9章
◇
倒れた身体の近くで、メデュウサの首は大量の鮮血を草に流している。
マリウスは、唇を噛んで目を伏せた。
アトンとホルスは、落ちた首の視線がこちらを向いているかも知れないので、やはり下を向いたままで動かない。
ペルセウスはうつぶせに転がっているその頭に手を伸ばした。
「っ!」
首を切られても、頭でうごめく蛇たちはまだ元気で、数匹がペルセウスの指を噛んだ。
「こいつら、飾りでもなさそうだな」
噛まれた手をふって、剣で蛇を切ってしまおうと構えた時、マリウスが声をかけてきた。
「そんなことするより、袋に入れてしまえばいいだろう。顔の下を持てば、噛まれなくて済むと思うが」
言いつつ、マリウスが早足でペルセウスに近づいてきた。
「首が落ちてからでないと近づけないとはな。まあ、加勢にこられても、邪魔になるだけだったから、見物してただけなのは賢明な判断だったと思うが」
「そうだな……」
ペルセウスの挑発じみた言葉に、マリウスは乗ってこない。
ペルセウスは、口端を上げ、首を下からもちあげ、アテナから渡された袋から白い布をとりだすと、メデュウサの後頭をみながら目隠しをし、袋に入れた。
その手が噛まれた傷で血まみれになっているが、このくらいは怪我に入らない。
すぐに袋の口を縛ろうとした瞬間、中から白い蛇が一匹、するりと出てきて、ペルセウスの手を逃れ、地を這って、アトンたちのいる方へ逃げてしまった。
ペルセウスは、一匹逃げてしまったのは全く気にならないようだ。
マリウスは、咄嗟に目配せした。
二人はうなずくと、逃げた白蛇をつかまえにかかった。
マリウスは胸をなでおろした。ここで蛇が逃げてくれなかったら、マリウスは白蛇だけ獲得するために、麻袋を預かるなどと言って、ペルセウスに無理に話かけないといけなかったからだ。
ペルセウスは、マリウスにわずかに視線をよこしてから、アテナを呼ぶ祈りの言葉を小さな声で唱えだした。
唱えはじめてすぐ、マリウスは振り返ってアトンたちをみた。
アトンたちが、捕まえたという合図を送ってきた。ほっと胸をなでおろし、そちらに行こうかとした時、アテナが出現したので二人をこちらに呼ぶために手招きした。
「まあ、早かったわね。ご苦労様」
「お褒めにあずかり、光栄です」
ペルセウスが膝をついた。
駆けつけた二人をふくめ、マリウスたちもその後ろで膝をついて、頭を下げた。
そこで、マリウスはアトンからそっとそでをつつかれ、手をさしだしてきた。
見ると、それは小さな白い蛇だった。その小ささは、可愛らしいも思えるほどだ。
両手に収まるくらいのそれは、少し弱っているようで、あまりうごかない。
マリウスは丁寧にうけとり、腰の袋にそっと入れた。
しばらくの間もつだろうか。少々心配だ。
「それで、この首は引き取っていただけるのでしょうか。それとも、そこらに捨て置いてよろしいのでしょうか?」
聞いた瞬間から、マリウスは自分がどのように動いたのかは、覚えていない。
ただ、気がつくと、アトンとホルスに腕をつかまれていて、両手は草をつかんでいた。
ペルセウスは、立ちあがって腕を組んでマリウスを見下ろしていた。
しばらくして、アテナの声がきこえてきた。
「あら。これはちゃんと使い途があるのよ。その袋と、貸した盾をこちらへ」
アテナが美しい手をペルセウスに差し出した。
「あ、はい」
ペルセウスが渡すと、アテナは袋から首をだした。
「この目の効果は、主の命がなくなっても永久だから、見ては駄目よ」
そう注意し、アテナはメデュウサの顔を盾の鏡の部分に映し、目隠しの布をほどいた。
その首は、瞬時に石化した。
「ひょっとして、最初からそうやってメデュウサが鏡で自分を見るように仕向けていればよかったのかも……」
ペルセウスが自分の戦いを振り返るようにつぶやいた。
「いや、それは駄目だったはずだ」
マリウスは短く否定した。
「なぜ、そうおもったのかしら?」
アテナが優しく促した。
マリウスは少し進み出て、膝をつきなおした。
「はい。彼女は、何度かその盾に映る自分の顔や目を見たはずです。それでも、石になることはなかった」
横で離れていたからこそ、観察できたことだった。
「そう。その通りだわ。命がなくなった今だからこそ、石になったのよ。それでも効力がが強すぎて、石化をなくすことはできないの」
「そうか……」
ペルセウスも納得したようだ。
アテナの作業は、尚も続く。
石になった首と盾とを持つと、やわらかな土に石を埋めるように、なんなく盾にその首をくみこませた。
そこにいた四人ともが、目を疑った。
盾の鏡だった部分に、メデュウサの顔がレリーフ状に浮かびあがっている。
それから、アテナは盾をひっくりかえして、何の模様もない表面を見せながらペルセウスに手渡した。
「さあ、これをもちなさい。貴方はこの先これを使うことがあるはずです」
「はい、ありがとうございます……」
ペルセウスは、恭しくそれを受け取った。
「貴方なら、悪用はしないと思います。それから自身もうっかり裏面の目を見てしまうことのないように、普段は目だけを何かで隠しておくことをお薦めします」
「はい、そう致します。お気遣いありがとうございます」
ペルセウスは再度頭を下げた。
「では、これで用は終わりましたね?」
「そうですね。では、私は西へ向かいます」
ペルセウスが別れの挨拶を切りだした時、館の方から人が近づいてきた。
深緑のローブを頭から被った、セレトンだ。




