女王セレスフィーナの生涯
私はかつて『女王』だった。
今は、この国の若き王に一番嫌われている『愛妾』である。
そうはいっても私はまだ二十年も生きていない小娘で、愛妾となりつつも睨まれる以外の仕事などしたこともないのだが。日々の私は他愛無く、侍女と談笑しつつ、夜毎尋ねる王の鋭い眼光と、そこに潜んだありとあらゆる感情を、瞳を通して受け取って飲み干すだけだ。
この世界において、私はそもそも『女王』であったことすらない。
そうなった『過去』がない、それが今だ。
私が『女王』だったのは別の世界、同じ世界の違う歴史の話であろう。
それは故郷の寒村に、騎士団が団体でやってきたところを起点とする分岐だ。
私と王は、同じ女に育てられた孤児である。騎士団はその女を『先王の愛妾』と呼び、私と彼のどちらかが王の子であると言った。先王が身罷って数日、その知らせすら届かぬ時期だ。
どちらも血の繋がらない孤児、という考えはなかったらしい。
そこら辺は、正直なところどうでもいいことだったのだという。
女はどうやら国内外に広く知られた先王最愛の女性だったらしく、そんな彼女なら先王の子を産む機会があっただろうし――仮に違っていたとしても、中継ぎでも何でも国を支える王が必要であったので、説得力と箔を求めたのだと。ある意味で、最後の賭けだったのだろう。
おそらく私はもちろん、彼もまた、王の実子ではない。
彼は知らないが、私は普通にある街でひとりぼっちをしていた孤児だ。路上で生き、拙い手でゴミを漁って暮らしていた。それを、彼女は不憫に思ったのかもしれない。
一緒に行こうか、とどこか疲れた顔の女が、そう言って笑って。
わたし達と一緒に行こうか、と隣の子供の手を握り、空いた方の手で私の手を握った。こうして私と彼と、彼女はいびつな家族になったのだ。似ていない、だがそれなりに幸せな家族。
寵愛された愛妾たる彼女が、どうして城の外にいたのかは知らない。
平民であったというから、もしかすると他の愛妾や王妃にいびり出されたのだろうか。だがそれでも王を愛していたのか、彼女はいつも王は素晴らしいと語り聞かせてくれた。
だから、私はお前が王の子がと問われた時、否定しなかったのだ。
あの人が恋い慕った人の子供なら、それはとても喜ばしいと思うことにした。
当時、まだ七つか八つぐらいだっただろうか。
その年にしては――生活が生活だったこともあってしっかりしていた私の嘘は、あっさりと信じてもらえた。まぁ、実情としてはそれらしい子がいればよし、ぐらいだったらしいがな。
私は、長に残される彼のことを頼んだ。
私の身内、私の家族だから、どうか大切にしてほしいと。
そう、彼はあの寂れた世界に置いて行かれた。彼は王の子ではない、ということになったのだから仕方ないことであるが。しかし私は、仮にも家族であった彼に『さよなら』を言うどころか、その表情を見るため振り返ることすら、女王がすることではないと許されなかった。
どうしても持ち出したかった僅かな私物以外、この手にすることも許されない。
……今から思えば、見なくて正解だったのかもしれない。
見ていれば、私は常に後ろ髪を引かれていただろう。
未練を断ち切った私は、その日、幼いながらも一人の『女王』となったのだ。
偉大な王の、遺児となった。
そこからの私は、ひたすら勉強の日々だった。王として女王として、必要なことを一つ一つ叩きこまれた。教育係は容赦なく、だが私は必死に食らいついた。王がいなければ国が乱れてしまうことは知っていたし、その影響は間違いなく末端から凄惨さを増していくのだ。
あの寒村を、故郷を守るためには、私はよき君主にならねばいけなかった。彼が平穏に暮らしていくために、守るために、私は誰より素晴らしい女王にならねばならなかった。
私はよい女王ではなかったかもしれない。
傀儡となった部分もあるし、できないことも多かった。
至らぬところの多い、ダメな君主だったろう。
それを受けるのが最善とわかっていながら、どこからともなく湧いて出る縁談は気が乗らなくて片っ端から断っていたし、もういいお年なんですよと言われても聞かなかった。
私ごときが女王になれるのだ、他の誰でもいいのではないかと言った。
本音は――さぁ、どうだったかな。
彼以外は嫌だ、なんて。
そんな少女じみたことを、思っていた日もあったかな。
そんなことばかりしていた私であるが、しかし『愚王』ではなかったと思う。
少なくとも、その世界では忘れ去られたはずの彼を旗印にした反乱軍に殺されるほど、国を乱した覚えはなかった。自分なりにするべきことはした。最善を尽くし続けた。
だが私は悪とされ、切り捨てられた。
毎夜訪ねては私を睨みつける、それだけをして去っていく王に。
■ □ ■
炎が上がり煙に包まれた城の中、豪華な玉座が置かれた部屋で、私は二十年ほどぶりに彼と再開した。そして始まったのは、再開の喜びを口にすることもない殺しあい。
きっと反乱軍に担がれた時、適当に叩きこまれたのだろう。何とも拙い剣の動きは、優しさのようなものを感じた。だがその眼光は鋭く、あぁ、私が知る彼はいないのだとわかった。
当然だと、すぐにわかる。
おいて行ったのだ。
貧しい場所に、私は彼を置き去りにした。
外から見た女王という役職など、輝かしい部分しか見えてこない。良い物を着て、食べ、非情に高い生活水準で安穏と生きていく。それが外から見た女王、いや王族というものだ。
内情がどうであろうとも、そういう苦労は見えない。そして見せない。
彼からすると、私は彼を押しのけていい生活をしているように見えたのだろう。
たった一人の家族を捨てた、悪魔のような存在。
恨まれて、当然か。
そんなことを思った瞬間、私はすべてを放棄した。茨に巻かれ、刺の部屋で立ち続けた女王としての生涯を、ここで終えてしまおうと。そんな結論に、身を委ねることにしたのだ。
疲れた、というのもあるのだろう。
必死にやって来たのは、彼の平穏のためだったのに。
私のせいで、彼は、優しい人は、人を殺す道を選んでしまったのだ。何のために女王になったのかわからなくなったし、もうどうでもよくなってしまった。どうでも、いい。
剣を手放し、抱きしめるように腕を広げた。
黒みの強い私の茶髪と違う、淡い色彩を持つ稲穂のような髪が揺れる。驚きで満ちた表情が私のそばまで来て、構えられたままの剣が向こう側に赤く濡れた身を晒すほど刺さる。
痛くは、なかった。
それよりも、彼の平穏を壊した罪悪感が、守れなかった後悔が。
私の心を引き裂いて、あぁ、とても痛かった。
だが、私はそれでも女王なのだ。
どれだけ恋い慕っていたかと今更に気づいても、素知らぬふりはするさ。死にゆくものに抱きしめられても気持ちが悪かろうし、何より討伐する対象に抱きしめられても、なぁ。
それは、彼に災いしか与えないだろう?
私は一人でいい。
ずっと、一人ぼっちで生きて死ねばいい。
守りたいもの一つ守れない、守りたかった存在に殺される。
あぁ、なんて愚王にふさわしい最後だろう。
■ □ ■
あの世界がどうなったのかは知らない。
私を殺した彼が、あの国をどうしたのかも知らない。
襲撃直後に外へと逃がしておいた直属の侍女に託した遺言――そう言い表すにはあまりに些細な、私が女王ではなく、私個人として願っていたものが、私の死後に果たされたのかも。
何も知らないまま死んだはずの私は、しばしの闇を挟んでふっと『目を覚ました』。
粗末なベッドに身を起こし、目に飛び込んだのは懐かしい小屋の中。
それはあの日、運命を決めたあの日の朝のことだった。
すべて夢だったのかと思うが、騎士団は確かに私と彼が暮らす小屋にやってきたし、どちらかが王の子であると言い切っていた。あぁ、繰り返すのか。また私は女王になって、そして。
あぁ、いやだ。
思い出したのは最後に見た彼の顔だ。
私が睨まれるだけの日々を送ることに耐えられるのは、あの表情にある。睨むだけの表情などなんとぬるいことか。怨嗟、憤怒、それらを練り上げて作った表情の、何と恐ろしきこと。
あの顔を見るのかと思うと私は、私の口は勝手に動いた。
喉は音を綴る。
「……いいえ、かのじょのこどもはこっち、こっちの、かれです」
子供らしい声色でそう言い切って、隣にいる彼を騎士団に差し渡したのだ。
私が女王になることは、彼を不幸にすると私は知っていた。だから私は、間違っても女王になるべきではないのだ。ならば彼が王になればいい、それがあの瞬間の最善なのだ。
だが、それもまた『間違えた選択』だと気づいたのは、そう。
私も彼も、十五くらいになった数年後。
いつかのように十数人の団体で村に現れた騎士団は、淡々と。
私を王都、いや王城に連れて行くと――養父代わりだった長にいったのだ。