16章
フレアは昼間にマチネと衣装と髪型を合わせ、さきほどいつもより早めに夕食を済ませ、今は自室の窓から綺麗な星空を眺めつつ、爽やかな秋風に髪をなびかせていた。
扉が叩かれた。
マチネだろうと振り返り、呼び入れた。
開けたのは、軽装のマリウスだった。
「お兄さま……」
わずかに間が空いて、フレアが笑顔を見せた。
「どうしたの?」
「これを……」
扉を閉め、フレアに近づいてからマリウスは小さな木箱を取り出して渡した。
「まあ……これは?」
「誕生日の贈り物だ」
紅玉が銀で縁取られた、首飾りを渡した。
「まだ、一晩眠らなきゃ」
そういいつつも、フレアは笑顔をみせた。
「きれい……」
石をはめている銀の装飾も、手が込んでいる。
「明日はいろんな人がきて忙しくて渡せないだろうし、夕方には私はザウスへ行ってしまうからな」
「あぁ、そうね……」
ザウスでは、三年の間にアイカスからかなりの人が移住していた。マリウスは、定期的に見廻りと管理を兼ねていた。
「これ、明日からつけていい?」
「あぁ。だが、相手が決まったら、その男の贈るものをつけるんだぞ。それまでならいい」
「そう……」
フレアは視線を落として、首飾りを見つめた。
「そうね……。出ていかなくちゃいけないのよね……」
「いや。追い出そうという意味で言ってるのではない。いずれは結婚するだろうから、その時の話だ。お前は、この私からみても充分に成長した。知識もだが、家事までできるし。私が自慢したいくらいだ」
「マリウス……兄さま」
フレアの声がわずかに震えている。
「お兄さまから見て、私は立派な妹?」
「あぁ。誰にも引けはとらないさ」
「女としては?」
「だから、充分だと……」
マリウスの視線がとまった。フレアが落とす大粒の涙から、目が離せない。
「ごめんなさい。わかってます……」
「フレア……」
「お兄さまの望み通り、どこかへ嫁ぎます。……その後で、お父様から私のことを聞いてください」
「おまえのことを?」
意味がわからず聞き返すが、フレアは返事をしない。
しばらくして、やっと声を出した。
「少し、落ち着きたいの……。ごめんなさい。独りにして……お願い……」
フレアは首飾りを握り締めて、それだけ言ってうつむいた。
マリウスはそのまま出ていくしかなかった。
◇
マリウスは自室に戻ると、水を注いで飲み干した。
フレアが何を言いたかったのかは、もちろんわかっている。
わかっていて、無視したのは自分だ。
自分は兄として接してきた。そうでなくても、太陽のように美しく輝くフレアに、自分など相応しくない。
時々言い寄られているのはわかっていたが、明日からはそれが公にできるのだ。
それからはきっと沢山の申し込みがくるだろう。
その中から、なるべくいい相手を選んでくれればいい。
自分の感情などは抑えこめばいい。
二杯目の水を注ぎながら、ふと先ほどのフレアの言葉を思い出した。
そういえば、父に何を聞けというのだろう。
「父上。今よろしいですか?」
マリウスは居ても立ってもいられず、すぐ父を訪れた。
「あぁ。何だ?」
ガレリウは書類整理をしていたようだ。手をとめて、振り返った。
「フレアのことですが……」
「あぁ。何だ? 明日の誕生祝いのことか?」
「いえ。さっき、フレアが自分のことを父上に聞くように言うので、どういうことかと思いまして」
「フレアのことを聞けと?」
「はい。何かあるのですか?」
父の浮かない表情に、マリウスの眉間が寄る。
「そうか……」
ガレリウが言い渋っているのが、マリウスにはやきもきしてならない。
「父上!」
「あ、あぁ……」
せかす言葉に、ガレリウは椅子から立ち、部屋の隅にあった木箱から沢山の皮紙を取り出した。
「これは?」
「すべてフレア宛の、求婚申し込みだ」
「こんなに沢山。もう来てるのですか?」
「まあ……な。これはフレアがここへ来てから今までの分だ」
「ずっと前のも? 隠してあったのですか?」
「お前にな。フレアには全て見せてある」
「私に?」
いぶかるマリウスに、ガレリウは手紙を渡した。
「フレアがお前のことをどう想っておるかは、わかっておるな?」
遠慮ない父の質問に、マリウスはうなずくしかなかった。
「フレアはこの求婚をすべて断っておる」
「……それなら、明日からでも……」
「お前はそれでいいのだな?」
「何も、私に了承を得なくても」
「お前の気持ちに聞いておる。他の男と一緒になってもかまわぬのだな?」
「父上。私は兄として……」
「別に血はつながっておらぬ。それに当初は見合いの相手であったではないか」
「今更……。それにあれだけ美しくなれば、私などでは……」
マリウスは手元の手紙の束に目を落とした。
「お前の気持ちはそこまでだな。よい、わかった。明日は普通に式典を行う」
「普通に?」
「皆からの求婚を受けつけ、そこから選ぶということだ。フレアの想う相手とは、違ってしまうがな」
ガレリウの言葉の端に、皮肉を感じる。普通でなければ何なんだ。聞きたいが、聞けない。
マリウスはしばらくの間机の上の皮紙を凝視していたが、やがて目を瞑ってから答えた。
「父上。……申し訳ありませんが失礼させていただきます」
ガレリウは何も言わなかった。
マリウスが静かに扉を閉めて出てゆくのを、厳しい目で見ていた。