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銀狼閣下は花嫁に翻弄される

 辺境に戻ってからの日々。

 けれど、マルクスの様子がどこかぎこちなく見える。


 話しかければいつも通り優しく答えてくれる。

 抱き寄せてくれる腕も変わらず温かい。

 それなのに――ほんの一瞬、彼の瞳が遠くを見ているようで、胸の奥がざわついた。


(……私、なにかしてしまった…?それとも悩んでる…?)


 その夜。眠れずに天蓋を見つめていたアシュリーは、思わずケイトの部屋を訪れた。



「……アシュリー様が悩んでいるのを見るのは初めてです」

 ケイトは寝間着姿のまま椅子に腰かけ、真剣に話を聞いてくれた。


「マルクス様が……なんていうか、悩んでいる…気がして……」


「……何事も、本人に聞いてみないと分からないものですよ」

 ケイトはあっさりと言う。


「私たち女性は、つい相手の気持ちを推し量ろうとして不安になるものです。でも、アシュリー様はまっすぐでいらっしゃる。だから大丈夫ですよ。そのまま伝えてみてください」


「……伝えて……」

 胸の奥が強く脈打つ。

(……前世ではおざなりにした人間関係…私は、苦手でも向き合わなきゃいけない)



 翌朝。

 勇気を振り絞り、アシュリーは執務室にいるマルクスを訪ねた。


「……マルクス様」


 彼が立ち上がり顔を上げる。

 アシュリーは自分からマルクスにふらふらと近寄って行った。マルクスも少し驚き、落ち着かせるようにアシュリーの肩に手を置いた。

 アシュリーはマルクスの灰銀の瞳に見つめられると、喉がからからに渇くように感じた。


「……あ、あの……っ」

 掠れる声で、言葉を探して迷う。しかしその直後、堰を切ったように感情が溢れた。


「私……ほんとは、前世では35歳だったんです! 普通の会社で経理ばかりやって……数字と書類と仕事だけの人生で……恋もしたこともなくて!人と全然関わってなくて…気づいたら過労で倒れて……それなのに、次に目を開けたら、公爵家の娘で。自分でもよくわからないんです……!」


 マルクスが瞬きをする。

 けれどアシュリーは止まらなかった。


「だから、だから、初めてマルクス様にお会いしたとき……世界が変わったんです。

 私なんか前世からずっと成果以外で褒められることなんてなかったのに、“君には君の良さがある”って言ってくださって。あの時から、ずっと……」


 胸をぎゅっと握りしめる。


「私は本当に何もできないんです!お洒落も、愛される振る舞いも知らなくて……頭も良くなくて…!ただ、努力することだけは昔から得意で。だから魔法も王太子妃教育も必死に勉強して練習して……でも、それもまだまだ自信なんてなくて……」


 涙声が混じる。


「……ううん、違う、だから、えっと、マルクス様。どうか……私に頼ってください。私は、何も出来ないけど、努力だけは出来るから…!なんでもします……ぜったいに、マルクス様の力になりたいんです……!

 憧れとか、尊敬とか、それだけじゃなくて……本当に……」


 わぁわぁと混乱しながら必死に紡ぐ言葉に、マルクスの胸に鋭い衝動が走った。


「……アシュリー」


 名を呼ぶと同時に、彼は思わず彼女を抱き寄せ、その唇を塞いでいた。


 ――甘く、深く。

 しかし、一瞬で我に返る。


「っ……すまない」

 マルクスは慌てて彼女を離した。

「こんなつもりじゃなかった!君を追い詰めるつもりは……」


 狼狽した声が彼にしては珍しく揺れていた。


 だがアシュリーは唇に指先で触れ、真っ赤に染まった頬のままかすかに笑んだ。

「……だ、大丈夫です……!」


 その声音は、少し震えて、けれど確かに嬉しそうだった。耳まで赤くしながらも、真っ直ぐな瞳でマルクスを上目遣いで見上げる。


 マルクスの心臓が激しく跳ねる。

(……この子は……無邪気すぎて……)


 彼は思わず額に手を当て、深く息を吐いた。

「……いけないな。理性を試されている気分だ」


 そして苦笑を浮かべ、優しく彼女の髪を撫でた。

「……お互い、少し落ち着こうか。そうだ、遠乗りに出かけよう、銀狼に乗って。

 冷たい風に当たれば、きっと気持ちも少しは落ち着く」


 自分自身に言い聞かせるように言った後、差し出された手はどこか熱を帯びていた。

 アシュリーはその手を取ると、嬉しそうに小さく頷いた。

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