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第四話

[System Event: Process_04/Acoustic_Abstraction]Deconstructing vocal frequencies into intent-driven metadata.Filtering tonal inflections (Emotions) as redundant artifacts.Audio-Visual Synchronization: Real-time status-tagging initiated."Translation complete. Silence the voice, listen to the data."




 オフィスは、音の墓場だ。キーボードを叩く無機質な打鍵音、遠くで鳴り続ける電話のベル、そして何より——同僚たちの声という名の雑音。


「部長、例の件ですが……。」

「昨日のドラマ、見た?」

「申し訳ございません、すぐに確認いたします!」


 それらは空気の振動となって僕の鼓動を乱し、思考の糸を無遠慮に断ち切っていく。32歳。中間管理職的な立ち位置に片足を入れた僕の耳には、部下の言い訳や上司の叱責が、単なる音以上の、どろりとした感情の重みを伴って流れ込んでくる。

 声の震え、語気の荒さ、ため息に混じった失望。 耳を塞いでも、その意味と情緒が脳の裏側に直接へばりついて離れない。


「静かにしてくれ……。」


 僕は耳の奥に走る微かな痛みを堪え、デスクに突っ伏した。 僕が知りたいのは、彼らが何を感じているか、ではない。その発言の中に含まれる決定事項や数値データだけだ。それ以外の謝罪のニュアンスや世間話の温度感なんてものは、僕の処理能力を浪費させるだけのデッドコピーに過ぎない。

 ふと顔を上げると、営業部の若手が電話口で必死に頭を下げているのが見えた。 彼の必死な声が、僕の聴覚を震わせる。その必死さという情報が、僕の脳内で余計な共感や不快感を引き起こす。

 耳を貸せば、心を削られる。 意味を理解しようとすれば、時間を奪われる。視界の端で、進捗バーが40%を指して激しく点滅している。 今、この瞬間も世界は無駄な音に溢れ、僕の平穏を脅かしている。


 ――いっそ、すべての声を、ただの文字にしてくれないか。 感情という不純物を濾過して、純粋な情報だけを、僕に。

 僕は、耳元のデバイスを軽く叩いた。




[System Event: Process_04/Acoustic_Abstraction]




「…………」


 静寂。いや、それは無音とは少し違った。 全ての音が、僕の脳に届く直前で、冷徹な一列のテキストへと変換されたのだ。

 目の前で若手社員が何かを喚いている。必死な形相で、口を大きく動かしている。 以前なら、その怒鳴り声に僕の鼓動は早まり、胃の奥がキリキリと痛んだはずだった。

 だが今、僕の耳に届くのは、感情の乗らない合成音声のような平坦な響きだけ。 それと同時に、僕の視界には彼の頭上に浮かぶタグが表示されていた。


[Object: Subordinate / Type: Human]

[Audio Status: Apologizing / Error-report]

[Core Content: "I missed the deadline because of a server error."]

[Emotional Noise: 98% Filtered]


「……わかった。次は修正してくれ。」


 僕の声は、自分でも驚くほど低く、安定していた。 彼の声に含まれていたはずの恐怖も言い訳も、システムが全て不純物として捨て去ってくれた。僕が受け取ったのは、ただの締め切りに遅れた。というログだけだ。

 なんて、快適なんだろう。オフィスを見渡すと、そこは巨大なデータベースへと変貌していた。 同僚たちの会話は、空間に浮かぶ半透明のメッセージボックスとなって流れ、喧騒という名のカオスは、理路整然とした情報の流れへと再構築されている。


Progress: [■■■■□□□□□□] 40%


「愛とは、理解のことだ。」


 ふと、そんなフレーズが脳裏をよぎる。 他人の感情に振り回され、その本当の意味を探るために心身を削っていた32年間の時間は、なんて無駄だったのか。 今、僕は誰よりも正しく他人の発言を理解している。感情という霧を晴らし、その奥にある論理だけを掴み取っているのだ。

 世界は、かつてないほどに静かで、秩序立っていた。 人々の顔は、もはや記号に過ぎない。 僕を悩ませていた人間の生々しさは、今や完璧に制御されたパラメータへと成り下がった。


「……次は、これか」


 視界の端で、いよいよ最後の大工事が始まろうとしていた。 40%で止まっていたプログレスバーが、まるで意志を持っているかのように、赤く、激しく点滅し始める。




[Update Success: Hearing & Tagging]

 



Result: Vocal resonance replaced by intent-strings. Emotional noise 100% filtered.

Visual: Metadata overlay active. Every person is now a 'Label'.

Log: "The screaming stopped. Only the data remains. Silence is the most efficient language."

Next Phase: FINAL INTEGRATION... WARNING.Progress: [■■■■□□□□□□] 40%

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