ヒロインとヒーローは、再び。
春の陽射しが差し込み、王宮の庭園は若草色に揺れていた。
白い花が風に舞い、遠くで小鳥が鳴く。
――暖かい。
風の匂いも、光の色も。
アシュリーは、ゆっくりと目を開けた。
手を見ると、小さく華奢な少女のものになっている。
胸の鼓動が速くなった。
(……戻ってきた)
すべてを失ったあの瞬間から、もう一度やり直すために。
あの“時返り”の光が、確かに彼女を過去へ導いたのだ。
だがこれは、同じ世界ではない。
既に少しずつ“違う未来”へ進み始めた世界。
――アシュリーが歩み出した、新しい時。
◆
庭園では、春の茶会が開かれていた。
白いテントの下、若い令嬢たちが楽しげに談笑している。
花の香りが満ち、笑い声が溶けていく。
子供たちの輪の中に、妹のルーチェの姿があった。
ピンクのふわふわしたドレスをひらめかせ、明るく笑っている。
「お姉さま!早くー!」
ルーチェが手を振る。
アシュリーは、はっとした。
この声、この光景。
あの日と違う――“ルーチェ”がいる。
輪に駆け寄ると、ルーチェが得意げに胸を張った。
「私ね、お姉さまの言う通りにしてるの!
“みんなと仲良くすること”、でしょ?」
「ルーチェ……」
「えへへ。だって私、“ヒロイン”だもん!」
その言葉に、アシュリーは目を見開いた。
――もう、“原作”に縛られた彼女ではない。
ルーチェは、自ら選び、笑っていた。
「そうね。あなたは、きっと誰かを幸せにできるヒロインよ」
アシュリーが微笑むと、ルーチェは嬉しそうに頷いた。
「でも、まずはお姉さまと仲良くするの!
もう“ひとりぼっち”は嫌だから!」
その言葉に、アシュリーの胸が熱くなった。
前世で、あの世界で、叶えられなかった“家族”の形が、今ここにある。
◆
風が吹き抜け、花弁が舞う。
その光の中で――アシュリーは、少し先の木陰にひとりの青年の姿を見た。
落ち着いた立ち姿。
風に揺れる外套の裾に、見慣れた紋章が光っている。
ヴァルトリア――北の辺境。
アシュリーの呼吸が止まる。
(……マルクス様)
足が勝手に動いていた。
手のひらが汗ばむ。
喉が詰まる。
近づくと、青年がゆっくりと振り返った。
灰銀色の瞳が春の光を映し、やわらかく細められる。
「……公爵家の子、かな?」
さっきまで隣にあったはずなのに、どこか懐かしい声が胸に響いた。
アシュリーは裾をつまみ、お辞儀した。
「はい。アシュリー・ロズレインです」
マルクスは頷き、微かに笑った。
「丁寧な挨拶をありがとう。
マルクス・ヴァルトリア辺境伯です。
春の庭というものは、あたたかくていいね」
その一言で、アシュリーの瞳に涙が滲んだ。
――あの日、誓った言葉がよみがえる。
“君は私がいなくても前を向ける”
“努力したら、また出会ってくれますか?”
アシュリーはそっと口を開いた。
「……マルクス様。
いつか、いつか……私が貴方の隣に立てるようになったら、お嫁さんにしてください」
マルクスは驚いたように目を見開き、すぐに穏やかに笑った。
「……ずいぶん年の離れた夫婦になるね」
アシュリーは涙をこらえ、笑った。
春風が二人の間を通り抜け、クローバーが一斉に揺れた。
「私、たくさん努力します。
もっと、強く優しくなります。
だから……だから、その日まで、どうか待っていてください」
マルクスは頷き、目を細めた。
「努力する人は、きっと報われるよ。
きっとまた――会える気がする」
◆
遠くでルーチェが呼んでいる。
「お姉さまー! こっちこっち!」
アシュリーは振り返り、笑った。
「はい、今行きます!」
マルクスにもう一度微笑む。
スカートの裾を持ち上げ、アシュリーは小走りに花の中を駆けていく。
春の風が吹き抜けた。
空には、薄らと星がひとつ浮かんでいる。
それは、時を越えて輝いていた。
アシュリーはその光を見上げ、そっと胸の前で手を合わせた。
「私は絶対に諦めません!」
風が優しく頬を撫でた。
想いはすべて、春の光に淡く運ばれてゆく。
――そして、物語は始まった。




