7章
キリのいいところまで載せたので、他の章より少し文字数多いかもしれません。
◇
神を呼ぶのに、儀式めいたことを思い描いていたアトンとモルスは、拍子抜けした。
ペルセウスは、屋敷を出てすぐの広い庭の一角へ行くと、一言、二言つぶやいただけで、アテナを呼んでしまった。
あまりにも簡単に現れたので、アトンは本当に目の前の女性が神なのかと、ほんの一瞬だけ思ったが、拳二つ分くらい宙に浮き、水色の衣を風に泳がせている女性の穏やかなほほ笑みを見て、疑った自分を恥じた。
マリウスは、ペルセウスが何と言ってアテナを呼びだしたのか、もちろん知っている。
それだけに、驚いている二人を見るのは微笑ましかった。
特に、神から秘密にしろといわれているわけではないが、マリウスは父よりも気心が知れているこの二人にもまだ加護がついていることを伝えてない。
「まあ、ペルセウス。お久しぶり。今度は何のご用かしら?」
アテナは、凛としつつも、優しい声でペルセウスに話かけた。
その顔は理知的で、清楚な美しさを備えており、菫色の瞳は見つめては失礼にあたるだろうが、眺めずにはいられないほど綺麗だ。
「お久しぶりでございます」
ペルセウスは武器を全て置いて、膝をついた。
マリウスたちも、それに従って膝をついた。
「すでにご存知かと思われますが、この地にメデュウサと呼ばれる、その目を見ると石になってしまうという怪物がいるようなのですが、どのように倒したらよいか、お知恵を拝借しようと思いまして、お呼びいたしました」
「そう……あら」
アテナは、ペルセウスの後ろで膝をついて頭を下げている男三人のうちの一人に目をやった。
マリウスは、深くお辞儀をした。
「はじめまして、アテナ様。私は隣国のアイカスのガレリウ国王の長男、マリウスと申します。隣二人は、私の従者です」
「まあ、そう」
アテナは大きくうなずき、マリウスに微笑みかけた。それだけで状況を判っていただけたようだ。流石だ。すぐにペルセウスが振り返った。
数秒、視線が合った。
気づいたのか。それとも、ただこちらを見ただけか……。
「それで、倒す方法を教えればよいのですね」
アテナはペルセウスに視線を戻した。
「そうです」
ペルセウスの後ろで、マリウスは意を決して声をだした。
「すみません、アテナ様」
「何かしら?」
「その、メデュウサ殿を救う方法はないかと思いまして……」
「救う? 人間に戻すということね」
「はい、その方法がございましたら、是非」
「この期に及んで、まだ言うのか貴様」
ペルセウスは振り返った。
「もし戻せるなら、もしかしたら石になってしまった人も、一緒に人間に戻れるのではないかと、考えなかったのか?」
「私が依頼されたのは、怪物退治のみだ。後のことは知らぬ」
「お前、もし自分が石になってしまっていたら、戻して欲しいと思うだろう?」
「ふん、私が石になるようなヘマをするものか」
「何だと」
ペルセウスもマリウスも、置いた剣を取りあげそうな勢いだ。
「あらあら。私を差し置いて、そこで喧嘩を始めるつもり?」
「あ、申し訳ありません」
声をかぶらせて、二人は慌てて膝をつきなおした。
「ふふ。まあいいわ。とりあえず、私からは倒す方法しか教えられないけど、それでいいかしら?」
「えっ?」
「もちろんです」
驚くのとは反対の反応のペルセウスの背を睨みながら、マリウスは唇をかんだ。
「元々、アフロディーテが下した罰だから、あの子の怒りをおさめない限りは戻すのは無理ね。しかも、まだ怒ってたしね」
「そうですか……」
そういうことであれば仕方がない。
「それで、方法なんだけど、あのメデュウサを見ながら倒すのはやはり無理なの。だから、これを貸してあげるわ」
と、アテナが手をかざして出現させたのは、銀に輝く丸い盾だった。
人の顔二つ分くらいの大きさなので、持ち歩くにもそう苦ではない。それが一つ。
「あと、これね」
次に出したのは麻袋だ。
「こっちは借り物なの。倒した後、これに入れておけばすぐに息が止まるし、視線も遮断できるわ」
「それで、どのように?」
ペルセウスは、その二つをすっかり自分の物のように受け取って聞く。
「この盾の裏が鏡になってるの。これに相手を映して、位置を確認しながら首をはねればいいわ。鏡に映るメデュウサとは視線が合っても大丈夫なの」
「なるほど。いつもながら、よい知恵をお貸しくださり、ありがとうございます」
「なんでもないことよ。それで、この役目は、もう手にしているペルセウスでいいわね?」
アテナはマリウスに同意を求めてきた。
「はあ……」
顔をあげて、気の抜けたような返事をするのみだ。
「もちろんです。このような男に、怪物は倒せませんよ」
ペルセウスは、マリウスに勝ち誇ったような目を向けてきた。
「そうね。きっちり倒す、という意思がなければ、やられてしまうものね」
マリウスはむっとしたが、アテナが言うのであれば、反論できない。
「やはり、神を侮辱する罪は大きいということだな」
ペルセウスが不遜に笑う傍らで、マリウスは青々とした草を一房つかんだ。
メデュウサだって、神を侮辱するつもりなんてなかっただろう。その言葉が神の怒りに触れる恐れがあると、小さいころから教えてこなかった親が悪いのだ。
あの絵からは、傲慢な女性に見えてこないが……。
自分が側にいれば、きっとそういう事も小さいころから教えらえたのに。
きっと、このような事態は防げただろうに。
マリウスは、ふと顔をあげた。
こんなことを考えている場合ではない。
頭を振って、メデュウサの絵姿を打ち消した。
目前では、ペルセウスが装備を整えて立ち上がり、アテナに深く頭を下げていた。
それから、マリウスたちの方を振り返った。
「では、私は怪物を探しに行く。助っ人は必要ないからな。もし逃げ出すことなく、私と怪物をみかけたら、遠くで見物しているといい」
「何だと!」
アトンとモルスが声を荒げて、ペルセウスを睨み、それからマリウスを見た。
わかっているが、顔をあげられない。
「おい、マリウス……」
アトンが声をかけてきた。ペルセウスが行ってしまっても、返事ができない。
アトンとホルスが困惑する間に、アテナは音もなくマリウスに近づいてきた。
その足元がマリウスの手に触れるくらいになって、やっと顔をあげた。
慌てて膝をなおして、お辞儀をした。
「アテナ様。ありがとうございました」
言う端から、何がありがとうなんだと自問しながらも、再度頭を深く下げ、立とうとした。
「あら。私の話は、まだ終わってないのよ」
「は……?」
「ペルセウスには、倒す方法しかないと言ったけど、本当はあるのよ。あの場で救う方法も教えたら、すごくもめそうだったから」
「あぁ……」
アテナさまならではの判断だ。
「いいかしら。とりあえず、ペルセウスに倒させなさい。その後からが肝心なの。メデュウサの頭には、沢山の蛇がいるの。色の鈍いのばかりの中に、白い蛇が一匹だけいるわ。それだけを何とか生け捕りにして飼いなさい。首を落としてからすぐでないと、その蛇は動かなくなってしまうから、早くね」
「はい……」
「そうすれば、魂は救われるわ」
「魂が、ですか……」
マリウスは息をついた。結局、そういう形で救う……いや、冥界に行くのを防ぎ、死後の罰は免除されるということだろうか。
「わかりました」
マリウスは頭を下げ、アトンとモルスもそれに続くと、アテナはわずかに微笑みながら消えた。