元悪役令嬢の最後の誓い
空は赤く燃え、光の柱が天を貫いている。
風が焼けつくように吹き荒れ、砂塵の向こうで聖女の彫像が倒れた。
アシュリーはその中で、膝をついていた。
腕の中に、マルクスがいる。
「……いや……いやです、マルクス様……!」
アシュリーの唇が震えた。
「どうして……」
彼女の瞳から、涙が落ちる。
血と砂が混じり、掌を濡らした。
◆
「……泣かないで」
マルクスの声がかすかに届く。
灰銀の瞳が、穏やかに笑っていた。
「……貴方がいない、世界なんて……っ!」
アシュリーの声が震え、肩が強張る。
マルクスはゆっくりと手を伸ばし、彼女の髪に触れた。
「君は、いつでも……前を向ける……」
その指は血に濡れながらも、温かかった。
「……君は……私がいなくても……きっと諦めない……」
遠くで、ルーチェが座り込んでいた。
ぼんやりと焦点の合わない瞳で、アシュリーとマルクスを見ている。
足元には、ゲルトが息絶えていた。
「……私の……せい……?」
ルーチェは震える唇で呟いた。
「こんなつもりじゃなかったの……幸せに、なりたかっただけなの……」
彼女はずっと、ゲルトに治癒を施していた。
アシュリーは泣きながら、ルーチェに言う。
「それ以上は……ルーチェ……もう、休んで……」
ルーチェはその場で泣き崩れた。
「どうして……何を間違えたの……」
その悲痛な声は、誰の耳にも届かなかった。
◆
アシュリーは震える指で、マルクスの頬を撫でた。
「……行かないで……」
彼の呼吸は浅く、唇がわずかに動く。
「……アシュリー、私の隣は、君だけだ」
アシュリーは泣きながら、彼を抱きしめた。
「……だったら……だったら、もっと一緒に、生きてください!
私……また努力します。たくさん努力します。約束したから、おうちに帰らないとだめです。だから――だから……」
マルクスが微笑む。
アシュリーは泣きながら笑い返した。
そして、唇を重ねた。
血と涙が混ざり合う。
絶望するアシュリーの胸の奥に浮かんだのは、あの夜の星。
キリアンの言葉――
『星は、いつの時代も変わらない』
「……時が違っても、繋がってる……?」
彼女の瞳が光を取り戻した。
「……時を、戻せば……!」
次の瞬間――星が降り始めた。
天から、銀の光が糸のように降り注ぐ。
アシュリーの身体が淡く輝く。
彼女の中に流れる“星と時”の記憶が目覚めた。
「……この世界を、もう一度……」
アシュリーの掌から光が溢れる。
崩れた石が空へと浮かび、裂けた空がゆっくりと閉じていく。
時間が逆に流れてゆく。
風が戻り、血が光に還る。
マルクスの身体を抱いたまま、アシュリーは祈る。
「……星よ、どうか、時を返して。
この世界がもう一度笑えるように――」
彼の頬に口づけを落とす。
「……また、努力しますから……また、出会ってください、ね……」
彼女の身体が霞んでいく。
◆
世界が白に染まる。
黒い光が反転する。
最後に聞こえたのは、穏やかな声だった。
「……アシュリー。私の、大切な花嫁……」
アシュリーの頬に風が触れる。
その風は、マルクスの手のように優しかった。
そして、世界は暗転した。
――物語は、“はじまり”へと還る。




