聖王騎士の朝
早朝、隣人が飼っている鶏の鳴き声で俺――緒方清二郎――は目が覚めた。昨日飲みすぎたせいで頭が痛い。鶏の甲高い声は大いに俺の頭痛に貢献してくれた。
「くそっ・・・薬、貰ってくるか」
この世界の一般的な酒は薬の耐性が強い奴でも酔えるように出来ている為、それ専用の解毒薬でなければ二日酔いを治すことはできない。他世界の酒に比べると少々厄介な酒だ。
だが解毒薬さえ飲めば酔いを一瞬で覚ますことが出来ることから愛好家は意外と多い。俺もその中の一人だ。そして愛好家達の例に漏れず、俺もたらふく飲んだ次の日には毎度薬をもらいに行く。
朝食を作るのも億劫だったので城の食堂で食えば良いかと――二日酔いの時は常にこうだ―制服を着て部屋を出た。
朝日が眼に痛いほど輝く中、大通りはすでに人で賑わっていた。焼きたてのパンの匂いが漂ってきたと思えば、魚の生臭い匂いが鼻を突く。売り子の声は鶏の声ほどではないが、俺の頭にダメージを与えた。
朝市の客は人間と昼型の獣人がほとんどだ。時々エルフも眼の端に映る。
コーヒーを露店で買った俺は完璧にこの朝市の一部になっていた。移転で城まで行ってもいいが、なんとなくこの空気が好きで途中防音魔法を使ったものの、俺はのんびりと登城した。
城は大まかに言えば正方形の形をしている。俺が必要としている薬と食堂があるのは西側に門がある観測者の領域だ。
流石に俺がいる聖王の領域である南側の門からそこまで歩く気はないので移転で一気に飛んだ。
朝と言うこともあり、門の前は閑散としている。他世界からこの世界に来た俺にとって門番がいないということは驚きだ。俺の故郷ではどこの国の城でも、いや、金があれば貴族だって門番を置いていたからだ。
しかし人間は環境に適応していく生き物だ。ある程度の月日が経てば慣れてしまう。俺も人間の例から洩れず、半年経つ頃には違和感も覚え無くなっていた。
「だが、これはないだろう」
この国で暮らしを始めて5年経つので他世界では体験できない色々な事に慣れた。
だが、門が無くなっていれば流石に驚く。ここの城には外壁がないので、門が破壊されると中が丸見えになってしまう。実際、通路に敷かれた真紅の絨毯が大理石の破片と土で汚れていた。
敵襲……などと言うことはあり得ないので、恐らくどこかの馬鹿が馬鹿をやったのだろう。俺はひとつため息を吐くと、その惨状を横目に中に入った。この程度のことで一々騒がないのはこの世界では常識だ。一々騒いでいたらそれだけで1日が終わってしまう。それに、これが何時起こったことかは知らないが遅くとも今日の午後までには元通りになっているだろう。
中央階段を上がって少し行ったところに医務室がある。
観測者はこの世界で誰よりも群を抜いて知識が深い。それは他王にも追随が出来ないほどだ。観測者は世界中の文化を記憶・管理することが仕事なので必然とそうなったのだろう。
結果、医療知識も観測者が一番詳しい事になり、10年前から医療に関することはどの王の民など関係なく全て観測者の管轄となった。
これを知った時、俺は門番有無以上の衝撃を受けた。管轄を許すと言うことは権利を引き渡すのと同義だ。それは依存となり敵対した際に大きな障害となる。
しかし同じ城に集まって暮らしている事や、気軽にお互いの領域を行き来していることから王同士の仲の良さが窺えた。それに何より、この世界が出来て5000年以上は経っているにも関わらず、一度も戦争が起こっていないことが何よりの証拠だろう。
ただ、観測者だけは他王と違い『2代目』であり、就任からも16年しか経っていない。聖王の実の子、竜王の義理の娘、魔王の番という関係性が時間の差を埋めているのだろう。
「おはようございます」
医務室と書かれた看板が釣られた細かい装飾のある木製の扉を挨拶と共に開けた。ここの看護師は挨拶だけには厳しい。一度無言で扉を開けたことがあったが、治療が終わった後に一時間近く正座で説教をされた。
「あら、緒方さん。おはようございます。今日も二日酔いですか?」
ここの常任看護師であり、受付嬢のミリアンナが俺を見てそう言った。俺が朝ここに来る時は二日酔いの時しかないため、そう言いながらもすでに解毒薬を出している。
「ああ、貰って行く」
薬を受け取ろうと手を伸ばすと、薬に手が触れる前にミリアンナに手首を掴まれた。
ミリアンナはかなりの美少女だ。身長は俺の肩辺りまでしかなく、柔らかそうな栗色の髪がふんわりと彼女の顔を覆っている。大きな亜麻色の瞳で甘く見つめられたなら、どんな男でも彼女の頼みを聞いてしまうだろう。
そんな彼女がどこから取り出したのか、櫛と真紅のリボンを片手に持って目をギラギラさせながら俺に声を低くして言った。
「その前にその頭をなんとかなさい?」
「・・・はい」
医務室の花、ミリアンナ。子供を八人も産んだ母親である。一番上の息子に会ったことがあるが、どう見ても30過ぎのオッサンだった。
どんな猛者であろうとも彼女からすれば皆子供。渾名は『姐さん』である。
***
ミリアンナにつけられそうになったリボンを何とか拒否し、俺は黒ゴムで背中の中ほどまである黒に近いこげ茶色の髪をひとつに束ねた。
観測者は医療に関することは全て無料としている。薬代も掛からない。
だがここを利用した奴は、大体これぐらいでは? という勘で料金を払っていくのが暗黙の了解だ。俺も払った。なぜ無料なのにそんなことをするかと言うと、それにはここの恐ろしいポイント制が関わっている。
俺がこの世界に来て3か月ほど経った頃、その悲劇は訪れた。俺が10回目の解毒薬を貰いにいった翌日、上司経由で医務室からのメッセージカードを受け取った。そこには「マンドラゴンの根・500グラム、幡千華の茎・1キロ、一週間以内」と書かれていた。意味が分からず上司に聞くと、医務室には使用ポイントというものがあり、それがたまるとこのようにお使いを頼まれるようになっているらしい。
当時の俺は、まぁ、医療なんていう金のかかるものがお使い程度で済むなら軽いものだよな、とタカを括っていた。そして書庫でそれらがどこに生えている植物なのかを知り、このお使いの恐ろしさを理解したのである。
まず、これらの植物はこの世界に存在していなかった。どちらも異世界の物だ。しかも別々の。これはまだ良い。探索魔法を使えば大まかな絞り込みは可能だからだ。問題はこれらの植物が群生していないことと上級魔獣の住処にしかないことだった。
あの後、正確な数は覚えていないが俺は少なくとも30回以上はトリップを繰り返し、期限ぎりぎりにお使いを終えることが出来た。
あのメッセージカードは発行されたら最後、拒否権はない。その為ポイントをためない唯一の方法である勘による代金支払いをするのだ。代金がいくらなのかミリアンナや医者達は絶対に教えてくれないし、代金が少ないとポイントが加算されてしまうので何時もそれなりの額を払うようにしている。
あの後から俺は一度もメッセージカードを貰ったことはない。だから足りないという事はないのだろうが、いくら無駄に払っているのか地味に気になるところだ。
上司曰く、絶対に出来ることしか頼まれないらしいが(子供の場合、普通に市場でお使いだそうだ)若いからと言って観測者を舐めてはいけないと俺は思った。
***
医務室と同じ階にある食堂を観測者は一般にも使用可能としている。ここの料理はありとあらゆる世界の物が出される。安くて旨い、その上珍しいと言うことで常に大盛況だ。料理の内容は一週間ごとに一掃されるようになっていて、好評だったものは町のレストランにレシピを販売したり、本を出して利益を出している。
俺は10種類あるメニューの中から『パルパ鳥のサンドイッチ』を選んだ。昨日の昼に食べた『坦々麺』が旨かったので、また頼もうかとも思ったが朝からは重すぎるのでやめた。
「セイ! おはようさん」
俺がカウンターで料理が出てくるのを待っていると、同僚のクルド=シャルイードが声をかけてきた。
「ああ、おはよう」
クルドは竜の獣人、竜人だ。金髪碧眼で甘いマスクを持っている上に竜人の特徴である温厚さと一途さから多くのファンがいる。夢見がちな女が見たら「王子様!」と叫ぶかもしれない。見た目が20代後半なのに口調が少々オヤジ臭いが、実年齢は1000歳を軽く超えているらしいので仕方ないだろう。
「ん? セイ、お前また二日酔いか?」
薬は水なしで飲めるものなので医務室を出て直ぐに飲んだが、鼻のいい竜人にはわずかに残る残り香で分かったらしい。からかうような声色なのに表情は爽やかな微笑にしか見えない。
本人曰く、ニヒルに笑っているつもりらしい。クルドのおかげで美形にも出来ないことがあるのだと知った。
「ああ、飲みすぎた」
「たったあれっぽっちで二日酔いたぁ、お前は本当に酒に弱いな。ところで何を注文したんだ?」
「クルドが強すぎるんだ。俺が弱いわけじゃない。パルパ鳥のサンドイッチだ」
俺が言い終わるのとほぼ同時に料理が出てきた。出された『パルパ鳥のサンドイッチ』は固めのパンに俺の掌ほどもある肉の塊が大量の野菜と共に挟まれているものだった。それも2個。
「…ひとつ食べないか?」
「セイは胃も弱いんだな」
いくらなんでもこの量は食べられないとクルドに進めると、ため息交じりにそう言い、ほんの3口でそれを食べきった。
大口で食べているはずなのに優雅な食事風景に見えるのだから美形とはつくづく得な生き物だ。
その後、『パルパ鳥のサンドイッチ』を2個と『坦々麺』を3杯、『角煮定食』4セットを注文したクルドと共に朝食を済ませた。
朝食を食べ終わった後は、魔術を使えないクルドを一緒に移転させて聖王の領域にある俺たちの仕事場まで移動した。机の上には大量の書類が山となって乗っている。
俺もクルドも騎士なんていう職業に就いているが、週に1回か2回、聖王が起こす問題に駆り出される以外はほとんど書類仕事だ。
思わず現実逃避のように窓の向こうに目をやると、青い空の中を巨鳥やグリフィン、ドラゴンが飛んでいるのが見える。小鳥などと言う可愛らしいものが一切いないが、いつも通りの平和な光景に何とも言えない充足感を覚え、俺は仕事を始めた。