終話 アシュリーの物語
今夜の王都は、普段よりも浮き足立っていた。
――成人した貴族子女が社交界デビューを果たす日。
この夜、アシュリー・ロズレインもまた、胸を高鳴らせていた。
◆
アシュリーは鏡の前で静かに息を整える。
淡く光る銀のドレス。
裾には透明なガラス細工が散りばめられ、髪には雪のような形の小さな白い花がいくつも飾られている。
柔らかく微笑むその表情に、かつての臆病な少女の面影はなかった。
背後で、ケイトが手際よく髪を整えながら微笑む。
「本当にお綺麗です。……もう、完璧な淑女ですね」
アシュリーは頬を染めて笑う。
「ケイトのおかげです。私、一人だったら途中で挫けていました」
「泣きながら帳簿を燃やしたりしてましたしね」
「わ、忘れてください……!」
ふたりの笑い声が重なった。
◆
彼女はずっと、努力を重ねてきた。
魔法の修練、語学、外交術――そして何より“人と関わること”。
ルーチェや両親とも、今は穏やかに笑い合い、公爵家の屋敷はいつも明るい。
学園では友を得て、他人を助け、誰かと支え合うことを覚えた。
遠いルーメニア聖国にも定期的に足を運び、宗教の分離政策を陰ながら助けながら、
“信頼で世界を繋ぐこと”を学んだ。
気づけば、周囲の人々もまた、彼女の努力に応えるように変わっていった。
アシュリーは静かに微笑む。
(……この世界が大好きです。ここで、生きていきたい……)
◆
ケイトが小さく微笑む。
「今日こそ、その“運命の方”に会える日ですね」
「……はい。でも少し怖いです。努力しても努力しても、まだ足りない気がして」
ケイトはリボンを結びながら、穏やかに言う。
「大丈夫ですよ」
「そう……?」
「ええ、“きっと大丈夫ですよ”。」
アシュリーは息を吐き、そっと笑った。
「その言葉に、何度救われたか分かりません」
◆
扉が開く。
黄金の光が差し込み、会場にざわめきが広がった。
アシュリーが歩み出る。
銀のドレスの裾が揺れ、視線のすべてが彼女に注がれる。
そして、ルーチェは王太子レイスの隣に立っていた。
アシュリーを見つけると、柔らかに笑う。
“お姉さま、見ていてね”――そんな言葉が、表情から伝わった。
その傍らには、見覚えのある人たち。
ゲルトがワイングラスを手にし、キリアンと穏やかに語り合っていた。
「こうして穏やかに笑い合えることが……嬉しいですね」
ゲルトが微笑み、キリアンが頷く。
「ええ。人は変われます。貴方の祈りも、無駄ではありませんでした」
アシュリーは胸の奥で小さく呟いた。
(……みんな、前を向いている)
◆
後ろで足音が響く。
会場が静まり返る。
アシュリーが振り返った。
銀灰の髪。辺境ヴァルトリアの礼装。
真紅の外套には、王族の紋章が刺繍されている。
灰銀の瞳が、まっすぐに彼女を捉えていた。
――待ち焦がれていた、愛する人。
アシュリーの胸が強く脈打った。
音楽が遠のき、世界が彼だけを映す。
彼が一歩、また一歩と進むたび、
会場の光が増していくようだった。
◆
マルクスはアシュリーの前で立ち止まり、静かに微笑んだ。
「……君はずっと、努力をやめなかったね」
アシュリーの瞳に涙が滲む。
「ええ。あなたにもう一度会うために、努力し続けました」
マルクスは跪き、そっと手を差し出した。
「どうか、私と結婚してほしい――私の、愛しい花嫁」
アシュリーは花が咲くように微笑んだ。
「はい。はい……っ!」
マルクスは微笑み、言葉を重ねる。
「……君を愛したい。どんな時も……何があっても……時を越えても」
アシュリーは彼の手を取った。
「……お話ししたいことが、たくさん、たくさんあるんです」
マルクスがそっと抱き寄せた。
音楽と光が二人を包む。
アシュリーはマルクスの胸に寄り添いながら囁く。
「……これからもずっと、努力します。あなたの隣で生きていけるように」
マルクスが微笑む。
「一緒に、ね」
――努力は、報われない時もある。
けれども、前を向いて諦めないで、生きていきたい。
物語の主人公は、いつだって自分なのだから。




