外伝3 その元悪役令嬢は、溺愛される
長い道のりを越え、馬車が白銀の大地を進む。
空は薄く凍り、遠くの山々が光を反射している。
マルクス・ヴァルトリア――北の辺境を統べる領主は、隣で静かに窓を見つめる妻の横顔に目をやった。
「……寒くはない?」
「ええ……懐かしい風です」
アシュリーはそう言いながら、雪景色の向こうを見つめていた。
彼女だけが、この場所に“帰ってきた”という感覚を覚えている。
マルクスにとっては、これが彼女と共に過ごす最初の冬。
「……この辺境が、君を迎えるのは二度目なのだね」
「はい……ずっとここは私の“おうち”のように感じていました」
マルクスは微笑み、指先で彼女の手を包んだ。
「今日からは正式に――君の家だよ」
馬車が城門の前で止まる。
分厚い鉄扉がギギ、と音を立てて開く。
「――辺境伯閣下ご帰還!奥方様に祝福を!」
兵たちの声が雪原に響く。
白い花〈スノーホワイト〉が空から撒かれ、光を受けて銀色に輝いた。
アシュリーは思わず窓から身を乗り出し、笑顔で手を振る。
兵士たちも、嬉しそうに返す。
「……皆さん、変わらずあたたかいです」
「この地の民は、厳しい冬を過ごすために“人の温かさ”を重んじるから」
マルクスの声が優しく響く。
――前の時間では“愛されないはず”だった場所。
今は“愛してくれる人々のいる場所”になっていた。
◆
城では、整列した侍女たちが一斉に膝を折った。
「奥方様をお迎えでき、光栄に存じます」
「どうぞ私どもにお任せくださいませ」
アシュリーは微笑み、静かに頭を下げた。
「ありがとう。これから、よろしくお願いしますね」
マルクスが隣で頷く。
アシュリーの胸がじんと熱くなった。
今はもう……自信がなく震えていたあの時とは違う。マルクスの隣に堂々と立っているのだから。
◆
夕刻、マルクスの案内で中庭へ出る。
雪の光が薄く差し込み、空気は凛として静まり返っていた。
雪煙がふわりと舞った。
低い鳴き声――懐かしい音。
「……ハティ」
銀狼が姿を現し、駆け寄ってくる。
その毛並みは冬の月光のように輝いていた。
アシュリーがしゃがむと、ハティルは鼻先を彼女の手に押し当て、「わふ!」と、短く鳴いた。
「……覚えている、の?」
隣に立つケイトが微笑む。
「まるで、彼だけはずっと前から待っていたようですね」
「ふふ。さすがはハティです!」
風が鳴り、空がごうごうと揺れる。
銀の影が翼を広げて降りてきた。
「……ヨルちゃん!」
マルクスが目を見張る。
「……ヨルちゃんと呼んでいるのかい?」
「……はい!」
アシュリーは微笑み、涙をこぼした。
ヨルムガルドは静かに鼻を鳴らし、彼女の前で頭を垂れる。再会を喜ぶように。
マルクスはその光景を見つめ、低く呟いた。
「……彼らは、君を覚えているね」
アシュリーは微笑んだ。
「会えて嬉しい…」
マルクスも穏やかに微笑む。
「君がこの辺境を愛してくれていたことが、本当によくわかる」
ヨルムガルドとハティルがアシュリーの取り合いを始める。
三人は顔を見合わせ、笑った。
◆
ハティルの背に揺られ、冬の大地を走る。
風は冷たく頬を打つのに、胸の奥は不思議と温かかった。
アシュリーはマルクスを振り返り、笑う。
「……広い大地を、この速さで走るのは、ハティルとじゃなきゃできませんね!」
後ろでマルクスが軽く彼女の腰を支えながら、静かに微笑んだ。
「君の語っていた“幸せな記憶”は、こうして一緒に経験していこう」
アシュリーの頬が赤くなる。
「……ありがとうございます」
「君の記憶の中の“もう一つの時”の私に負けないように」
マルクスは風に声を乗せ、囁くように言った。
「君を必ず幸せにする」
胸が高鳴る。
アシュリーはふと.少し照れくさそうに微笑んだ。
「……わたし、前より少しは頼もしくなれたかな」
「前より?」
マルクスが笑う。
「君は、いつも、どんな時よりも美しい。いつだって……進化し続けるから」
その言葉に、アシュリーの胸がいっぱいになった。
マルクスがそっと彼女の耳元に顔を寄せる。
「……愛してるよ」
「……はい」
雪の中、ハティルの足音が響く。
空でヨルムガルドが悠々と旋回していた。
◆
夕暮れ、辺境伯城の大広間は暖かな光に包まれていた。
兵も侍女も家臣も笑顔が溢れている。
中央に立つマルクスの隣で、アシュリーは少し緊張しながら立っていた。
「――諸君、聞いてくれ」
マルクスの声が高らかに響く。
「私は――アシュリーを、妻として迎える。彼女は皆が知る通り、この地と私を愛し、それを証明してくれた人だ」
彼の隣に立つアシュリーの瞳が潤む。
「……マルクス様」
マルクスは微笑み、ゆっくりと跪いた。
「アシュリー。私は君を、自ら選んだ」
マルクスが手を差し伸べる。
「君はずっと一人で努力を続けて来た。私はほんや君の優しさに触れ、君の生き方に惹かれた。
そして――これからは一人で頑張るのではなく、私の隣で支え合って生きて欲しい」
アシュリーの喉が詰まり、胸が震えた。
「……わたし……」
涙が滲み、声が掠れる。
それでも微笑み、彼の手を取った。
「わたしも、マルクス様の隣にいたいです。
どんな場所でも、どんな困難があっても、何度でも……あなたと出会いここで生きたいです」
広間が静まり返った。
次の瞬間、誰からともなく拍手が起こる。
兵たちは拳を掲げ、侍女たちは目に涙を浮かべて笑った。
ケイトは前と同じようにイゴールに抱き締められていた。
マルクスが立ち上がり、アシュリーを強く抱きしめる。
「……アシュリー。君を、愛しているよ」
アシュリーはその胸に顔を埋め、笑った。
「……私、頑張りました。そして、ようやくここに辿り着けたんです!」
マルクスがそっと彼女の髪を撫でる。
「君が報われるように、今度は私が努力をする番だ。必ず幸せにするから……安心して隣で笑っていてほしい」
アシュリーは涙目で頷いた。
外では雪が降っている。
ハティルとヨルムガルドのじゃれあう声が平和に聞こえた。
――白銀の大地で、二人の物語に、また一つページが増えた日だった。




