君の隣にいるためならば
銀狼の背に揺られ、冬の大地を走る冷たい風を切る。アシュリーは緊張を忘れて目を輝かせていた。
「……こんなに広い大地をこのスピードで走れるなんて……!この子とじゃなきゃ、できませんね!」
無邪気に笑いかけるアシュリーにマルクスは後ろから支えながらその顔を見つめた。
「……最初に私が惹かれたのは、君の聡明さと努力家なところだったんだ。十万回も魔法を練習するような、その真面目さに」
「っ……」
不意の言葉に、アシュリーは驚く。
「けれど……気づけば、違うものにも心を奪われていた」
彼の声は後ろから温かく包み込む。
「本を抱えて夢中になる横顔。失敗してもまた立ち上がる強さ。無自覚に笑う顔の幼さ。首を傾げて微笑む仕草。……どれもとても愛おしくて…私は女性としての君から目を離せなくなった…」
胸がどくん、と脈打つ。
風よりも強く鼓動の音が響いている気がした。
「……わ、私……」
言葉を探すが出てこない。
マルクスは微笑み、銀狼に合図をするとゆるやかに走らせた。
「今はまだ答えないで…ただ覚えていてほしい。私は君を、一人の女性として見ているということを」
その後ずっとアシュリーはぼんやりとしていて、城に戻ったのに動かないアシュリーに銀狼が「くぅん」と鳴いた声でようやく我に帰った。
◆
その日の夜ーー
辺境伯城の大広間には兵や騎士、侍女や家臣たちが集められていた。
煌々と灯る松明の下、マルクスが中心に立つ。
その隣には緊張するアシュリーの姿。
「――諸君。聞いてくれ」
よく通るテノールが温かい空気を震わせる。
「私は、此処にいるアシュリーを花嫁に迎えたいと思っている。彼女は、ただの公爵令嬢ではない。
努力を惜しまず、誠実で、聡明で――そして王都で育ったというのに、この辺境を誰よりも愛してくれている、彼女と出会えたことは生涯最も幸運なことだった」
ざわめきと感嘆が広がる。
マルクスはその場で片膝を折り、アシュリーの前に跪いた。灰銀の瞳はただ真っ直ぐに彼女を映す。
「だが……私は不安なのだ」
広間が静まり返る。
「アシュリーは辺境伯だからこそ、私を選んでくれたのではないか、と…。
実は、王からの命で私は王太子代行を命じられた。第二王子が12歳と幼く、少なくとも3年は王都と行ったり来たりとなる。
もし、アシュリーが…辺境伯としての私であるからこそ私を選んでくれたのだとしたら。王太子妃として生きることを望まないなら――私はこの辺境を、独立国家にしても、構わないと思っている!だからーー」
息を呑む音が重なった。
だが――
「ち、ちがいます!」
アシュリーの声が突然彼の言葉を遮った。
瞳が潤み、頬は真っ赤に染まっている。
「私は……マルクス様がいる場所なら、どこでもいいんです!いえ、辺境は大好きです。でも王都にいても、マルクス様の隣にいたい……」
そこまで言って、ふとアシュリーは自分の言葉に戸惑いつつ、真顔で言った。
「あ、あれ…これって……私、マルクス様のこと……大好き、みたいです」
広間が一瞬、凍りつく。
「えっ……」と誰かが呟き、兵や侍女たちが驚きに目を見開く。今更、と聞こえた気がした。
マルクスの瞳が大きく揺れる。
そして、震える声で言葉を紡ぐ。
「……アシュリー。アシュリー、アシュリーどうか――どうか、私と結婚してくれないか」
差し出された手は少し震え、熱を帯びていた。
アシュリーの瞳からはぼろぼろとたくさんの大粒の涙が溢れ出す。
けれど彼女はにっこりと笑った。あの学園最後の夜、辺境へ行くことを命じられた時と同じように。
「……はいっ……!」
涙で掠れた小さな小さな声で。
でも、ぶんぶんと大きく頷いた。
次の瞬間、広間は大きな拍手と歓声に包まれた。兵たちは歌を歌い、侍女たちは手を取り合って涙を浮かべ、家臣たちは声をそろえて祝福を送った。その光景に急に大泣きしたケイトをイゴールが抱き寄せている。
皆が、それぞれ孤独だった二人がようやく結ばれたことを、分かっていた。
マルクスは立ち上がり、アシュリーを強く抱きしめた。少し掠れた涙声が耳元に落ちる。
「……ありがとう、ありがとう、アシュリー。君を一生、大切にするから…」
彼女は泣き笑いしながらその胸に顔を埋め、何度も何度も頷いた。
――こうして二人の婚約は、辺境の人々に見守られながら、誰もが祝福する形で結ばれたのだった。




