手編みのセーター①
まだ学生だった頃、妻は私に手編みのセーターを贈ってくれた。
それは毛糸で編まれた服ではなく、二人で過ごした時間そのものだった。
妻と付き合って二度目の冬が来ようとしていた頃のことだ。
ある日、彼女が言った。
「yuちゃん、あたし編み物得意なんよ。セーター編んであげようか?」
「うん!」
僕は即答した。
手編みのマフラーやセーターを恋人から贈られることを、「重い」と感じる男もいるらしい。けれど、その時の僕は違った。
ただ、嬉しかった。
当時の僕は、「Rupert」というブランドの服が大好きだった。少し古い時代のヨーロッパを思わせるようなデザインで、どこか背伸びをしたような気分になれる服だった。
ある日、その店の店員さんに言われた。
「大西厚樹さんのセーターブックが出たよ。彼女に編んでもらいなよ。」
その言葉が、ずっと頭の片隅に残っていた。
だから彼女から「編んであげようか」と言われた時、僕は飛び上がりたいほど嬉しかったのだ。
その週末、僕たちは本屋へ向かった。
手芸コーナーの棚を探すと、目当ての本はすぐに見つかった。
『大西厚樹のセーターブック』
僕には宝物のように見えた。
ページをめくるたびに、見慣れたセーターが並んでいる。店で何度も眺めたデザインが、毛糸と編み針で再現できるようになっていた。
本を買い、僕たちはアパートへ戻った。
こたつに並んで座り、一ページずつ眺めていく。
「これがいいかな。」
「いや、こっちもいい。」
そんなことを言いながら、何度もページを行ったり来たりした。
そして最後に選んだのは、厚手のケーブル編みのタートルネックだった。
「これ、かっこいいね。」
彼女が微笑む。
「編むの大変そうやけどね。」
そう言いながらも、彼女はどこか楽しそうだった。
僕は完成した姿を想像していた。
けれど今思えば、あの時本当に嬉しかったのは、セーターそのものではなかったのかもしれない。
本を広げて肩を寄せ合い、
どのデザインにするか真剣に悩んでいた、
あの冬の午後だったのだ。
人はいつかいなくなるし、物もいつか失われる。
それでも、愛された記憶だけは、不思議と消えないものである。




