドレスをあえて引き裂いたのはやり過ぎた、ような気もするのだがしかたがないことだ。動きにくさは戦いのじゃまになる。どっちにしろ返り血のせいで二度と使えなくなるわけなのだから、どうつか使おうとも廃棄処分は確定しているし。
カルヴィシドからは何も言ってこないので、ひとまずこちらの状況を伝える。
内部からの手引で混乱が生じたこと、ひとまず避難していること。
それから、愛妾の中にどうやら裏切り者がいたらしい、とも。
「裏切り者はあとで調べて叩き潰すとして、避難ですか?」
「あぁ、第三地下倉庫に皆避難している。ここまでにたむろしていた敵は、あらかた倒しきったと思うのだが……まぁ、掃討はあとでするか。さすがの私も、ここまで動くと疲れる」
と、私はそこで床に座り込んだラージュに目を向ける。
唖然とした様子で私を見上げたままの彼は、何かを言いたそうに口を震わせていた。こちらも言葉が出てこない様子だ。そういえば彼の前だというのに、普通に素を出してしまったな。
故郷では当然子供らしい口調だったし、そもそも戻ったのはどっちが王の遺児か決まる瞬間だったわけだ。こっちに来てからは意識して嫌われようと演技もしたし……。
さて、どう言い訳しようか、どう言えばごまかせるのか。
あとで考えよう。
「ひとまず移動をしないか」
「あ、あぁ、そうですね。第三地下倉庫となると、だいぶ遠い気もしますが……」
「兵士の殆どを残してきたし、防衛に関しては問題無いと思う」
「え、まさかお一人でここまで?」
「いや。何人か連れてきたが、途中で二手に別れた。一人の方が動きやすいし」
「……だからあなた、あの時も一人で彼の前に踊りでたわけですか」
あの時、と言われて少し考え、女王だった頃の話をしているのだなと思う。確かに私は周囲が止めるのも聞かずに、一人でラージュの前に飛び出して、そして殺されたわけなのだが。
さすがにこの話題は大声でいうわけにもいかず、カルヴィシドにだけ聞こえる声で。
「あれは……ラージュがいた、から」
「あぁ、そうでした。あなたって好きな男になら殺されてもいい系女子でしたね。好きな男にぶっすり刺されたら超満足して一人で後始末もせずに死んでいく、はた迷惑な女王でした」
酷い言われ方をした。
私は腕を組んで言い返す。
「普通はそうなんじゃないのか?」
あと女王じゃない。物騒なことを小声とはいえ口にするな。
周囲には聞こえていないはず、だが……用心は欠かしてはいけないと思う。
私は別に自殺志願者なわけではない。ただ、どうせ死ぬなら好きな男に殺されたい、というだけのことだ。もしラージュがいなければ一人で戦ったし、殺される前に自害しただろう。
知らない有象無象に殺されるより、好きな男の方がいいというだけのことだ。
何の異常さもない、普通の考えだろうが。
そういうとカルヴィシドは、残念なものを見てしまったような顔をした。
「何だその顔は」
「いえ……」
「ラージュになら殺されてもいい、というだけの話だろう。何がおかしい」
とても単純でわかりやすい、私なりの行動基準だと思っている。
女王になろうと頑張ったのも、死んでもいいやと思ったのも彼のためだ。立派な女王になれば彼も幸福であるだろうと考えていたし、あそこで私が死ねば彼は満足するかと考えた。
だから私は必死に頑張ってきたし。あの時は戦うことをやめて、殺された。
あれでいいと、そう思ったのだ。
彼のためだけに生きること、それが私が、不自由な日々で見つけた希望なのだ。
それはそうとして、カルヴィシドからものすごい変なもの、ある種の珍獣を見るような目を向けられて、私としてはとても心外である。さっきからそうだが、更にひどくなったぞ。
あまりにも失礼だろう、その目つき、視線は。
まぁ、それに関する文句はとりあえず後回しにして、現状解決を優先だ。
「ひとまず反対側へ向かった兵士のところへ」
行くぞ、と言う前に。
「ま、まって……セレス、だめ」
背後から震える声が聞こえた。振り返らずとも、それはラージュの声だとすぐわかる。そして私は振り返れなかった。後ろから抱きつかれたら、身動ぎぐらいしかできない。
それにしても、いつも座った状態で見上げたり向かい合う、あるいは遠くの方にいるのを見かける程度だったから気づきにくかったけど、なんだかんだでラージュの方が大きいな。
背中にあたっているのはおそらくラージュの胸元だろうし、ということは向こうからは私の頭の上が見えているはずだ。私はそう小柄ではないつもりだったが、やはり悔しい。
あの頃はまだ、ラージュの方が小さかったのにな……。
「ラージュ、何だ? 動けないから離してくれ」
「ケガしてる、足」
「ガラスを蹴破ったせいだろうな」
「なんで、裸足」
「ヒールが高い靴は邪魔だ。清掃は行き届いているし、問題はなかった。あぁ、ガラスはちゃんと靴を履いていた時にしたんだからな。裸足になったのはその後だから安心しろ」
身体の前に回る細い腕を、ぽんぽんと叩く。
――昔は、これで安心して離れてくれたのだが、離れない。それどことか、腕にこもっている力が、だんだん強くなっている感じがした。まいったな。力ではさすがに勝てない。
「カルヴィシド」
ふと、ラージュが魔術師を呼んだ。
しばしの無言を挟んで、カルヴィシドは小さく頷く。
「女性騎士は国王陛下――と、『未来の王妃』を安全な場所までお連れしろ。残りは反対側を経由して第三地下倉庫。歯向かう敵は切り捨てていいが、リーダー格は確保するように」
「お、おい、私は」
「未来の王妃にあらせられましては、そこでおとなしくなさって、ついでに未来の旦那様にでも横抱きにされて運ばれたらよろしいのではないか、と愚考いたします。ついでに本心やら何やら吐き出しあってくださったら、あとでこちらの説教時間が減りますし。――それでは」
一礼したカルヴィシドは、一瞬ニヤリと笑い、すぐさま背を向けて走りだした。
数人の騎士がそれに続いて動き、姿が見えなくなっていく。私は後ろから抱きつかれたまま動けなくて、いつの間にか剣も取り上げられていて。慌てて抵抗するもだいぶ無意味だった。
足は確かにケガもあるが、まだ戦えるというのに……。
「……ラージュ、お前のせいだぞ」
「だめ、もうさせない。戦わせない、傷つけさせない。だから」
泣きそうな声。
いなくならないで、なんて……ここで言われても、ちょっと困るんだが。