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化身

作者: 稀葉

「汲まぬのかの」

 背後からの涼やかな声に振り返ると、みおの身長ほどの高さもある大きな岩の上に童男が腰掛けていた。みおと同じくらいのそろそろ童を抜け出す頃合いの年齢に違いない。

 白い単の着物を身につけ、その肌もひどく青白い。それでもその大きな目には生気があふれ、幽霊には見えない。かといって、白銀の髪を肩に垂らし、深い水底のような色をした目は人間のそれにも見えない。

 ほんの先ほどまで、ここにはみおしかいなかった。ただ蝉の声が降り響くばかりだった場所のはずなのに、いつのまに現れたのだろうか。

(とうとう迎えに来たのかな)

 みおは声もたてずに、童男の姿をじっと見つめた。

 そんな少女を不思議そうに見つめた童は、己の背後を振り返ると、再びこちらに視線を戻して首を傾げる。

「珍妙な童じゃ。なにを見ておるのやら」

「なに、って……他にもまだ何かいるの?」

 みおは慌てて伸び上がり彼の背後に目をこらしたが、岩の後ろには大きな木があり、その向こうには古びた社と鳥居があるだけだった。

「まさか、見えるのか? 我が見えているのか?」

「あなた……だれ?」

「ほぉ、見えるのか」

 問いには答えぬままに、指先で顎をひと撫でした童は、座ったまま面白そうにこちらを見ている。

「私は、みお。あなたは?」

「我は我じゃ。おまえに聞かせる名なぞないわ」

 胸を張って尊大に答える童を見つめ、みおはしばし考える。

 名なぞない。

 それは誰にも名前をつけて貰っていないということだろうか。もしかしたらこの童のような妖も、自分と同じくひとりぼっちなのだろうか。

 肩をそびやかす姿を哀れむように見つめ「名前がないの?」と重ねて問えば、彼は心外だと言わんばかりに目を吊り上げた。

「ないのではない! そなたに教える気はないと言っておるのだ!」

「あぁ、よかった。名前はあるんだね。私を、迎えに来たの?」

「なんで我がおまえなぞ迎えにくる必要があるのだ」

「違うなら、いいの」

 ホッとしながら微笑んだみおは、桶を胸に抱いたまま再び泉に向き直った。

 妖だかなんだかわからないけれど、どうやら自分を連れ去りに来たものでないなら問題ない。そんなことよりも、早く水を汲んで帰らなくてはならない。何往復かしなければ、家の水瓶は到底いっぱいにはならないだろう。

 意を決して泉のふちに立ってはみたが、及び腰で覗き込む水面は深く澄んで底が見えない。震えそうになる指先を握りこんで深呼吸してみるが、そこに跪くのすら怖かった。

「なにを突っ立っておる。水を汲みに来たのではないのか?」

「うん。……ねぇ、この泉は深い?」

「深いもなにも、これに底などないわ」

「えっ? そんなに深いの?」

「入水ならやめておけ。ここは社の内。神域で入水など、罰当たりなことこの上ない」

「ち、違うよっ。そんなことしない」

「ならばとっとと水を汲んで去ね」

 そうしたいのはやまやまだったが、底がないと聞けばますます怖い。これならば川で汲む方がまだよかっただろうか。しかし、川を見ただけで足がすくむのに、そこに近づいて水を汲むというのはやはり無理に違いない。

(どうしよう……)

 立ち尽くしたみおを不審に思ったのだろう。童は「どうした?」と尋ねてきた。その顔をじっと見つめて数瞬。

「あの……ちょっとこっち来て」

 少女は、思い切って童を手招きする。

 何事かと目を眇めた彼は、地面にふわりと飛び降りた。その音も重さも感じない様に、やはりこれは人ではないのだろうと思ったが不思議と恐怖は感じない。それは童の姿に似合わぬ尊大な口調が滑稽だったからかもしれないし、やんちゃそうな瞳が生き生きとして見えたせいかもしれない。

 だからみおは躊躇うことなく、地面に降り立った童男に手を伸ばし、その掌をきゅっと握った。しかし、ひんやりとした柔らかさを感じた途端、その手は素早く振り払われた。

「なんだ!?」

「あの、お願い。手を繋いでいて」

「なんで我がっ」

「だって。水に落っこちたらどうするの?」

「知るか。だいたい水汲みくらいで落ちるわけなかろう」

「わからないもん。落っこちて沈んだらどうするの?」

「落ちないと言っている。だいたい落ちたら、泳いですぐにあがればよかろう」

「……」

「……なんじゃ?」

「……化けて出てやる」

「なっ──」

「……」

「~~~」

 恨みがましい少女の視線に根負けするようにひとつ舌打ちすると、彼は仕方なさそうに手を差し出した。少しめくれた袖からのぞいた腕には、鱗が並んでいる。やはり童男は人外なのだ。

 目を瞠った少女に溜息をついた童は、再び手を引っ込めてしまった。

「気味が悪かろ。だから手など繋がず……」

「きれい」

「は?」

「虹色に光ってる。きれいね」

 思ったままを口にしたみおは、引っ込められた彼の手に手を伸ばす。冷たい掌は、今度は拒むことなく握り返された。



* * * *





「暑い……」

 この村に来てから、2度目の夏だ。

 着ている麻の着物は所々擦り切れて、少女が着るには少々小さくなってはきたが、居候の身の上で新しい着物をねだれるはずもない。けれども今は、その丈や裄の短さが有り難く思えた。

 畑の手伝いを終えて、いつものように古びた社にやって来たみおは、己の顔を手で扇ぎながら泉の近くの大きな岩に寄りかかって腰を下ろす。

 背に伝わる岩の冷たさは心地よかったが、炎天下のなか丘を上がってくる間に吹き出た汗はぽたりぽたりと地面に落ちる。木立のなかの水辺とくれば畑などより遙かに涼しいけれど、それでも止まらない汗を袖で拭ったみおは、再び「暑い」と口にした。

「暑いの寒いのと、人の子はほんにうるさい。夏が暑くなくてどうする」

 突然目の前に童男が涌いて出た。深い水底のように青い瞳をこちらに向ける姿に驚くこともなく、みおは「だって暑いものは暑いんだもん」と唇を尖らせる。


 彼に出会ったのは、去年の夏。村に来てすぐの頃だった。

 両親を亡くしたみおは、生まれ育った村を離れ、母方の縁を頼ってこの村に来た。親類である子のない夫婦は、みおの醜い姿に眉を顰めながらも身を寄せることを許してくれた。

 少女は顔立ちだけいえば、けして醜女ではない。目はくりりと丸く愛嬌があったし、ふっくらとした薄紅色の唇は童を抜け出しつつある娘らしい愛らしさがあった。けれど、右目の周り、顔の半分を覆うほどの大きな紫のアザが蝶の姿で張り付いていた。

 人々はそのアザを薄気味がって『鬼子の印』とひそやかに、けれど少女の耳にも入るほどの無遠慮さで囁きあっていた。


『本当は鬼の子に違いない』


『いつか妖が迎えにくる印だ』


 心ない言葉に傷ついて泣くたびに、抱き締めて頭を撫でてくれた両親はもういない。

 まだひとりで生きていくことが出来ない以上、誰かの庇護の下に入るしかないのだということは子供心に理解できた。醜いアザはどうしようもないが、少しでも役にたたなくては、いつ夫婦の気が変わり追い出されるか知れない。

(役にたたなくちゃ)

 その一心で、村に着いて早々手伝いを申し出たみおは、水汲みを言いつかった。

 小さな村のたったひとつの井戸は、前年に枯れてしまったのだという。田畑には川から水路をひいているが、日常使う水は川か社の泉で汲むと教えられたみおは、家にほど近い川を避け、小さな丘の上にある社を訪れた。

 今は神主もいないという社は、鳥居と小さなお堂があるだけの小じんまりとしたもので、朽ちかけた縁がいかにも落ちぶれた風情だ。参る人の姿もないそこは、ただうるさいほどに鳴き立てる蝉の声が響いていた。

 その小さな社の奥。泉のそばに、彼がいた。


 左隣に腰を下ろした童男の手を取り、そっと握って引き寄せ、己の頬にあてがう。

「冷たくて気持ちいい」と笑えば、彼の口からはただ呆れたような溜息だけがこぼれた。

 袖の中にのぞく虹色の鱗を見つめるみおに、「そこまで暑いなら、泉にでもつかればよい」と言いながら童はやんわりと少女の手をほどいた。

「確かに暑いけど、底なしの泉なんておっかなくて入れないよ」

「ならば、村の子らと川の浅瀬で遊べばよい」

「川は、嫌い」

「嫌い、か。みおはいつ見てもひとりでおるの。川でなくとも、皆と遊んでいるところを見たことがない」

「……? いつも見てるの?」

 童とは2日とあけず会ってはいるが、それはみおがここにやって来るからだ。ここ以外では姿を見たことなどなかったから、てっきり彼はここ以外には出歩けないものだと思っていたみおは、意外な気持ちでその横顔を見つめた。

「た、たまたまじゃ! 我が村を散歩していたらたまたまよく見かけるのじゃ」

「ここ以外で会ったことないよ?」

「見えないようにしておるのじゃ!」

「なんで? 見かけたなら声をかけてくれればいいのに」

「考えてもみよ。おまえが我と話をしているのを見られても、村の者には我の姿は見えぬ。気味悪く思われようが」

 どういうワケか、童の姿はみおにしか見えない。

 見えてよかったと心から思う。1年を経て、いまだ村に親しく話す者もいない少女にとって、この童は本当に貴重な話し相手なのだ。

「そんなの……話しかけてくれていいのに」

「だからそれではお前が気味悪く──」

「もう、気味悪がられてるよ」

 胸が痛む筈の台詞を、からりと笑って伝えられた。

 痛まないわけではない。けれどもうそんな痛みにはすっかり慣れてしまうほどに、物心ついた時からずっと周囲が自分を見る目は忌み子に向けるそれだった。

「ほら、私、鬼の子だから」

「ふん。そういえば、村の者もそのようなことを言っておったの。おまえのどこが鬼子だというのじゃ」

「違うの?」

「おまえごときが鬼子なものか。人間ふぜいが図々しい」

「だって」

「なんじゃ?」

「これは、このアザは鬼の印でしょう?」

「その蝶のことか? そんなものが鬼子の印だなど、聞いたこともないわ」

「本当に? だったら。……だったらなんで父さまと母さまだけ連れて行かれたの? 一緒に流されたのに、私だけ……なんで川の神様は、私だけ連れて行かなかったの?」

 降りやまぬ雨は、あの日みおの村の川を溢れさせ、その濁流は多くの家を押し流した。

 流された者は皆命を落としたが、少女だけは木の梢に帯がひっかかり流されることなく生き延びた。そうして難を逃れた村人は『やはり』と気味悪そうに言ったのだ。『鬼子は殺しても死なぬようだ』と。

 鼻の奥がツンとする。喉の奥にせりあがってくる熱いものを必死で堪えながら絞り出した問いに、けれど童は答えなかった。

 こんなことを訊かれても困るだろう。鬼の子の印でないと妖である童が言ってくれるなら、きっと間違いないのだ。自分はちゃんと人の子だ。それがわかっただけよかった。

 そんな風に俯いたまま必死で己を宥めていると、そっと頭が撫でられた。

「そのようなこと、知るわけなかろう」

 優しく撫でる感触に反して、童の台詞はひどく素っ気ない。

「みおはまだ寿命があったのじゃろ。そうでなければ、水神の気まぐれじゃ」

「気まぐれ?」

 神様とはいえ、そんないい加減なもので人の命は左右されるのだろうか。気まぐれで、父も母も命を奪われたのだろうか。

 納得がいかず顔をあげると、瞳に溜まっていた涙が零れたがそんなものには構う気にもなれなかった。

「気まぐれで父さまも母さまも死んだの? 村の人もいっぱい死んで、全部ぜんぶ流されて、そんなのってない!」

「……。みお、夏は暑いの」

「今はそんな話をしてるんじゃ──」

「夏は暑い。冬は寒い。日が照れば渇き、雨が降れば潤う。それだけのことじゃ」

「意味わかんないっ」

 涙の余韻に震える声で、何が言いたいのかと童を見ても、その表情からは何も読み取ることが出来ない。

 深青色の目はちらとみおを見た後、梢の向こうの空へと投げられた。

「おまえは夏が暑いと言った。では涼やかな夏がいいか?」

「そりゃ……」

 夏が涼しければ快適に決まっている。そう思いかけて、でも、と考える。冷たい夏は作物を育てない。雨が降りすぎるのと同じく、それは人を悲しませるだろう。

「匙加減は気まぐれでの。まあそれもまた理の内なのだろうが」

「……」

「天帝は人の子らだけの為に物事を司っているわけではない。その声を聞く道筋は残してはあるが、結局万象は理の中にある。人の生き死にも同じことじゃ」

「よく、わかんない」

 てんていというのはきっととても偉い神様で、彼の気まぐれひとつで季節すら決まる。そういうことだろうか。

 今、彼が伝えてくれていることは、きっと物事の本質的な話で、とても大切なことなのだろうということは漠然と感じる。けれど、やはりみおには童の言わんとすることがよくわからなかった。

 自分が『人の子』だからわからないのか、それとも学がないからわからないのかはわからないけれど、ただそう答えたみおに向けられる眼差しが、少し哀しそうで、なのに慈愛に満ちていることだけはわかった。

 同時に、目の前の存在は姿こそ自分とそう年の変わらない少年だが、やはりひどく隔たれた存在なのだということを感じて、とても寂しくなった。

「川が溢れたのは理の内じゃ。けれどみおが生きているのはきっと、父御と母御が守ったのじゃ。愛おしいそなたの命だけでもと願うたから、水神がおまえに情けをかけたのじゃ」

「本当?」

「……知らん。でも、きっとそうじゃ。そう思っておけばよい」

「うん」

 今度は素直に頷いた。

「私がこんなだから、神様も連れていくのがヤだったんだって、ずっと思ってた」

「こんな、とは、そのアザのことか?」

 こくりと頷けば、「人とはほんに不可思議なことを考える」と眉間に皺を寄せた童は、みおのアザを掌でそっと包んだ。

「これがなくなればよいのか?」

「え?」

「このアザがなくなれば、おまえは……」

「……?」

 頬に感じるひんやりとした感触が徐々に熱を帯びていくのに気付き、少女は不思議な心地でその掌に自身の手を重ねて窺うように童を見つめる。

 そこには、尊大さもやんちゃさもない、ただ真剣な眼差しがあった。

 みおの胸は、なぜかせわしく動きだす。駆けった後のようなその鼓動の意味もわからないまま、少女はただ添えられた熱を感じていた。

 ふいに熱が離れ、童の掌に重ねていた手の所在を考える間もなく、みおはそれに気づいて目を瞠る。

 真っ白だった彼の掌に、蝶のアザがあった。

「──っ、それっ!?」 

「面白い形をしておるものを。我は前々からこれが気に入っておった。人の世では疎ましいもののようじゃからな」

 呆然としながらも、両手で己の顔を撫でてみる。なめらかな感触はいつも通りで、アザの有無などわかるはずもない。それでも、彼の掌の蝶は、ほんの先ほどまでここに留まっていたものだというのは、すとんと心に落ちて理解できた。

 幾度も己の顔を撫で回す少女の頬をからかうようにひと撫でした童はひょいと身を離して岩に飛び乗り、「これは今日から我のものだ」と自身の掌を目の前にかざし、得意げに宣言した。




* * * *






「……いないの?」

 この村で迎える2度目の冬。

 早朝から降り出した雪が、村の景色をすっぽり白く包む中、桶を抱えて白い息を弾ませながら社に来たみおは、童の姿を探しながら声をかけてみる。

「ねえ? いないの?」

 シンと静まる泉のふちには、鳥の羽ばたく音すらしない。ただ音もなく、降る雪が泉へと消えていくばかりだ。

「ねえったら!」

 みおは童の名前を知らない。初めて会った時に拒まれて以来、彼の名を問うたことはなかった。

 知りたいと思わないでもなかったが、童はいつだって泉のほとりに居たし、会っている間はふたりきりだったから、名前を知らなくとも不便はなかった。

 けれど今、みおは猛烈に後悔していた。

(なんで名前をちゃんと訊かなかったんだろう)

 この静寂の中に、呼びかける名がない。

 不安に鼓動が早くなる。どこかに行ってしまったのだろうか。もう会えないのではないのか。

 次々浮かぶ不安に、みおの目が潤みだす。

「出てきてったらっ!」

「うるさい! ここに居るわ」

 頭上から、不機嫌な声が落ちてくる。

 木の上にいたらしい童が音もなく降り立つのと、桶を放り出したみおがその首筋に腕をまわして抱きつくのとは同時のことだった。

「なっ、何事じゃ!?」

「……った」

「なんじゃ?」

「いなくなったかと、思った」

「……昼寝を、してただけじゃ」

 抱きついて嗚咽を漏らすみおは、その背後に童の腕が回りかけたことに気づかない。空をさまよった手は、結局彼女に触れることすらなく降りてしまった。

「……っ、……」

「いつまでそうしておる? たいがい離れよ」

 声に促されておずおずと身を離す。すると、腰に手をあてて、不機嫌そうな顔をした童がこちらを見ていた。

「泣くことはなかろうが」

「だ、だって……い、いなくなっ、なっちゃったかって」

「我がここからいなくなるのは、消えてなくなる時くらいじゃ」

 消えてなくなる。

 その衝撃的な言葉に、みおの涙も引っ込んだ。

「消えて……なくなる?」

「おまえが生きてるうちは平気じゃろ。この社を壊してなくすことでもない限り、そんなことも起こらぬわ」

 だから泣くことなどないのだと、みおの頭を軽く撫でた童を見つめる。

 出逢った時は少し上だった童の視線が、今は真正面だ。

 童は、みおが生きているうちは消えないと言った。ならばどれだけ生きるのだろうか。どれだけ、生きてきたのだろうか。

 訊いてみたいと思ったが、そんなことを訊いてどう思われるか心配だったし、何より人との違いを──己との違いを、今耳にしたくはなかった。

「だって……名前を知らないから」

「名前?」

「私は名前を知らないから、呼ぶことも出来ないし」

「好きに呼べばよい」

 興味なさそうに視線を逸らした童は、放り出された桶を拾いに行くと、押しつけるように少女に渡す。

「そんなの。そういうのは『名前』って言わないよ」

「なるほど。『真名』か」

「まな? それがあなたの名前?」

 女の子の名前にも聞こえるその響きに小首を傾げて尋ねると、童は唇の端を引き上げた。

「違う。真名のことかと言っておる。おまえの言う名前じゃな」

「真名……」

「そんなもの、天帝と……つがう手合いの者ならその相手が知っていればよいものじゃ」

 天帝にはなれないけれど、つがう相手にはなれるのだろうか。そうしたら、名前を教えて貰えるのだろうか。過ぎった考えに、すぐに心の中で首を振る。それは、人である自分には到底無理なことだ。

 みおはぎゅっと桶を抱きしめて「なんだ、つまらない」と殊更明るく笑って言うと、泉のほとりに膝をついた。

「この村にこれだけ雪が降るのも珍しい。こんな日くらい、川で汲んだらどうじゃ?」

「だって、雪で滑ったらどうするの?」

「泉とて同じじゃ」

「違うよ。全然違う」

「泉の方が深いのじゃぞ?」

「だって……ここならひとりじゃないもの」

 ここに来れば童がいる。

 村の中でも、シンとした家の中でも、たったひとりでいる時でも、本当にはひとりぼっちではない。みおにとっては、それがとても大切な支えだった。

「ここに来れば、ひとりじゃないから。だから、泉は怖くないよ」

 冷えて感覚のなくなってきた両手を擦りあわせながら答えて笑うと、童はなんとも複雑そうな表情になった。

「おまえは相変わらずひとりでおるの。アザが消えたのに、なぜひとりで暮らすようにした? 人と交わるどころか、ますます離れていくばかりじゃ」

「それは……」

 アザが消えたことで余計周囲との溝が深まったなどと、目の前の童に言えるはずもない。

 なにかにつけて古びた社に通う少女の顔からアザが消えたことに、村人は一様に驚愕した。けれど、人々はそれを少女が社に通った御利益だとは考えなかった。

 なにしろ社は、かつてこの村を襲った飢饉以来、奉り捨てられたような状態ですっかり落ちぶれていたし、参る者どころか神主すらいないのだ。希に社を訪う村の年寄りが、誰もいない泉から大きな水音が聞こえたなどと言いたてたり、泉の近くで薪を拾っていた者が社の中から物音がするのを聞きつけたりで、この社は化け物が住まうのではとまことしやかに囁かれていた。

 そこにきて、少女のアザの消失だ。

 

『妖の仲間だ』

 

『鬼子の娘は喰われて、妖が成り代わったのではないか』

 

 そんな憶測がまるで事実のように人々の口に上り、夏の終わり、少女はとうとう夫婦の家を出されてしまった。

 表向きは、夫婦に子が出来たから。でもその実は、気味の悪いやっかい者として追い出されたにすぎない。

 それでも、村を追い出されなくてよかったと、みおは胸をなで下ろした。

 社の丘のすぐ近くの小屋をあてがわれたみおは、今はたったひとりで暮らしている。

「ひとりの方が、気楽なんだもの」

「そのようなことを……。人は人の世で、人と交わって生きていくものじゃ」

「……そのうちね」

 童のため息の気配を感じながら、視線をはずしたまま微笑んだみおは、泉に桶を入れると水をすくいあげる。

 指先に触れた水が、痛みを感じるほどに冷たい。桶を置き濡れた手を着物で拭いながら立ち上がり、指先に息を吹きかけてみたが、冷えきったそれがそう簡単にぬくもるはずもなかった。

 ふと、目の前に歩み寄ってきた童がみおの両手をそっと包んだ。

 みおの鼓動がとくんと跳ねる。

 温度のない冷たい掌だ。それでも、それはなによりあたたかく感じる優しい手だった。

 童はみおの手に布袋を押し込んで、その身を離した。

「見ているこっちが寒々しいわ。とっとと帰って、これでも食べながら火にあたれ。水が足りねば、今宵は雪で賄えばよい」

 布袋の中には、栗や椎の実がいっぱいに詰まっていた。

「ありが……──くしゅっ」

「疾く帰れ。社に通う者が咳の病に罹りでもしてみろ。ますますここの評判が悪くなるわ」

「でも」

 もう少し一緒にいたいのだという言葉は、思いのほか心配そうな眼差しを前に、言い出せないまま飲み下した。

「……でも、なんじゃ?」

「ううん。ありがとう。またね」

「転ぶでないぞ」

「大丈夫」

 桶を手に、布袋を懐に大事に抱いたみおは、踵を返して小走りで泉を後にした。


「今更これを返したところで……」

 小さな背を見送って、掌の蝶に口づける。

「……でもの先も、言ってみればよいのじゃ」

 呟きは、ただ冷たい静寂へと溶けていった。





* * * *






「ふぁあぁ……」

 いつものように岩の前に座った少女は、大口をあけてあくびすると、たてた膝に眠そうに顔を伏せた。

 柔らかな陽射しに透ける新緑は、あっという間に青々と力強く茂り、まもなく彼女がこの村に来てから3度目の夏が来る。出逢った頃は幼さの残る顔立ちだった少女も、近頃はふとした表情が大人びてきた。それでも、こんな風にあくびをする様はまだどこかあどけない。

「眠そうじゃの」

 少女の寄りかかる岩の上に座ったまま声を掛けると、首だけめぐらしてこちらを見上げたみおは、眩しそうに目をしばたたかせた。

「うん。昨日、夜中に外でなんか大きな音がしてね。目が覚めちゃったから寝不足で」

「猫じゃの」

 即答してやると、みおは少し不思議そうに首を傾げる。

 それはそうだろう、と思う。猫ならば、積み上げた桶や農具をあそこまで派手にひっくり返すはずもない。

「猫の声なんかしなかったよ? 猫っていうよりもっと大きな……」

「では狐じゃ。狐が出たのじゃろ」

「うちは鶏もいないし、狐が来そうなものなんてないよ」

「知るか。通りがかったのじゃろ」

「……なにか怒ってる?」

 自覚する以上に、声に不機嫌さが滲んでいるのだろう。みおは眉間に皺を寄せると、よじよじと岩に上り、童の隣に腰を下ろした。

「別に、怒ってなぞおらん」

「そう? なら、いいんだけど」

 こちらを覗き込むように見ていたみおは、まだどこか納得がいかないという顔だ。

「みお。戸締まりはちゃんとするのじゃぞ?」

 あくびのせいだろうか。眦を少し潤ませながら「なに急に」と怪訝そうな顔をする少女に、童は顔をしかめた。

「おまえとて一応は年頃の娘だ。用心するにこしたことはない」

「そんな物好きいないよ」

 まったく自覚がないらしい少女は、軽く笑って空を見やり、「梅雨なのに、今日も降らないねぇ」などと呟く。

「いるっ──……かもしれないし、間違いということもあるからの。よいな?」

 どうにも危機感のなさそうな表情で、それでも気圧されるように顎をひいた少女に、童は昨日の出来事を思い起こす。

 昨夜の騒ぎは猫などではない。猫などより遙かに性質の悪いものだった。

 

「あの娘、綺麗になったよなぁ」

「化生でなければ、嫁にしてやってもいいくらいだ」

 いつものようにみおの家の辺りを散策していた少年の耳に、そんな会話が届いたのは昨日の昼のことだった。

 見れば、畑仕事に精を出す少女を、茂みの中に身を潜めるようにして2人の若者が覗き見ていた。

「あれで鬼の子だというのだから、もったいねーなあ」

「単なる噂でねのか?」

「噂だけで、あの薄気味悪いアザが消えるか。阿呆が」

 彼らの会話を耳に、童は己の右手に視線を落とした。そこには、紫の蝶が羽を広げている。

 よかれと思ってしたことだった。

 アザがあるせいで少女が泣くのなら。

 その蝶があるせいで、村人が彼女を遠巻きにするというのなら、それを消してやればいい。そう考えただけだ。

 けれど童は、それがひどく浅はかな考えだったとすぐに思い知った。耳に入ってくる少女の噂は以前より辛辣になったし、親類の家に身を寄せていたみおは家を出されてしまったのだ。

 子供が産まれたら窮屈だろうと思って。

 みおは、家を出た理由をそう語った。出されたのではなく、己の意志でそうしたのだと笑って、けして本当のことは語らない。だから彼もそれ以上問うこともせず、そうか、とただ頷いた。

 みおは、鬼の子だなどと言われるような不思議な力は何ひとつ持ち合わせていない。強いて言うなら、童の姿が見えるのが特殊と言えば特殊だが、さりとてその他の人外が見えるわけでもなく、大した力ではないだろう。

 人外になって数百年余り。これまでも、己の姿が見える者はあったし、言葉を交わす者もいた。ただ、大抵は驚いて腰を抜かすか逃げ出すか、人でないことを蔑むか。多少のやりとりをしても、すぐに疎遠になるのが常だったから、人間にこれほど全幅の信頼を寄せられたのは初めてのことだ。

 出逢った、あの夏の日。

 少女は思い詰めた顔をして「化けて出てやる」などと脅しにもならない台詞を口にして、手をつないで欲しいとねだった。

 渋々差し伸べた手に、袖から覗いた人外の証──腕を覆う鱗を目にして怖じ気付くかと思ったが、彼女は虹色できれいだと言って、少しも怯むことなく童の手を取った。

(あたたかいのじゃな……)

 人と言葉を交わすことはあっても、あんな風に触れあったのは初めてだったから、その温かさに驚いた。柔らかくて、頼りなげで、けれどその皮膚の下には、生命が脈々と力強く通っている。

 心もとないような、胸がきゅっと痛くなるような、不思議な感覚だった。

 その後も、少女はほぼ毎日、水を汲みに泉にやって来た。

 村で見かける時は頼りなげにぽつんとひとりで居ることの多い少女が、丘を上ってきては、年相応の無邪気な笑みで楽しそうにあれこれととりとめもなく話す。素っ気ない返答にもめげることなく話し続ける少女に釣られて、いつしか浮き立つ心地になることも増えた。

 童は他の人外と群れて過ごす習慣などない。だから、ひとりで過ごすのは当たり前のことで、それを寂しいとか物足りないなどと思うことはなかったのだ。

 けれど、いつしか少女の来訪を心待ちにしている己に気付いた。

 そんな風にみおとの時間を快く思うほどに、解せなくなっていくのは村人たちの態度だ。

 笑顔も、語る言葉も、行いも、どれをとってもみおはごく普通の人間だ。そんな彼女が、なぜいつも、いつまでもひとりぼっちでいるのだろうか。

(我のせい、かの)

 羽ばたくこともない蝶を見つめ考える。

 アザをとってやらなければよかったのだろうか。そうしたら、例え時間はかかっても、やがては少女も村人たちに馴染んでいっただろうか。


「生娘だろうなぁ」

 舌なめずりしていそうな声音に、ふと我に返る。

「違いない」と頷く男も、下卑た嗤いを口元に刻んでいた。

「ひとり寝は、寂しかろうなぁ?」

「化け物とはいえ、情けをかけて慰めてやるか?」

「ひひ。そうだな。せめてもの情けじゃ。一晩じっくり可愛がってやればええ」

「だが相手は鬼の子だ。大丈夫かの」

「なぁに。見ろ、あの細っちょろい腕。そこらのおなごとそうは変わらん。ふたりがかりで押さえつければ、どうということもなかろ」

「違いない」

 男たちは顔を見合わせて、嗤いながら頷きあった。

(あやつらめ……)

 懲らしめてやる。そう思った。

 けれど、伸ばしかけた手は宙で止まり、そのままぎゅっと握りしめられる。

 それは、正しいことだろうか。みおの為になるんだろうか。

 童には、人の幸せなどよくわからない。それでも、生き物として生まれたからには、つがいになって、子を為し、やがて死んでいく。それが当たり前のことだろうと思う。

 だからみおも早く人と打ち解けて、やがては男と添えばいい。それがみおにとっての幸せに違いない。

 だが少なくともその相手は、こんな風に彼女を好奇の目で見つめ、無理矢理に奪ってしまおうなどと企てる輩では断じてない。ない、はずだ。

 握りしめた掌をゆるゆると開き、じっと見つめる。そのまま動くことも出来ずにいるうちに、いつの間にか男たちの姿は茂みの陰から消えていた。

 とはいえ夜を迎え、いざ忍んできた2人を前にすれば我慢もならず、みおの家にたてかけてあった農具や桶を盛大にひっくり返してやった。その物音だけで、男たちは転がる勢いで逃げ去ったのだ。


「難しい顔をしてるね」

「能天気なおまえとは違うでの」

「むぅ。私だっていろいろ考えてるよ。こないだ蒔いた種がなかなか芽が出ないなぁとか、今年はいっぱい米も野菜も穫れたらいいなぁとか。あとは……梅雨なのに雨が降らなくて大丈夫かなぁとか」

 膨れながら指を折りながら話す、その横顔を見つめ考える。

 もしも彼らに、少しでもみおへの好意が見えたなら、昨夜のことは見過ごしただろうか。

(無理であろう、の)

 きっと邪魔をしただろう。

 なにしろそこには彼女の同意がないのだ。例え相手に好意があろうとも、やはりそれではきっとみおが傷つくに違いない。

「笑っておればよい……」

 ほろりと零れた呟きに、「え、なに?」と反応を返す少女をじっと見つめる。

 出逢った頃より、髪がずいぶん伸びた。すっきりしてきた顎の輪郭も、これからますます大人びていく兆しだろう。

 みおは己とは違う。

 たった1年で、どんどん成長していくのだ。少女は女になり、またたく間に老い朽ちていく。触れられる場所にいるこの姿も、陽炎のように儚く、脆く、童が到底追いつくこともできない時間を生きている者だ。

 手を延べて、少女の顔にかかる髪を指先で耳にかけてやりながら「伸びたのう」としみじみ口にすれば、途端に声を弾ませて「うん! ほら」と向こうをむく。結い上げた髪をこちらに向け「こうして結ってると、大人っぽく見えるでしょ?」と嬉しそうだ。

 少女は、こうして大人びていくことが楽しいらしい。それは着々と終わりに向かうことだというのに、なにがそれほど嬉しいのやらと考えながら、ふとそのうなじに視線を縫い止められる。白い首筋に漂うそれは、色づき始めた女の色香だった。

「だから、そのように迂闊な……」

「ん?」

「だからっ、……そ、そのようなことを尋ねること自体、まだまだ子供だというのじゃ」

 童の言葉にまたも頬を膨らませた少女は、ふと思いついたように「ね、ちょっとあっち向いて」と己の反対側を指さした。

「なんじゃ?」

「いいから」

 きらきらと輝かせた瞳はいたずらを仕掛けようとする幼子のようで、やはりまだまだ大人にはほど遠いと内心苦笑しながら言われた通り半身をひねって背を向けてやると、さらりと髪に触れてくる。 

「……? なにかついておるか?」

「ううん。綺麗だなって。いいなぁ、どこもかしこも綺麗で」

 鱗を綺麗だと言う少女は、人の髪の色とかけ離れた白銀の髪をも同じように評するようだ。

 童の髪をしばし弄んだ少女は、やがてそれをひとつに束ねた。

「できた。ふふ、お揃いだよ」

 再びこちらに背を向けて、己の結い紐を指す。少し褪めた浅葱色には見覚えがあり、おそらくは着られなくなった着物をほどいて作ったのだろう。不揃いな縫い目に彼女の苦心が見てとれて、知らず笑いが漏れた。

「そうか」

「うん」

 ほんのり頬を染めた少女を前に、温度のない体に熱が宿るのを感じる。

 みおは威勢良く岩を飛び降りると、「そろそろ水汲みしなくっちゃ」と桶を手に泉のほとりにひざまずいた。

 彼女の水汲みは、大抵は日に10回ほどだ。

 わざわざ丘を上ってくるのではなく、川で汲めば労力も半分で済むだろうにと思うものの、川を恐れる少女の気持ちもわかるので、そう強く勧めることも出来ない。

「みお」

「んー?」

 こちらを見ることもなく返事をする少女に、童も岩を飛び降りて歩み寄った。

「礼をやる」

「え? そんなのいらないよ」

 袖をめくり、己の鱗を1枚剥ぐ。針で刺すような痛みが走るが一瞬のことだ。奥歯を噛んで痛みをやり過ごした童は、小指の先ほどの、向こう側が透けそうに薄いそれを「飲め」と差し出した。

 少女は桶を急いで置くと、鱗を剥がした場所におそるおそる手を伸ばし、けれど触れるのを迷っているような素振りをする。

 やはり改めて目にすれば、みおにとって人外の証など不快なものなのかもしれない。当たり前のことなのに、先ほど鱗を剥いだ時よりも、もっと重い痛みが胸にかかった。

「気持ち悪いやもしれぬが、毒ではないゆえ……」

「……く、ない?」

「……?」

「こんな、こんなの剥がして痛くないの?」

「たいしたことは、ない」

「よかった」

 心底ホッとしたように瞳を和ませたみおは、鱗を受け取り1度だけ透かし見ると、躊躇なく口に入れた。

 あまりに躊躇いのない様子に、こちらが狼狽えるほどだ。

「飲んだよ?」

「毒だったらいかがするつもりじゃっ」

「……? だって、飲めって。毒じゃないって言ったから」

「それは……」

「ねぇ、本当に痛くないの?」

 温かな指先が遠慮がちに、羽が触れるようなささやかさで、腕を撫でる。

 その感触がどうしようもなく胸苦しく、心許なく、そして──愛おしい。

 通ってくるのを心待ちにしていたのも、触れられるだけで胸がざわざわとせわしない心地になるのも、いつもみおが言い掛けてやめてしまう『でも』の先が聞きたいと思うのも、彼女を想うがゆえだ。

(詮無きものを……)

 己の腕に触れている少女を見つめる。

 出会った頃はまだみおの方が背が低かったはずなのに、いつの間に追い越されたのか、今は少女のほうが指先ひとつ分だけ視線が高い。

 指先ひとつ分。たったそれだけの、けれどそれは、これからどんどん顕著になっていく、生きる時間の違いを現す決定的な違いだ。

「大丈夫じゃ。それよりもなにを飲んだのか、少しは気にならぬのか?」

「なにって、鱗でしょ? 味はしなかったよ?」

「誰が味の感想を──……もうよいわ」

 ほぉと溜息をついた童は、みおから離れてひょいと岩に飛び乗る。

「先ほどの鱗は、我に繋がるものじゃ。これでおまえが水の中にいる時ならば、我に声が届くようになった。もしも落ちたら、我を呼べばよい。助けに行ってやるゆえな」

 「感謝しろ」と肩をそびやかすも、泣き出しそうな少女に気付き、息を呑む。

「いかがした?」

「これからは、川で水を汲めってこと?」

 そんなつもりではなかったが、それを考えなかったわけでもない。

 たったひとりで、畑仕事をするのは大変なことだ。それに加え、わざわざ丘の上まで水汲みにくるのは彼女にかなりの負担を強いているはずだ。川で水を汲むことが出来るようになるだけで、それはずいぶんと軽減されるに違いない。

「ここまで来るよりも、その方が近くてよかろう?」

「もうここで水汲みするなってこと?」

「川で汲めば用が足りる」

「そうじゃなくて。それは……それはもうここに来るなってこと?」

「……」

 そうだ、と答えればいいのだろうか。そうだと答え、だから人を頼り、人に添って生きていくことを覚えるべきだと諭せばいいのだろうか。

 今みおには童しかいない。だからきっと、雛が親鳥を唯一の存在としてついてまわるように、依存しているに過ぎない。

 こんなに可愛くて、心根の優しい少女だ。時をかければ、村人たちだってみおの本質に気付くだろう。そうすればきっと、みおの対にふさわしい者も現れる。

 少女は叱られた子供のようにうなだれ、息を詰めて泣き出すのを堪えている。

「来るなと言っているのではないぞ?」

 少しずつでいい。少しずつ距離をとればいいのだ、と。突き放しきれない童は、そんな風に自分の中で言い訳をする。

「水を汲むんでなくとも、来たければ来るがよい」

「うん」

 少し濡れた瞳のまま、花が綻ぶような笑みを浮かべる少女に苦笑する。

 少しずつ距離をとって、やがては人に馴染むように仕向ける。

 そんなことが出来るのだろうか。こんなにも、愛おしいのに。

「だがな、みお。人は、人と交わって生きていくものじゃ。ここに入り浸り、我とばかり話しておるものではないぞ?」

 諭すように、けれどその実は己に言い聞かせるための言葉だ。

「……」

「早う……早う他の者と馴染んで、良き相手を見つけ、つがいになればよい。そうすれば、ひとりぼっちでなくなるぞ?」

「私に、早く嫁に行って欲しいの?」

「……。いつかはと言っておるのじゃ。嫁に行き子を成せ。我はおまえも、その子も、その孫も見守ってやろうほどにな」

 生きている時間が違うのだと、知らしめる。みおに。そして自分に。

「……でも」

 『でも』の先を言えばいいと思う。言ってくれるなと願う。どちらもどうしようもなく本心だ。

(聞いて、どうしようというのじゃ)

 寂しさにつけ込み、人から引き離して、どうするつもりなのか。己は、人ではないのだ。

「さ、水を汲むのじゃろ?」

 言葉の先を浚うように促せば、少女は素直に頷いた。

「うん。あ、そういえば」

「なんじゃ」

「呼べって言ったけど、名前も知らないのにどう呼ぶの?」

 名前──真名とは弱みだ。真名を用いれば、時にその存在を消滅させることも出来る。だからこそ、妖同士は互いを呼ぶ時には真名を使わない。人でいうところの、あだ名で呼びあうのだ。

 真名を教えるということは、二心がないことを示す特別なことだ。だからこそ、天帝やつがう者に差し出す。

 けれど、少女は真名を知る意味など、知らなくていい。彼女は人として生きていくべき者だ。だから、差し出されたものの意味など、知らないまま生きていけばいいのだ。

「……璃卯」

「りう?」

 少女の唇からこぼれる己が名に、心が震える。真名というのは体に、魂に響くものだ。こんなにも心が震えるのは、ただそのせいだ。それだけだ。言い聞かせる。

「そうじゃ。璃卯、という」

「それ……名前?」

「そうじゃ。もしも水に落ちたら」

「璃卯……璃卯、璃卯、……璃卯?」

 呟くように微笑むように、幾度も繰り返すみおの声が、璃卯を誘う。触れて攫ってしまえばいいと、本能が囁く。

(浅ましいことじゃ……)

 長く生きたところで、所詮人外だ。天帝と天帝の国に住まう神仙のように、清き心で多くに慈愛を注ぐ貴き者にはなれないのかもしれない。

 それでも、目の前の少女には幸せな生を全うさせてやりたいと心から願う。

「聞いておるのか?」

「璃卯。うん、璃卯。璃卯……」

「連呼するでない」

「だって、嬉しいんだもん」

「よいから、汲むならとっとと汲め」

「ねぇ、声が届くのは水に入ってる時だけなの? 水に触ってれば声が届くの?」

「触っているだけでは駄目じゃ。体が半分以上浸かっていればよい」

「ふーん。だったらタライに水を溜めてそこに入ってもいいの?」

 璃卯はぎょっとしながら少女を見た。よもや、行水でもしながら呼びかけるつもりだろうか。

「それは、無理?」

「む、無理じゃな。うむ、無理じゃ。だいたいそういうどうでもよい時の為に与えたのではないぞ? 川やら泉に落ちた時だけにしろ」

「うん、わかった。璃卯、ありがとう」

「……うむ」

「璃卯。璃卯……」

 繰り返す少女の声が、切なく心に染み渡った。





* * * *







「最近、増えたね」

 壊れた賽銭箱の前で熱心に手を合わせた村人が、鳥居をくぐって行くのを岩陰から見送った少女はようやく口を開いた。

 みおがこの村で迎える、3度目の夏が来た。相も変わらず社に通う少女の言葉に、泉の辺に座って足だけ水に浸していた童は「そうじゃの」と村人が去った方をちらと見遣る。

「日頃からああして信心しておれば、我にも今少し力が宿ったものを」

 璃卯は己の足の動きが作り出す波紋に、視線を落としたままだ。

「信心しておればって、神様みたいなこと言うね」

「おまえ……」

 こちらを見つめてふたつほど瞬きした彼は、「我をなんだと思っていたのじゃ?」と眉をひそめた。その顔を凝視しながら考える。

 いつも泉の近くにいて、時々は村を散歩している気ままな存在。優しいことはあまり言ってくれないけれど思いやりがあって、冷たい手はいつだってみおを温めてくれる。そして、出逢った時と少しも変わらないその姿は、自分とは決定的に違う時間を生きている証だ。それにしたって、まさか神様だなんて、これまで考えてもみなかったことだ。

「本当に、神様なの?」

「知らぬまま、ノコノコとここに通っていたのか。我が人喰いでなかったのを、せいぜい有り難く思うのだな」

 ため息をつく璃卯の気配を感じながら、(神様かぁ……)とみおも内心こっそりため息を落とす。 

 そうでなくとも遠い存在が、ますます遠のいたような心地になりながら「璃卯がそんなことしないってことは、知ってるもん」と唇を尖らせた。

 ふて腐れたように言うみおに、璃卯は口を開きかけて、結局なにも言わずにそのままごろりと体を横たえた。泉に足を入れたまま、草の上に横になる存在が神様というのは、どうも実感がわかない。

「ねぇ。みんながお社をちゃんと拝んでたら、どうなったの?」

「村の者らが今少し信心深ければ、井戸は枯れなかったろう。先代の神が隠れたのは、村の衆がここを奉り捨てたからじゃ」

「だったら、もしもみんなが毎日ちゃんと拝んでたら、今でもここには前の神様がいて、璃卯はここに来なかったってこと?」

「無論。先代の神がおれば、我は天帝に呼ばれなかったからの」

 みんなが信心深くなくてよかった、とこっそり思う。村人がこの社を放って置くようになったからこそ、みおは璃卯と出逢えたのだ。

「信じる者が減り奉り捨てられれば、加護する力は減る一方じゃ。力が減れば己の身をすり減らし、やがては消える。社の主とはそういうものじゃ」

「璃卯も? みんながちゃんと拝んでいないと、璃卯も消えちゃう?」

「消える。今、この社と深く結びついておるのは我じゃからの。もっとも、この身がすり減るより先に、社が朽ち落ちて、道連れになる方が先やも知れぬがの」

「そんな……」

 そういえばあの雪の日も、璃卯はそんなことを言っていた。


『我がここからいなくなるのは、消えてなくなる時くらいじゃ』

 

『おまえが生きてるうちは平気じゃろ。この社を壊してなくすことでもない限り、そんなことも起こらぬわ』


「祈りは力になる。力が増えれば、この地と我との結びつきも強まり、井戸を涌かせるくらい造作もないんだがの」

 璃卯が消えてしまう。考えただけで、体が震えそうになる。みおが生きているうちは平気だと言ったって、本当に大丈夫かはわからない。璃卯がいなくなってしまったら、ひとりぼっちになってしまう。

(──違う)

 ひとりぼっちになってしまうからじゃない。ただ、彼が消えてしまうのが嫌なのだ。

「聞いておるのか?」

 立ち尽くすみおを不審に思ったのか、璃卯が身を起こした。水底のように深い青がじっとこちらを見ているのに気付き、うん、と頷いた。

「もっと早く教えてくれてたら、私も来るたび祈ったのに」

 ここにはもう数え切れないほど通ったけれど、考えてみれば社に手を合わせたことは1度もない。たったひとりの祈りなんてささやかかもしれないけれど、それでも、今までそうしてこなかったことが口惜しい。

「みおはよいのじゃ」

「なんで? 私だって」

「祈るかたちはどうでもよいのじゃ。たとえ社に足を運ばずとも、ただ心に我を置き、思う心があればそれでよい」

 言いながら、璃卯は再びその身を地面に横たえた。そんな彼の顔を覗き込むように、少女は白銀の髪の傍らに跪く。

「だったら……だったら私はいつもとっても想っているよ?」

 想いを込めて囁くと、一瞬目を瞠った璃卯は少し困ったように笑んで、「そうか」と寝そべったまま少女の肩に零れる黒髪にさらりと触れた。

 璃卯は、時々こんな表情をする。だから、いつも結局それ以上のことが言えないのだ。

 それでも、こんな言葉なら困らせずに済むだろうか。

「すごく、想ってるよ」

「そうか」

「すごくすごく……」

「わかった、わかった。拝まずとも、ここに通うのはおまえくらいだったからの。どれ、試しに願い事を言うてみよ」

 寝そべったままグンと伸びをした璃卯は、ころりと体を反転させると少女から身を離すようにして体を起こした。後ろ手に地面についた手に体重を預けるようにして、首だけ巡らせた神様はそう言って軽く口の端を引き上げた。

「叶えてくれるの?」

「聞くだけ聞いてやろう」

 穏やかな声音に、とくんと鼓動が跳ねる。聞いて欲しいことなら、ある。

 大好き、とただ伝えたい。璃卯が人でなくとも、同じ時間を生きられなくても、それでも傍にいたい。

 乾く唇をそっと舐めて、みおは恐る恐る口にした。

「聞いたら、叶えてくれなくちゃいけないんだよ」

「ならば──……ならば聞かずにおこう」

 一度仰向いて空を見遣った神様は、喉で笑って再び己の足が作り出す波紋に視線を落とした。

 少女の胸に灯った希望は、瞬く間に消え去る。けれど、そこに残ったのは安堵だ。もしも伝えたら、彼はもう二度と姿を見せてくれなくなるような気がするからだ。

 震えそうになる声を抑え、「そんな神様ってない」と目一杯ふくれて見せれば、「なんでもかんでも叶うものか。我らの身がもたぬわ」と璃卯は肩を竦めて答えた。

「いいよ」

 聞いてくれなくていい。伝えられなくたっていい。ただこんな時間が続くのならば、それでいい。

「なんにも叶えてくれなくていいから、だから、きっとずっとここに居てね?」

「消えない限りは、どこにも行きようがないからの」

「約束だよ?」

「おまえが嫁に行き、子を産んで、その子供の子供も、ずっと我が見ていてやる」

 ああ、まただ、と思う。彼はことあるごとに、こんなことを口にする。それはまるで、想い続けることすら許されないと言われているようで、胸をぎゅっと掴まれた心地になる。

 みおは泣きそうになるのを堪えて、無理に笑った。その笑顔が、どれほど痛々しく映るかなど考える余裕があるはずもない。

「だったら、私が嫁に行かなかったら? 貰い手がいなかったら、それでもずっといてくれる?」

「貰い手がいなければ、その時は、我が」

「……」

「我が、相手を探してやろう」

「そこは……そこは貰ってやろう、じゃないの?」

「貰って、欲しいのか?」

 いつもより低く、真剣な声が響く。息を呑んで璃卯を見れば、彼の眼差しは変わらず水面に向けられていた。

 喉に張り付いた声を押し出そうと口を開いた瞬間「冗談じゃ」と笑み含んだ声で言われ、みおはただ黙るしかない。

 いつだって、想っているのは私ばかりだ。きっと璃卯は、ある日突然私がいなくなったって、いつも通りの平気な顔でここいるのだろう。少し前までは、そう考えていた。

 けれど鱗を与えられ、名前を教えられてからは、もしかしたら、と思うようになった。呼びかければ応えてくれる璃卯が、時に手を繋いだり、頭を撫でたり、ささやかでも優しいふれあいを許してくれる彼が、本当は少しだけ、ほんの欠片程度くらいは、自分を想ってくれているのではないか、と。

 それでも口にできない理由があるとしたら、それはふたりに決定的な違いがあるからだ。

「我は、人ではないからの」

「……うん。大丈夫。ちゃんとわかってるよ」

 気持ちを切り替えるようにひとつ深呼吸したみおは「繋いでいい?」と問いながら彼の手を指した。

「水汲みくらい、手なぞ繋がなくとも平気であろう?」

 彼の言うとおり、最近は水への恐怖心が和らいだのか、川で水汲みをすることも増えた。あの鱗を飲んだおかげで、もしも落ちても璃卯を呼べばいいのだと、安心できるせいかもしれない。だから今は、その為に繋ぎたいんじゃない。

「水汲みじゃないよ。ちょっと水に入ってみようと思って」

「ほぉ、どういう風の吹き回しじゃ?」

「だって」

(そう言わなければ、手を繋ぐ理由がないから。って言ったら、また困った顔をする?)

「だって、暑いから」

「大丈夫じゃ。落ちたら助けてやる」

 暗に、だから繋がなくても平気だろう、と言われた気がした少女は諦めて頷くと、泉の縁ににじり寄る。

(やっぱり、ちょっと怖いかも)

 そろりと手を伸ばし、璃卯の白い袖をそっと掴む。恐る恐る両足を泉に浸せば、汗ばむ体が途端に涼やかになった。それでもやはり地につかない足先は心もとなく、みおは着物を掴む指先に力を込めた。

 ふいにその手に、冷たい掌が重なる。そっと横顔を窺っても、深青色の瞳は変わらず水面に注がれていた。だからみおも揺れる水面に視線を戻しながら、その指先を絡めてみる。拒まれなかったことにホッとして、指先にきゅっと力を入れると同じように握り返された。

「そんなに強う握らずとも、離しはせぬ」

「だって……怖いんだよ」

 璃卯がいてくれるのは心強くて、みおの心をいつだって温めてくれた。

 けれど、と思う。想う心は育つほどに、怖さや不安や、時に痛みも生むものらしい。それでもやっぱり、好きなものは好きなのだから仕方ない。

 ぱしゃと足で軽く水を蹴ってみる。広がる水紋の下は、底のない水が深く深く続いている。

(考えなければ、いいのかな)

 目を閉じたみおは、ただ水の冷たさと、繋いだ指先だけを感じていた。

 

 それから半月あまり。

 雨期にろくに降らずに迎えた夏は、盛りの今となっても夕立すらない。

 鳴き立てる蝉は相変わらずの姦しさだったが、いつもなら水を湛えて夏雲を映す田んぼは、申し訳程度の水たまりが点在するだけの有様になっていた。

 みおの畑もせっせと水を撒いてはいたが、このままでは収穫に漕ぎ着けるのは去年の3分の1にも満たないであろうほどに作物が弱っている。それはみおの畑だけでなく、村のどこでも同じ様子だった。

 夏はまだいい。実りがなくとも、山に入れば食べられる草も多く茂っているのだから、腹を満たすに事欠かない。問題は秋の実りだ。このままでは、村中の田畑が枯れ果てかねない。そうなれば、微々たる蓄えなどすぐに底をつき、冬を越すことすらままならないだろう。

「我はしばらくここを離れる」

 いつものように泉を訪れたみおに、璃卯は唐突にそう告げた。

「なんで!?」

「大きな声を出すな」

 岩の向こうで社を拝んでいた女が、怪訝そうな視線をこちらに向けたが、みおがそれを見遣るよりも先に、女は連れていた幼子の手をひいて、そそくさと社を後にした。

「離れるってどういうこと?」

「我は天帝に会うてくる。この地に雨を降らせるよう、願いでる」

「願いでるって、そんなこと出来るの?」

「我らが人の地にいるのは、この地を鎮護する為じゃ。手に余るものは、時にその声を天帝に届ける。叶うかどうかは、天帝の御心しだいでわからぬがの」

 ふと、璃卯が岩の向こうに視線を投げた。倣うようにみおもそちらを見ると、社の石段を数人の童達が駆けあがってきた。それにゆっくりと続く男女は、童らの両親だろうか。鳥居をくぐり、賽銭箱の前に立つと、揃って柏手を打った。

「父ちゃん、神様って居るの?」

「さぁ、いねえのかもしれないなぁ」

「ちょっとアンタ! こんなところで罰あたりなこと言うもんじゃないよ!」

 赤子を背負った女が、男の頭を軽くはたく。

「痛ってえな、おい! 罰を当てるような神さんがいるなら、大歓迎ってもんだ。居るならとっくに雨も降ってるだろうよ」

「いいからせいぜい真面目に拝んどくんだよ。このままじゃ、こっちが干からびちゃうわよ」

「違いねえ」

 もう1度柏手を打った家族は、揃って社を後にする。

 黙って見ていたみおは「勝手ばっかり」とぽつりと言った。これまで村人たちは、朽ちていく社を省みることなく、ましてや拝む者などほとんどいなかったのだ。それが、日照りが続き、いよいよ川まで干上がりそうな今になって、ようやく皆は熱心に社に通い、拝むようになった。みおが神様だったなら、こんな勝手な人たちをどうにかしてやろうだなんてきっと思わないだろう。

「放っておけばいいのに」

「それが我の役割じゃ。だいたい、放っておけば、おまえの畑も干からびるぞ?」

「それは……困るけど」

 このままでは確かに村の全部が干上がって、遠からず皆で飢えることになる。それはわかるけれど、やはりどことも知れぬ場所に彼が行ってしまうのは嫌だった。

「天帝ってどこにいるの? 遠い?」

「その泉に底がないと申したのを覚えておるか?」

「うん」

「そこは龍脈。辿った先は、天つ彼方の天帝がおわす国に繋がっておる」

 言われて、まじまじと水面を見つめる。泉は相変わらず豊かな水を湛えており、村が日照りで乾いているなど、ここに居ると忘れそうになるほどに変わりのない風情だ。

(ここが、龍脈……)

 龍脈とは龍が通る道だと聞いたことがある。それなら璃卯は、龍の神様なのだろうか。

「なんじゃ?」

 ふと、彼の掌──紫の蝶が目に映った。少し前まではみおの顔に張り付いていたそれは、璃卯の掌が当然の住処という顔で彼に寄り添っている。

「いいなぁ」

 蝶はいつでも彼の傍にある。龍脈を辿り、天帝の許に行く時ですら一緒に行くことができるのだ。

「私も蝶だったら、璃卯と一緒に天帝のところに行けるのに」

 そう言って黙り込んだみおに、眉を寄せた璃卯が歩み寄って来る。彼は手を伸べると、みおの柔らかな頬に両手を添えた。鼓動を踊らす少女の心中など知らぬ顔の童は、温度のない指先でみおの頬をつまむと、軽く左右に引っ張った。

「い、いひゃい」

「ふ、面白い顔じゃの」

 満足げに笑った彼は、すべやかな頬をひと撫でしてその手を離すと「蝶では、こんなことも出来ぬであろ」などと言って鼻を鳴らした。

「半月もあれば戻る。それまでせいぜい泉に落ちぬように気をつけよ」

「落ちたら、助けに来てくれる?」

「落ちるなと申しておるのじゃ。おまえが溺れ死ぬ前に辿り着くほどの力を使えば、もう当分は天帝の許に行くことすら叶わぬ。よいな? 泉には近づかずにおれよ?」

「うん」

「……。落ちたら迷わず呼ぶのじゃぞ?」

「大丈夫。落ちないように気をつけるから」

 みおの答えに頷いた『神様』は「ではの」と背を向け、泉に歩み寄る。

「え!? 今行くの?」

「今行ってはならぬか?」

 肩越しに振り返る璃卯は、訝るように目をすがめた。その後ろ髪を束ねるのは、みおがいつか贈った浅葱色の結い紐だ。

「う、ううん」

「行ってくる」

「うん」

 地面に踏み出すのと同じような軽やかさで、水面に踏み出して行こうとした璃卯の袖を、つい掴んでひいた。

 半月などすぐだ。そう自分に言い聞かせてみるのに、どことも知れない彼方に璃卯が行ってしまうのが不安で仕方ないのだ。

「なんじゃ?」

 思わず掴んでしまった袖を離して視線を泳がし、言い訳を見つけられなかったみおは「ごめん、なんでもない」と俯いた。

「すぐに戻る」

「うん」

 顔をあげてもう一度璃卯の顔を見たら、泣いてしまいそうな気がする。そんなことで泣けば、呆れられてしまうかもしれない。

 顔をあげられずにいるみおを、涼やかな匂いがそっと包んだ。

 抱きしめられている。

 そう気づいたのと、頭に手を添えられて、彼の肩口にきゅっと押しつけられたのとは同時だった。

「ほんの半月じゃ」

 璃卯の声が、衣ごしに直接響いた。状況を認識したみおの心臓が、全速力で駆けだす。

「では、行ってくる」

 身を離した璃卯は柔らかに微笑うと、音もたてずに水に飛び込んだ。虹色の鱗の輝きはすぐに水底へと沈んでいき、残されたのは耳元に響く拍動と蝉の声ばかりだった。




* * * *






「この役立たずが!」

 怒声と共に響いたメキという嫌な音に、みおはビクリと肩を揺すった。

 璃卯が去って7日が過ぎた。照りつける陽射しは容赦なく、川は細く辿々しい流れへと姿を変えている。それでも、泉はいつも通りに水を湛えていた。

 木漏れ日射す水面が輝いて見えないのは、その地の主が不在だからだろうか。それとも、ただみおがそれを寂しく思っているからだろうか。

 その水辺に腰を下ろした少女は、膝を抱えて顔を伏せ、ただただ泉から現れるはずの気配に注意をはらう。時折泉に水を汲みに来る人の気配にも、顔をあげることなく待ち続ける彼女の耳にその不快な音が届いたのは、暑さも盛りの昼を過ぎて少しした頃だった。

「薪の足しにでもしてくれるわ!」

「そうじゃそうじゃ! なにが村の守り神じゃ!」

「神は神でも祟り神だっ」

 慌てて立ち上がって見遣れば、数人の男たちが口々にそんなことを言いながら、賽銭箱や社の手すりに鉈や鋤を降り下ろしていた。

 元々脆くなっていた木材だ。ミシッ、メキッと悲鳴のように音をたててたやすく壊されていく。

「だめっ!」

 男たちのもとへと、弾かれたように駆け出す。

 ここは大事な社だ。璃卯の一部だ。誰かに壊させるわけにはいかない。

「やめてっ」

 現れた少女に、農具を手にした男たちが、胡乱げな目で振り向いた。

「ふん、鬼子か」

 鼻を鳴らした男は、興味を失ったように社に向き戻ると、再び鉈を降り下ろそうとする。その男の袖に飛びついたみおは「壊さないでっ」と叫んだ。

「邪魔をするな。こんな社はぶち壊して、もっと徳の高い、立派な神様をお奉りするんだからな」

「なんでそんなっ」 

「なんでだと? 祈っても祈っても雨粒ひとつ落とさん神なぞ、この村にはいらんからじゃっ」

 別の男が答えながら、男の袖にしがみつくみおの肩を乱暴につかんで引き倒した。派手に転ばされた少女の肘や頬に、痛みが走る。それでも男たちを止めなければと、夢中で身を起こした、その時。

「何をしておるかっ!」

 一喝する老人の声が響く。皆が動きを止めて、鳥居を見れば、杖をついた村長が肩で息をしながら上ってきたところだった。その後ろには、ここにいる男たちの妻らしき者たちが心配そうな顔で付き従っていた。

「社を壊すとは何事かっ」

 整えるように深く息を吐いた長は、そう言って一同をねめつけた。

 男たちの間から、チッと舌打ちが響き、互いに目配せするように視線を交わすと、先ほどみおを引き倒した男が前に進み出た。

「壊すんじゃねぇ。新しく建て直すんだ」

「ならば相応に手順がある。神主を呼んで、ここの神さんをどこかに移して、取り壊すのはそれから……」

「ここには居ねえべ」

「そうだ、ここに神なんかおるものか。そうでなければ川が干上がるほどに、雨が降らんはずがねえ」

「今のまんまじゃ乾いてくばかりだ。壊して、新しい神さんを奉ればいい」

 そうだそうだと男たちが答える。彼らを窘めにきたはずの村長も、ついてきた女たちも、困惑したように視線を泳がせるばかりで、反論する様子もない。

 溜まりかねたみおが「違うっ」と声を上げた。

「雨ならもうすぐ降る。璃……ここの神様が、今その準備をしているの。雨が降るようにお願いに行っているから、もうすぐ降るから」

 必死に言えば、途端に不気味なものを見るような視線がこちらに集まった。

「出任せを言うな」

「託宣でもするのか?」

「鬼子が託宣なぞするものか」

「そもそもこんな化けもんが、ここに通っているせいで、神さんが逃げ出したんじゃないのか」

 責めるような眼差しに気圧されながらも、ぐっと足を踏ん張ったみおは「降るよ」ともう一度口にした。

「ここを壊したら、雨は降らない。だから待って。壊さないで」

「誰が鬼子の言葉なぞ聞くものか。皆の衆、騙されるな。鬼子がここを壊すなと言うなら、きっと壊した方がよい」

「まぁ待て」

 口々に好き勝手を言う皆を制して、とつとつと杖をつく村長が、みおの前に歩み出てきた。

「確か、みおといったか」

「はい」

「顔に張り付いとった蝶は、どうした?」

 村長は、そう言ってじっとみおの双眸をのぞきこむ。

 少女は村人とほとんど関わりを持ってこなかったから、彼の人となりなどわからない。それでも、今この場で一番の発言権があるらしい老人が納得してくれれば、この社を壊さないでいてくれるのではないか。

「蝶は、ここの神様がとってくれました」

 ざわと空気が震えた。

「嘘じゃ! 鬼がいるのじゃろう!」

「娘を喰って成り代わったのだろうがっ」

「黙らっしゃいっ」

 怒声で男たちを制した村長は、再びみおに向き直ると、ふむとひとつ頷いた。

「なるほど、みお。おまえはここの神に、特別寵を受けている者らしい。ならば村の為に、神のもとへと嫁いではくれぬか?」

 嫁ぐ。それが額面通りのものではないことなど、みおにだってわかる。

 それはつまり──。

「人柱」

 誰かの呟きが耳に届く。

「村の古い記録に、雨を乞う為の記録があっての。美しい年頃の娘を泉に捧げて、社の神の花嫁にするんじゃ。おまえさんほどの器量よしなら、社の神も満足するじゃろ」

「それで雨が降るなら、一石二鳥だな」

「鬼子は、あっちの世界へ返してしまえ」

 いくつかあがる声の中に、みおの味方をしてくれるものなどひとつもない。誰もが、それは名案だと頷くばかりだ。

「そ、そんなことをしなくても、雨ならもうすぐ……」

 震え出す体を自らで抱きしめるようにしながら言いかけた言葉は、「すぐに準備にとりかかろう」という誰かの声に消されてしまう。

 ゆるく頭を振りながら、じりと後退ったみおは、踵を返して駆けだした。

「逃げたぞ!」

「捕まえろ!」

 追ってきた声はすぐに迫った。足をもつれさせた細い体にいくつもの手が伸びてきて、容赦ない力が少女を地面に縫いつける。恐怖のあまり声もあげられないみおに、否と答えるのを許さない声が降ってきた。

「村の為じゃ。村の衆の為に、花嫁になっておくれ」




* * * *






 格子から差し込む月光が、うっすらと影を落とす。陽が昇れば、また地面は熱く照らされるのだろう。

 少女は木枠の向こうに見える、満月を過ぎた月をぼんやりと見遣る。

 連れて来られたのは、村長の家の離れの小屋だった。中央に囲炉裏があるだけの室内は清潔に整ってはいたが、これといった物が置いてあるでなくひどく殺風景だった。

 がらんとした室内のその向こう、土間の引き戸の外には見張りが数名いるようで、なにごとかぼそぼそと話している気配はするが、もうその会話の内容に興味をひかれることもなかった。

 夜が明けたら、みおは『神様』に捧げられるのだ。

「馬鹿みたい」

 村人は、みおを神様に捧げるという。けれど、当の神様は見返りなどなくとも雨を降らせようと天つ彼方に出掛けているし、なにより彼自身が『花嫁』など望んではいないということを、少女は誰より知っているのだ。ならば己は、いったい何に、何の為に捧げられようとしているのか。

 態のいい厄介払いではないか。そんなことの為に殺されてなんかやらない。そう思って、昨日捕まってから幾度も脱走を試みた少女は、腕も足も傷だらけだ。

 先ほど女たちがやってきて、みおを綺麗に洗い上げていった。温んだ水がそれらの傷にひどく沁みたが、少女はただされるがままに汚れを拭われていた。

 タライの水に浸かるよう促された時、璃卯を呼んでみようかと思った。彼はタライでは駄目だと言ったけれど、もしかしたらと考えたからだ。でも、出来なかった。

 璃卯が、天帝に降雨を願った後ならばまだいい。けれど、もしもそれがまだ済んでいなかったとしたら。そして、みおの声に彼が応えて戻ってきてしまえば、雨を降らせることは叶わない。そうなれば、村人は迷わず社を壊すに違いないのだ。


『社を壊したくないのであろう?』

 幾度も逃げだそうとするみおに夕餉を持ってきた村長は、ぽつりとそう言った。

『お前さんを花嫁に捧げれば、村の衆も少しは気が収まる。今すぐ社を壊すとは言わんだろうて』

 社を壊しさえしなければ、きっともうあと数日のうちに雨が降る。必死の思いで老人に訴えたみおに向けられたのは、怪訝そうな眼差しだった。

『儂らはの、怖いんじゃ。お前が言うことは本当かもしれない。社の神が雨が降るよう努めてくれているのかもしれん。だが、みお。お前の言うそれは、本当に神なのか?』

 どれほど言葉を尽くしても、結局は信じて貰えないのだと悟った。

 あとはもう、ただ黙って項垂れるしかなかった。

『社は守ってやろう。お前が嫁いだら、7日は誰にも触れさせん。どうじゃ?』

 残酷な言葉は、ひどく優しい声音で紡がれた。

 みおが命を捧げても、社の安全は7日しか守られない。それでも。

(それなら、璃卯が言っていた半月には足りる)

 社を守ることができる。それだけが、今のみおの救いだった。


 やがて、空が白み始めた。塒から起き出した鳥の囀りが空を渡る。いつもなら起き出して身支度を調え、畑仕事を始める頃だ。でも、もうそんな朝はやってこない。

「本当の花嫁になれるなら、よかったのにね」

 枯れたと思った涙が、再びほとりとこぼれ落ちた。


 泉までは、輿で運ばれた。花嫁行列をそれらしく仕立てる為か、花嫁が逃げ出さないようにする為か。いずれにしろ、みおは逃げる気はなかったし、逃げられるはずもなかった。

 みおは生まれてこの方、袖を通すどころか見たこともないほどに上等な衣を身につけていた。真っ白なその衣装は、銀糸で様々な花の刺繍が施されている。輿を運ぶ者たちのひそやかな囁きで、これが村長の孫娘の為に仕立てられたことや、本当ならばこの花嫁の役目を負うのも村長の血縁者なのだということも知ったが、不思議と嘆きも怒りもわいてはこなかった。

(私が、璃卯を守る)

 身につけた衣装の豪華さとは裏腹に、みおの右足には麻縄が巻かれ、その先には大きな石がくくりつけられていた。さながら罪人のようだ。それでも少女の胸にあったのは、己が大切な者を守ることができるという誇らしさだった。

 輿は泉のほとりに静かに下ろされた。輿の後をついてきていた村人たちが、少女と泉とを取り囲むように並ぶと、村長が懐から恭しく巻紙を取り出し、泉の神へと雨乞いを始めた。これが終われば、みおは水に飛び込まなくてはならない。

 足にくくられた石は、泉の傍に置かれた。その横に佇みながら、いつものように澄んだ水面を見下ろせば、決めたはずの心が揺らぐ。歯の根があわないほどに震え出すのを、ぐっと奥歯を噛みしめて堪えた。

 泉に映る己は紅をひかれ、見たこともない女のようだ。美しい着物に身を包み、悲壮な眼差しをこちらに向けている。

 後ろ髪を束ねるのは、浅葱色のあの結い紐だ。支度をする女たちが髪を整えてくれようとした時も、これだけは譲らなかった。

(璃卯……)

 泉に沈めば、戻ってきた彼がきっと真っ先に見つけてくれるだろう。

 何事かと驚くだろう。もう1度、あの別れの時のように抱きしめてくれるだろうか。

 さらさらとした触り心地だった、白銀の髪を想う。この衣の刺繍糸なんかよりも、もっとずっと繊細な輝きをしていた。

 繋いだ指先を思い描く。つれない言葉とは裏腹に、いつだって優しくしっかりと繋いでくれた。

 たったひとり誰よりも大切な存在を守れるならば、もうそれだけできっといい。

「よいか? みお」

 いつのまにか口上を終えたのだろう。村長の問う声に顔をあげると、泉に集まった村人たちがじっとこちらを見つめていた。

 座り込んで念仏を唱えている老人や、なにが起こるのかわからないとばかりに指をしゃぶって首を傾げている幼子、ニヤニヤと笑う男や、哀れむような眼差し。それらを見回したみおは、彼がいつも腰掛けていた大岩を振り返った。

 いつものように足を投げ出して座る璃卯が「馬子にも衣装じゃな」と笑ってくれたらいいのに。

 こんなこと全部が、夢だったらよかったのに。

 そっと瞼を閉じて、大切な姿を思い描いた。

(璃卯。水を通して声が届くなら、あなたの声も私に届く?)

 声が、聞きたかった。もう一度、彼の「みお」と呼びかける声が聞きたかった。

「みお」

 けれど聞こえてきたのは、しわがれた老人の、早くしろと急かす声だ。 

 怖くて怖くて堪らない。でも今この社を守れるのは──璃卯を守れるのは私だけだ。

(私が、璃卯を守るの)

 そう考えると、わずかばかり心が凪ぐように感じた。

 璃卯、璃卯。伝えたい言葉がある。あなたがいたから寂しくなかった。あなたがいてくれたから、私はひとりぼっちじゃなかった。

 じりと、慣れぬ草履で足を踏み出す。

 璃卯がいてくれたから、私の心は冷えきることなどなかった。

 この次生まれるなら、人じゃないものがいい。想いを告げるのを躊躇わないで済むように。あなたの掌にもらわれた蝶のように、ずっと傍に寄り添っていられるような、そんなものに生まれてきたい。

(ううん、本当はなんでもいい。ただ、もう1度会えたらいいな)

 最後の息を吸い込んで、彼に繋がる場所へと身を投げた。









 

──璃卯?


──みおかっ?


──うん


──いかがした!? 水に落ちたか!? 


──大丈夫。水に……水に浸かっているだけ


──ひとりでか。珍しいの。村はそこまで暑いか。


──……うん。


──待っておれよ。これからようやく天帝に目通りじゃ。明日にはきっと戻れる。もうすぐ雨を降らせてやるほどにな。


──よかった。それなら間に合う。


──なんじゃ?


──ううん。……うん。待ってる。ずっとここで待ってるよ。


──もうすぐ帰る。もうすぐじゃ


──うん。璃卯、あのね……。


──なんじゃ?


──……。


──……みお?


──……だい……すき、よ





 明くる日とのこと。夜が明けても村に光が射すことはなく、頭上には真っ黒な厚い雲が蠢いていた。やがて鋭く走る稲光を合図にしたように、ザッと雨が降り出した。

 始めは歓喜に沸いた村人たちも、いつまでたってもやまぬ雨に右往左往しだした。吹きすさぶ風は獣の吠え声のようで、増えて溢れた川は龍のごとくうねって地を這い、逃げまどう人々を次々に飲み込んだ。

 夜が来て、朝が来て、再び夜が来ようともまだ嵐は収まらない。

 かろうじて丘の上の社に逃げた者たちも、お堂の屋根をもひきはがしそうな勢いの雨風に、ただ身を寄せあって震えるしかなかった。

 この社も、こんな風雨に曝されてはそうは保つまい。誰もがそんな風に思いながら身を縮ませていた、その時。薄ぼんやりと泉が光り出した。沈めた鬼子が仕返しにやってくるのではと、人々が固唾を飲んで見守るその先で、光はどんどん強くなる。

 ややして泉の中央からゆっくりと幾重にも波紋が広がり、淡く光る紫の蝶が飛び立った。誰もが呆然とそれを見つめる中、頼りないはずのちっぽけな蝶は、強風にあおられることもなく天を目指して飛んでいく。

 蝶の飛んでいったその先から雲は切れ、一筋の光が差す。それは嵐の終わりを告げる光だった。


 濁流は村を押し流し、多くの人を飲み込んだ。けれど、なぜか人柱になった少女の住んでいた家とその畑は、嵐などなかったように彼女が生きていた頃そのままに綺麗に遺されていた。

 生き残った村人は、古びた社をきれいに修繕すると、少女の為に小さな塚をたてた。

 誰が参るでなくとも、その塚にはいつも、花の咲かぬ冬すらも花が一輪手向けられていたという。


「化けて……でてくるのではなかったか?」


 呟きに答えるはずの少女は、もうどこにもいなかった。



サイトでは長編の連載も始めているのですが、完結させたオリジナル作品はこれが初めてです。

拙い作品ですが、感想や批評など頂けるととても励みになりますので、よろしければお願いします!

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[一言] 文字数の多さが全く気にならないほど素敵でした! 素直なみおがはじめての友達に心を開いていく様子も、それが高じて恋をしてしまうところも、想いを伝えることを阻む壁に悩むところも、どれも、とっ…
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