甘いじゃがいもに負けない甘さと光る経理部長の目
春の兆しがまだ冷たい風に紛れている。
アシュリーは領内の畑にしゃがみ込み、土を掘り返していた。
掌には王都から持ち込んだ小さな種芋。
「……この子たちなら、きっとこの地の寒さにも負けないはず」
真剣な瞳。額に汗が滲んでいても、彼女の表情は生き生きとしていた。
◆
背後から低い声がかかった。
「……何をしているんだい?」
振り向くと、マルクスがゆっくりと歩み寄ってくる。
アシュリーは頬に土をつけたまま、慌てて立ち上がった。
「っ……あ、あの……!実は王都から、隣国のじゃがいもの種芋を持ってきたんです。
寒さに強くて、甘みもあって……色も黄色くて、可愛くてとても美味しいんです。
辺境でも育てられたら、きっと名物になるんじゃないかって……」
しどろもどろに言いながら、小さな芋を差し出す。
アシュリーは恥ずかしそうにふと視線を落とした。
「……その……マルクス様の領地のことを思っていたら……なぜか、こういう作物に詳しくなっていて……」
言葉の終わりは消えるように小さくなった。
頬がうっすら赤く染まっている。
マルクスの灰銀の瞳が、静かに揺れた。
「……君は、本当に……」
顎をそっと指先で持ち上げられ、視線が重なる。
「…どうしてそんなに、私を喜ばせてくれるんだ?」
「っ……ち、違っ……あの、そんなつもりじゃ……」
あわあわと視線を逸らすアシュリー。
マルクスは目を細め、低く囁いた。
「……愛おしさで婚姻式が待ちきれない」
強く抱き寄せられ、温かさに包まれた瞬間、アシュリーの心臓は大きく跳ねた。
胸の奥で、何かがほどけていった。
◆
その時。
「アシュリー様!」と駆け寄る声に、二人は顔を向けた。
ケイトが戻ってきていた。後ろには夫のイゴールの姿もある。
ケイトは姿勢を正し、はっきりと報告した。
「王都で……聖女ルーチェ様と王太子レイス殿下が断罪されました」
アシュリーは大きく目を見開く。
「助けなきゃ」という言葉がでかかった瞬間ーーケイトが続けた。
「罪状は国庫の横領、そして勝手な婚約破棄。地位剥奪の上、二人は僻地に流刑に」
次の瞬間、経理部長だった前世の感覚が鋭く甦る。珍しく剣呑にアシュリーは目を細め、低く呟いた。
「……横領するなんて……、それは決して許されないこと。流刑で済んで……むしろ、よかったくらいのことですね」
小さく呟いたその姿は凛としていた。
ケイトはおかしそうに微笑み、横のイゴールは静かに頷く。
マルクスは彼女を見下ろし、再びその肩を抱き寄せた。
「君は真っ直ぐだね。私は誇らしいよ」
アシュリーは言葉を失い、ただ彼の胸の温もりに頬を寄せた。




