空の上でも熱い頬はなんのせい?
王城からの呼び出しが届いたのは、まだ朝靄の残る時間だった。
国王の紋章を表す封蝋にマルクスが眉に深く皺を寄せ、ため息をつきながら読んでいた。隣で見守っていたアシュリーは個人情報の観点から大きく横を向いている。
「……アシュリー、国王からの呼び出しで王都へ赴かねばならない。君も一緒に来てくれないかな…」
灰銀の瞳が、強い光を宿して彼女を射抜く。
「……えっ、私も……ですか?でも私はまだ婚約者で……」
驚いて目を丸くするアシュリーに、マルクスは一歩近づいた。
「私は――君と共に行きたいんだ」
低く落ち着いた声。だがそこに迷いは一つもなかった。
「王都は何かと騒がしいし、あまり好きじゃなくてね…。でも、誰が何を言おうと、私は堂々と“私の妻”を隣に連れていきたい。
……それに君がいれば、私の心が休まるから」
その真っ直ぐな言葉に、アシュリーは胸が熱くなる。返事をしようとしても喉が詰まって声が出ない。
(こんなことなら前世でもう少し人間関係を学ぶべきでした…学べるものなら…)
アシュリーが大きくぶんぶんと頷くと、マルクスは満足そうに微笑んだ。
◆
城の前庭に出ると、一頭の巨大な竜が待っていた。銀色の鱗が黄金の朝日に反射し、まるで星々のように煌めく。
竜の傍らには騎士団長イゴールと侍女ケイトの姿があった。二人は並んで深く礼をする。
「閣下、アシュリー様。どうかご無事で」
イゴールの低い声に続いて、ケイトが真顔で言った。
「アシュリー様。ドラゴンは高く飛びますので……落ちたら確実に死にます。どうぞお気をつけください」
「……っ」
アシュリーは一瞬息をのんだ。
「おいケイト……いきなりそんな言い方は…普通は“風が強いから気をつけて”とかだろ」
イゴールが呆れたように眉を下げる。
「ですが、事実ですので」
ケイトはきっぱりと言い切る。
イゴールはため息をつきつつ、にやりと笑った。
「自分がドラゴンに乗るのがいつも怖いからって…」
「私はただ、地に足をつけたいだけです」
謎の言い訳にイゴールがケイトの頭を撫でた。
「ほんとにお前は……そういうところが可愛くて仕方ないんだよ」
「なっ……! そ、そういうことは……!」
ケイトの頬が一気に赤くなる。しどろもどろになった末、真顔で口走った。
「……そういうのは、閨でだけ仰ってください!」
「おい、それを真顔で言う方が余計に恥ずかしいだろう」
イゴールが頭を抱える。
ケイトは耳まで真っ赤にし咳払いをした。
「……と、とにかく奥様、どうぞお気をつけて!」
そのやり取りに、アシュリーはくすくす笑い、マルクスは隣で小さく目を細めた。
「……ああして言い合えるのも、夫婦には必要なのかもしれないね」
「……夫婦……」
その言葉に、アシュリーの胸はくすぐったい熱でいっぱいになった。
◆
竜の前で差し伸べられたマルクスの手を取ると、そのまま抱き上げられて背に乗せられる。
思った以上に近い距離に胸が触れそうになり、アシュリーは慌てた。
「っ、あ……!」
けれど腰をしっかりと支えられ、耳元に低い囁きが落ちる。
「……しっかり掴まって?私が君を落とすわけがないが、もっと君を近くに感じたい」
吐息が髪を揺らし、首筋が熱を帯びる。
美しい翼が大きく広がり、風を切って竜が舞い上がる。
雪をいただいた山々が眼下に連なり、凍った湖が陽光を反射して煌めく。
大地を守る城壁でさえ、今は小さな線のように見える。
「……すごい……!」
子どものように瞳を輝かせ、思わず身を乗り出すアシュリー。
「危ない」
ぐっと腰を抱き寄せられ、背に強い腕が回る。
耳元で、くすくすと笑う声。
「…無防備だね」
アシュリーの口から思わず零れ落ちた。
「……浮遊するより楽しい!」
マルクスの瞳が見開かれ、そしてすぐに緩む。
「……魔法で浮遊するのはなかなか誰も出来ないんだけどね」
アシュリーは顔を赤くしながらも、胸の奥が満たされていくのを感じた。
マルクスはさらに強く彼女の腰を抱き寄せ、耳元に低く囁いた。
「……ただ…危なっかしいから、空の上でも君は私の腕の中が一番安全だ」
吐息混じりの甘い声に、アシュリーは何も言えずにただ頷くしかなかった。
◆
やがて王都の尖塔が遠くに見え始める。
けれどアシュリーの頬を染める熱は、空の冷たい風でも冷めることはなかった。




