避けられない流れ
窓の向こうに月を見る。
いよいよ、こうしていられる時間も少ないようだ。
先日のことである。どうやら他国から、王妃として姫君が輿入れするそうだ。まだ本決まりではなく、予定は未定という話だが……どうせ、ほとんど押し切って結ばせるのだろう。
先王を失って、ラージュが立つまでの数年。
たった数年だったが、国内はそれ相応に不安定になってしまった。
だから、今になって思うことだが、私だろうと彼だろうと、あるいは他の誰であろうといずれはその存在と戦うなり、事前に黙らせるなりする必要があったのだろうと思う。
レメイナが他所で手伝いをしている時、こんな話を聞いてきた。
最近、辺境の街などで『反乱軍』を名乗る武装集団がいるのだという。彼らは正当な先王の遺児をリーダーに、偽りの王であるラージュを亡き者にするため宣戦布告したのだと。
「反乱軍、か……」
その名前を聞くと、気分が悪くなる。
自分が祭りあげられないのは、嬉しいことだけれど。
いつか、それが私の知らないところでラージュを苦しめて、それどころか殺してしまうのかと思うだけで。考えて、想像して、それだけのことで、やけに苛立つような気分になって。
こんな『今』じゃなかったら守れたのに。
剣があれば、立場があれば、彼を隣で守ることもできたかもしれないのに。
そんなことを、思う。
……話を戻そう。
ともかく少しばかり国内が荒れ模様で、関係者はだいぶピリピリしているそうだ。
それもあってラージュは、身を固めることを求められた。
相手が他国の姫君なのは単純に、うかつに手を出させないための防衛策か。どこまで効果があるかは不明だが、ある程度の抑止力にはなるだろう。ある程度、というのは曖昧だがな。
ラージュは若いこともあって、まだまだ権力を掌握しきれていないようだ。
ただ、人気だけは歴代の王もそう叶わないほどだという。庶民の生活を知っている、という期待感もあるのではないだろうか。……それは、きっと私の場合にもあったことなのだろう。
叶えられていただろうか、なんてことを考えてしまうのは悪い癖だ。
今の私は明日も怪しい身の上。
……いつまで、私は、ここにいれるのだろうか。
彼に近く、一番遠い場所に指をかけて、ぶら下がっていられるのだろうか。
■ □ ■
嫌な予感というものは、腹が立つほどあたってしまうものだ。
一つだけ良い所を上げるなら、外に彼が出発した当日に起きたことだろう。
いつもの朝、彼が来なかった夜。
件の姫君を迎えるために出発する、その姿を遠くからすら見送ることが許されないことを少しだけ悲しく思いつつ、暇を持て余すバカのぬるい嫌味を適当に聞き流すだけの時間。
いつもどおり、がずっと続くはずだったのだ。
食後の紅茶を飲んでいたその時、地を揺るがす爆音がするまでは。
ぱたぱた、と記憶のページがめくられる。
あぁ、あの日もそうだった。女王だった頃に攻めこまれた時も、同じようにふっと息を抜ける時間帯を狙ったかのように爆発があって、それに混乱している間に中枢に押し込まれて。
「セレスさま、あの、あのあのあの」
「うろたえるな、レメイナ……ひとまず侍女長をここへ。避難するぞ」
「は、はい?」
「おそらくは混乱を招くための陽動……まだ敵は攻め入ってはこないだろう。今のうちにどこかに隠れて籠城だ。ともかく人を集めるように。時間の余裕は、そう多いものじゃないぞ」
混乱した様子のレメイナに命じつつ、次の手を考える。
すぐに到着した侍女長に、避難するべきだと進言。
当然この私がいうことなのだから、すんなりとは信じられない。だが爆音が続く中、のんびりしてもいられないのは理解していただけたらしい。適度な広さがあり、立てこもるのにちょうどいい場所へと、城に残っていた面々と一緒に移動を完了した。
偶然にも荷物の出し入れをした関係で、ほぼ空っぽの状態だった地下室があったのだ。
多くの愛妾から文句が、薄暗いだの汚いだのと苦情が上がるが。
「じゃあ死んでこい。ついでに死ぬ前に尊厳も散らせ。嫌なら黙って入れ。貴様らに用意された選択肢は二つだ。地下室にこもって生き長らえる機会を得るか、外にいて死ぬか、だ」
と、ひと睨みしてやればおとなしくなった。
尊厳はともかく、誰も死にたくはないのだろうな。当然だが。
立てこもった地下室はいくつかの小部屋に分かれていて、ひとまずやかましいので愛妾らは一番奥の部屋に押し込んだ。その手前の部屋に多くの侍女など、城仕えの者。
一番出入口に近い部屋は必然的に、兵士らが収まった。
この辺りは平野が続き、視界は良好。したがって、城から煙でも上がれば城を出発した騎士団の誰かが気づくに違いない。そう遠くない時間に彼らが戻るのは、ほぼ間違いないだろう。
問題は、それまで持ちこたえられるかだ。
扉は木製で丈夫ではない。
爆薬などを使われたらあっという間だ。
金属、あるいは石で作られたものならまだ安心できるが……ないものねだりだな。
「なぜ城の中枢まで、反乱軍が入り込めたのかしら……」
レメイナが不思議そうにつぶやいている。
まとめるべき荷物もなく、手ぶらで避難を開始した私と侍女。そして多くの愛妾。
今から思えば、その中に見知った顔が、いくつか見当たらないことに気づく。よく私に対してくだらない嫌がらせのようなことをしていた令嬢などだ。
どこかに別のところにいるのかな、とつぶやいているレメイナだが、それは違う。
私が女王だった世界では、正当な王の『王妃』の座に目が眩んだいくつかの貴族が、反乱軍の方へと寝返っていた。彼女らも、そういう思惑で動いていた可能性は高い。連中を手引したり情報を流して、この混乱を助けたのも……おそらくは、そういう裏切り者なのだろう。
俗物が、と言いかけた声を飲み込む。
女王だったころにも、いた。
目先の利益、それも自分の利益しか見えていない愚か者。こちらに下卑た笑いを浮かべて言い寄っていたかと思えば、手のひらをくるりとひっくり返して悪評を流していた連中。
思い出したくもない、あぁ、気分が悪くなった。
裏切り者はどうでもいい、問題はこの状況をどう改善するかだ。
私はじっと周囲を見る。
姫君の迎えに、騎士団の半分は出払っている。
城に残った兵力は少なくはないが、それをまとめるものがいない。
愛妾の中には騎士の家系に生まれた娘もいるが、騎士の家系に生まれたからといって娘も剣を嗜んでいるとは限らない。一人は幼いこともあってか、侍女にすがって泣き続けている。
結局、この国はこうして戦火に塗れる運命なのだろうか。
考えて、だが心の中で否の声が響く。
「誰か」
私は立ち上がって、人をかき分けて前へ進んだ。
「数人でいい、私と共に外に出ろ。入り口を抜かれれば、この薄暗い場所では満足に戦えないことは明白、もう少し明るい場所を『最前線』にしておきたい。そして敵の数を減らす」
「は?」
「せ、セレスさま! 何をおっしゃっているんですか!」
危ないです、と叫ぶレメイナ。
しかし引きこもっていてもしかたがないだろう。
「レメイナ、ここに剣を」
「セレスさまっ!」
「案ずるな、私はあの腐れジジィに剣術は叩き込まれている」
「く、腐れジジィって誰ですかぁ! 危ないことしちゃダメです、だーめーでーす!」
「私は、どうでもいい有象無象に殺されてやるつもりはない」
「セレスさま……」
「ラージュだけだ、この私を殺していいのはな」
そこまで言い放つと、レメイナはついに折れた。
ケガをして動けない兵士の一人から、細身の剣を一振り貸してもらう。周囲の視線は冷ややかなものだ。私が平民出身であることは知られているし、何をする気だと訝しんでいる。
何を、か……。
簡単な『仕事』をするだけだな。
「残るものは、私が出たらすぐに扉を閉めよ。ついてこないならそれでいい」
ドレスの左右を縦に引き裂き、動きやすさを確保。丈はそのままだ。女王の頃にはドレスに近い形をした防具を与えられていたこともあって、こういう形の方が慣れていて動きやすい。
私は振り返らず、階段を一気に駆け上がった。
セレスさま、というレメイナの声。
泣きそうな震えがある。
本当に、彼女には悪いことばかりしているな。生きて帰れたら詫びなければ。
そのためにも私は迷っている暇などない。後ろから、恐る恐るだがついてくる兵士らの足音を聞きつつ、私は階段の先にある扉を、ほとんど蹴破るように足で押し開いた。
妙な感触があったが、どうもここを開こうと作業中だったらしい。
ごろごろと数人が転がっていくのが見えた
誰だ、と言う前に、近くにいた敵のその喉を切り裂く。
耳障りな声など、聞きたくもない。
こちらへ倒れてくる躯を蹴り倒しながら叫ぶ。
「雑魚はすべて切り捨てろ、歯向かうならば容赦するな! 必ずこの扉を死守し、彼女らに指一本でも触れることを奴らに許してはならない! 王は必ず戻る、それまで持ちこたえろ!」
滴る血を振り払い、構える。
私に剣術を叩き込んだ、とある男直伝のものだ。
その構えに、数人が息を呑むのを肌で感じる。
そうだろう驚くだろう、これはすでに病で世を去った前騎士団長と同じものだ。女王だった頃の私に徹底的に剣術を仕込んだあの腐れジジィは、私が愛妾になる前に死んでいる。
少しばかり騒ぎになるかもしれないが、今はそのようなことはどうでもいい。
さて、久しぶりの武闘会、存分に楽しませてもらおう。